前編
一、
「本日は講演をお聞きいただき、誠にありがとうございました。この講演だけでも、皆さんには多くの、私の本からだけでは得られない気づきがあったことと思います。私の理念に共感し、より学びを深めていきたいという方は、大島ラボのパンフレットを出口でお渡ししますので、そちらへの入会もご検討頂くようにお願いします。」
講演をそのように締めくくった大島利信は、超満員のホールの聴衆に満面の笑顔で手を振りながら、ステージを後にした。笑顔には色々な種類のものがあると思うが、そのときの彼の笑顔は自然なものではなく、意識的に作り上げられたものだったことは、明らかだった。
政治家や芸能人など、人前に出る機会が多いことが多い職業の人に特有の、作り上げられた笑顔。選挙ポスターや、雑誌の表紙などに映る人々が浮かべる、あの笑顔だ。
人によってはそういう笑顔を、「営業用」とか、「胡散臭い」と形容することだろう。だがそれも、致し方ない部分もある。日常的に浮かべる笑顔と、不特定多数の観衆に対して浮かべる笑顔とが同じものであるということは、決してあり得ないからだ。
人間という社会的動物が、自然な愛着を抱くことができる人数の限界は、百人程度である、という研究があるらしい。そう考えると、何万人もの人間の視線に晒され続けることは、明らかに自然なことではない。
そういう不自然な状況に置かれた人間が浮かべる笑顔も不自然になるのは、むしろ、極めて自然なことだろう。だから、いわゆる「営業用の」笑顔も、非難の対象にはなり得ないはずなのだが、大島の場合は、彼が浮かべる笑顔の不自然さの度合いが、いくぶんか度を越しているように思われた。人間の所作にはその人の人柄が反映される、とよく言われるが、ひょっとすると大島が浮かべる、見る人が見れば「めちゃくちゃ胡散臭い」と感じざるを得ない人工的な笑顔には、彼の内面に渦巻く禍々しいものが、映し出されていたのかもしれない。
「お疲れ様でした。今日の講演も、痺れました。」
ステージから袖に捌けた大島を迎えたのは、田中という男性だった。田中は角刈りの頭の、がっしりとした体つきの男で、見る者に威圧感を与える風貌をしていた。ただ、その目がどのような光を宿しているかは、ブルーレンズの派手なサングラスに阻まれて、伺い知ることができなかった。彼が日頃から身に付けているこのサングラスは、ファッショナブルというよりはむしろ、スキー用のゴーグルのような、もったりとした印象を、見る者に与えた。
田中は大島の高弟のような存在で、二人は10年来の付き合いである。彼は、大島が自身の開発した自己啓発メソッドを指導する場である「大島ラボ」の一期生の一人でもあった。
「ふっふ、当たり前だろ?こんなものは、実にちょろい仕事さ。僕の本に感銘を受けて、高い金を払ってでも僕の話を聞きたいと願う連中は、世の中にごまんといる。感謝してくれよ?君がメシを食えているのも、すべて僕のおかげなのだから。」
田中は視線を下に向けたまま、「まったくもってその通りでございます」と答え、すぐさま大島に視線を向けると、
「本日も、観客にサクラを紛れ込ませて大島ラボの勧誘をしておりますが、正直に申し上げまして、最近の新規入会の数は、減少の一途を辿っております。」
と、野太い声で忌憚のない意見を述べた。一瞬、大島の表情が険しくなったことを察知すると、今度はやや声を落として、
「あ、いえ、決して、先生に原因があると言いたいのではありません。ただ、大島ラボも発足から十年が経ちまして、競合相手が次々に出てきていることが原因と思われます。悪質な業者の中には、先生が用いておられます例の組織の呼称、つまり、『名前を呼んではいけない人たち』という表現をそのまま用いている者たちまでいる始末です。この『ビジネス』の市場は決して大きくはありません。先生の仰ることに共感できる人の数は、それほど多くはありませんから。」
田中の話をそこまで聞いて、大島は不機嫌そうに「ふんっ」と鼻を鳴らすと、田中の目をキッと睨んで、
「それで、何が言いたいんだい?せっかく一仕事終えて戻ってきたばかりの僕を不愉快にして、何か良いことがあるかい?ああ、わかっているとも、最近うちの収益が伸び悩んでいることくらいは!それを何とかすることが、君たち『下々の者ども』の仕事ではないのかい?いいかい、くどいようだが、僕がいなければ、君たちもメシを食うことはできないんだ。立場をわきまえたまえ。この『全知全能』の僕に意見をするなんていうのは、百年早いんだ。ああ、本っ当に不愉快だ!」
大島は四方に唾をまき散らしながら、猛烈な勢いで捲し立てた。それは、「わめき散らかした」とも、形容できる所作だった。普段は緩やかに垂れ下がっている大島の眉毛は、「く」の字を横に押し倒した形状に吊り上がり、その下に光る眼光は、明らかに危険なものを宿していた。いくら感情が昂っても、普通の人なら決して見せることがないような激しい怒りの炎が、その奥で燃え滾っていることを、見て取ることができた。
田中は狼狽しきった様子で、
「大変申し訳ございません。先生がお仕事をされてお疲れのところ、申し上げてよいことと、そうでないことがあるということを、つい忘れておりました。私は先生から大島ラボの広報を任されている手前、最近の芳しくない進捗を心から憂いており、このことはぜひ先生の耳にも入れておかなければならないと思っておりましたが、それは間違いでした。大変申し訳ございません。この『ビジネス』の競合がいくら激しくなっているとはいえ、ここのところ勧誘が上手くいっていないのは、偏に広報を担当している私の責任でございます。必ず状況を改善し、先生には無用なご心配をおかけせずに、先生のお仕事に専念できるようにして参りますので、どうぞ私の不届きをお許しください。」
と、見た目に似合わない上ずった声で弁明をした上で、恭しく頭を下げた。それは顔の角度が地面とほぼ平行になるほどの深い礼で、彼はその体勢のまま大島の返答を待った。
「よろしい、よろしい!わかればいいんだ。」
田中の絵に描いたような低頭平身ぶりを目にした大島の表情からは、いつの間にか先ほどの怒りの色が消え失せ、満足気な笑みが口元に浮かんでいた。そして、「面を上げよ」と言わんばかりに、上半身を下に向けているが故に自身に向けられていた田中のいかつい肩に手を置くと、
「僕も、君の苦労はよくわかっている。前に何度も教えてあげたけれども、大衆の心理を動かすには、『アメとムチ』が必要なんだ。つまり勧誘をするときには、外見に魅力のある若い異性に声をかけさせ、その気にさせたところで責任者の君が威圧的な態度を取って権威を示す、そのギャップが必要なんだ。わかるね?大丈夫、僕の言う通りにすれば、必ず、すべては上手くいくから。心配しなくていいんだよ。」
と、田中を優しく労うように、声をかけた。まるで、自らがついさっき口に出した、『アメとムチ』の説得法を、早速弟子に実行しているかのようだった。田中はおそるおそる顔を上げて、
「ありがたいお言葉、ありがとうございます。」
と、感激しきった様子で言った。大島はご満悦の表情で、
「未熟でいるうちは成長できる。」
と、どこかで聞いたようなセリフを口に出したあと、唐突に視線を田中から離して、
「ああ、それから、『ヘブン』に行きたいと、森山クンに言っておいて。」
と言い残して、彼らが話していたステージの袖を後にした。
二、
「みなさん、本日は、はるばる会場にお越しいただき、誠にありがとうございます。さあ、これより皆さんお待ちかねの本日のイベント、大島利信先生と、アンソニー・マリーノ氏の対談を開始させて頂きたいと思います。拍手でお出迎えください、大島先生とマリーノ氏のご登場です!」
司会者の合図と同時に、ステージの袖から大島利信と、長身の白人男性とが微笑みを浮かべて、横に並んでゆったりと歩きながら、ステージに登場した。白人男性の方は、身長は190センチを優に超えているだろうか。小柄な大島の頭の位置がその白人男性の肩の位置にあり、二人が会話を交わすためには、おそらく互いにかなり不自然な体勢を取らなければならないはずだったが、二人ともそんなことはどこ吹く風で、ステージの中央に達すると力強く握手を交わして、そこに置かれていた二つの一人がけ用のソファーに、どっしりと腰を下ろした。それらのソファーは、斜め45度を向けば聴衆に、逆向きに斜め45度を向けばもう一人の登壇者に向き合うように、配置されていた。二人が席に着いたのを見届けた司会者は、大島の座っているソファーの方向に手を差し出して、
「この方についてはもう、ご紹介は必要ないくらいかもしれません。皆さんご存じの通り、心理学者として若い頃から数々の画期的な理論を確立され、多数のご著書も出版され、さらに最近は、『大島ラボ』の主宰として後進の育成にあたりながら、ご自身が理想とされる『愛のある世界』の創出のために精力的に活動中の、スーパー・ビジネスマンであられます、大島利信先生です!」
と、まるで格闘技のリングアナウンスのようなハイテンションで、大島を聴衆に紹介した。会場には万雷の拍手が沸き起こり、その合間に大島は聴衆の方に顔を向けて、笑顔のままで軽く会釈をした。司会者は、今度は白人男性の方を向いて、
「こちらは、『親友のトシの願いとあっては』と、この対談のためだけに、はるばるアメリカからお越し頂いた、アンソニー・マリーノ氏です!」
と、再び声を張り上げた。またしても、会場は拍手に包まれた。
「ご存じの通りマリーノ氏は、ハリウッド俳優として、『戦場の慈悲』シリーズを中心とした数々の有名映画にご出演されてきました。現役のボデイビルダーとしても活動しておられます。さあ、この二人の傑物は、この講演の場でどのような化学反応を起こされるのでしょうか?これよりマイクを、二人にお渡ししようと思います。皆さんご清聴の程、よろしくお願いいたします。」
その言葉を残すと、司会者は素早くステージの袖へと捌け、大島とマリーノにマイクが手渡された。大島は軽く咳払いをすると、
「やあ、アンソニー久しぶり。今日は僕たちの話を聴きに、こんなにもたくさんの人たちがやってきてくれたよ。」
と、口元に笑みを浮かべたままで、子供が友達に話しかけるときのような気やすい口調で、横に座るマリーノに話を振った。マリーノは、
「いやあ、本当に感激していますネえ。きっと、トシのカリスマなんだろうけどもネ。」
と、やはり笑顔で返した。その言葉を満足気に聞いていた大島は、
「みなさん、マリーノさんの日本語、お聞きになりましたか?すごいでしょ?通訳がいらないんです。」
と、聴衆に話しかけるように、マリーノを称えた。マリーノは大島の方を向いたままで、
「日本は、かつては世界二位の経済大国ダッタからね。僕も80年代、90年代は『憂国の士』、英語では”A Patriot”ダけれども、そうイッタ映画の撮影を日本でヤったもので、日本語を勉強するモチベーチョンがアったのです。妻も日本人デスし、何ヨリも、日本を舞台とした作品を撮るならば、日本の文化と言語を学ぶのは、当然のことデス。」
と、応えた。彼が話す日本語は流暢で、間違いもほとんどなかったが、ただやはり、外国人話者に特有の訛りが言葉の端々に表れていた。大島はそんなことはおかまいなしで、
「うんうん。僕も、アンソニーの日本愛は、よくわかっていますよ。言語を習得することは、その労力をかけてでもその国の文化を理解しようという姿勢の表れだからね。ちなみに僕も、アンソニーの祖国のアメリカの文化を心からリスペクトしている。だから、僕も英語を必死で勉強しましたよ。なんなら、この対談を英語でやってもいいくらいだけれども、そうしたら聞いている皆さんが、ついてこれなくなっちゃうからね。」
と言って、得意気な表情で「ふふん」と鼻を鳴らした後、間髪入れずに、
「アンソニーは、イタリア系アメリカ人でしたよね。そういう君のバックグラウンドが君の作品にどのように影響したのかを、皆のために少し説明してもらってもいいですか?」
と、マリーノに持ち掛けた。マリーノは「よろしい」と頷いて、
「日本のみなさんにはわかりヅラいかもしれないが、合衆国におけるイタリア系移民の立ち位置は、非常にムヅカしいものです。みなさん、『ゴッドファーザー』という映画をご存ジですね?あの映画ハ、合衆国にオケるイタリア系の人々に対スるイメージを、象徴したものデス。イタリア系というと貧しさユエに悪事に走る人たちとイうイメージが古くからあり、さらに第二次世界大戦時には、イタリアがアメリカの敵国ダったことから、日系人もそうダったように、迫害も受けマシタ。私の両親ハ、私を生んだのが遅カッタのですが、ちょうどその頃に青春時代を過ごしタ人々デス。トクに私の父は、汚名を削ぎタイ一心で、合衆国のタメに、懸命に戦いマシタ。その父からキイタお話が、『戦場の慈悲』シリーズのベースになってイマス。」
と話した。その話を、「うんうん」と頷きながら聞いていた大島はここで再び口を開いて、
「非常に興味深い話ですね。アンソニーは映画の中で、戦争を実にリアルに描写しているけれども、そのようなバックグラウンドがあってのことだったのですね。そういえば、先ほど話題に上がった『憂国の士』は、日本人を主人公にした作品でしたよね。なぜ、敵国の立場から大戦を描写してみようと思ったのですか?」
と、マリーノに問いかけた。その問いに対してマリーノは、
「物事は、多面的に捉えなければナリません。一つの立場に偏りスギることは、フェアな思想を奪いマス。私は『戦場の慈悲』シリーズでは、合衆国を好意的に描きマシた。それとバランスを取るタメに、敵国である日本の立場にタッタ作品も作らナケればならない。ソレハ、私がはじめカラ考えていたことナノです。」
と、一つ一つの言葉を慎重に選びながら答えた。大島は、
「本当のことを言うと、僕はこの話をもう何度も聞いているのだけど、何度聞いても含蓄がありますね。アンソニーは、映画の製作を通じて誰よりも深く、あの大戦について知るようになったわけだ。・・・それで、君はいつ頃から、『世界を裏で牛耳る勢力の存在』を、意識するようになりましたか?」
大島は、まるでタイミングを図っていたかのように、話題を誘導しはじめた。マリーノの方も、満更でもない様子で、
「『戦場の慈悲』シリーズの第三作品、『硫黄島の激戦』を撮っていた頃デスね。大戦を日本の側カラも見つめだすウチに、『何カがオカしい』と思うヨウになッた。ドウ考えても、日本軍の動きニハ不可解な部分が多いし、『出来レース』デスか、日本語にはそんな言葉がアルけれども、アノ大戦もそうダッタと考えないと、説明がツカない部分が多いように思いハジめたのです。・・・」
その後二人は、第二次世界大戦を巡る壮大な陰謀や、大島が言う闇の組織、『名前を言ってはいけないあの人たち』の、その陰謀への関与について一時間ほど語り合った後、最後は二人がそれぞれ趣味にしている、クラシック・ギターと、ピアノのセッションを一曲披露して、その講演は幕切れとなった。
三、
対談講演を終えた大島とマリーノは、ステージの袖に控えていた田中にアテンドされ、会場の外に待ち構えていたフェラーリに乗って、都内の一等地にある「大島ラボ」のオフィスへと向かった。フェラーリの車内では、大島とマリーノが、英語でなにやら雑談していたようだったが、大島の話す英語は必ずしも流暢とは言えないことは傍目にも明らかで、マリーノは時折、訝しげな表情を見せるシーンもあったのだが、大島の機嫌を取るためか、弟子がいる前で恥をかかせないためか、どうにか会話の体裁は取り繕っていたようだった。
大島は、講演後のハイテンションも手伝ってか終始上機嫌で、フェラーリが目的地に近づいた頃に、
「Thank you. ふっふん。」
と言って、分厚い茶封筒を傍らに置いていたバッグから取り出し、マリーノに手渡した。
高層ビルの22階にある「大島ラボ」のオフィスの前に辿り着いた大島、マリーノ、田中の三人を出迎えたのは、若い男性二人、若い女性二人の、四人組だった。オフィスのドアの前に二手に分かれて立っていた四人組の男女は、近づいてきた三人に向かって恭しくお辞儀をした。
大島は、ドアの隣に立っていた長身の茶髪の男性の肩をポンポンと叩いて、「ご苦労、ご苦労」と言ってからマリーノの方に向き直して、
「この四人は、うちのラボの、前途有望な若手諸君です。こちらから順に、岡本クン、森山クン、坂本サン、今宮サンです。」
と、一人一人をマリーノに紹介した。その後、マリーノも、「マリーノです。トシの親友です。ヨロシク。」と言って、四人に向かって、軽く頭を下げた。
一行は、オフィスのドアをくぐり、いくつかの部屋を通り抜け、奥にある応接間に辿り着いた。すでに照明は付いており、部屋の中央に置かれた長方形の大きなテーブルの上には、豪勢な料理が、所狭しと準備されていた。
「ちょうど、お腹が減っていたんダヨ。アリガトウ。」
マリーノはそう言うと、迷う様子もなく中央の席に、どっかりと腰を下ろした。その後、大島と田中がそれぞれマリーノの両隣の席に着き、四人の若い男女は、彼らと向かい側の席に着いた。
「アンソニーは、寿司が大好物だったよね。だから、一流の職人に握らせたものを、準備しておいたんだ。この中トロなんか、一貫で数千円はするんだぜ。ああ、あと日本酒も色々な銘柄を準備しておきました。この『零響』なんか、一本で三十万円はくだらないかな。」
まるで、すべてが自分の手柄であるかのように、豪華な食材を順々に紹介しはじめた大島に対して、見るからに上機嫌になったマリーノは、
「いつもアリガトウ。トシに任せておけば、間違いはナイと信じているヨ。」
と、媚びるようなことを言った。七人は日本酒で乾杯をして、しばらく豪勢な食事に舌鼓を打った後、再び口を開いた大島に、会話の主導権を委ねた。
「アンソニーは、僕にとって数少ない信頼できる仲間なんだ。彼も、僕の『愛のある世界を作ること』という理念に共感してくれていて、例の『名前を言ってはいけないあの人たち』との闘いに、果敢に立ち向かってくれている。ねえ、アンソニー、僕たちの付き合いは、何年くらいになるだろうか?」
そう言ってマリーノの方を振り向いた大島に、マリーノは天井を見つめながら、
「そうダナ、六、七年くらいジャないか。僕の日本人の嫁さんが、トシとたまたま知り合いデ、仕事の関係で日本にキテいた僕を、彼に紹介シタのが始まりだったカラネ。僕たちはスグに意気投合シテ、ファースト・ネームで呼び合う関係にナッタ。ソウカ、あれからあんなに時間が経つノカ。実に早いモノだ。」
と答えた。大島は、再び弟子の四人の男女の方に振り向いて、
「アンソニーの奥さんは、ある界隈では、かなり影響力のある方なんですよ。僕も、付き合う人は選ぶからね。」
と、ニヤついた顔で言った後、
「さあ、皆さんも遠慮してないで、マリーノ先生に色々質問してくださいよ。こんな機会は、滅多にないのだから。みんなもよくわかっているとは思うけれども、彼は世界中を飛び回っているスーパー・スターで、世の中もオモテもウラも、知り尽くしている。この機会を逃すのは、もったいないよ。」
と、四人を促した。最初にマリーノに向かって話しかけたのは、森山という長身の茶髪の男性だった。森山は、
「マリーノ先生、お話しできて、大変光栄です。私の中では、先生は、『映画の中の人』と言う感じで、雲の上の別世界の人間というイメージを抱いていたので、こうして直にお話しできていることが、夢のようです!」
と勢いよく言った。それを聞いたマリーノが表情を変えずに「うん」と軽く頷いたのを見て、森山はさらに、
「私は子供の頃から『戦場の慈悲』シリーズの大ファンでして、とくに、先生のアクション・シーンに魅了されてきました。先生は、今はもう60歳近いにも関わらず、最近も、ボクシングをテーマにした『カムバック』という作品にもご出演されていて、キレッキレの演技を披露しておられました。その若さの秘密というか、どこからそのようなエネルギーが湧いてくるのか、それをご教示頂ければと思います。」
と言葉を紡いだ。この質問にはマリーノも乗り気だったようで、先ほどの無表情から少し顔を綻ばせて、
「若さの秘訣、デスね?うん、色々あるケレども、やっぱり一番ハ、好奇心を失わないことカナ。森山クン、でしたっけ?あなたが先ほど仰っタように、僕は昨年『カムバック』で、ボクサー役ニモ挑戦しまシタ。これは、僕の何十年ニモ渡るキャリアの中デ、初めての試みデシタ。何歳にナッテもこういう挑戦を続けるコトが、若さの秘訣の一つト言えるデショウ。あと・・・」
マリーノはそう言って、先ほどまで右手に握っていた日本酒用のお猪口をテーブルにゆっくりと置いた。
「あと、もう一ツは、僕は特別かもシレないけど、運動カナ。僕は今でも、アメリカのマスターズのボディビルの大会に出場を続けてイル。そのタメのトレーニングが、僕の若さを保ってくれてイルのかもしれない。」
そこまで言って、マリーノは身に着けていたマリアサンタンジェロの白いシャツの長袖を丁寧にめくると、腕をゆっくりと曲げて、軽く力こぶを作って見せた。
「うわー、すごいですねえ!人間の身体って、鍛えたらこんな風に変化するんだ!」
それを見た森山は、滑稽なくらいに驚きを露わにした。他の大島の弟子たちも、目を見開いて、マリーノの隆起した筋肉に見入っていた。横に座っていた田中だけは、無表情で自分の前方のテーブルを眺めていたが、その反応は概ね、マリーノの期待通りのものだったようで、彼は袖を直しながら、得意そうに前方の四人に向かって、微笑んだ。
「本当に、お若いですねえ。精神だけじゃなくて、肉体も若く保つことが、大切なんですねえ。大変、勉強になりました。ありがとうございますー。」
森山はそう言って、恭しく頭を下げた。一連の成り行きを静かに見守っていた大島は、
「他の人も、遠慮せずに、さあ。」
と促し、その後、マリーノと、大島の弟子との質疑応答が、三十分ほど続いた。酒も回り始めたところで、マリーノは正面に座っていた坂本という小柄な女性を時折指差しながら、自身の隣に座っていた大島に、何やら耳打ちをしはじめた。大島はそれを頷きながら聞いて、森山に視線を向けた。
「森山クン。マリーノ先生と坂本サンを、『ヘブン』にお連れしなさい。」
森山は無表情のまま黙って頷き、隣に座っていた坂本に目配せをした。坂本の顔は突如として真っ青になり、その目にはわずかに、涙が光っているようにも見えた。
四、
「どうした、岡本?そんな難しい顔をして。」
それまでしばらく車内を支配していた沈黙を、田中の野太い声が破った。岡本はハンドルを握る手にギュッと力を込めて、
「いや、なんでもないんです。」
と呟くように答えた。田中は、
「今日のターゲットは、そんなに難しい相手なのか?」
と、岡本に再び問いかけた。岡本からの返答がないことを察すると、田中は「ふう」とため息を吐いて、
「お前から聞いた情報だと、相手は社会人三年目の看護師で、センセイの講演に涙を流して感激していたという話じゃないか。これ以上の狙いやすいターゲットはないというくらいの、逸材じゃないか?」
と軽口を叩いた。それを聞いた岡本の目には、いよいよ不快の色が濃くなって、
「『ターゲット』って、仰りますけど、正直に言うと、僕はそういう勧誘の手法に疑念が湧いているんですよ。」
と、低い声で答えた。これを聞いて、ついさっきまでにこやかだった田中の様相は一変した。田中の口元からは完全に笑みが消え、彼が常用しているブルーのサングラスの越しでさえ、鋭い眼光を自身に向けられていることを、岡本は察知できた。岡本が「ゴクン」と唾を呑み込む間、車内は再び沈黙に支配されていた。
その後、田中は突如として欠伸をして、「うーん」と身体を伸ばした。田中の予想外の動きに意表を突かれた岡本だったが、田中は間髪をいれずに、
「まあ、お前の言いたいことも、わからなくはないよ。」
と、呟いた。驚きを隠しきれなかった岡本は、運転中であるにも関わらず、大きく目を見開いたままで田中の方に振り向こうとしたが、田中の「前、前」と言わんばかりに前方を指さすジェスチャーを見て、再び前方に視線を移した。
「俺も、お前らよりも随分前からセンセイとは関わっているけど、最近は、本当にやる気がなくなっちまったからな。」
岡本の動揺を意に介さず、田中は再び、ため息交じりに話を続けた。
「センセイも、『愛のある世界を作りたい』なんて言い出す前は、半分くらいは価値のある仕事をしようという意思も、あったんじゃねえかって思うんだよ。意識の高い人たちを集めて、何か慈善事業をしよう、みたいなさあ。お前も知っていると思うけど、アフリカの子供たちに飛行機でシリアル食品を届けるプロジェクトも、最初は大真面目でやろうとしてたんだぜ。だが、食品衛生法がどうとかで、目論んでいたように消費期限切れ直前のシリアルを安く譲ってくれるコンビニなんか、ありゃしなかったんだ。そういうことが重なってからだな、見るからにセンセイのやる気がなくなっていったのは。」
岡本はどのようにリアクションすればよいかもわからず、ただ黙って運転を続けていた。田中も、岡本からの返答がないことを気に掛ける様子もなく、話を続けた。
「まあ、結局あれだな、センセイも本を書いてセミナーを開いて、ラボに集客しさえすれば金になるって、わかっちまったもんだから、今はどうやって今の地位を保つかしか、頭にないだろうよ。いや、それすらも、もうどうでもいいのかもな。この間、それとなくラボの収益が落ちている話を振ってみたんだが、すごい剣幕で怒り出してな。この船も、もう泥船なのかもしれねえな、トップが都合の悪い情報を切り捨てているっていうのは。」
岡本も、先ほど「ラボのやり方に疑念が湧いている」とは口にしたものの、自分の上司のような存在であるはずの田中が、こうもあっけらかんと大島やラボに対する疑念を口に出すのを耳にすると、違和感を感じずにはいられなかった。またしても、車内を沈黙が満たしていたが、岡本は勇気を振り絞って、
「泥船、と仰いますが、もしラボがダメになるようなことがあれば、田中さんは何か他にアテがあるんですか?」
と、田中に問いかけた。田中はニヤっと笑って、
「アテか、まあ、俺はどうにでもなるんだよ、それなりに『コレ』も稼いだからな。」
と言いながら、右手の人差し指と親指で、コインのマークを作ってみせた。
「こんなところで何年も過ごしてたら、もうまともな社会には戻れねえよ。お前もわかってるだろうけどな。だから俺は、危ないと思ったら、東南アジアにでも逃げるつもりさ。金さえあれば、なんとかなるだろう。」
田中はそう言ってまた沈黙したが、ほどなく口を開いて、
「そういう意味では、お前らはかわいそうではあるけどな。おっと、変な気は起こすなよ。お前も俺も、センセイやラボと一蓮托生なのは、変わらねえんだ。お前らが変な気を起こして、ラボの寿命が縮むようなことになれば、自分で自分の首を絞めることになるだけだからな。」
と言い、とうとう堪え切れなくなったように、「はっはっは」と高笑いをした。岡本は不愉快に感じたが、何が不愉快なのか、それを言語化することができそうになかった。田中はまだ話し足りないようで、いつになく饒舌に語り続けた。
「そういえばこの間、お前もマリーノさんと会食しただろう?有名人を金でたぶらかして自分の味方につけて、自分の権威を保つために利用するのは、センセイの得意技の一つなんだ。騙されちゃいけねえよ。マリーノさんだって、もうとっくに俳優としてのピークは過ぎてるし、この間も話してた『カムバック』だったっけな、あの作品も鳴かず飛ばずで、もう一年以上、映画に出ちゃいないんだ。おまけに何年か前に不倫騒動まであって、奥さんと離婚調停で揉めてるみたいだから、今の彼からしたら、喉から手が出るほど金が欲しいんだろう。センセイが目をつける有名人は、十中八九、そんな感じの連中さ。」
岡本もその席に参加したことをよく覚えていたので、この田中の、暴露とも言える発言に、強い衝撃を受けた。
「えっ、でも、あの時は六、七年来の付き合いだって、仰ってましたけど?」
この岡本の率直な疑問に、田中は以下のように答えた。
「あんなものは、口裏を合わせたに決まってるじゃねえか。ひょっとしたら、六、七年前に、本当に名刺交換くらいはする機会があったのかもしれねえけどな。『ファーストネームで呼び合う関係』だっけか、ふっ、笑っちまうけど、少なくともそんなに長く親密な付き合いがあるなら、お前も、もうラボに二年はいるんだから、さすがに初対面ってことはないはずだろう?」
岡本は、会食の時の、田中の何事に対しても無感動だった態度を思い出して、急にすべてが腑に落ちた気がした。会食の前に、大島からは「大切なお客さんだから、君の最近の頑張りを評価して、特別に招待するよ」と言われていて、その言葉に少なからず感動も覚えたのだが、急に目が覚めたような気がした。
「そういえば、俺はそもそも、ラボにどのくらいの人数が所属しているのかさえ、知らないんじゃないんだろうか?」
そういう疑念が急に脳裏をかすめて、全身に鳥肌が立った。田中は、横に座っている岡本のそんな心境を知ってか知らずか、
「そういえばお前、『ヘブン』って何かわかっているのか?」
と、問いかけてきた。岡本が首を横に振ると、田中は吐き捨てるように、
「ヤリ部屋だよ。ひょっとしたら、ヤクも使ってるかもしれねえな。」
と言った。薄々感づいてはいたが、こうもあっさりと事実を認められると、ショックとしか言いようがなかった。田中はさらに、
「お前が思っている以上に、終わってんだよ。何もかもな。」
と、投げやりな態度で言った。田中のその言葉の余韻は、岡本の中に、いつまでも留まり続けた。
「今日の勧誘は、ダメかもしれない。」
そのようなことを考えながら、岡本は、ただひたすらに車を走らせ続けた。




