第18話 四人と、空き教室
次の日の昼休み。麻貴はスマホをちらちら確認していた。いつもなら四限目までにきている汐織からの図書室の待ち合わせLIMEが、未だに来ていないのだ。
もしかして、今日は作れなかったとか? 或いは、家庭の事情で何かあったのかもしれない。先週の「今日は行けなくなっちゃって」と声を小さくした汐織の顔が、一瞬だけ頭を過る。
そこで、いきなり背中をばんと叩かれた。
「痛っ。なんだよ」
隼太だった。
「今日は、図書室行かなくていいぞ」
彼は耳元に少し顔を寄せると、小さな声で言った。
どこか得意げな顔。昨日誰かに連絡を取っていた成果が出たらしい。
「は? 行かなくていいって──」
「いいから。ついてこいよ」
有無を言わさず、隼太が先に立って教室を出ていく。
出際に、ちらっと汐織のほうを見た。彼女もこちらを見ていて、目が合う。いつもの穏やかな表情ではなく、困惑と気恥ずかしさが混ざったような顔をしていた。
何がどうなっているのか、さっぱりわからない。
「おい、お前マジで篠宮に何やったんだよ?」
麻貴は廊下を歩きながら、隼太に詰め寄った。
「篠宮には何もしてねーよ? だって俺、あの子の連絡先知らないし。てかほとんど話したこともないからなぁ」
「じゃあどうやって──」
「言ったろ? 悪いようにはしねーって」
「いや、だからそれが怖いんだって」
麻貴の懸念など無視するように、隼太が風を切るようにして歩いていった。こいつがこうなった時は本当に何をしでかすのか全く想像がつかない。
連れていかれたのは、別棟だった。使われていない教室がいくつか並んでいるフロアの一角だ。隼太がひとつのドアを開けて中を覗き、「お、ここ空いてるっぽいな」と頷く。
「空き教室?」
「おう」
中に入ると、埃っぽいが机と椅子はあった。窓からは中庭が見えて、日当たりはまあまあだ。人の気配はない。
隼太がスマホで何かメッセージを打っていた。場所を共有しているらしい。
「だからお前、ほんとに何するつもりなんだよ」
「いいからいいから。果報は寝て待てって言うだろ」
「いや、意味がわかんねーよ」
苛立ちと不安を抱えたまま、椅子に座って待つ。それから五分経つか経たないかの頃、空き教室の引き戸が、がらりと開いた。
「隼太。連れてきたよ」
姿を現したのは、相沢沙子だった。
ショートボブに凛々しい顔立ちの、〝王子〟の異名がよく似合うクラスメイト。汐織とは仲が良いことはうっすらと察してはいたが──。
(この子と連絡を取り合ってたのか)
麻貴と違って隼太はコミュニケーション能力が高いので、大抵の人間とはそつなく面識を持っている。沙子と話している場面を見たこともあったし、連絡先を知っていてもおかしくはなかった。
「さーすが王子、頼りになるぜ!」
「その呼び方はやめてってば。……ほら。いつまでも隠れてないで、覚悟決めたら?」
沙子が廊下のほうに手を伸ばしたかと思うと、ぐっと誰かを引き寄せた。
「ひゃっ」
小さな悲鳴とともに、汐織が姿を現す。鞄を胸の前に抱えて、身体を縮こませていた。頬が赤くなっていて、視線を空き教室のあちこちに右往左往とさせている。
「こ、こんにちは……」
麻貴と目が合うと、汐織はおずおずと頭を下げた。
あまりにも気まずい。どこを見ていいかわからなかった。
「おー、照れてる照れてる」
隼太が楽しそうに言い、沙子は何かに納得したように頷いた。
「なるほど。やっぱり原因は箕島くんか」
麻貴と汐織を見比べて、沙子が納得したようにぽつりと呟く。
何だか玩具にされている気がしなくもない。麻貴は隼太を睨んだ。
「て、てめぇ……一体どういうつもりだ。ことと次第によっちゃあタダじゃおかねえぞ」
「お、落ち着け落ち着け! ほら、言っただろ? 悪いようにはしねーって」
『悪いようにはしない』が聞いて呆れる。汐織が困っているのは明らかであるし、それなら図書室でこそこそ受け渡しするだけの方がまだマシだ。これ以上彼女の負担になるようなことはしたくなかった。
「さっきからそればっかじゃねーか。無理矢理連れてきやがって」
「早とちりはよくないな、箕島くん」
声を荒げかけたところで、沙子が割って入った。
低めだが、よく通る声だ。その声音は冷静ではあるものの、決して冷たくはない。
「私だって、汐織が嫌がっているのに無理に連れてこないよ。ちゃんと、本人に意向は確認してるから」
「……そう、なの?」
汐織に目を向ける。彼女は顔を赤くしたまま、こくりと遠慮がちに頷いた。
本人が了承しているなら、話は別だ。麻貴の拳から、すっと力が抜けた。
それから、沙子が簡潔に経緯を説明してくれた。
昨日、隼太から連絡があったこと。汐織の変化には前から気づいていたこと。本人に確認を取ったら、学校でのやり取りを見られたことに驚きはしたけれど、迷った末に頷いてくれたこと。
淡々とした口調だったが、彼女の汐織を見る目は柔らかかった。
「ほーら、わかったろ? とりあえず、座ろうぜ」
隼太が机を寄せて、四人で向かい合わせの形を作った。
流れるように、それぞれ席につく。麻貴の正面に汐織、隼太の正面に沙子、といった配置に自然になった。
「せっかくだし、自己紹介でもしとくか?」
「六月になって自己紹介って……まあ、でも私と箕島くんはほとんど初めましてみたいなものだしね。改めて、よろしく」
「……ああ。よろしく、相沢さん」
確かに、沙子とまともに話したのは、これが初めてだった。だが、彼女がどういう狙いで隼太に協力しているのか、まだ読み切れない。麻貴の知る限り、〝王子〟は決して隼太のような軽いキャラではなかったはずだ。一体何のつもりなのだろう?
「俺も篠宮とはあんま話してなかったよな! これからは仲良くしようぜー」
「う、うん」
汐織の緊張、まだ解けていないようだ。隼太の軽さに、明らかに戸惑っている節もあった。こういう男子の軽いノリが、あまり得意ではないのかもしれない。
「えっと。これ、今日の分、です」
ふたりの視線を気にしつつ、おそるおそるといった様子で、汐織が巾着袋を差し出した。なんだかまるで何かを献上しているような姿勢だ。
「あ、ありがとう、ございます」
それを、両手で丁寧に受け取る。
汐織がカチコチなので、麻貴もつられて敬語になってしまった。普段のふたりきりの時とは全然違っていて、どうすればいいのかわからない。
沙子がぷっと吹き出した。
「汐織、さすがに緊張しすぎ」
「そ、そんなこと言ったって! こうやって誰かと一緒にいる時に、箕島くんと話したことないし……」
「ふたりでいる時は、そうじゃないんだ?」
「それは──」
汐織が反論しかけてこちらを見て、また目が合う。
沸騰したヤカンみたいに耳まで赤くして、すぐに俯いてしまった。
「ほお……まさか、ここまでなっていたとは」
「なるほど、ねえ?」
隼太と沙子が、意味深な目で麻貴と汐織を見比べた。
何が、どういうことなんだ。
「何だよ」
「いや、なんでも」
「鈍いな」
沙子が小さく笑って、隼太がぼそっと付け加えて同意する。
それに対して汐織は何かを言いたげに口をぱくぱくしているが、結局黙り込んでしまった。
「と、ところでッ」
このままでは汐織が茹だってしまいそうだし、会話の方向も何だかまずそうだ。麻貴は強引に話題を変えた。
「相沢さんは、どこまで知ってるんだよ?」
「ん? 放課後、独り暮らしをする君の部屋で夕飯を作って一緒に食べてる、ということくらいかな?」
ほとんど全部だった。
それは、言っても大丈夫なのか?
「やっぱり、勝手に言わないほうがよかったよね……ごめん」
「い、いや! 別にそうじゃなくてッ」
汐織が申し訳なさそうに俯いたので、慌てて否定した。
何が違うのか自分でもうまく言えなかったが、話したこと自体が嫌だったわけではない。ただ「話したんだ」という驚きが大きかっただけだ。
「篠宮が話してもいいって思ったなら、それで構わないよ。俺は別に……どっちでもいいから」
照れ隠しで「どっちでもいい」と言ったが、本音は違う。こちらの迷惑ばかりを気にして退路を作っていた汐織が、自分の判断で友人に打ち明けた。それはある意味麻貴のことを話してもいいと判断してくれたことでもあって。それを思うと、嬉しいとさえ思う。
汐織がほっとしたように肩の力を抜いたのを見て、麻貴も少しだけ安堵した。
「ほらほら、さっさと飯食おうぜ! 昼休み終わっちまう」
隼太が手を叩いて、場を仕切る。
それぞれが弁当やパンが並び始めた。麻貴は巾着袋からおにぎりを出し、隼太は購買のパンを開ける。沙子は弁当箱を広げ、汐織も自分の弁当を取り出した。
四人が机を囲んで、昼食を食べ始める。
まだまだ、ぎこちない空気が漂っていた。でも、さっきよりは少しだけ空気が柔らかくなっている気がしなくもない。
窓の外から校庭のざわめきが聞こえてきた。隣では隼太がパンの袋をがさがさ開けていて、その向かいで沙子と汐織も弁当を広げている。埃っぽかった空き教室に、四人分の昼飯の匂いが混ざっていった。
(……どうなることやら)
おにぎりを齧る。
今日は、鯖のほぐしが入っていた。




