高見林太郎
──高見林太郎が弟分の平助と別れ、尾張城下の瀬鳴家の屋敷に着いたのは、その日の陽が傾きかけた頃であった。
街道を進むと、どんどん街並みが大きくなってくる。
白邸領の城下町も林太の知っている限りでは大きなところだった。だが尾張城下は城の大きさもにぎやかさも、比べものにならないくらいだった。
笠で頭を隠しながらもおのぼりさんよろしく、きょろきょろしつつ道を尋ねながら到着。
門番に紹介状を渡してようやく瀬鳴家の屋敷に入る。
※ ※ ※ ※ ※
「待たせたな。話は聞いてる、書物奉行与力高見林太郎よ、着任を認める。ようこそ尾張屋敷へ。拙者は尾張屋敷庶務方、朝月喜左エ門と申す」
歳の頃は三十で人当たりの良さそうな顔をしているなと林太は思った。
待合で着任の挨拶を済ませると、すでに日が暮れているからとさっそく住処へと案内される。
道中、いろいろと教えてもらう。
「尾張城下の武家屋敷は他の領地からの方々が来られておる。同じ尾張藩ではあるが、それぞれに”色“というものがあるのを覚えておいてくれ」
「”色“とは」
「その前に、我が尾張藩はいくつ領地があるのか知っておるのか」
「五つです。”最後の大いくさ“の前は八つの郡があり、三つの宮がありましたが、今は五つの領と五つの宮となっております」
「ほほう、よく知ってるな。高見は物知りだの」
「それほどでは。書物が好きでよく読む程度です」
「ほう、読めるのか。士分並ときいてるが」
林太は顔には出さず心の中で顔をしかめる。
──身分、こんなもののせいで出世できないうえ見下されるなんて。……書物奉行所でもそうだった。格下であればあるほどつまらぬことで絡んでくる。津入江とかいうのはまさにそういう奴だったな──
陽が落ちたので提灯で照らされた足元を見ながら朝月は話を続ける。
「白邸領と違ってここでは他家の御方と顔を合わせる機会が多い。場合によっては領主同士の争いにまで至るかもしれん。
たとえば、酒の勢いでよその領の女子は醜女が多いなどと言ったがために切腹を申しつけられたとかな。言いたいことは分かるな」
「瀬鳴家に泥を塗るような真似はするなということでしょうか」
「その通りだ。ではそのためにはどうすればいいと勘考する」
「……わかりません」
「今の高見ならどうする」
「朝月様に教えを請います」
「それでよい。さ、着いたぞ」
武家屋敷近くの長屋に着くと、その中のひと部屋に入る。
火打ち石で蝋燭に火を灯すとぼんやりと部屋の中がわかる。
白邸領で住んでいた長屋とほぼ同じ造りだった。
「掃除はしてある。今宵は休むがよい。それと先ほどの続きだが」
朝月は林太に近づき諭すように話す。
「わからないことは意地を張らずに素直に尋ねよ。先ほど申したとおり、ここでの粗相は大ごとになるやも知れぬ。恥と思わずなんでも尋ねよ、必ず教えるからな」
「は、はい」
あまりの真剣さに林太は思わず返事をする。
「大殿、瀬鳴弾正様は尾張護邸家の筆頭家老である。それだけの実力と家柄があるからその座におられるのだが、他の領主もそれを認めているとは限らぬ。ゆえに水面下では見えぬ足の引っ張り合いをしていると心得よ」
「某のような下っ端には関係なさそうですが」
「そうとは限らぬ。波風はどこから立つか分からぬからな。たとえ士分並といえど瀬鳴家の家臣として恥じぬ行いをせよということだ」
──またも身分か──
「高見は髷をしておらぬ。だが羽織袴姿であろう。武家屋敷に職人姿で入るわけにはいかぬが、髷をしてなければ怪しまれる。そこで笠を深くかぶってやってきたとみたが」
林太は心を読まれて驚く。
「当たっているようだな。そのような心配りができるなら安心できるというものよ。明日は日の出とともに屋敷へ職人姿で来い。そのように言われている」
「は」
「それではな。ああそれと先ほど高見を士分並と言ったがな、某ももとは士分並よ」
「ええ!?」
驚いて朝月をまじまじと見る。
「我らが大殿は瀬鳴様であるが、仕えるのは三冬家老だ。それは知ってるな」
「はい」
「三冬様は家老でありながら、尾張城下での大殿お付きの立場だ。
あの御方も位の低い家柄から家老まで登りつめた御方よ。
ゆえに出自を問わぬ。使えると思った者はどんどん取り立てる。
ここでは身分の高い無能など必要ない、そんな者をおいても瀬鳴家の恥となり、ひいては大殿の足を引っ張ることになるからの。
だから高見よ、励めよ。
己のために、三冬様のために、そして大殿のために。さすれば士分になることも夢ではないぞ」
それだけ言うと朝月は帰っていく。
見送ったあと、上がり端に腰を下ろし、ようやく人心地がついて朝月の言葉を反芻する。
──身分を問わず、成果で判断する、出世する、か──
林太は今までとは、まるで違う境遇がはじまると、ようやく実感した。
幼い頃に大水で父母を失った。たまたま一緒に生き残った平助が懐いてついてくるので、しっかりするしかなかった。
盗みやかっぱらいで命をつないでいたところ、旅芸人一座に拾われてこき使われながらも食い扶持を得た。
その後いろいろあってさくら姫に会い、侍のような立場となり今度は本当に武士になれるかもしれない。
林太はおのれの人生にふふんと笑った。
明日からはまだ見ぬ生き方が待っている。そう思うと旅の疲れを忘れて荷物を解き、明日の用意をして、さっさと床に着くのだった。
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