23 幸運にも需要と供給が一致したが、致命的な問題も発覚
フューセルがちらりとアルフレッドを見る。
少年の表情は後悔と罪悪感で悲痛に染まっていた。
母のように慈しんで育ててくれたアウローラを理不尽に奪われ、安易に利用した己の特技は想定をはるかに超える被害を呼んだ。そして、そのせいで父のように慕うレルムをもこれから失ってしまう。
もう生きているのすら嫌になっちゃっているだろうな、とフューセルは彼の心を思った。
まだ9歳の子が背負うには重すぎる因果応報だ、とも。
幼い彼の罪は秘するしかないが、恐らくサージェントは気付いている。
今後のアルフレッドは…恐らくオルテシアが守ろうとするだろう。フューセルは妻も娘と同じくこどもに弱いことを理解していた。
王家の能力と近しい危険な能力である以上、彼女の下で監視し抑制方法を叩き込んでもらうのが最善とフューセルは考えている。
果たして寿命が更生に間に合うか。しかしもうやるしかないともいえる。
フューセルは告げた。
「今回の一連の騒動には最重要国家機密が絡んでいてね…何もかもを明らかにして裁こうとすると、外交にも支障がでる。侵略の口実にされるわけにはいかない。戦争を避けることが大義として僕はそれを優先すると決めた。」
機密はもちろん魔法のことだ。
お飾りのはずの王が魔法の力で国の中枢を精神汚染した上で自在に操り国を陰で支配していたところを、勇者の末裔が倒しました、などとは発表できない。それが本当のことでも。混乱の末に国が消える。
領土侵犯と奴隷制が大好きな隣国を刺激することになり、「おとぎ話と現実がごっちゃになるとはさては疲れているね? 代わりに国おさめてあげるね!」などと戦争が起きかねない。冗談ではなく、本当に。
「…桃源郷を思わせる光とともに消えたという噂のほうは…もう触れずにおこう。そのうち城の嘘か誠かわからない逸話の一つに加わるさ」
「あの…質問をいいですか」ライリーが片手をあげて聞いた。フューセルがへらりと笑って頷くと、恐る恐るオルテシアを指さす。
「…国家機密って、もしかして…その、それ…魔法、です、か…ね…?」
虹色の光の中で自らも光るオルテシアが「あら」と片手をほおにあてて、ライリーを見た。
そして簡単に肯定した。
「わかってしまうわよね。そうよ。ごめんなさいね、あなたも巻き込んで」
尊い身分の夫人から優しく謝られ、ライリーの背に冷たい汗がつたう。
平民が知っちゃいけないこと知っちゃったんですね…どうなります、おれ?
フューセルが近寄り、固まるライリーと肩を組んだ。
「怖がらなくても怖いことなんてしないよ。もちろん謝礼は弾むとも、お金も、地位も。一生ね。頼っていいかって聞いたら喜んでって言ってくれたもんね、さっきね。ね、ライリーくん。逃がさないぞ」
固まったままのライリーにフューセルが軽快に笑った。
「大丈夫、そこにいるサージェント君も逃がすつもりないから! お互い助け合ってね!」
「!? 自分も軍人なので任務で知り得た内容を放言するつもりは」
お互いを監視し合えという意味だと判断したサージェントが思わず声を荒げると、フューセルが「そうじゃない、ごめん、誤解させたね」と謝罪とともに否定した。
「サージェント君、ライリー君」
「「…はっ」」
「国家機密とは、この旧王家に伝わる古代遺物…魔法の道具のことだ。光る。音楽が流れる。別の世界に人や物を移動できるが、こちらには取り戻せない。起動できる者は旧王家の血筋に限り、それは今や妻ひとりだけ。それも今日のこの一回しかできない。歴代の女性王族が溜めた力のおかげで、物であればもうしばらくの間は送れるかもしれない。そしてあと一人だけなら人間を送れる。だが、それきりだ。もはや誰にも起動できない。魔法の道具…魔道具たる「神域投影」は永遠に沈黙し、残るはただの石板、ただの国宝「桃源郷」となる。
ところで、僕ら夫婦は魔法を行使したため死期が近い。」
ぎょっとするふたりの男に、フューセルがにこにこ告げた。
「…アルフレッド殿下の唐突な吐血に危機感を覚えて我が家へ駆け込んでくれた君たちだ。安易に医者を呼ばず、城にも戻らず、真っ先に後見人の公爵家を頼った判断力と機転は称賛に値する。
…この魔法の存在を知ることで、アルフレッド殿下の体調不良と、その直前に起きただろう妙な現象に関連性を見出したよね?」
無表情で動揺するサージェントと表情に出てしまっているライリー。若い二人を眺めて、フューセルは言った。
「アルフレッド殿下はちょっとだけ王家の血をひいている。めったにないことだが、恐らく先祖返りだろう。だから少し魔法めいたことができる。ただし、このように…使えば身体が蝕まれる諸刃の剣だ。僕らとしてはもう二度と使ってほしくない。力のコントロールについてはこちらできっちり教育するつもりだよ、そこは安心してくれ。
しかし、残念ながら僕らには時間が残されていない。彼が大人になるまでもたないと思う。だからこそ君たちに頼りたい。…庇護なき幼子が孤独で心まで蝕まれぬように。まともな大人、頼れる大人が必要だ。健全な環境下で健やかに育てるように、君たちが中心になって傍にいてもらいたい。…どうかな?」
フューセルの言葉に即座に反応して跪いたのはサージェントだった。
「…私は警備隊の隊長であり、王太子専属護衛官の筆頭でもあります。我が主君アルフレッド殿下に忠誠を誓い、安全を捧げることは本来の我が勤め。…幸い、部下たちも気の良いやつらばかりです。必ず閣下の期待に応えるとお約束できましょう」。
フューセルは破顔した。
「よってたかって構い倒されて、反抗期が早まるかもしれないね。頼もしいな…あれ、ライリー君?」
ライリーは呆然と目を見開いたまま呟いた。「…な…何がなにやら…」
フューセルはサージェントと視線を交わしてから、そっと告げた。
「無理にとは言わないよ。もちろん、秘密は守ってもらいたいが、謝礼を惜しむつもりもない。仮にお願いしたとしても、君にできる範囲で構わない。たまに会いに来て話をするとかそういうのでも…うーん。オーバーフロー起こしているねぇ…無理もないかぁ…」
「えっいや金がどうこうとかじゃなく…、…?」
ライリーが慌てて口を開いたとき、握っていた小さな手が動いて、ライリーの手をぎゅっと掴みなおした。
ライリーが思わずアルフレッドを見れば、少年ははっと気づいたように瞬きし、慌てて手を離す。
そして、目をさまよわせながら、そっとライリーの制服の袖を指先でつまんだ。すがるように。
ライリーはこどもが好きだ。
自分が幼い頃には弟も妹もたくさんいたが、全て病気で亡くしている。
どんなに可愛がっても大事にしても、次々に減っていく弟妹たち。成人した頃には彼は「大事な末っ子」と呼ばれるようになっていた。
彼はその言葉が嫌いだった。自分は末っ子ではない。
彼が軍に入れられたのも、母親にその言葉を使われたことで堪忍袋の緒が切れて、父親や兄たちを相手に盛大な喧嘩をしたからだった。
家族は亡くした子たちを忘れたわけではない。これ以上は亡くすまいという強い想いがあっての言葉だ。
家族の中で一番年若いライリーが最後まで生き残れるよう、父は彼を軍に送り出した。はやり病が起きれば優先的に薬が配布されるのは軍人だと父親は風の噂で知ったからだ。
比較的に安全な警ら隊への配属は、ライリーの家族がこぞってかき集めた、平民にしてはちょっとした額の付け届けのおかげだとはライリーは今も知らない。
「…うー…っ」
ライリーはこどもに弱い。
特に、横たわって「そばにいて」とすがられることに、とても、とても弱い。
どれくらい弱いかというと、貴族の中でも高位、その頂点にいる公爵家の当主へ条件付き承諾の取引を仕掛けるくらいに。
「…閣下っ! お願いがございます! 連座刑だけは勘弁してもらえるよう、なんとかしてくださるならば、ぜひお受けしたく!」
おれが何かミスって処刑されるのは嫌だが仕方ない、けど父母だけでなく兄姉の一家もまとめて殺されるのは絶対に嫌だ、そうライリーは必死に訴えた。
「なるほど、そういうことなら大丈夫。連座刑、もうとっくに廃止されているから」
「…へ?」
「書類上の公布は確か12日前の日付かな? まぁ、実際には告示されていないわけで、廃止のこと知らなくて当然だよね。だから大丈夫だよ。君がミスっても、これから上司になるサージェント君にげんこつ落とされるだけ」
フューセルの言葉を受けて、サージェントも頷いた。
「あと始末書も書いてもらう。不器用な同僚が多少荒っぽい可愛がり方をしてくるかもしれんが、訓練でならやり返していい。無理なら食事当番のときにピンポイントで量を減らしてやれ。謝ってきたらパンをひとつ余分にトレイへ添えてやれば二度と仕掛けてこない」
「…え。それ隊の中の話ですか? 山賊でなく?」
「見た目だけでいえば、まぁ…ほぼ山賊だな。安心しろ、制服着ているから大丈夫だ。間違われないはずだ。基本、離宮と酒場と寮の往復で市街にでない奴らだから問題ない。…他の懸念事項は?」
ライリーは目を閉じて上を向いた。
「…おれ、自分の名前しか書けないっす…」
始末書?とか書けないと思います…そう言い放ったライリーに、ふたりの男が唖然とした。
フューセルが思わず聞いた。
「…君、どうやって警ら隊に入れたの?」
ライリーは正直に答えるしかなかった。
「わかんないです…」