第五話 一日だってきみを忘れない
時は流れ、再び二年のハル第一月、花見会場。
アリスはコリンに打ち明けた。ブラッドとの出会い。尊敬していたのに、不信感を抱くようになり、距離を取る決意をしたこと。黒いサイコロとブラッドの夢の話は伏せた。
コリンは頷いてから、目を細めた。
「大変だったね」
目は笑っているように見えるが、どこか寂しそうだ。
アリスは水筒の紅茶を飲んだ。すっかり冷めて苦い。けれど二人で取って来た花見グルメは、ほとんど食べきっていた。
「私の性格が悪いのかな? ブラッドに恩があるのに、いきなり距離を取ったりして」
「ブラッドと話せないのがつらい? 無視してるみたいでつらい?」
「後者かな。私に落ち度があったんじゃないかって、今でもふと考えてしまうの」
花見終了のアナウンスが聞こえてきた。二人は立ち上がり、片付けを始めた。
「良かったら、これからはぼくと行動しない? 友達にも紹介するよ」
「ありがとう……三人目はお友達から探せばいいよね?」
アリスは手提げかばんをコリンに手渡す。中には彼の弟妹に送るお土産が入っている。
「ありがとう。かばん、明日返すね」
「いつでも大丈夫だよ」
「アリスがそこまで思いつめていたのに、ブラッドに遠慮しちゃってた。二人きりの時とみんなの前で態度を変えられたら、ぼくだって混乱しちゃうな」
「本当? コリンでもそう思う?」
「あっはは、買い被りだよ。寮まで送っていくね」
「コリン、背中に花びらついてる。取ってもいい?」
「うん」
アリスは、ちょんとサクラの花びらをつまむと、手のひらに乗せてコリンに見せた。
「アリスのブラウスの色だ」
身長165センチのコリンは、ブラッドに比べれば小柄に見える。しかし、シャツやニットベストに隠れた背中や腕は、アリスとは明らかに違う。アリスは兄ができたような頼もしさを感じたのだった。
翌週の月曜日、三人の生徒が、校内新聞の一面を飾った。
【パートナー解消!? 大人気カップル ブラッド&アリス コリン&アリスへ】
ブラッド&アリスは恋人同士ではなく、ただのパートナー。
アリスは既にコリンを班に入れ、ブラッドを誘う予定はない。
記事にはそう書かれていた。サクラの下、同じ敷物に仲良く座るコリン&アリスの写真と、男女数名に囲まれているブラッドの写真が掲載されている。
「アリス、おはよう」
「コリン……巻き込んでごめんね」
アリスは掲示された新聞を前に立ち尽くしていた。
コリンは屈託なく笑う。
「よく撮れてるじゃないか。そんなことより、大事なのは三人目だよ」
「実は誘いたい人、思い出したの。新聞のおかげ」
二人は自分たちの机にカバンを置くと、教室の真ん中あたりの席に座っている女子に声をかけた。
「ドナさん、お話いいかしら?」
「あら、アリスさん。新聞のこと?」
新聞部のドナ。記事を書いた張本人である。眼鏡の奥の瞳は橙、肌は小麦色で、身長は170センチと発育が良く、短めのスカートから伸びた美脚を、黒いタイツと三つ折り靴下で隠している。
コリンとアリスの視線を受け、ドナは眼鏡をかけ直す。
「言っておきますけど、新聞部が生徒の記事を書くことは、正統に認められた権利なのよ」
「植物育成学、良かったら私たちの班に入ってくれませんか?」
「はい?」
アリスは前のめりになって続けた。
「ずっと言えなかったんだけど、あなたのファンなの。一年生の時、新聞で連載してましたよね? 体育祭の時、声かけてくれたのに、ずっと機会を逃してしまって」
「本当、変わった人」
冴えない文学少女だったドナは、二年生から大幅な見た目改革をし、小説執筆にも意欲的だった。しかし、編集長が代替わりしたことで紙面の編集方針も大きく変わった。
――とびきりのネタを持ってくれば、読切小説くらいなら掲載してやる。
編集長の言葉を信じ、ドナは仕方なくあの記事を書いたのだ。
「いいけど、またあなたの記事を書いてもいい?」
「続きを読ませてくれるなら」
「乗った」
「それじゃ、掲示板に書いてこようか」と言ったコリンも、清々しい顔をしていた。
昨年と同じく、班が決まった生徒は、植物育成学の班一覧に記名する。その間、アリスはブラッドの名前を探さないようにした。
(私は私。ブラッドとは別の道を行くの)
寮の自室で、アリスは明日着るブラウスや靴下を選んでいた。元から格好にはこだわりが強い方だが、明日が来るのが楽しみだと、選ぶ楽しみも倍増する。
コリンとドナから友達を紹介され、交遊関係が一気に広がった。アリスと趣味が似ていて、雰囲気や温度感も近く、すぐに打ち解けた。
ブラッドの取り巻きたちも気のいい連中ではあるのだが、生まれ持った性質の差なのか、相容れなさも感じていた。
部屋の黒電話が鳴る。慌てて受話器を上げた。
「アリスさん、私の部屋に来てください」
声の主は、寮母だった。
「すぐ行きます」
パーカーの前を閉め、フードを被ってから下に降りた。
(何だろう。もう寝間着に着替えちゃったのに……)
ノックをして、寮母の返事がしてから入る。
「お客様です」
そこから裏口に通された。扉がひとりでに観音開きになると、裏庭に出た。風に草がざわめく。
「うす……」
アリスの体は正直だった。寮の中に戻ろうとすると、ブラッドに腕をつかまれた。
声が出ない。アリスは腕を掴まれたまま、その場にへたりこんだ。
「うわっ、なんだ!?」
音もなく、ブラッドを背後から取り押さえたのは寮母だった。ここは魔術学校だが、寮母は高性能のアンドロイドなのだ。いつもはおせっかいな貴婦人としてくだけた会話も出来るのだが、たった今、護衛様式に切り替わろうとしている。
「アリスさん、大丈夫ですか? 門限前ですし、面会場所は寮のすぐ外、ゾナフォーク家の三男様だとお聞きし、面会を許可したのですが、危険だったようですね。このまま排除しますか?」
「あ、えっと……」
ようやく声が出た。
「彼は、私の友達です。ごめんなさい。ちょっとびっくりして。離してあげてください」
「承知いたしました。また危険信号を受信した場合、出入り禁止名簿に登録します」
寮母は建物内に戻った。
「大丈夫?」
「強ぇな……」
吐息多めのブラッドの苦笑い。好戦的な様子は感じられない。
「ケガしてない?」
「平気だ」
ブラッドは上下揃いの黒い部屋着に身を包んでいた。手足が長いにもかかわらず、余った生地が作り出す絶妙な体の線。彼のために誂えたものだと分かった。いつかの黒い羊毛帽を目深にかぶり、赤髪を隠していた。
「私に用事?」
「明日の放課後、時間作ってくれ。実験室でいいか?」
「わかった」
「じゃ、行くわ」
何を言われるのか、想像がつかない。ブラッドの前で、また嫌な人間になるのもつらい。
けれど、ケガを負わせたいだなんて思っていなかった。人目を忍んでまで会いに来てくれたのに、話も聞かずに逃げるのは良くなかったとアリスは反省していた。
建物に戻ろうとすると、コツンとつま先に何かが当たった。デザインは違うが、ブラッドに作り方を教えた、あのお守りだった。
(返した方がいいよね? 学校で着けてるところ、一回も見たことなかったけど、まだ持ってたんだ? ブラッドは器用だから、すぐに上達したんだよね)
夕闇空に向けて、アリスはお守りをシャカシャカと振った。
翌日の放課後、実験室には四人の生徒が集まった。
最後に来たブラッドが眉をひそめる。
「なんで、二人もいんの?」
「何かまずかった?」
アリスは、コリンとドナにも立ち会いを頼んでいた。
「植物育成学の話だと思ったから」
アリスはいつも持ち歩いている文房具入れから、お守りを取り出す。
昨夜ブラッドが落としたと思われるスノードーム型のお守り。封入は少なく、よく見ると植物の種だとわかった。
薄くほほ笑む。
「フランをスノードームに入れてあげたんだね」
アリスは両手のひらに乗せて、ブラッドに差し出した。
植物育成学で咲かせた花はフユ第三月に咲き、ハル第一月が来る前には消えてしまう。種は残るが、全く同じ花をもう一度咲かせることは不可能に近い。
ブラッドはそれを受け取らずに、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「それはアリスに渡すつもりで作ったんだ。種はまだある。持っといてくれ」
作った? コリンとドナは、ぴくっと反応した。
「こんなに大事な物、受け取れないよ」
「俺を班に入れてほしい」
「他の人を誘って」
アリスは実験用の長机に、そっとお守りを置いた。
彼女の部屋にも、フランが残した種が保管されている。一日だって忘れたことは無かった。子ども、友達、ペット――どれとも違う。何にも代えられない存在だった。
即答するアリスの後ろに控えていたコリンとドナは、顔を見合わせる。
「アリスさんならまだしも、大賞を狙いたいなら、私たちは邪魔なんじゃない? 私はいいわよ、今から別の人と組んでも」
ブラッドは安堵の表情を浮かべる。けれど、アリスはツインテールを横にぶんぶん振った。
「私は、コリンとドナがいい」
「わかんねぇんだけど……ずっと、何に怒ってんの? とりあえず、謝るから――」
「どうして私にこだわるの? 自我がなくて扱いやすいから?」
アリスの声は落ち着いていた。それは責めるでもなく、皮肉でもない、純粋な疑問。
「じゃあ言うけど、俺がいなくて平気なのかよ」
「きっとブラッドは、いろんな人に誘われて選ぶのも、断るのも大変だよね? ブラッドは元から才能があるけど、努力もしてる。だから、みんな憧れちゃうの。私も、応援したいよ」
「そう思ってるなら――」
「違う班でも応援してる。ブラッドは最初にできた友達だから」
ブラッドはたまらず、実験室のイスにどかっと座った。腕を組んで、特大のため息をついて項垂れる。
「そういうことだから、話は終わりでいい? ブラッドなら、きっといい人が見つかるよ」
ブラッドに背を向け、二人に目配せした。気持ちが揺らぐ前にここからいなくなりたい。
「好きだ」
絞り出すようにブラッドが言った。
「結婚を前提に俺と付き合ってほしい。その上で俺を班に入れてくれないか?」




