目覚め
水音がする。
水音が辺りに反響している。
死んだはずだ。
奥歯の毒が喉を通り、息を奪って、意識を失った。
それなのに、ぼんやりと視界に写るのは、ゆらゆらと揺れる陰影と、石のごつごつとした天井だ。
女の叫び声が反響する。
「目が……目が開いている! ああ、神様、緑の神子が目を覚ましました!」
女の声が遠ざかって行く。
半身を起こそうとする。動かない。
白いベールが体を覆っている。それを外そうとすると、手に白い花束がある。花束を握る手が思うように開けない。ベールの下でゆっくり手を開いてみる。指も手のひらも、軋んで音がしそうなくらい、ぎこちない動き。それでも花束を落すくらいには開けた。腕を動かす。ベールを剥ぐように、ゆっくりと持ち上げ、まるで蜘蛛の巣だと思いながら、気持ちだけは必死に、動かす。
「神父様! 神父様!」
さっきの女が戻って来た。
「おお、緑の神子の復活だ。これは一大事、領主へ知らせを届けよ」
領主。
ぼんやりする思考のまま、ちょうど良い手置きに手を掛け、半身を起き上がらせる。
蝋燭の匂い。花の匂い。それから濃い死臭。
……濃い、死臭。
脳裏に浮かんだのは、地に染みた大量の血と破片となった肉の塊。それらが無数に落ち、腐臭を漂わせた森の中。
鳥。
頭上を過ぎ、風を起こす巨大な生物。
━━━グイド
あの日、運命を賭けた日。
グイドは運を掴み取った。
巨大な鳥に咥えられ、高く空へ舞い上がって行った。
あの日、言いつけを破ってもいないのに、口の中で魔法が弾けた感覚があった。
サルアの記憶はそこで途絶えている。
死が訪れたのだろう。
そういう誓約の毒だ。
それなのに、記憶が戻る。
紛れもなくサルアの記憶、感情。
薄緑に染まった肌は、少し人肌に近くなった。
ただ、骨と皮だけになった貧相な体は、自分の今の姿だとわかっていても、気味が悪い。シワシワの。乾燥して崩れ落ちてしまいそうな皮膚。
背中まで伸びた髪は縮れてゴワゴワしている。
枯枝のような足を立てて、箱の中から外に足を出し、縁に腰掛けた。
黒い衣装を付けた者たちが洞窟の奥から現れ、次々に膝をついては両手を握り合わせ、首を垂れる。
「緑の神子さま、復活おめでとうございます」
最年長らしき者が、声をあげると、後ろの者たちも一斉に声をあげた。
洞窟に声が反響する。濡れて、湿った声。太く、細く、強く、弱く。高く、低い、無数の声が連なる。
立ち上がろうとすると、颯爽と進み出て来た男が跪き、白いレース編みのローブに触れ、口付けをする。
「失礼いたします」
横抱きにされ、抱え上げられ、洞窟内を運ばれる。
サルアが寝ていたのは棺桶で、その向こう側に祭壇があった。
壁には白骨化した遺体が祈りの姿を取らされて、並べて貼り付けてある。奥の棚にはひび割れた頭蓋骨が並んでいる。
洞窟は歩んで行く先ほど、遺体が新しくなって行く。ついにはその表情までもがわかるようになり、腐った死臭の原因が、打ち捨てられた遺体にあるとわかる。飾られず、処理もされず、放置され、虫と害獣にまみれた小山を見て、目を逸らした。
これは、なに。
緑の神子とは。
時はどれだけ流れたのか。
日が差す。
目が痛くて潰れそうだ。
男が黒いベールを掛けてくれて、日陰の中から景色を見た。
処刑台だ。
かつての名残の風景がある。
だが、人が見あたらない。
街も瓦礫の山だ。
それなのに、遠くに聳える、小高い丘の上にある、白亜の城だけが、日の日差しを浴び、美しい姿を残している。
鳥だ。
無数の鳥が、光に反射し、キラキラと光を放ち、飛び交って行く。
暗く澱んだ空気と死臭の世界と、輝かしく美しい世界。
まるで違う世界の狭間で、サルアは目覚めた。
アルファポリスさまで先行公開しています。
題名が違います。「夜鳴き鳥と薔薇の紋章」サクラギ作 です。よろしくお願いします。




