続かない空間
「――来たぞ、次の依頼だ」
仕事だ。新しい仕事。俺たちにしか出来ない仕事。
「誰?」
「サノモリ ユキナガ」
「……そうか」
「あのユキナガ、だよね」
「ああ」
沈鬱な空気が部屋を占める。
「結構、持った方だろう。よく頑張ったよ、ユキナガは」
「そうだね」
「データベースにあった、サノモリ ユキナガの情報だ」
端末の画面には、ユキナガに関するあらゆる情報が表示されていた。
「家族が居る」
「そんな状態で依頼してきたのか? 何を考えているのだ、あいつは」
「どうする、受けるかこの依頼? それとも」
「受けるさ。決まっている」
「そうだね。これは、俺たちにしか出来ないことだから」
「決まり、だな」
ふと、データにあった一枚の画像に目が引かれる。何となく……。
「どうした?」
「いや、何でもないよ」
気のせいだろう。そう、結論付ける。
「失敗は許されない」
「ああ」
「解かっている」
「――さあ、仕事開始だ」
遥か過去の場景。
どれほどの、長き時が流れようとも。
どれほどに、幾多の記憶が薄れようとも。
それだけは。
あれだけは。
あの『時』だけは。
忘れはしない――。
あの、時、あの人達は、唯。
唯。
「――は、かせ?」
呆然とした。目の前の光景が、理解できなかった。眼球は確かにその映像を捉えているのに、脳がその情報を受け入れようとはしない。
何。何。何。何。何。
「何なんだ一体。何が! 博士!?」
その場に在る人間は、誰一人として動こうとはしなかった。否、動けなかったのだ。
誰一人とて、その光景を理解出来なかった。理解したくなかった。
博士が、倒れていた。
この場にいる全ての人間が尊敬してやまない博士が、倒れていた。
倒れ伏した博士は、鮮やかな色彩で彩られていた。
美しい、赤――。
「はかせ?」
返答は無い。
博士は動かない。
ウゴカナイ。
倒れた博士を囲むように、三人の人間が立っていた。
その足は、赤い海に浸っている。
その目は、博士を見下ろしている。
その手は、ナイフを握っている。
赤いナイフを握っている。
赤いナイフから。
赤い水滴が落ちて。
赤い海の中に。
赤い波紋を起こす。
赤い。
赤い。
赤い。
「どうして」
どうして、あの人達が、ソンナモノヲ、モッテイル。
だって、あの人達は、はかせの。
「どうして! 貴方たちが!?」
信じられない。信じられない。信じられない。
「貴方たちが、博士を!?」
その声に、三人がゆらりと身動ぎした。
「――君たちに、伝える言葉がある」
「今は、意味を成さない言葉」
「でも、いつか、思い出す言葉」
まるで、能面のように、表情を無くし、あの人達は言った。
いつもは、それぞれに個性あるあの人達が、同じ様な顔で、同じ様な声で、そう言った。
「それが必要になったとき、俺たちが叶えよう」
「それを必要とする人なら、誰であろうと叶えよう」
「それを必要としないなら、その方が良いだろう」
「だが」
「必要となれば」
「それを成そう」
動かない博士の傍に佇み。
その体に赤を纏い。
神の如く三人は告げた。
『俺たちは――』
唯、そう告げた。
遥か昔、過去の場景。
そして、言葉は、意味を成す――。
「ユキナガ」
その声で、目を覚ました。
「――お久し、ぶりです」
「寝ていたのか?」
「少し。昔の夢を、見ました」
そう言って、目の前に立つ三人を見る。
「あの時の言葉が、必要になってしまいました」
「……そうか」
三人に申し訳なくて、自嘲するように苦笑いを浮かべた。
「すみません。手を、煩わせてしまって」
「いいや。これは、俺たちにしか出来ない事だから」
悲しそうに微笑むその顔を見て、懐かしさを感じる。
「ハルキさん、変わっていませんね。昔のままだ」
「俺だけじゃないよ」
「ええ」
ゆっくりと、二人にも視線を合わせる。
「セイジさんも、トキヤさんも、変わっていないです」
「……ユキナガ」
「本当に、良いのか?」
決めたのだ。もう。あの言葉を、必要とすると。
「お願い、します」
三人とも、悲しそうに目を伏せた。
知っている。
この人達が、もう幾人もの願いを叶えて来た事を。
その中には、俺と同じ様に、あの時、あの場所に居た人間も、多くいるという事も。
この人達だけに、重責を負わせてしまっているという事も。
それでも、もう――。
「何か、言っておきたいことはあるか?」
「頼みたい事が、あります」
そう言って、小さい封筒を差し出す。
「これを、あの子に届けてくれませんか?」
何も伝えることが出来なかったから。せめて、これだけでも。
「この部屋に、残しておく事は出来ませんから。だから、お願いします」
「解かった。必ず届けよう」
「ありがとう」
深々と礼をした。もう、これで――。
「ユキナガ、これから、この麻酔薬を君の体に接種する。特殊な薬で、不老不死である君の体にもきちんと効力があるから。構わないね?」
「はい」
腕から、麻酔薬が注入される。その様子をじっと見つめていた。
瞼の上に、冷たい手の平がのせられた。右手と、左手が、それぞれゆるく握られる。
「……おやすみ、ユキナガ」
「よく、頑張ったな」
「どうか、よい夢を――」
優しい声。
ごめんなさい。ごめんなさい。
もう、限界なんだ。
もう、耐えられなかったんだ。
だから、ごめんなさい。
貴方たちに辛い役目を負わせてしまう。
貴方たちのくれた言葉に甘えてしまう。
『俺たちは、不老不死を殺せます――…』
あの時は、解からなかった言葉。
あの時は、怒りさえ覚えた言葉。
今は、唯、その言葉だけが救い――。
その言葉を希望に背負って、此処まで来られた。
でも、それももう限界だ。
意識が薄れてくる、触れられている感覚も、少しずつ消えていく。
愛しい名前を呟く。
声になったのかどうかも、もう、解からない。
破る約束をしてしまった。
出来ることなら、ずっと、一緒に居てあげたかった。
でも、駄目なんだよ。
どうしても、駄目だった。
君の、旅立ちを見ることすら叶わなかった。
君が、旅立ちを決意したことを免罪符にしてしまった。
君を、残していってしまう。
君を、一人にしてしまう。
君は、泣いてくれるだろう。
君は、怒ってくれるだろう。
解かっているのに、それが解かっているのに。
もう、此処に留まることは出来ない。
ごめんな。
幸せだったよ。
ありがとう。
さようなら――…。




