改訂4 へこたれない淑女とかわいい面会者
※赤子や幼児と接したことがなく書物でしか存在を知らないキャラクターが、経験値のなさと想定外の事態で混乱し「幼児」を「魔獣」と比喩する偏見の表現が含まれます。ご自衛を願います。
「ひま」
貴賓牢にぽいっとされてから、何の音沙汰もない。
公爵家からも連絡どころか差し入れひとつない。
食事や体を拭く湯は定期的に運ばれてくるが、それだけだ。牢番は遠く離れて沈黙し、アウローラは完全に放置されている。
(乱暴に逮捕しておいて…なんなのかしら。いつにもまして円卓が不気味だわ)
議会「円卓」は、アウローラにとって鬼門だった。
円卓より前に国を治めていた王朝は、アウローラの叔父であるアレイン王の崩御により、完全なる終焉を迎えた。
そこに至るまでの一連の流れと見解について、アウローラの世代はこう習っている。
「アレイン王は、円卓の理念に賛同し、王位返上を決めた。
19年前の政権移譲を円満に成し遂げた円卓は、まさに絶対正義を体現する理想の組織である」
円満と主張するわりには退位後のアレイン王を生涯蟄居させたし、王朝の血筋をひく高位貴族を冷遇しているわけだが。
大義名分として掲げる「絶対正義」という造語の意味や定義について、いまだ詳しい解説をしてもらえていないわけだが。
アウローラは王姉を母親にもつ公爵令嬢だ。王族ではないが、王家の血が流れている。
ようは円卓から存在そのものを煙たがられてきた。
14歳になったとたん「とっとと成人しろ」とせっつかれ、やむなく従った結果が幼児との強制結婚。
離宮を新居にあてがわれ、初めての育児にてんてこまいしているうちに、気づけば5年経っていた。
権力者からのおとなげない冷遇に、従うしかない立場でありながらよく健闘している、そう己を慰撫しながら耐えてきたというのに。
とうとう罪人扱い。
しかも、まったく身に覚えがない罪状。
(調べればすぐ分かるはずよ。だってありえないもの)
朝食を終えたアウローラは公人だ。
予定は分刻み。せっせとこなして夕方を迎え、僅かな仮眠を挟んで夜になれば、寂しさでぐずりがちな5才女児を装備して巡回開始。
ふぇふぇダダをこねる赤子返りをあやしながら、明かりが消えない部屋のドアを次々ノックしまくって早く寝るよう促して回る。
終われば5才女児を寝かしつけ。それが終われば9歳男児の寝かしつけ。
宵っ張りの王太子はうとうとしながらも、おしゃべりが止まらない。
何とか寝かしつけても、まだ事務仕事が残っている。
急いで自室に戻り、机にかじりつく。深夜を超えて、やっと手が止まる。天蓋ベッドへヨロヨロと潜りこみ、力尽きる。
朝の訪れは一瞬だ。
日々はその繰り返し。
(お出かけする隙がないのよね。
横領なんて特にやりようがない。帳簿管理で数字は知ってるけど、実際に金銭のやり取りをするのは公爵家だもの)
アウローラはふと思い出した。
(そういえば。「令息や一般市民の私的な独占支配」とは何かしら…?
秩序を乱すほどの「公序良俗に反する無理」ってどういうこと?
わからない。何をしたらそうなるの?
…なにしたの? 気になるわ)
気になりすぎたアウローラは空想にふけった。
知りうる限りの物語や想像力でもって「私的な独占支配」と「反する無理」の中身を予想してみた。
そして「殿方を集めて様々な競技を強いたあげく、嫌がる優勝者に無責任なハレンチを迫る悪女アウローラ」という設定が生まれた。
(恐らく参加者を募るチラシには「勝者の望みを叶える」といった誤解を招く表記がされていたはずよ。
それで、ええと…身分違いの相手と叶わぬ恋をしている殿方がチラシを読み、「夫婦になれるのでは」と夢を抱いて…わぁ。素敵。間違いなく主人公だわ。きっと正々堂々と優勝を勝ち取るわね。
そうしてふたりは誰からも祝福されて結ばれる…)
うっとりしたものの、すぐに我に返る。
(あ。違うわ。悲劇の幕を開けなくては。
ええと…うん。衆人環視のなか、「お前の望みはわたくしの愛よ」と口づけを強いられてしまうのよ。ハレンチだわ。無責任ね。それならば牢もやむなし。わたくしは反省せねば。
そうして悪は滅び、愛し合うふたりは祝福とともに結婚を許さ…あ。身分違いなんだった。
ええと、きっと何かしら起きたのよ。偶然。イイ感じのことが。具体的には…。ええと…。…。無理ね。今の制度じゃ許されない。
どうあがこうとハッピーエンドにならないなんて…哀しいわ。幸せになって欲しいのに)
現実の非情さを噛みしめつつ、往生際悪く脳内で強制運動会を開催してみると、結論として(あれ? 相棒が勝っちゃった)となった。
(? 主人公が勝てる競技にしないと…なにがあるかな)
そしてふと思い直す。
(…いえ。開催がそも無理だわ。レルムは真面目な人だもの。そんな妙なチラシを作りだした段階で、ちゃんと止めてくれるわよね)
知らぬが仏と知る由もない深窓の姫君はほっこり和む。気分が上がり、ついでに視線も上がった。
見渡した牢内はやはり狭い。かすかに息苦しさが戻る。
日付を流し見たアウローラは固まった。
あれから3日が経っていた。
空想でごまかしていた現実を認知してしまった。
閉塞感が増し、アウローラは努めて深呼吸に集中する。
(早く離宮に帰りたい。…怖い。本当におかしいわ。何故こんなに時間がかかっているの?
公爵家は動いているはずよ。なのに。
もし釈放どころか面会申請すら通らないとすれば、円卓との交渉が難航しているということよね。
何が起きてるの? …分からない。このまま待つしかないのなら、今のわたくしに出来ることは…)
ここに図書館はない。相談相手もいない。嫌な想像が脳を占拠していて、冷静でもない。淑女らしく微笑む余裕すらない。
アウローラは目を閉じた。
(寝よう)
公爵家の姫として、王太子妃として、今のアウローラにできることは「消耗しないこと」「焦る姿を誰にも見せない」こと。
(淑女たるもの、ずぶとくあらねば。大丈夫。わたくし、そこは自信ある)
というわけでアウローラは寝た。ひたすら寝た。寝まくった。
すると、意外にも昼夜問わずやたら眠れた。日に日に身体が軽くなる。頭の中がすっきりしていく。
(もしや睡眠不足だったのかしら? それとも牢の生活に慣れただけ? なんにせよ気が楽になったわ。
やはりずぶとさはわたくしの長所)
楽観的思考を取り戻したアウローラは開き直った。
(離宮に戻ればまたあの生活が始まる。今は休暇中だと思えば悪くないわ)
「もしや存在を忘れられてる?」などといった憶測は、もう考えずにすんでいた。
(事が動くまで全て保留。わたくし淑女だもの。ずぶとく生きねば)
そうして8日目。面会者が訪れた。王太子だった。
目が合うなり駆け寄ってきた9才児は、マシンガントークで教えてくれた。
アウローラの罪状がまたひとつ追加されたことを。
なんと、脱獄をしたらしい。
そして円卓の管理下にある国宝を盗み、勝手に発動させたあげく、同行者の男を残して忽然と消えた…らしい。
じゃあ今おとなしく牢にいる私は何者なのか、とアウローラは反論しかけ、ギリギリで堪えた。淑女の微笑みを浮かべてごまかす。
対して9才児は素直に憤っていた。
「なにもかも全部おかしいよ! アウローラはこのとおり良い子にしてるのに!
アウローラの偽物が好き勝手していたらしいけど、そんなの許していた皆がおかしいって僕もレルムも言ったのに、誰も聞いてくれない。目も合わせてくれない。
レルムもどこかに連れていかれちゃったんだ。アウローラ、どうしよう。僕、どうしたら…
なんで笑ってるの! 僕らは困っているんだよ!」
牢と面会室を区切る華奢な飾り細工の鉄格子にすがり、懸命に報告してくれる。その健気さときたら。
ついつい笑っちゃうくらい本当にカワイイ。
(久々に会えたからかしら。現実逃避かしら。何だか浮かれちゃう。大きくなったわねぇ…)
アウローラの脳裏にかつての記憶が蘇った。
初めて会ったとき、王太子はまだ4才だった。
オムツ以外は何も身に着けておらず、髪もべったりと油が浮いて小汚かった。
その時のアウローラは14歳。幼児に会うのは初めてだった。
嗅いだことのない臭いに困惑しつつも、特有のちんまりとしたフォルムはとても魅力的だった。
ついはしゃいだものの、その喜びはすぐさま鎮まった。
幼児はいまだ喃語のみで会話ができず、抱っこどころか触れられることすら嫌がったからだ。
(4才なら喋ると書物には書いてあったけれど…あ。そうか。考えたら人間だもの。意思はあって当たり前、成長にも個人差はあるわよね)
ぬいぐるみのように愛でることを諦めたアウローラは、(ならば)と良い距離感を探ることにした。
ところが、試行錯誤は裏目にでた。怒らせてしまったのだ。
懸命になだめるアウローラに対し、幼児は容赦がなかった。
短い手足をふりまわし、たくさんアウローラをぶった。うらみがましい挑発的な目つきで睨みつけ、デビュタントドレスに緑がかった黄色い鼻水をわざとなすりつける。
(体調が悪いから不機嫌なのか)と気遣ったアウローラが医師を手配したが、そうと分からないのだろう幼児は興奮したままだった。
攻撃は一向にやまない。
そして、とうとう顔面にオムツを投げつけられた。
アウローラの思考は止まった。
謎の存在は素早く身をひるがえし、全裸で逃げだした。
アウローラはただただ呆然と見送った。見送るしかなかった。
幼児は奇声をあげて部屋中を走り回った。走りながら漏らしはじめ、濡れた床で足を滑らせた。頭から転び、そのまま床を滑走した。そして泣いた。
誰もが固まり、動けない。
響きわたる泣き声は、とてつもなく大きかった。それはもう悲痛な響きをともなっていた。
何故こんな目に遭わせたと訴えていた。全てが憎い、誰も彼も嫌い、だけれどひとりぼっちは嫌なのだ、そう叫んでいるかのようだった。
アウローラは途方に暮れた。言いようのない感情が胸をよぎり、強い危機感を覚えた。
(見た目は可愛い。読んだとおりよ。けど、書物とイメージが違いすぎる。これではまるで魔獣のよう。…同じ人間よ。こんな比喩よろしくない。けれど…書物と違いすぎるの、一体どう接したらよいの?!)
眼に涙が浮かびかけ、ぐっと飲み込む。
アウローラは腹を括った。
(分からない。それでも分かる。このままを受け入れてはいけない。アルフレッドは王太子だもの。
いずれ離宮の最高責任者となる身、円卓の議席を約束されている尊いお方。彼を導きフォローできるのは…最高位のレディたる妻だけ…!)
アウローラは奮い立った。
最高速度で逃げていく侍女らの後ろ姿に向かって「公爵家へ伝令を!」とかろうじて命じ、後ずさるメイドや警備隊の面々をひたと睥睨する。
「わたくしのすべきことがわかりました。皆もわかるはずです。
王太子を育てます! 協力なさい!」
思慮深き仕事人たちの反応は素早かった。命じ終わる前に大半が逃げた。
とっさに動けなかったとみえる実直なメイドらは、揃ってアウローラに懇願した。
「職務範囲外です。お許しを」
正論である。連座刑があるのだから自衛は当然。拒否は正当な権利である。
そうと知るアウローラも必死だった。
「ならば、そのように。己の職務をまい進なさい」と口では許しつつ、両目は必死にあたりを探る。
(お世話は頼まない! 全てわたくしがやる! だからお願い! どうしたらいいか一緒に考えて! 誰かそばにいてちょうだい…っ!)
そして、逃げ遅れた若い軍人を発見した。すぐさま捕獲した。
それがレルムだ。
自覚なくパニックに陥っていたアウローラは問答無用で命じた。
「わたしたちで魔獣を人間にするわよ。逃がさないわ!」
レルムは断らなかった。目を白黒させたまま、変声期ただなかの声で毅然と応えてくれた。
「お任せくださいっっ!!」
かくして、ふたりは相棒となった。
協力して奔走し、目がくらむような忙しない日々を過ごし、ふと気づけば、幼児は、言葉らしきものを発するようになっていた。
ぎらついていた目は、きらきら輝く瞳に。
あせもと爛れで血が滲んでいた肌は、ふくふくと柔らかく。
美しい金色の巻き毛はふわふわと。
よく笑い、よく甘え、おしゃべりを好む、誰もが見惚れる美少年へ。
いつしか幼児は、とびきり愛らしい王太子アルフレッド殿下へ生まれ変わっていたのだ。
育てたアウローラからすれば、どう変化しようが夫に変わりはない。
褒め、ともに遊び、学び、諭し、なだめ、叱り、言い合いのあげく取っ組み合いになったとしても、護衛官が間に立ってくれる。
レルムお手製の板飴を舐めれば互いにご機嫌。仲直りの握手と称した忖度なしの腕相撲は、負の感情ナシにただただ白熱する「夫婦のお遊び」だ。
2個目の板飴は、勝者が得られる。今のところほぼアウローラのひとり勝ち。ただ、アルフレッドの腕力は日に日に強くなっていた。きっと近いうちにアウローラは負けっぱなしになるだろう。
(どうなろうと変わらず、今後もずっと一緒にいられるはずだったのに)
回想は憂うつで〆られる。アウローラは淑女の微笑みに努めた。
「そうね。困ってるわ。笑うのは違ったわね。けど、会えたのが嬉しくて、つい。
情報をありがとう、アルフレッド。おかげで少し謎が解けたわ」
「なぞ? なに?」
「取り調べされない理由。円卓は、わたくしが無関係だと知っていたからなのね」
ぽつり、思考の断片が独り言としてこぼれた。
「身柄を確保しておいて、行方不明の噂を放置する。…何故なの?
円卓は、わたくしをどうしたいの?」




