龍と魚と
親子の語らいを邪魔するのはさすがに気が引けたのか、強面の男は、
「明日また参ります」
と、出て行った。入れ替わりに瑜燈昇が宮殿に到着し、慶嘉の提案で一同は月の間に移動する事となった。月の間の一番広い部屋に、慶嘉と藍后、アリアとアルス、アイシャと燈昇が揃い、遅れて皇帝が入ってきた。
アリアとアルスは母親から、父親との出会いや、二人を出産後に西の国へ戻った事を聞き、
「お母様は、一四歳でお父様と西の国で出会って、お父様を追って帝国に来て、十六歳で私を産んで」
「十八歳で僕を産んで、その一年後に西の国に戻ったんだね」
「そうよ」
「ずっとお父様とも会っていなかったの?」
「いいえ。お父様とは、お父様が西の国へ来るたびに会っていたわ。頻繁ではなかったけれど、二年に一度ぐらいは」
「母さんは、西の国の王女だって事は隠してたの?」
「いいえ。まったく。帝国に住んでいた時も隠していなかったけれど、周りが信じなかったのよ」
「どうして今戻って来てくれたの? お母様」
「だいぶお兄様の治世も落ち着いてきたので、そろそろいいかなっと思ったの。でもお兄様や周りに反対されたから、勝手に出てきちゃった」
「それであの怖い顔の人が追ってきたんだね………」
「そうなのよ、アルス。あいつは昔から融通が利かない男でね。あなたたちの事を既に国へ報告しているでしょう。………困ったわ。あいつが言う通り、アルスは王位継承権があるの。お兄様の所には王子が二人いるから、継承順位は三位ね。それにアリア、あなたも王族の一員だわ。お兄様に存在がばれた以上、あなたたちは一度西の国へ行かなければならない」
アイシャの言葉を、
「駄目だ!」
低い声で突っぱねたのは皇帝だった。皇帝は傍目から分かるほど不機嫌で、
「二人は帝国人だ。この国を出る事は許さん」
「二人は私の子であり、我がムフタール族の一員。このまま帝国に置いておけば、二人を狙う者も出てくる。こうなっては、一度西の国へ行って正式にお披露目した方が安全だわ」
「駄目だ。俺は許さん」
アイシャの話を聞こうとしない皇帝に、慶嘉か、
「皇帝陛下、二人の気持ちを聞くべきでしょう」
大人たちの視線がアリアとアルスに向けられる。最初に口を開いたのはアルスだった。
「僕は、母さんの生まれた国を見てみたいな」
幼さが残るアルスらしい意見に皇帝以外の大人たちは頷き、視線をアリアに向ける。アリアは一度言いかけ、言わず、ややして、
「私は………不安はあるけれど、アルスと同じ、お母様の国を見てみたい。でも、お父様と離れるのは嫌だわ」
父親は隣に居るアイシャの手を取り、
「実は、店を番頭に譲る手続きをしてきた」
驚いたのはアイシャだった。そんなアイシャに対し燈昇は笑って、
「もうお前と離れて暮らすのは耐えられん。お前が国へ戻るのならば共に行こう」
「本当に? なら、家族全員で行けるのね!」
感激したアイシャが燈昇に抱きついた。
「僕も!」
そこへアルスも抱きつく。出遅れたアリアを燈昇が手招いた。アリアも父と母と弟に抱きついた。
その時、扉が大きな音を立てた。皇帝が出て行ったようだ。
「………」
慶嘉が後を追おうとすると、アルスが、
「僕が行ってくる」
と追いかけて行ってしまった。藍后が、
「弟君にまかせましょう」
と言うので一同はとりあえずその場にとどまったが、皇帝のアルスに対する気持ちを知るアリアは内心複雑だった。
夜はささやかながら宴を開く事になった。宴の準備が進む中、アリアは涙で落ちた化粧を直し髪を整え、月の間の中庭に出ると、噴水の前に立つ慶嘉の姿があった。満ちたの月光の下、慶嘉は青の上衣下裳に冠をつけており、西の離宮での深衣姿より凛々しく見えた。アリアは高まる鼓動を押さえながら近づいた。
「慶嘉様」
呼びかけると、慶嘉がアリアに気づいた。アリアは頭を下げ、
「あらためまして、隆慶嘉太上皇陛下へご挨拶いたします。昇魚屋の店主、瑜燈昇の娘、アリアでございます。今までの非礼、お許しくださいませ」
「アリア、顔を上げてほしい」
言われて頭を上げると、慶嘉は微笑み、
「やっと、本来の姿のアリアに会えた。わたしは嬉しい」
慶嘉は自分からさらに距離を詰めると、
「アリア」
呼ばれて、
「はい」
と返事をすると、
「ずっと、名前を呼びたかった。娘姿が見たかった。待ち望んでいた」
「慶嘉様」
慶嘉の手がアリアの両肩に触れる。
「少女と気づかず済まなかった」
「いえ、弟のフリをしていたのは私です」
「一度気づけば、二度と少年には見えない。アリアは美しい。初めて出会った時もそう思ったが男子に対して失礼だと思い口に出せなかった。髪も目も、そして顔も、すべて美しい。こうして娘姿のアリアは、さらに美しい」
間近で見降ろされ賛辞されるのは気恥ずかしい。アリアは頬を染めて顔を背けてしまう。
「アリア?」
「あの、あまり見られると恥ずかしくてっ」
「やっと見られたのだ。よく見せてほしい」
「でも」
「またしばらく会えないのだ。よく見せてほしい」
「慶嘉様っ」
顔を向けると、慶嘉は優しい顔で、
「西の国は、わたしの憧れの国だ。わたしの代わりによく見てきてほしい。そして、いつかはこの帝国へ、わたしの元へ帰って来てくれないだろうか?」
「私は、慶嘉様の元へ帰ってきていいのですか?」
「もちろんだ」
「待っていていただけますか? 西の国へ行けば帰ってくるのに早くても一年、いえ二年はかかります」
「ああ。わたしはアリアと出会うのに三十六年かかった。あと一、二年かかっても大丈夫だ。だが、できれば早く帰ってきてほしい」
帰ってこいと言う慶嘉に、アリアは息を飲み、意を決して、
「私が帰ってきたら、お側に置いていただけますか?」
慶嘉は目を丸くして、笑い、アリアの肩から手を放すと懐から包みを取り出した。
「これは我が家の伝統だ」
絹布の包みを広げると、二つの翡翠の飾り物だった。手のひらに収まるほどの大きさである。
「これは龍ですか?」
「そうだ。もう一つは魚だ」
慶嘉は龍の飾り物をアリアの手のひらに乗せ、
「アリアは龍と魚の話を知っているか?」
「もちろんです」
それは帝国に伝わるおとぎ話である。アリアは思い出しながら、
「聖なる山に住む龍は、万物を制し全ての頂点にいましたが、山の上でいつも孤独でした。ある日水たまりに、鳥が落とした魚が住み始めました。魚は綺麗な声で龍に話しかけました。龍は魚と毎日会話をするようになりました。でも水たまりは小さくて、すぐ干上がってしまいます。龍は魚が死なないよう、毎日毎日水たまりに水を運びました。魚は龍にお礼を言います。龍は魚の声が聞きたくて水を運びます。龍と魚はそれからもずっと一緒にいました」
アリアが話し終えると、
「その話になぞらえて、我が帝国では皇帝を龍、皇后を魚と表す。そして皇帝は皇后に龍の飾り物を渡し、己は魚の飾り物を持つようになった。わたしは皇后を迎えなかったので誰にも龍を渡していなかった。アリア、受け取ってほしい」
龍の飾り物を乗せたアリアの手をぎゅっと握りしめ、慶嘉はアリアの赤みをおびた茶色の目を見つめた。アリアは慶嘉の黒い瞳を見つめ返し、
「私がいただいていいのでしょうか?」
「アリア以外いない。受け取ってほしい。そしてわたしも魚を持とう。いいだろうか?」
「はい。持っていてください」
魚の飾り物を持つ慶嘉の手に、アリアは自分から触れた。大きな男の手だ。子猫に触れる事を怖がっていた男の手だ。その手が愛しくて、アリアは触れた手を撫でた。
「慶嘉様は龍なのですね」
「そうだ。そして皇后は魚だが、アリアはまさに魚だな」
「魚? ああ、そうです。うちの店は魚屋ですから!」
声を出してアリアが笑うと、慶嘉も楽しそうに笑う。二人は月明りの下、お互いの手を握りあいながら笑いあった。
それから七日後、帝都内は昇魚屋の話題で持ちきりだった。
「奥方が西の国の王女様だったって?」
「あの昔逃げた赤毛の女房が本当に王女だったのだか?」
「そうすると、あの店の娘と息子は王女様と王子様になるのか?」
「店主は番頭にを譲って、子供とたちと一緒に西の国へ移り住むらしい」
「港に来ている船団はその迎えか? すごいな」
「今日出港するらしい。見に行こうぜ!」
港は、西の国の船団と王女一行を見ようと野次馬で溢れていた。桟橋では、王女一行がそれぞれの相手と別れを惜しんでいる。
アイシャと瑜燈昇は番頭と、アルスは皇帝と、そしてアリアは慶嘉と別れの言葉を交わす。慶嘉の背後には林来が少し大きくなった白猫を抱いて立っていた。
アリアは母が勧めた西の国の露出度の高い衣装を断り、いつものように襦裙に翡翠の簪姿である。そしてその懐には、飾り紐をつけた龍の飾り物を入れていた。
「慶嘉様、行ってまいります」
「ああ。道中気を付けて」
「はい」
「手紙を送ろう」
「私も送ります。あと、干しナツメヤシも送りますね」
「それは嬉しいが、一人で食べるのはさびしい。ナツメヤシは、アリアが持って帰って来てくれ」
「はい」
慶嘉は姿勢を正すと、
「西の国の王陛下へ書状をお渡しいただくよう、アイシャ殿下にお願いした。書状の内容は、アリアをわたしの后として迎えたいという物だ。アリア、帰ってくる時は西の国の王族として、わたしの后として帰ってきてほしい」
緊張した面持ちの慶嘉に、皇帝が近寄り、
「西の国の王族を后に迎えてもおかしくないよう、太上皇には隠居生活をやめてもらい、宰相として国政に復帰してもらう事になった」
初耳のアリアは驚き、
「本当ですか、慶嘉様」
「ああ、皇帝陛下が仰ってくださったので、お受けする事にした」
恥ずかしそうな慶嘉である。
「現宰相も、もろ手を上げて賛成している。俺も楽が出来るだろうからちょうどいい」
そう言いながら父親の横に立つ皇帝の様子に、アリアは二人の間の溝が埋まっている事に気づいて嬉しくなった。自分がお節介をやかなくても、親子のわだかまりはいつの間にかとけたようだ。何があったのかは分からないが、アリアは嬉しかった。
「だからアリア、早く帰ってきてこの父親の后になり、俺の妹なり弟を産んでくれ。弟であれば、今なら皇太子になれるぞ」
アリアは顔を赤くしつつ、気になっていた事を思い出した。
「あの、皇帝陛下」
「藍華と呼べと言っただろう」
「こんな人前では呼べません。あの、少し、耳をよろしいですか?」
慶嘉に聞かれるのも恥ずかしいので、屈んでくれた皇帝の耳元に口を寄せ、さらに小声で、
「皇帝陛下はアルスの事をどう思われているのですか?」
「…………」
皇帝は体を起こすと、堂々たる口調で、
「大事な存在だ。おい、アルス」
「なに?」
番頭と話をしていたアルスが呼ばれて寄ってきた。
「どうしたの?」
「お前、すぐ戻ってこいよ」
「わかってるから、そう何度も言わないでよ」
「お前の事だ。行ったら行ったで向こうが楽しくなって帰ってこない可能性がある」
「そんな事ないから。ちゃんと約束しただろう?」
二人の会話にアリアが、
「約束?」
「うん。藍華と約束したんだ。向こうでの問題が片付いたら、帝国に戻って来て、藍華の侍従になるって」
アルスの発言を、出港準備をしていた強面の男が聞きつけ、
「それはどういう事ですか! アルス様は我が国の王位継承権を持つ方ですよ!」
皇帝に詰め寄る強面の男を、
「だから、そういう問題を片づけてからだってば」
アルスが押しとどめる。
「僕が王様なんてなれるはずないし、なるつもりもないし、かと言って店はもう番頭さんの物だし、他に僕がやれそうな仕事を思いつかないから、藍華の所で働かしてもらおうと思ってさ」
アルスは明るい口調でそう言うが、姉のアリアは不安な顔で皇帝を睨み、
「………大丈夫ですか?」
「心配するな。アルスの面倒は俺が一生見る」
「一生………」
ますます不安そうなアリアの手を慶嘉が掴んだ。
「アリア、もうそろそろ出港時間だ」
アリアが船を見上げると、既に両親は乗船していた。船上から、
「アリア、アルス、早くいらっしゃい」
「はい、お母様」
母親に答え、アリアは慶嘉の手を握り返し、
「では、行って参ります」
「ああ」
「必ず、早く、帰ってきます」
「待っている」
アリアは名残惜しげに手を放し、アルスと共に乗船した。船の上から桟橋を見下ろすと、慶嘉と皇帝が並んで立っている。船と桟橋を繋ぐ階段が外され、船は桟橋を離れていく。
アリアは大きく手を振った。アルスも同じように手を振っている。慶嘉の名前を呼ぼうとして、呼べなかった。いつの間にか泣いていた。泣いて、声が出ない。涙で、視界が揺らぐ。慶嘉の姿がはっきり見えない。
「……リア、アリア!」
声が聞こえた。手で目をこする。大きく手を振ってくれている慶嘉と皇帝が見えた。手を振り返す。皇帝もアルスの名前を呼んでいる。
「けいか、様…………慶嘉様!」
やっと呼べた。アルスも、
「藍華!」
皇帝を幼名とは言えは呼び捨てで叫んでいる。
姉と弟は周囲の目を気にもせず、見えなくなるまで手を振り名前を呼んだ。やがて船が沖に出ると風が強くなり、結っていたアリアの赤い髪がばらけた。翡翠の簪が落ちる。簪を拾い頭上を見上げると、雲一つない青空の下、二本のマストに張られた大三角帆が風を受けて大きく広がっていた。




