【203 不可侵条約(前)】
【203 不可侵条約(前)】
〔本編〕
「しかしながら宰相閣下! 聖王国は攻め込まれている側なので、一部反撃される拠点があるやもしれませぬが、全体的にはこちらが聖王国領を侵食し続けていくことになるので、さしたる大きな問題ではないかと……」
「確かに局地的観点で考えればその理論もあり得るが、それでも聖王国の広大な領土を侵食していく当たり、帝國にとっては兵力の問題でなく兵数の問題となる。そして、その数はあまりにも少ない。結局、戦いは泥沼化に陥り、そうなれば他国を攻めている我らの方が兵糧の問題などでどんどん不利になっていく! そのような状況下で聖王国側から組織的な反撃を受ければ、我らは全軍撤退の憂き目を見るやも知れず、その次の戦場は、バルナート帝國領となる。ちなみに戦いの規模としては小さかったかもしれないが、二〇三年のバクラ地方の戦いでの我が軍の撤退がそれに当たる。確かその時の聖王国の司令官はパンドラーイ将軍であったと私は記憶しているが……」
「さすがは、ウルペース様。そのような小規模の戦いの敵司令官の名前もご記憶されているとは……。確かに、パンドラーイという名の将軍であったとうろ覚えながら記憶しております。しかし将軍は、運良く偶然にも勝利を拾ったと申しておったような……」カヴァーロが恐縮そうに首をすぼめてそう発言した。
「ふっ! カヴァーロ殿もパンドラーイ将軍殿もなかなか食えぬご仁であるな。小規模な戦いだったかも知れないが、あれはバルナート帝國からすれば、想像もしていなかった屈辱的な敗北であった! 確かにカヴァーロ殿の申されるよう、我が軍が広大で内陸に領土を持つ聖王国に攻め込むのは、あまり益があるとは言えないのが本当のところ! しかし、だからといって聖王国と不可侵条約を結ぶ大いなる益とはどのようなものなのですかな?」
聖王国のカヴァーロにとって、ようやく本題へ踏み込んだという手ごたえを感じた。ここからが本当の意味で自分の外交力を発揮出来る流れであることから、優秀なカヴァーロをして、多少なり緊張を感じずにはいられなかった。
「ずばり一言で申し上げれば、貴国の隣国で、貴国最大の脅威といえるカルガス國が現在保有している海岸線を得ることが出来れば、貴国にとってそれは大いなる国益と言えましょう。それにより貴国は冬場でも凍ることのない領海を得、さらにカルガス國の国力をも削げます故に……」カヴァーロは、はっきりと先に結論を述べた。
これにはレアンハルト帝王も驚きと興味から、鋭い目を一瞬丸くさせる。
「ほう、はっきりと結論から申し上げましたな! カルガス國の弱体化と冬場でも凍ることのない領海の獲得とは、これはカヴァーロ殿のおっしゃる通り、なんとも魅力的な提案である! しかし、そのようなことが本当に可能なのですかな?」
帝國宰相ウルペースは、表情すら変えなかったが、その発言からカヴァーロの提案に大いに興味をもったようであった。
「カルガス國は……」ウルペースが続けて発言する。
「貴殿の聖王国、我が帝國に次いで第三の国力を持つ國。さらに兵の精強さでは、我が帝國の次に強い! そのような国家を我らならともかく、貴国がどのように弱体化させるというのですか? むろん弱体化させるということは、貴国がカルガス國に直接攻め入り、その領土を切り取るということ。我が帝國との不可侵条約を結んだぐらいでそのようなことが可能と、カヴァーロ殿は思っておいでなのですか? 先に申し上げますが、貴国と不可侵条約を結んだからといって、我々からおいそれとカルガス國に攻め入るつもりはありません! 我が帝國としては、カルガス國に攻め込める隙が出来た場合にのみ軍を動かすつもりです。我が帝國が攻め込むのを期待しての、カルガス國の弱体化を提唱しているのであれば、それは机上の空論ですぞ! そこは貴国とジュリス王国のような軍事同盟による共同戦線とは大いに事情が違う!」
「まさに、ウルペース殿のおっしゃられるとおり……。おそらくは、今までの聖王国であれば不可能であったでしょう……」
「今までの聖王国……?」カヴァーロのこの発言に、ウルペースより先にレアンハルト帝王が直接発言した。
「はい! 帝王陛下!」カヴァーロもここでレアンハルト帝王の方へ改めて向き直る。
「聖王国の今までの歴代聖王であれば不可能であったでしょう。しかし、現聖王ブーリフォン聖王陛下であれば、それを可能といたします! 聖王子の頃から『闘王』と呼ばれたブーリフォン聖王陛下であれば……」
カヴァーロは『闘王』という単語を特に強調し、さらに続けた。
「むろん、カルガス國への仕掛けは我らが先んじます! 貴国におかれましては、その上で、カルガス國に攻め入る隙が出来たとお感じになられましたら、遠慮なくカルガス國に攻め込まれればよろしいかと……。仕掛けの詳細につきましては、機密事項でありますので、さすがにここでは申し上げられませんが……」
カヴァーロの語った最後の部分は、彼の外交テクニックの一つ、相手を煙に巻く手法であった。
口から出まかせを言っているように聞こえる手法ではあるが、それを外交の天才カヴァーロが用いれば、相手は真実にしか聞こえないので、それは不思議であった。
むろん、何の根拠もなくカヴァーロがそれを口にするわけがないのであるが……。
「なるほど! しかしながら、カルガス國に攻め入る隙が出来るまで、我らが手をこまねいて待っていないかも知れないですが、それはむろんよろしいのでしょうな?」
他の者であったなら、カヴァーロの発言を耳にし、自分たちなりの帝國の今後の手段を思い描いている時、一人ウルペースだけが、現実に即した別件についての発言をする。
「それはどのような意味でありましょうか?」カヴァーロが尋ねる。
「我が帝國と接している國は、貴殿のソルトルムンク聖王国、カルガス國、それともう一つあるということです! それは、ジュリス王国! 少し前はミケルクスド國も我が国と国境を接していましたが、ドクサ地方をジュリス王国に奪われたことにより、それは無くなりました。帝國としては、冬に凍らない領海を得るだけであれば、反対にジュリス王国に攻め込むという選択肢もあるということです。むろん、我が帝國はジュリス王国とは不可侵条約を結んでいないので、それはルール違反にはならない! むろん、貴国からそれを咎められる道理もない!」
ウルペースは、ジュリス王国とソルトルムンク聖王国が王族同士の姻戚関係という固い絆の軍事同盟を結んでいることを知った上で、このような発言をした。
〔参考一 用語集〕
(人名)
ウルペース(バルナート帝國宰相)
カヴァーロ(ソルトルムンク聖王国の外交官)
パンドラーイ(ソルトルムンク聖王国の将軍)
ブーリフォン聖王(ソルトルムンク聖王国第六代聖王)
レアンハルト帝王(バルナート帝國第八代帝王)
(国名)
ヴェルト大陸(この物語の舞台となる大陸)
ソルトルムンク聖王国(ヴェルト八國の一つ。大陸中央部に位置する)
バルナート帝國(ヴェルト八國の一つ。北の強国)
カルガス國(ヴェルト八國の一つ。北の強国)
ミケルクスド國(ヴェルト八國の一つ。西の国)
ジュリス王国(ヴェルト八國の一つ。西の国)
(地名)
ドクサ地方(ジュリス王国領)
バクラ地方(ソルトルムンク聖王国とバルナート帝國の国境にある地方。北側がバルナート帝國領、南側がソルトルムンク聖王国領である)
〔参考二 大陸全図〕




