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これほどまでに祝祭の場にふさわしいと思ったことはない。
王宮の見慣れたパーティー。その華やかな騒めきは、今や一人の女性をなぶり殺しにするための、公開処刑の合図へと変わっていた。
「リリアーヌ・ヴァリエール! 貴様の悪行、もはや見過ごすことはできん。本日、この場をもって、私と貴様の婚約を破棄する!」
会場の中央で、この国の第二王子エドラスが声を張り上げる。その隣には、彼に守られるようにして、涙に濡れた瞳を潤ませる男爵令嬢、マリアが寄り添っていた。
周囲の貴族たちは、一斉に冷笑と蔑みの視線を、中心に立つ女性――リリアーヌへと注ぐ。
私は、会場の二階、影に隠れた特等席からその光景を眺めていた。
手に持ったクリスタルグラスの中で、琥珀色のヴィンテージ・ブランデーが揺れている。一口含めば、喉を焼くような熱さとともに、得も言われぬ悦びが全身に回った。
「ああ……始まった。ついに、この瞬間が来たか」
この国の財政を事実上支配し、裏では王家のスキャンダルを揉み消し、あるいは作り上げる、人々は私を「冷徹な賢者」と呼び、畏怖の眼差しを向ける。だが、そんな私にとって、この国の政争も、貴族たちの醜い足の引っ張り合いも、すべては退屈な砂遊びに過ぎなかった。
そんな私の乾いた人生に、猛毒を注ぎ込んだのが、階下に立つあの女性だ。
リリアーヌ。彼女は決して、今この場でエドラスに突きつけられているような「嫉妬に狂った悪女」などではない。同時に、世の小説に出てくるような「清廉潔白で、ただただ可哀想なヒロイン」でもない。
彼女は、誰よりも賢く、誰よりも残酷で、そして誰よりも美しく「自分を裏切る世界」を嘲笑う、真の支配者だ。
思い出すのは、三ヶ月前の密会。
夜の帳が降りた私の執務室に、彼女は一人で現れた。
窓から差し込む月光を背負った彼女は、銀色の髪を夜風に揺らし、私に向かってこう言い放ったのだ。
『ヴィンセント公爵。私を、世界で一番「惨め」に、そして「劇的」に捨てさせてください。その代わり、あなたには私の人生を差し上げます。……私の復讐が完遂されたあとの、抜け殻になった私を、お好きにどうぞ』
その時の、凍りつくような冷徹な瞳。
自らの破滅を、敵を地獄へ引きずり込むための「餌」として差し出すその覚悟。
完璧だった。その瞬間、私は自覚したのだ。
ああ、私はこの女に、完膚なきまでに狂わされたのだと。
さて。私の愛しい共犯者は、どのようにあの愚か者を料理するつもりかな?
一階の広間では、エリオットが意気揚々と彼女の「罪状」を読み上げていた。
マリアへの度重なる嫌がらせ、果ては暗殺計画の教唆。
どれもこれも、リリアーヌが裏で糸を引き、マリアという愚かな女に「偽造させた」証拠ばかりだ。エドラスは、自分が掴んだと思っている証拠が、実はすべてリリアーヌによって用意された「自爆スイッチ」であることに、これっぽっちも気づいていない。
「……殿下、それがお望みですか?」
リリアーヌの声が、広間に凛と響いた。
震えてなどいない。泣いてなどいない。
彼女はゆっくりと膝をついた。それは屈服ではなく、これから放つ「毒」に備えるための、狩人の姿勢だった。
「リリアーヌ! 往生際が悪いぞ。今さら何を言おうと……」
「いいえ。私はただ、殿下の決断を確認しただけです。あなたが『真実』よりも『隣の女の涙』を信じると決めた、その愚かさを」
リリアーヌが懐から、一束の書類を取り出した。
それは私が彼女に渡し、彼女が『自らの手』で完成させた、爆弾だ。
「このパーティーの費用、および殿下がマリア様へ贈られた数々の宝飾品の代金。……それらはすべて、我がヴァリエール家からの『無償援助』という名目の、実質的な借金です。そして今、婚約が破棄された以上、贈与契約は失効します。全額、本日をもって一括返済していただきますわ」
「な……!? 何を言っている。そのようなもの、王家が……」
「王家、ですか? 殿下。あなたが個人的に使い込んだ公金の穴埋めを、陛下がご存知だとお思いで?」
リリアーヌが唇の端を吊り上げ、愉悦の微笑を浮かべる。
その瞬間、広間の扉が荒々しく開かれた。
踏み込んできたのは、私の腹心である財務官たちと、騎士団。
「エドラス殿下。公金横領、および他国への軍事機密売却の容疑で、陛下よりお迎えに参りました」
「な……なんだと!? 機密売却だと!? 知らん、私はそんなこと……!」
「マリア様。あなたが殿下の寝室から持ち出し、私の実家に届けようとした書類のことですよ。……あ、失礼。私が『届けさせた』と言うべきでしたかしら?」
リリアーヌの言葉に、マリアの顔が土気色に変わった。
そう、マリアが「リリアーヌを陥れるための決定的な証拠」だと思って盗み出した封筒の中身は、リリアーヌが用意した「王子の横領と売国の証拠」だったのだ。
自らの欲望のために、自分を愛する男を売った女。
自らの愚かさのために、自分を支える女を捨てた男。
その二人が、互いに疑心暗鬼に陥り、顔を見合わせる。
「リリアーヌ、お前……! お前が仕組んだのか!?」
「いいえ。自滅なさったのですよ、殿下。私が美しく咲いていた頃、あなたはその根を自ら腐らせたのです。私はただ、枯れる前にその枝を切り落としただけ」
リリアーヌが立ち上がる。
ドレスの裾に付いた汚れさえも、今の彼女にとっては勝利の勲章にしか見えない。
混乱と絶叫、兵士たちの甲冑が鳴る音。
阿鼻叫喚の渦となったパーティー会場の中で、彼女だけが一点の汚れもない孤高の月のように輝いていた。
私は、ゆっくりと二階のテラスから階段を降りていった。
人混みをかき分け、阿鼻叫喚の中心へと。
私の姿を認めると、騎士たちが道を空け、貴族たちが恐怖に身を震わせる。
崩れ落ち、騎士に羽交い締めにされるエドラス。
髪を振り乱し、自分だけは助かろうと喚き散らすマリア。
その醜悪な二人を一瞥もせず、私はリリアーヌの前に立ち、その細い腰を引き寄せた。
「お疲れ様。最高のショーだったよ、リリアーヌ」
私の腕の中で、彼女の体がわずかに強張る。だがすぐに、その緊張は心地よい脱力へと変わった。
「ヴィンセント様……見ていて、くださったのですか」
「ああ。君の計算、君の毒、そして君が勝利を確信した瞬間の、あの残酷な横顔。……あまりに美しくて、私の心臓が止まってしまうかと思った」
私は彼女の耳元に唇を寄せ、周囲には聞こえないほど低い声で囁いた。
それは、この世で最も甘美で、最も狂った愛の告白。
「約束通り、君を地獄から買い取ろう。……いや、君と一緒に地獄へ行こう。これからの人生、君が望むなら、私は喜んで君の奴隷になり、君の刃になろう。その代わり、君のその美しい横顔を、私以外の誰にも見せないでくれ」
リリアーヌは、私の胸に顔を埋め、静かに笑った。
その笑い声は、かつての清純な令嬢のものではない。復讐という血の味を知った、魔性の女の笑みだ。
「ふふ……本当に、救いようのない方。私を選んだことを、いつか後悔なさいますよ?」
「後悔? そんなもの、三ヶ月前に捨てたよ。君という毒を知ってしまったあの日から、私の理性はとっくに壊れているんだ」
私は彼女を横抱きにし、凍りついた広間を堂々と歩き出す。
背後では、かつて彼女を嘲笑った連中が、今度は彼女を恐れて声を失っている。
エドラスとマリアが引きずり出されていく音を背景に、私は腕の中の、かけがえのない獲物を抱きしめた。
「さあ、帰ろう、我が愛しのリリアーヌ。君の新しい住処へ。……そこは、君を傷つけるものは誰もいない、君だけの檻だ」
馬車に乗り込み、扉が閉まった瞬間。
夜の帳に包まれた密室で、私は彼女の唇を奪った。
それは救済ではなく、独占の印。
彼女に狂わされたい。
彼女の毒に蝕まれ、共倒れになるまで愛し合いたい。
窓の外、遠ざかる王宮を見つめる彼女の横顔は、やはり、世界で一番美しかった。




