第6話 桜の木の前で
いつものようにいつものごとく。
ギルの余裕しゃくしゃくな態度に腹が立った私は、
「もう、この……っ、エロエロ大魔王ぅううーーーッ!!」
悔しくて悔しくて、森に響き渡るくらいの大声で叫んでしまった。
ギルはクスクス笑いながら、優しく私を抱き締める。
「また君が元いた世界の言葉かい? どういう意味なのか気になるけれど……君はいつもはぐらかすばかりで、教えてくれないよね? どうしてなのかな?」
髪をすくようになでてから、面白がっているみたいに、彼は私の毛先をくるくると指に巻き付けている。
「ど、どうしてって……」
私は気まずく口ごもり、ギュウっと彼の胸元にしがみついた。
べつに、秘密にするほどのことでもないけど。
改めて説明するのは、なんとなく恥ずかしいし……。
意味を知ったら知ったで、『ひどいな。君は私のことをそんなふうに思っているのかい?』とかなんとか言って、拗ねちゃうに決まってるし。
……うん。
面倒くさいから、やっぱり教えるのはやめておこう。
「わざわざ説明しなくたって、見当ぐらい付くでしょっ? 自分が今、何をしようとしてたのか思い返してごらんなさいよ!」
「何をしようとしていたか?……フフッ。それはもちろん、キスとか――」
彼は少し身を屈めて、耳元に口を寄せる。
「もしくはそれ以上のこと……かな」
誘うようなささやきに、クラッとしそうになりながらも。
ほとんど反射的に、彼の体を力いっぱい突き飛ばしていた。
「だっ、ダメッ!!……こ、ここ――っ、ここをどこだと思ってるのよっ!? か、かみっ、神様の前――っ、なんだからねっ!? へ、変なことしたらしょっ、しょしょ……っ、しょーちしないんだからっ!!」
異常なほどのどもりっぷりに恥ずかしくなった私は、全身がカーッと熱くなった。
彼はそんな私を憎らしいほど落ち着いた様子で眺めながら、
「ひどいな、突き飛ばすなんて。まだ何もしていないだろう?」
なんてことを言って、再び私の腕へと手を伸ばしてきた。
私はすんでのところでその手をかわし、数歩後ずさる。
「まだ――ってことは、これから何かしようとしてたってことじゃない! よりにもよってこんなところで、やめてよねっ! バチが当たるんだから!」
そう言って木の後ろに回り込み、彼から見えないように姿を隠した。
「リア!……私から見えないところに隠れるなんて、意地が悪いな。また私に大騒ぎさせたいのかい? 君の姿をどこまでも追い求めて、惨めにうろつく姿が見たい?」
怒気を含んだ声に、ヒヤリとする。
私は慌てて木の陰から顔を覗かせると、取りつくろうように声をかけた。
「そ、そんな大げさな言い方しなくてもいいでしょっ。隠れるって言ったって木の後ろだよ? 数歩も歩けばすぐ見えるのに――」
「たとえ一瞬でも、私から見えないところに移動したのはいただけないよ。今しがた、君の姿が見えなくなってうろたえる私を目にしたばかりだというのに。その後でこんな行動を取られては、私に対しての嫌がらせとしか思えないじゃないか」
「そんな! 嫌がらせなんてするわけないじゃない!」
「では何故、私から離れてそんなところへ隠れようとしたんだい? 納得いく答えをくれない限り、許す気にはなれないよ」
「な、何故って……それは……。ギルが、神様の前で……変なこと、しようとするから……」
あ……あれ? おかしいな?
私、ここまで責められなきゃいけないほど、ひどいことしたかな?
……そりゃあ、彼を不安にさせちゃったんなら、謝らなきゃいけないのかもしれないけど……。
でも、木の陰に隠れたくらいで『許す気になれない』なんて、やっぱり大げさすぎるよね?
……そうよ。
元はと言えば、ギルが神様の前で迫ってきたりしたのがいけないんじゃないっ。
だんだんムカついてきて、何か言ってやろうと口を開いた。
「だいたいギルが――っ」
「『神様の前』『神様の前』と言うけれど、神様はもうここにはいないんだろう? サクラのいる世界へ行ったと言っていたじゃないか。それなのに、どうして神様に遠慮しなければいけないんだい?」
「――っ!」
……そうだ。
神様はもう……ここにはいないんだ。
ううん、いないだけじゃない。
もう、帰ってもこないんだ。
神様は……神様は永遠に、この世界から消えちゃった……。
「……リア? 急に黙り込んで、どうかしたのかい?……リア?」
ギルの声はハッキリ聞こえていたけど、返事するどころではなくなっていた。
両目からとめどなく涙が溢れてきて……止めようにも止められないほどの勢いで頬を伝っては、服や地面にこぼれ落ちていたから。
「リア?……リア? いったいど――」
ふいに彼の言葉が途切れて、どうしたんだろうと顔を上げると、
「リアッ!!」
すぐ目の前に、怖いくらい真剣な彼の顔があった。
肩を強く掴まれて驚いた私は、目を見開いて彼を見上げる。
「……ああ、よかった。また君がいなくなってしまったのではないかと、ヒヤリとしたよ。……しかし……リア? どうして泣いているんだい?」
彼は切なげに目を細め、頬に優しく手を添えた。そのまま親指の先で、そっと涙を拭ってくれる。
それでも涙を止められず、私は訴えるように彼を見つめた。
「神様が……。神様、もう……ここには戻らないって……。ずっとあっちの世界にいるんだって。だから……だからもう……会えないの。会いたくても……会えな――」
堪え切れず、彼の胸に顔を埋めた。
「リア……」
彼は優しく頭をなで、もう片方の手で私の体を抱き締める。
「それは……寂しいね。二度と会えないというのは……」
「うん。……うん」
私は彼の腕の中で、何度も何度もうなずいた。
彼の背に手を回し、服にしわが寄るくらいギュッと布地を掴む。
「だけどね、リア。神様は大好きなサクラの元に行ったんだろう? これからは、大好きな人の側にいられるんだろう? ならば……喜んであげなければいけないよ。神様は自らの力で幸せになる道を選び取り、それを叶えたのだから。祝福してあげなければ。……ね、そうだろう?」
彼の言葉を心で噛み締めながら、私は無言でうなずいた。
――それはわかってる。私だって、よかったと思ってる。
神様が大好きな桜さんのところに無事に辿り着けて……力も少し戻ったって聞いて、心の底から安心したし。
だって、もしかしたら力が弱まって……神様、消えちゃってたかも知れないんだもん。
無事に向こうの世界に着けてたとしても、力を使い果たしちゃってたら……やっぱり、消えちゃってたかも知れないんだもん。
だから、神様が無事で……すごく幸せそうでホントにホッとしたし、嬉しかった。
……でも。
それとこれとは、また別なんだよ。
よかったとは思ってるけど……ホッとしてはいるけど。
でも、やっぱり……会えなくなるのは寂しい。
……おかしいよね。
神様が桜さんのところに行くって教えてくれた時、一回お別れしてるのに。
その時も寂しいって思いはしたけど、ここまで強くは――泣いちゃうほど強くは、別れを惜しんだりしてなかったのに。
なのに、どうして……?
なんで二度目の別れは、こんなに辛いの?
――わかんない。
わかんないけど……。
……やっぱり、寂しいよ。
寂しいよ、神様……。




