4(終)
庭の空気は信じられないほど重かった。
大地を揺るがす魔王の威圧。
空間を焼き尽くさんとする竜王の熱気。
そしてすべてを射抜かんとするダークエルフの王の霊力。
普通なら絶対に出逢いたくない三つ巴だ。
しかし、エマは、
「あら、どうも、こんにちは~」
と和やかに挨拶をしながら、三名の前に進み出ていった。
三名は身構えたが、中から出てきたのが、甲冑の勇者ではなく、エプロン姿のエマだと見るや、顔を見合わせた。
「……なんだ?」
「苺柄のエプロン……一般人か?」
「……いや、しかしこの魔力量は!?」
「あのう、押し売りなら結構です」
「誰が押し売りだ!」
堪えきれなかった魔王が叫んだ。
「押し売りじゃない?」
「当たり前だろう! 貴様がここで極大の魔力を……」
「あっ、そんなに大きな声を出されたら、うちの子が起きてしまうでしょう」
エマはじっと魔王を見つめた。
兜の下の顔は案外に若い。
それに童顔だ。
「……すまん」
さらに、素直だ。
レオンよりもずっと話が分かる。
エマは微笑みながら、ガーデンテーブルにティーカップを置いた。
「まあ、せっかく遠くから来られたのですから、お茶でも飲んで少しゆっくりしてくださいな」
「ぬ……なに? お茶?」
「なんだと……!? この金目竜たる我に?」
「ふざけるな、下等な生物の煎じた草汁など」
エマは魔法ポットから淹れたお茶を掌で指し示した。
魔王、竜王、ダークエルフの王は顔を見合わせる。
(……これは何かの罠か!?)
(毒、それとも我らの魔力を封じる呪いの薬では)
(しかし、……なんだこの香りは!? 抗えん)
漂う香りは、花のようで蜜のようではあるが、そのどれでもない。魂が震えるような魔力だ。
「ええい、強者に恐れるものなどない……!」
硬直状態に耐えかねた魔王が、カップを手に取って一気に飲み干した。
「ぐ……! これは!?」
魔王が目を見開いた。
「な、……なんだ!? この飲み物は……千年前の呪いが、戦いで肉体に深く刻まれた古代の呪いが……浄化された……!? エリクサーでも駄目だった呪いが……? 信じられん」
「なんだと? そんなわけはあるまい、魔王、ハッタリなどやめろ、つまらんぞ――ぶはぁッ!?」
次に飲んだ竜王が、ボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。
「うまい……いや、違う! 太古の神魔大戦で潰された私の右目の視力が戻り、翼の古傷が完全に癒えていく……! まさか、あの女、私を倒すためではなく……この傷と呪いを癒やすために、この地に潜伏していたというのか!?」
ダークエルフの長もカップを両手で包み込み、こわごわ一口飲むやいなや、膝から崩れ落ちた。
「くぁ……加護が! 身体に満ちていく! いにしえの精霊たちが歓喜の歌をうたっている……! 我がダークエルフ族が長年悩まされている飛び羽根の痛みが、たった一口で浄化されてしまっただと……!?」
客人たちは何やら盛り上がっている。
(うん、お茶が美味しいとお話も盛り上がるわよね)
何はともあれ、よかった。
「あの、お菓子もありますよお。私がさっき市場で買ってきたやつですけど……」
「なんと」
「生チョコレートと生キャラメルと、生どら焼きです」
「……なんだそれは。ちよこれいと?、」
「……きゃらめる?」
「……どらやき?」
三名はぱくりと出された菓子を食べた。
そして数秒後、全員仲良く崩れ落ちた。
「……!?」
「……っ」
「……う、うう」
無音の者。
涙を流す者。
うめき声を出す者。
「あっ、言い忘れてましたが、疲労回復の増強魔法を少しだけ後がけしました。すみません、お口に合わなかったら。今日はちょっと突然でしたし、もし事前にお約束いただければ、次はもう少し良いものを準備しておきますね」
「約束、だと!?」
「つまりは主従の契約か」
「なるほど、魔主と認め忠義をもって仕えろと言うのか。ほほう、我にそんなことを提案する人間がいたとは……おもしろい」
「契約すれば……そうすればあのちよこれいとが更に食べられる、と」
「お茶も貰える」
「さらに、もっと良いものが!?」
顔を見合わせた三名の表情は三者三様ではあったが、次の行動は共通していた。
ザッ!!
その場に三者が跪く。
「あの……?」
「戯れだな」
「これもまた一興」
「面白い女だ」
「「「……この身とこの命を賭して、あなたを護ろう。血の契約と忠誠を」」」
天地を揺るがすような忠誠の誓いが、草原に響き渡った。
「いえ。そこまでしてもらうほどでは……」
そして、翌朝。
困惑するエマをよそに、三人は互いを鋭い目つきで睨みながら小競合っていた。
「おい魔王! エマ様の庭の草むしりは、この金目竜たる我の精密な爪でやるべきだ」
「狂ったか竜王。草むしりなど我が漆黒の魔力で雑草のみを消滅させるのが至高……爬虫類はあっちで薪でも舐めていろ」
「ふん、愚かな。この聖なる地の薪割りは、我が精霊の斧が既に済ませている。そこの草むしりを代われ」
「何?」
「何だと?」
「勝負だ!!!!」
ドカァァァァン!!
「あら……朝から元気ねぇ……」
こうして、勘違いした世界最強の従者たちによる、女主人と赤ん坊の生活を守るための庭掃除権限を賭けた、異能力バトルが繰り広げられることとなった。
「お庭を綺麗にしてくれるボランティアなんて、助かるわ。ご近所のみなさんが優しくて助かったなぁ」
息子をおぶったエマはいそいそと、朝のティータイムのセットをするのだった。
一方その頃、エマの元夫の勇者レオンとミリュエルは地獄を見ていた。
エマが去ってからわずか三日後のことだ。
「おいミリュエル! 飯はまだか! 腹が減って力が出ないんだよ!」
レオンが苛立たしげに叫んでいた。
現在のリビングは見る影もなかった。
床には食べた後のゴミが散乱し、空き缶や空き瓶、謎の袋のゴミが積み重なっている。脱ぎ捨てられた衣服が山になり、零れた酒が腐ったような甘い匂いを発し、ベトベトになった床の上には、どこからともなく小バエが寄ってきていた。
化粧をとったミリュエルがうっとおしそうに叫んだ。
「はぁ!? 私に家事なんてできるわけないでしょぉぉ!? 私は華やかなパーティの紅一点なのよ!? なんでこんな汚い皿洗わなきゃいけないのよ!」
ミリュエルは金切り声を上げた。
「あんたがやりなさいよ!」
「はぁ? ふざけるな、俺は勇者で……」
「だから何ィ?」
エマがいた頃は、どんなにレオンが部屋を散らかしても、神聖浄化魔法によって一瞬でチリ一つない清潔な空間が保たれていた。
そして、エマの手料理にはステータス増加と、疲労回復の魔法がかかっていた。
それがなくなった今、レオンはただのカピカピした飯を食べ、ちりの積もった汚い部屋で寝起きすることになった。
身体は重く、思ったように力が出ず、やる気も出ない。
「くそっ、今日のダンジョン攻略でスカッとするか……おい、行くぞミリュエル!」
「もうっ、分かったわよ!」
二人はイライラしながら、近くの中級ダンジョンへと向かった。
これまではエマの魔法のおかげで、どんな強敵も一撃でなぎ倒してきたレオンである。
「こんな中級ダンジョンなんて、準備運動にもならない」
そう、高を括っていた。
だが——。
「ギギャーッ!」
ダンジョンの入口付近に現れたのは、ごくごく普通のコボルトだった。
「ふん、失せろ!」
レオンが大剣を振り下ろす。しかし、いつもなら軽々と振れるはずの大剣が、鉛のように重い。
(んっ!? こんなはずでは!?)
攻撃は外れ、コボルトの放ったファイアボルト――ごくごく初級の攻撃魔法――が、レオンの肩口に炸裂した。
「うあぁぁぁぁっ!? 痛い! なんだこれ、鎧があぁぁっ!?」
本来、エマが毎日磨いていた鎧には、魔法や物理攻撃の防護結界が施されていたのだ。
コボルトは毒を付与した牙で、噛みついてきた。
布を貫通し、レオンは毒状態になる。
「ミリュエル! ヒールだ! 早く回復しろ!」
「えっ、わ、私回復なんて、初級の『ヒール』しか使えないわよ! 『プチ・ヒール』!」
ぽわん、と申し訳程度の光がレオンの傷口を包む。しかし、毒のついた傷口はまったく治らない。
「痛い! 痛い痛い痛い! 全然効かねぇぞ! もっと強い回復をかけろ!」
「無理に決まってるでしょ!? 私は攻撃魔法が得意なの! サポートなんてできないわよ!」
「なんだと!? そもそもお前が自宅でいちゃつこうなんていってバレたからエマが出て行ったんだろ!!」
「はあ!? あんたが調子に乗って、俺のおかげで飯が食えてるなんて暴言吐いたからでしょ!? 全部あんたのせいでしょバカ勇者!」
「うるさい! こんなところで苦戦してたら、この先どうすんだ! 魔王城までに、ダークエルフの里と竜王を攻略しなきゃいけないんだぞ」
二人はダンジョンの入り口で、ボロボロになりながら責任の押し付け合いを始めた。
非常に醜い。
雑魚モンスターたちにも囲まれ、命からがら屋敷へと逃げ帰るハメになった。
そして、その夜。
レオンが痛む身体を引きずって目を覚ますと、屋敷の中は静まり返っていた。
「……ミリュエル? おい、ミリュエル……?」
返事はない。
「まさか」
金庫を開けると、完全に空っぽになっていた。
ミリュエルは、レオンが寝ている間に屋敷にある全財産と宝飾品を持ち逃げし、姿をくらませていたのだ。
「う……うそだろ……? 金も、防具も、ミリュエルも……何もかもなくなっちまった……」
足の踏み場もないゴミの山の中で、勇者レオンはぽつんと立ち尽くした。
全身の痛みに意識が引き戻された。
エマはどれほど自分を支えてくれていたのだろう。
家事とヒールしかできない役立たずと見下していたエマが、どれほど異常なスペックで自分を勇者にしていてくれたのか。
レオンは全てを失い、初めて理解した。
「エマ……エマぁぁぁぁっ!!」
レオンはゴミだらけの床に膝を折り、頭を抱えて泣き叫んだ。
「頼む……頼むから戻ってきてくれぇぇぇ! 俺が悪かった! 何でもする! 飯を作ってくれ! 部屋を掃除してくれ! 俺を強くしてくれ! 俺の身の回りの世話をしてくれぇぇぇぇぇッ!!」
しかし、その惨めで情けない叫びが、エマに届くことは永久になかった。
*
爽やかな朝の光が、草原の豪邸のテラスに差し込んでいた。
真っ白なクロスが敷かれたテーブルについたエマは、にこにこ笑う息子を膝に乗せながら、優雅に朝のティータイムを楽しんでいた。
もはやこれも恒例になりつつある。
ボランティアの近所のみなさんは、いつも朝、草むしりをして一緒にお茶をしていくのだ。
引越しは初めはドキドキしたし、どうなることかと思ったが、周りがいい人でよかった。
「エマ! 本日の庭の剪定は、私の黄金の爪によって完璧な芸術へと昇華された!」
エプロン姿の竜王が、誇らしげに胸を張った。
「フン、庭の美しさなら我が精霊の加護を受けた花壇には勝てまい。エマ、若のおやつに、我が里特製の『神木の実のタルト』を持ってきたぞ」
「あらぁ、ありがとうございます。でも、この子まだ離乳食なの」
エマがニッコリと微笑み、息子が「ぱぁ!」と嬉しそうに笑った。
「おい、買い出し行ってきたぞ」
「わあ、ありがとうございます」
「これでいいのか、卵なんて……普通のニワトリのだぞ。金目竜のじゃなくていいのか」
「何ッ!? 我にケンカを売っているのかディノス!」
エマは苦笑して袋を受け取った。
「産みたてですか? すごくきれいで、大きいですね」
「ふん、これで、あの、プ、プ……プルンとかいうやつをもう一度作ってくれるんだな?」
「プリンだ」
と、ダークエルフの王が訂正した。
聞き流したディノスは、思い出したように口を開いた。
「そういえばエマ。例の元夫と名乗る愚か者……レオンだったか? あやつ、街の路上でゴミを漁りながら『エマ〜戻ってきてくれぇ〜』と徘徊しているようだぞ。勇者というからこちらも準備していたというのに……どうする? 正直こちらから出向く価値もないが」
ダークエルフの王も冷ややかな笑みを浮かべる。
「我が精霊の呪いで、生涯苦しみ続ける病を与えるか」
エマは一瞬だけパチクリと目を丸くさせたが、すぐにくすりと笑って、紅茶を一口すすった。
「ううん、いいんです。そんなことより、今日の午後はみんなで近くの川へピクニックに行きませんか? 日頃の薪割りや庭仕事の御礼をこめて……お弁当、たくさん作りますし」
男たちは歓喜の声をあげた。
エマの作った料理を摂取すると、ステイタス値が大幅に跳ね上がるのだ。それに、心持ちがよくなる。これまで何をしても良くならなかった、呪いも傷も消えていくのだ。
「お前はまるで生きるポーションのようなやつだな、エマ」
と、魔王は言った。
「我は必要などないと思っていたが……」
エマはきょとんと目を見開いたが、嬉しそうに微笑んだ。
「お役に立てたなら、何よりです」
END




