第24話-4◆国境を越えた(完)
リリィは小さく頭を下げる。
「ありがとう」
ベルニーは少しだけ目をそらした。
「エイヴァも」
エイヴァがぴくりと羽を動かす。
「アタシはただの小鳥だよ」
「そういうことにしておく」
「賢い子だねえ」
バランとベルニーは、砦の奥へ向かう兵たちの前へ出た。
バランの声が響く。
「諸君、落ち着きたまえ! まずはこの不正な通行札の山について、ぼくが説明しよう!」
「できるのか」
俺が呟くと、ベルニーが遠くから短く言った。
「できなくても、時間は稼ぐ」
「信用が雑だな」
「正確」
俺たちは崩れた検査室を出た。
外の空気が、やけに冷たかった。
国境砦の外郭は混乱している。白い巡礼団の者は捕らえられたり逃げたりしている。国境兵たちは状況を把握できずに怒鳴り合っている。荷車の列は止まり、人々は遠巻きにこちらを見ていた。
危険値九十八のオーク。
泣きはらしたエルフの子供。
しぼんだ白い小鳥。
絵面だけ見れば、俺たちが一番怪しい。
いつものことだ。
俺はリリィを壁際に座らせ、靴を見た。
「足」
「今ですか」
「今だ」
「国境、越えるんじゃ」
「その前に足だ」
リリィは少し困った顔をしたあと、素直に足を出した。
右足の布はずれていた。傷は開いていないが、赤い。歩けばまた痛む。俺は残った布を探し、細く裂いた。
指先がうまく動かない。
白線のせいで、布を結ぶ動きが少し遅れる。
「貸して」
リリィが言った。
「自分でやる」
「手、震えてる」
「おまえもだ」
「じゃあ、二人で」
言い返そうとして、やめた。
二人で布を押さえ、結ぶ。俺の指は遅い。リリィの指は震えている。かなり不格好な足布になった。
エイヴァがリリィの膝の上で眠そうに言う。
「ひどい出来だねえ」
「ならおまえがやれ」
「羽で結べと?」
「くちばしがある」
「アタシを何だと思ってるんだい」
「高級な余計者」
「それを気に入るんじゃないよ」
リリィが小さく笑った。
国境の向こうには、細い道が伸びていた。
今までの道と大きく違うわけじゃない。石と土。遠くに草地。さらに先には低い森。知らない国の空気というものがあるなら、俺にはまだわからない。
だが、あの先に行く理由はできた。
リリィは青い布片と記録札の欠片を胸に抱いた。
「行けば、会えますか」
「わからん」
「うん」
答えは早かった。
もう、嘘の慰めを求めている顔ではなかった。
俺は荷袋を背負い直す。胸が痛む。斧も重い。だが、歩けないほどではない。歩けないなら、少し休んで歩く。それだけだ。
「でも、行く場所はできた」
「うん」
エイヴァがリリィの手の中で、眠そうに羽をふくらませた。
「その前に飯と宿だよ」
「金はない」
「知ってるよ。今日も貯まらないねえ」
「明日は貯める」
「その前に使うだろうね」
「言うな」
リリィが、泣き疲れた顔で少しだけ笑った。
「でも、行くんですよね」
「ああ」
俺はリリィの靴を見て、歩幅を決めた。
「歩ける分だけな」
国境の向こうに、知らない道が伸びていた。
金はない。宿もない。傷は痛い。小鳥は重い。
リリィの足音は、まだ少し遅い。
俺は歩幅を落とした。
「急がないんですか」
「急ぐ」
「じゃあ、どうして遅くするんですか」
「おまえが転んだらもっと遅い」
リリィがまた少し笑った。
エイヴァが俺の肩へ移ろうとして、途中で力尽きかけたので、俺は手を出した。白い小鳥は俺の手の甲に乗り、悔しそうに羽を整える。
「今のは、計算だよ」
「落ちかけた」
「計算に揺らぎがあっただけさ」
「便利な言い方だな」
俺はエイヴァを肩に乗せた。
小さいくせに、今日は妙に重い。
リリィが横を歩く。危ない側には俺が立つ。国境砦の喧騒は、少しずつ後ろへ遠ざかっていく。
オリビアを探す道は、まだ遠い。
白い連中は逃げた。敵の本体も、たぶん国境の向こうで待っている。エイヴァの過去も、欠けた翼の意味も、まだ全部はわからない。
それでも、もう門のこちら側で待っているだけではない。
俺たちは国境を越えた。
流れの豚は、今日も路銀が貯まらない。
だが、進む道だけは、また一つ増えた。




