15. 個別作戦 新騎士は、怖い。
「ねえねえお兄さん。何やってるの?」
王城から最も離れた南東の城壁にへばり付くようにして広がる貧困窟にほど近い、平民下町。
その薄汚れた裏路地の陰鬱さとは反する明るさで、少年は声をかけた。
複雑に入り組んだ屋根のため、真っ昼間であるにも関わらずほの暗い中、手にしていたものを舐めるように見つめていた男は、悲鳴を上げて飛び上がった。
「ひっ!……っんだ、ガキかよ!」
慌てて振り返る。そこにただ少年一人を見とめ、男は安堵に息をついたのを隠すように大きく罵った。
しかし怒鳴られた少年は楽しそうにくすくすと笑って、好奇心を映した新緑色の瞳で近づき、身なりの悪い男が手にしているものを覗き込む。
「うんっ。だから、それが何だか教えてよ」
するりと近寄られた男は、指摘されたものを反射的に腕ごと体の後ろへ隠した。
これは、誰にも知られてはいけない、己が人生を左右するもの。
しかし、男は考える。
このただの子供一人に〝コレ〟を見せたところで、それが何かなんてわかりゃしない。
しばしの躊躇と沈黙の後。今このお宝を自分が持つことがどれほどすごいことなのかを誰かに話したくて仕方がなかった男は、背中へと下げた腕を少年へずいと突き出した。
「ふん、小僧。しょうがねぇから見せてやる。これはな、すげえもんなんだぜ。でかいことやらかすために俺にこれを届けろっつったのは、親分直々でな! これでおいらの出世も思うま……」
「ソウラ乾木の幻覚薬。それも、質は最低」
鼻の穴を膨らませ、得意げに己の未来の展望について語っていたその手には、すでに擦り切れた薬紙に包まれたものはなく。
唖然とする男の目の前で、裂いた紙から小さく零れた粉をぺろりと舐めた少年が、低い声で呟いた。
「なっ、……なっ!」
あまりの出来事に男は、言葉も出ない。
しかし意味を成さない語を呻く男は歯牙にもかけず、マルティスは溶けずに口に残った不純物を唾と共に地に吐き出した。
それを苛立しげに踏みにじりながら、不愉快だなあと彼は嘲笑う。
「シュナネのクソジジイが。俺がシメてる場所にこんな薬で島張ろうなんて、……耄碌も過ぎると笑えないな」
王都から北東に離れた砂漠に隣接する街、シュナネ。その街を牛耳っているのは国の裏社会にその名を轟かせる五十過ぎの中年男。それが今回の黒幕だ。
しかし数年前、最大の取引相手であった砂漠の民に手を切られ、必死に隠そうとはしていたが組織はかなり弱体化していたはずだ。だから、王都の貧困窟に己の管轄の薬をばら撒き、中毒者を量産し利益をすすると同時に、王都という地で復活を図ろうなどという馬鹿を起こしたのだろう。
にしても。焦っていたとはいえこんな男を出してくるようじゃ、もう奴の行く末も決まっている。
短く溜息をついて、ぽんっとマルティスは包みを後ろへ投げた。
「なっ、ぁああ!!!」
王都への旅の途中、己の命と同じほど大切にしてきた薬を追って、無我夢中で男は飛び出した。
「どわっ!」
全力で出した二歩目が何かに引っかかり、盛大に地面に転がる。何が起こったのかわからないまま痛みに呻き、顔を上げ振り返ると。
「あんたも、三下とはいえこっちの世界の人間なんだ。この後どうなるか、……わかるよね?」
出した足を気だるげに戻しながら、少年が口端を吊り上げ見下ろしていた。
瞬間、それは反射だった。頭は、少年とは思えない程の威圧感を放つ者への恐怖に埋め尽くされていたが、体は無意識に動いて己が身を守ろうとしていた。
だが、先程よりも速く出た二歩目は虚しく宙を掻く。シュナネの男は、路地をずらりと囲む突如現れた大男の一人に胸倉を掴まれていた。
「ボス、どうしますか」
犬でも持つかのように釣り上げた男を揺らして、大男は指示を仰ぐ。
この王都の裏社会を統べる、己が主に。
「いつもの所へ」
もうここに用はないと、マルティスは歩き様に告げ。
ああ、でもこれ以上虫がわかないようにしないと。
「王都に薬撒こうなんて下衆、姫さまの国から退場だ。よろしく」
ボスが言い置いた言葉は、絶対。今からでも、実行されるだろう。
ま、シュナネの悪魔と呼ばれたあのジジイには、甘すぎるかな。
年だけど、息したまま、国境越えられるといいね?
つまらなすぎた仕事は終わり、一番乗りで帰るため任務終了の鐘が置かれた場所へと、マルティスはさくさく歩く。
しかしふと路地を出る直前、部下へ指示する時さえ振り返らなかった彼は思い出したように歩を止めて。
「あ、みんな。このこと、姫さまには内緒にしてねっ!」
二分後、爽やかな風のように軽快な鐘が六つ、裸で吊るされた男の耳にも届いていた。
なんかこのコだけ、変なタイトルになった……。
後が、怖い。