二組の、龍と魚と③
後宮の最奥『月の間』は。皇后もしくは寵姫の居住区として作られたが、現在は中庭を挟んで二つに分かれ、一つは隆慶嘉太上皇の宮である『新月の間』、もう一つは皇帝の居室に続いている『月の間』となっている。
噴水のある中庭は、両方の間から行けるようになっており、深夜、皇帝陵での作業が終わった慶嘉が新月の間に帰ってくると、その噴水の傍らに立つ、半月の光に照らされた息子に気づいた。
慶嘉は少々怒っていた。ここ半年、アリアを迎える為己は南の蛮族討伐に出ていたが、息子である皇帝は、
『戻ってくるまでに準備は済ませておく』
と言っていたのだ。
ところが、一番重要とも言える皇帝陵での祭儀の準備が終わっていないと、せっかくアリアに会えると喜んでいた矢先に言われ、慶嘉はアリアに会えないまま今の今まで作業に追われていたのだ。
一言ぐらい文句を言おうと皇帝に近寄ると、皇帝は下を向き、珍しく気落ちした様子だった。
「………藍華」
皇帝、ではなく、息子の幼名を呼ぶと、
「父上、今戻ったのか?」
顔を上げた皇帝に、
「ああ。こんな夜更けにどうかしたのか?」
「アルスに怒られた」
「アルスに? 何故?」
「父上とアリアを会わせないのはどういう事だ! と責められた」
「………」
自分も息子に文句を言おうと思っていたので慶嘉は言葉を迷ったが、皇帝は、
「確かに、父上とアリアの再会をじらす為にわざと祭儀の準備を遅らせていたが」
(やはりそうか)
「その方が再会した時の喜びが大きかろうと、俺なりの気づかいだ」
(いや、そんな気づかいは必要ないのだが)
「それなのに、アルスのヤツ、今宵の宴席で一方的に怒ってきた!」
(アルス、ありがとう)
自分の代わりに息子を叱ってくれたアルスに心の中で礼を言い、慶嘉は、
「そうか」
つい、笑いながらそう言ってしまい、
「俺がアルスに怒られ、嬉しそうだな」
「いや、そんな事はないぞ」
「父上はいいよな? アリアを后という正式な立場で迎える事ができる」
「藍華」
「俺とアルスは、あくまで皇帝と他国の王子だ。この先どうなるか分からん。少しばかり父上たちに意地悪をしてもいいだろ?」
意地悪だと自覚はしているらしい。慶嘉は、短い黒髪の、息子の頭を雑に撫で回し、
「何をするっ、父上」
「かわいい息子だな、藍華は」
「かわいい? 俺が?」
「ああ」
慶嘉は藍華の肩に手を回し引き寄せると、
「わたしがもう少し皇帝でいれば、藍華はもっと自由でいられたかもしれない。せめて皇太子であったら、アルスとも立場が近かっただろう。藍華の為と思って退位したが、すまなかった」
思いがけない父親の謝罪に、藍華は慶嘉の肩に顔を乗せ、
「父上にそんな事を言われては、俺も謝るしかない」
「ふふふ」
慶嘉は笑って、
「謝らなくていい。気落ちしているかわいい藍華を見られてよかった」
「かわいいとか、言わないでほしい」
「なぜ?」
「照れくさい」
慶嘉は息子の頭を再び撫で回し、
「藍華とこうして語り合える夜が来るとは思っていなかった」
藍華は父親の手を抗わず、
「アルスたちのおかげだろう」
「そうだな。アリアとアルスには感謝しかない」
「父上」
「うん?」
「アリアとお幸せになってください」
「もちろんだ。………藍華もアルスと幸せになれ。わたしも力の限り藍華たちを支えよう」
藍華は目を見張り、笑みを浮かべ、
「父上らしくない台詞だ」
「確かにな」
つられて慶嘉も笑う。
その時、近づいてくる足音に気づき、二人は振り返った。この中庭は誰も入って来られないようになっている。例外があるとしたら、
「アルス?」
暗闇の中近づいてくる影に、藍華が呼びかける。
「あ、藍華っ」
返事をしながら月明りの下に現れたのはアルスだった。毛皮の外套を着ている。そして誰かの腕を引っ張っていた。引っ張られてきたのは、
「アリア!」
慶嘉が声を上げる。アルスに引っ張られながら現れたアリアは、アルスと同じ毛皮の外套を着ていた。下ろした赤い髪が月明りに照らされる。
「姉さんが慶嘉様に会いたいって泣くから連れてきた。ほら、姉さん」
恥ずかしがって弟の背後に隠れていた姉を、アルスは前に押し出す。押し出されたアリアは体制を崩し前のめりになってしまった。
「あっ」
「アリアっ」
倒れそうになったアリアに慶嘉が手を伸ばす。細い肩を掴み支えた。
「慶嘉様」
自分を見上げてくるアリアに慶嘉は目を奪われた。二年半の月日が、少女を女性に変えていた。背が伸び、少し丸みがあった顔立ちも細面になっていた。その美しい変貌に、慶嘉は言葉が出ず、ただ、掴んだ肩に力が入ってしまった。
アリアはそれをどう思ったのか、
「外套を着たまま失礼いたしました」
と、毛皮を脱ぎだし、毛皮の下に隠れていたその姿に慶嘉は慌てた。
アリアは胸元が大きく開いた西の国の衣装を着ていた。布地も薄く、体の輪郭が手に取るように分かる。二年半前の襦裙姿しか知らない慶嘉は、
「いや、あの、寒いから着ていた方がいい」
狼狽えながら毛皮を着せた。
「ありがとうございます」
微笑むアリアから慶嘉は目が放せず、気づいた時にはアルスと藍華がいなくなっていた。二人っきりになり、
「アリア、会いたかった」
「私もです、慶嘉様」
それ以上お互い言葉にならず、慶嘉はアリアを抱き寄せた。アリアも慶嘉の背に手を回す。アリアの背に流れる赤い髪を撫でると、アリアは慶嘉に回した手に力を込め、
「慶嘉様………私のせいで、西の国の伯父様から無理難題を押し付けられたとお聞きしました。つい最近まで、南の蛮族討伐に出られていたとも。………申し訳ございません」
涙声に、慶嘉は自分の胸にすがりつくアリアの顔を覗きこんだ。
「アリア、泣いているのか?」
アリアは慶嘉の胸に顔を埋め答えない。
「アリア、無理難題など押し付けられてはいない。確かに西の国の王から色々頼み事はあったが、それは国同士のやり取りではよくある事だ。アリアが気にする話ではない」
「でも………」
「アリア、顔を上げてくれないか。顔が見たい」
「………」
アリアは顔を隠したまま顔を振り、小さい声で、
「泣いてしまって………お化粧が落ちてしまったかも………」
恥ずかしくて顔が上げられないようだ。慶嘉はアリアの頭を撫でながら、
「化粧をしていない顔も好きだ。そもそも最初に出会った時もしていなかっただろう?」
そのうえ男装だった事を思い出したのか、アリアは手で涙痕を拭きながらゆっくり顔を上げた。
「二年半前も美しかったが、ますます綺麗になったな」
「本当に?」
「ああ。今夜会えると思っていなかったから、余計に驚いた。会いに来てくれてありがとう」
「アルスが会えないなら会いに行こうって連れ出してくれました。あの、侍従長様も、何も言わずにこちらへ案内してくださって………お叱りになりますか?」
「まさか。むしろ箔敦観には褒美を与えないといけないな。それにアルスにも感謝しよう」
「アルスはアルスで、皇帝陛下にお会いしたかったようです」
アリアが姉の顔で笑う。慶嘉は今さらながら、
「アリアは、藍華とアルスの事を認めているのか?」
「認めざるをえないと言うか………あの慶嘉様、これ」
アリアが差し出したのは、飾り紐がついた龍の飾り物だった。二年半前、慶嘉がアリアに渡した物である。
「アルスも、同じ物を持っていました。皇帝陛下にいただいたようです」
慶嘉は藍華のアルスに対する想いの深さを改めて知り、先ほど息子と交わした会話を思い出す。
「慶嘉様は、アルスたちの事をお許しくださるのですか?」
「もちろんだ。二人の事はわたしも太上皇として、宰相として、そして親として、支えていこう」
アリアは顔を綻ばせ、慶嘉に抱きついた。しかし瞬時に離れ、
「はしたない事してごめんなさい」
「嬉しいから、離れないでくれ」
慶嘉の方からアリアを再び抱き寄せた。腕に力が入る。腕の中でアリアが、
「何だか、不思議な気持ちです」
「どうしてだ?」
「だって、カラスと子猫を怖がっていたのに、なんだか、すごく」
アリアは小声で「頼もしくて、素敵です」と告げた。
慶嘉は堪らず、アリアの頤に触れて顔を上げさせると、何をされるか気づいていないその唇に己の唇を重ねた。
触れるだけの口づけにアリアは体を強張らせ、離れると月明りでも分かるほど顔を赤くし、
「け、け、けいか、さま」
声が上擦っている。その様子が可愛らしく、慶嘉はもう一度口づけをした。今度はゆっくりと、そして最後に唇を少し吸い上げた。
「………っ」
アリアは真っ赤な顔で茶色の目を潤ませ、恥ずかしそうに、
「嬉しい、です」
その様がさらに慶嘉を高ぶらせ、けれどこれ以上事を進めてはいけないと言う理性が働き、慶嘉はぎりぎりの所でアリアから腕を放すと、
「………さあ、もう夜も遅い。客殿まで送って行こう」
アリアの背に手を回し、歩き出そうとして、
「あ、アルスは」
「アルスは後で送って行こう。あの二人も積もる話があるだろうから」
アリアは拗ねた口調で、
「アルス、ずるいわ」
「なぜだ?」
「私だって、まだ慶嘉様と一緒に居たいです」
「祭儀が終われば、アリアはわたしの后だ。そうなれば、ずっと一緒だ」
「ずっと一緒ですか?」
「そうだ」
アリアは笑って、
「早く、慶嘉様のお后になりたいです」
慶嘉はアリアを抱きしめたい衝動を抑えて、
「さあ、行こう」
やっとの思いで歩き出した。
アリアは客殿に戻り、火鉢の置かれた温かい部屋で長椅子に座り一人呆けていた。二年半ぶりに会った慶嘉は出会った当初と比べるとずいぶん頼もしく、そして、勇ましさを感じた。
自分との婚姻の条件として、南の蛮族討伐に出征したと聞いた時は心配でしかたがなかったが、再会した慶嘉の逞しい様子に、自分の心配は杞憂だったと知った。
(でも、お怪我をされてなくて本当によかった)
慶嘉の姿を思い出すと胸がときめく。無意識に指で自分の唇に触れ、先刻の事を思い出し顔が赤くなった。そこへアルスが帰って来た。
「ただいま。部屋あったかいね。あれ? 姉さん、顔が赤いけど暑いの?」
「ううん、違うの! 別に、大丈夫よ」
挙動不審なアリアをアルスはじっと見つめ、
「慶嘉様に、何かされたでしょ?」
人が悪い笑みを浮かべている弟の頭を、アリアは拳で小突いた。
「いたっ」
「変な事言わないでよ!」
「変な事って、どんな事だよ」
「それは、その」
「慶嘉様も男だもん。二年半ぶりに姉さんにあって、何もしないはずないしね」
アリアは目を細めて、
「そう言うあんたは、皇帝陛下と今の今まで何をしてたのよ」
「え! 僕? 何って、それは、その………」
頬を赤らめる弟に、アリアもつられて顔が赤くなり、
「何で姉さんが照れてるんだよっ」
「だって、だって」
「姉さん、まさか最後までしたとか………」
「最後までって、するわけないでしょ! 馬鹿じゃないの!」
アリアははっとした顔つきで、
「まさか、アルス、皇帝陛下と………」
「してない、してない。まだしてない」
「まだって!」
「聞かないでよ!」
「………わかったわ、落ち着きましょう」
並んで長椅子に腰を下ろし、
「アルス、これ」
アリアは自分の龍の飾り物を取り出した。アルスも自分の懐から、アリアとお揃いであつらえた飾り紐のついた、龍の飾り物を取り出した。
「慶嘉様は、アルスと皇帝陛下の事をおお許しになっていたわ。二人の支えになると仰ってくださった」
「慶嘉様が?」
アリアは頷き、
「私も、アルスたちの事は認めているし、慶嘉様と一緒に二人を支えていきたい。だからアルス、幸せになってね」
アルスは真顔で姉を見つめ、
「姉さん、それは僕が先に言いたかったのに」
アルスは腰を上げ、背筋を正して姉の前に立つと、
「アリア姉様、龍華帝国太上皇、隆慶嘉陛下との婚姻、心からお喜び申し上げます。そして、今まで姉として母として、わたくしを育ててくださり、ありがとうございました。姉様と太上皇陛下のお幸せを願っております」
アリアは凛々しい弟の姿に、自然にこぼれた涙はそのまま、
「ありがとう、アルス」
両腕を広げ、胸元に飛び込んできた弟を抱きしめた。
「慶嘉様のお后になっても私はアルスの姉さんだから。それは変わらないから」
ぼろぼろ泣きながら言うと、アルスは顔を上げずに頷く。そして、
「大好きよ、アルス」
アリアの言葉に、
「僕もだよ、姉さん」
アルスも泣きながら答えた。
冬晴れの日、西の国『ソリュシュエレン』の姫・アリアは、母と弟に見守られながら龍華帝国宰相、隆慶嘉太上皇へと嫁いだ。
与えられた称号は皇太后。
先々帝も現皇帝も皇后がいない為、後宮は久しぶりに主となる者を迎える事となった。
また、皇太后の弟アルスは、西の国の特使として帝国に留まる事が発表された。
こうして、
赤い髪と茶色の目をした美しい魚の姉弟は、
黒龍の親子に愛され、
長く幸せな時間を過ごす事になるのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。
弟編の更新状況は、活動報告でご報告していきますので、よろしくお願いします。




