闇の処方箋
ブダペストの夜は、冷たい雨とともに静まり返っていた
ドナウ川沿いに佇む古びた倉庫の二階。暗闇の中、ジョセフは息を殺し、スコープ越しに下のフロアを見下ろしていた。
一階では、国際手配中の武器商人グループが、違法取引の最中だった。本来なら情報収集だけで済ませるはずの任務。しかし、ターゲットが明日には国境を越えると判明した以上、今ここで「排除」するしかなかった。
ジョセフは胸元の小型カメラを作動させ、天井の隙間から覗かせた。小型の電波妨害装置で監視カメラとターゲットの通信機器を無力化させた。
「……始めるか」
サイレンサーを装着した拳銃を手に、ジョセフは影のように滑り降りた。
パッと消える照明。暗闇と混乱の中、発射音すら残さない的確な射撃が撃ち込まれる。派手な銃撃戦も、悲鳴すら上がる隙もない。わずか四十秒後、倉庫内に立っている者はジョセフ一人だけだった。
彼は手慣れた手つきでターゲットのノートPCからハードディスクを抜き取ると、何一つ残さず雨の街へと姿を消した。
二時間後。ブダペスト市内のとある家。
ジョセフが濡れたジャケットを脱ぎ捨て、回収したデータの暗号解読を進めていると、通信機が静かに振動した。
ディスプレイに表示されたのは、バージニア州ラングレー——CIA本部からの緊急回線。
画面に現れたのは、直属の上官である統括官の厳格な顔だった。
「見事な仕事だったな、ジョセフ。だが、休息の時間はなさそうだ」
「次の任務か?」
「そうだ。極めて深刻な事態が発生した。三日前、元CIAの兵器開発者であるベネット博士が、ロシアの非合法組織に拉致された」
ベネット博士、かつて政府の極秘生物兵器プロジェクトに従事していた頭脳だ。彼が持つ知識がテロ組織の手に渡れば、大惨事につながる。
「救出作戦か?」
「それだけではない」
統括官の声が一段と低くなる。
「博士を保護し、奴らが何を企んでいるのか情報を洗い出せ。そして……この件に関与している組織の首謀者を特定し、跡形もなく処理しろ」
「了解した。派遣される支援チームは?」
「現地に派遣されているチームがいる、そいつらと遂行しろ」
「わかった」
「頼んだぞ、お前にしかできない任務だ」
「いつものことだ」
ジョセフは短く答えると、通信を切った。すぐに偽造パスポートと暗殺・諜報用ギアをバックパックに詰め込む。彼の瞳に迷いはなかった。
だが、ジョセフは知らなかった。
その数分前、ラングレーのCIA本部の一室で、端末に向かう何者かがジョセフの作戦行動ファイルを密かにコピーし、暗号化して外部へと送信していたことを。
見えない罠が張り巡らされる中、ジョセフは極寒の潜入先へ向かう深夜便へと足を進めた。




