第70話 深層心理
ではルタさんはどうだったか。
少なくとも意欲が湧かずに動けない状態ではない。
漠然と死にたくなるような『希死念慮』状態でもなかったと思う。
約束して、自分から来ることができて、交流もできる。
一人暮らしでトラブルもなく生活ができていたのだろう。
「……可能性の話ですが、心の怪我が深くなってしまったら、最悪の事態もあるかもしれません」
「……そうか」
「ですが、私が見た限りではそのようには見えませんでした。私は診断がつけられるわけではないのですが……」
「大丈夫だ。ヒスイ個人の意見として、受け取っておく」
根拠も責任も薄い話をして、期待させたり失望させたりはしてはいけない。
だからあくまでここだけの話にしてほしい。
それは、殿下もわかってくれていた。
真摯に受け止め、心に置いていてくれると。
「騎士団の連中にも聞いてみます」
「頼む」
「よろしくお願いします」
深々と頭を下げる。
頭の上に優しく乗せられた硬い掌が頭を撫でた。
不安な気持ちは拭えなかったけど、慰めてくれているのはわかった。
私が、もっとしっかり気にかけておけば……。
ぱちん、と手を叩いた音がして、視線を上げる。
音の主は殿下らしい。
「暗い報告は以上だ。他にもあるから続けるぞ」
そう言って、殿下は机の上の紙の束から一通の封筒を抜き取った。
封蝋されていて、気品のある封筒。
書いてある文字をみると、フォリウム学院と書いてある。
「合否通知だ」
挑戦的な、「さあどっちでしょう」と言い出しそうな顔で、封筒を私に差し出す。
両手で受け取って、躊躇いなく開けた。
「躊躇いなしか」
「気になっちゃって」
「潔くて大いに結構」
持っていた感じは薄っぺらい。
合格なら分厚く、不合格なら薄いなんてことはないと思いたい。
二人の視線を手元に感じながら、中身を間違ってちぎらないように封筒だけを破く。
中を除くと、思わず息を呑む一枚の紙きれ。
出さずに、封筒の口だけを広げて覗き見る。
「開ける時は豪快だったのに」
笑っているようだが気にしない。
気にはなっても怖いものは怖い。
「あ」
少し大きめなこの世界の文字を見て、冷静になった。
肘を伸ばして封筒を下ろす。
「……って、なかっ……」
「えっ」
「『不』って、なかった……」
受かってた。
よかった。
「……まぎらわしいっ!」
頭を抱えて少し怒鳴り気味の殿下には悪い伝え方をしてしまった。
思ったより声が出なくてすみません。
カミルさんも小さく息を吐いて胸を撫でおろしているように見える。
「よかったー、受かったー」
「はぁ……よかったな」
「おめでとう」
「ありがとうございます」
受かったことを正直に喜び、お礼も正直に受け取って。
これで、あと約四十日後には晴れて学生の身だ。
寮から通えるようにも手配してくれているから、お城から出て寮で生活をする。
カミルさんとアオイさんとロタエさんたちには会いにくくなってしまうけど、お城には定期的に顔を出すことになっているし、予定を合わせるのも不可能ではない。
機能訓練はお城でやる予定だが、日数は減らさざるを得なくなってしまう。
こちらの学校では通学三日、休日二日、通学三日、休日二日で十日間を一クールとしている。
だから連休のうちどちらかは機能訓練に充てるつもりだが、今は三日に一回程度でやっていたので頻度は減ってしまう。
気にかかる人はまだいるし、会う機会が減ってしまうのは気がかりだ……。
「困ったことがあれば言えよ」
考え込んでいると、不意に頼もしい言葉をかけられた。
言った本人を見れば目がばっちり会い、笑わず、数分前にも見た真摯な表情で告げてくれた。
頼もしい。
「……そうします」
「おう」
「ヒスイは気にしすぎる性格をしている。背負い込みすぎなくていいんだ」
「はい。気を付けます」
カミルさんには以前にも同じ台詞を言われたな。
あの時は自分の体調のことでそう言わせてしまったけど、今回は自分以外の人について背負い込もうとしているように見えたのかな。
小声で「固いな」と言われたけど、そこは真面目に受け取っているとしてもらおう。
「殿下」
このタイミングで、今度は私から話題を提供するために手を小さく上げる。
「どうした」
「魔石器の件でご報告があるのですが」
「お、決まったか」
「いえ、まだです」
ぱっと上げた頭が、がくっと下に落ちた。
首痛めそう。
以前貰った魔石器を何にするかをここ最近ずっと考えていた。
でも決まらなかった。
決まらなかったけれど、組手をしながらカミルさんに、鬼ごっこをしながらロタエさんに、そして復習しながらスグサさんに相談して、決まったことがある。
魔石器は、明確なイメージがあるならばその様に加工できる。
それが鍛冶師の仕事だ。
だがもう一つ、魔石器は魔力を吸って、吸った魔力の持ち主にあった形になる、という性質もあるようだ。
「自分じゃ決められないので、魔石器に任せようと思います」