俺は...一体何なんだ。
薬草の匂いが、かすかに鼻をついた。
白布の天井。
ぼやけた灯り。
聞き慣れないほど、静かな空気。
「……っ」
ベレスはゆっくりと、目を開いた。
——さっきまでの痛みは、嘘のように消えていた。
だが、その代わりに残っているものがある。
(……妙だな……)
視界がやけにはっきりしている。
耳も、空気の流れも、やけに鮮明だ。
「……気が付いたか」
低い声。
横を見ると、腕を組んで立つライナーと、少し離れてベルトルト、ジャン、アルミン、マルコの姿があった。
「大丈夫か? お前、急に倒れて……」
ライナーが言う。
だが、ベレスの反応は違った。
「……それで?」
「……ん?」
「俺は、どれくらい……《止まっていた?》」
その言い方に、一瞬の沈黙が落ちた。
「え……?」
「……ああ、いや……」
ベレスは、ゆっくりと自分の手を見つめる。
「ずいぶん……騒がせたみたいだな」
声はいつもより、少し低く、冷静すぎるほど落ち着いている。
「お前、本当に大丈夫か?」
ジャンが怪訝そうに眉をひそめた。
「目つきが……なんか、違わねぇか」
ベルトルトも、小さく頷く。
「……うん……さっきより……鋭いというか……」
ベレスは、ゆっくりと上体を起こした。
ふらつきはほとんどない。
「……心配しなくていい」
「ただ、“思い出しかけている”だけだ」
「……思い出すって?」
アルミンの目が、少しだけ大きくなった。
「何をだよ?」
その問いに、ベレスは少しだけ、口元を歪める。
けれど、それは笑顔じゃなかった。
「……まだ、言えない」
「だが、遠くないうちに……思い出す」
「——全部を」
医務室の空気が、ひりつくように張りつめる。
「お前……本当にベレスだよな?」
コニーが冗談めかして言ったが、誰も笑わなかった。
「安心しろ」
ベレスは、ゆっくりと顔を上げる。
その視線は、まっすぐだった。
「別に変わったわけじゃない」
「……“戻りつつある”だけだ」
そのとき、ふいに扉が少しだけ開く。
そこから、そっとのぞく金色の髪。
「……ベレス……?」
クリスタだった。
「……っ」
一瞬だけ、全員の視線が彼女に向く。
だが、そのとき——
ほんの刹那、ベレスの冷たい目が、やわらいだ。
「……クリスタ」
声が、わずかに元に戻る。
「心配させてしまったな……すまない」
その様子に、ライナーが小さく息をついた。
「どうやら……正気は戻った、か……」
けれど、アルミンだけは気づいていた。
——さっきの一瞬、目が完全に“別人”だったことに。
そして、ベレス本人でさえ、わかっていた。
自分の中に、
もうひとつの意識が「目覚めかけている」ことを。
それは敵なのか、味方なのか。
それだけは、まだ誰にもわからない。
医務室の外は、もう静かだった。
見張りを交代しに行ったのか、足音も遠ざかり、部屋にはベレスとクリスタだけが残っていた。
「……みんなはもう寝たのか?」
「少しだけ、外で待ってるよ。先生も、“もう少し休め”って」
クリスタはそう言って、小さく笑った。
でも、その指先は、ぎゅっと握られている。
「…………明日から訓練なのに俺もあいつらも何やってんだよ全く」
ベレスは天井を見つめたまま、ぽつりと呟く。
「やっぱり俺、さっき……変だったよな」
「…………」
クリスタは答えなかった。
代わりに、少し近づく。
「……ねぇ、ベレス」
「……なんだ?」
「……変わってしまったの?」
その声は、とても静かだった。
責めているわけでもなく、ただ「知りたい」という響きだけがあった。
「……俺にも、わからない」
ベレスはゆっくりと目を閉じる。
「でもな……クリスタ」
「……うん」
「クリスタを見た瞬間、頭の奥が少しだけ静かになった」
少しだけ、間が落ちる。
「……それって……」
「たぶんまだ、“俺”はここにいるってことだ」
クリスタの表情が、ほんの少しゆるんだ。
「……なら、よかった」
「私は、今のベレスも、昨日のベレスも……同じ人だと思いたい」
ベレスは、ゆっくりと彼女を見る。
その目にはもう、さっきまでの冷たさはなかった。
「……ありがとう」
「それだけで、十分だ」
その時、遠くから声がした。
「おーい!まだいちゃつい……げふん、様子見に来たぞー!」
ユミルの声だった。
クリスタはびくっと肩を震わせる。
「ち、違っ……!」
「うるさい!これは違うの!」
外で、誰かが笑う気配がする。
ベレスは小さく、息を吐いた。
(……やっぱり、俺はまだ——)
(——ここにいる)




