第3話 家族
リア視点
ふぅ、と細く息を吐いて、私は考え込むクーに近寄った。
一歩、二歩、距離を詰める度、呼吸が浅くなり、鼓動が間隔を狭める。
……私、いま緊張しているのね。
「……ねえ、クー。私の家族になってくれないかしら」
何度か瞬きした後、私の発言を理解したのだろう、クーの目が大きく見開かれた。
「…………話、飛んでない?」
「飛んでないわ。私は世界を渡る者。クーを日本に転移させることは簡単だけど、このままだと『その後』に責任が持てないのよ」
「普通に日本で暮らすっていうのはダメなの?」
「あなたの真っ赤な髪じゃとっっても目立つわよ。魔法で偽装するにしても、あちらの世界には魔力が極僅かしかないもの。すぐに魔力が切れてしまうわ」
「ゔ」
呻いたクーに苦笑する。
「私が一緒にいって手助けしたとしても、精々十年もあれば、私は次の世界に渡るわ。私が居なくなった後、一人で髪や目をごまかせる?」
「……偽装魔法なんて使ったことないし……たぶん、むり……」
しょんぼりしている彼女に少し胸が痛む。……ま、クーに偽装技術がないことも分かった上で、付け込もうとしているのは私だけど。
「そこで、家族よ。私と同じような存在になって、私の旅に着いてきてくれるなら、私は最大限あなたの望みを叶えるわ」
「わかった。なる」
……誘いをかけた私が言うのもなんだけど、躊躇いがなさすぎるんじゃないかしら。
「即答ね……。友達とかは?」
「ずっとボッチだったから。居ないよ」
家族については分かり切っているので聞かない。ほんの少しの関わりだったけれど、立場上「お父様」と呼んでいるだけでアレをなんとも思っていないのは表情から分かる。
……そういえば、かつて関わったあの少年の子孫。最初に来たときに感知したのはクーの兄とされている青年のことだった。
まだ結界越しに喚いている侯爵夫妻も、あの子の血は流れている。そうとは思えない腐り具合だけど、魔法は確かだ。
でも、クーは違う。侯爵夫妻との血の繋がりが一切ない。本人はまだ知らないようだけど……家族と思えないと言い切れるのは、それを本能的に察知しているのもあるのかしらね。
「……リア?」
「ごめんなさい、少し考え込んでいたわ。後は……この世界に手放したくない大切な物はある? 他にも定期的に食べたくなるものとか、未練になるものはなるべく教えてほしいわ」
「大切なものは……杖と、このバレッタぐらいかな。あ、今までリアにもらったお菓子のリボンとかを保管してある箱も、できれば持っていきたいかも」
「ではそれを取りに行きましょう。他には?」
「他にはないかな。食事は気を遣うことが多くて大変って印象が強くて味が記憶に残ってないし……。……あの、前世なら好きなものも大切な物もたくさんあったからね?」
あんまりな言葉にクーの部屋に向かう歩みが思わず止まる。つい眉をひそめると「そんな顔しないで」と苦笑された。それは私の台詞だと思うのだけど??
ああもう、日本人というのはこれだから……すぐ我慢しすぎて感覚を麻痺させてしまうの、本当によくないわよ。
「……日本に行ったら、その辺りの物も取りに行きましょう」
「え、いやそれ前世のわたしの遺品って扱いされてるんじゃ」
「私の女神パワーをなめないでくれるかしら?」
元々クーの前世の家族には会いに行って彼女が生まれ変わったことを懇切丁寧に説明するつもりだった。それに私物回収が加わっただけ、なんの問題もない。
さて、部屋についたわね。
「すぐ取ってくるから待ってて」
「ええ」
廊下で待つのも面倒な事になりそうなので私も入れてもらう。あ、結界張っておこうかしら。
「準備できたよ」
「じゃあ、儀式を……」
始めましょう、と言いかけて。
ドンドンドン!
「クーアティア!開けなさい!」
さっきぶりの声にふたりで顔を見合わせる。そういえば侯爵は拘束してなかったわね。
「……儀式をするにはここはうるさいわね。私の隠れ家に行きましょう」
「うん」
クーの手を握って、私は呪文を唱える。無詠唱でも魔法は使えるけれど、魔法は結構好きらしい彼女へのサービスだ。
「【風よ、私の呼びかけに応えし疾風よ、私と彼女を秘密の隠れ家へ運んでおくれ】」
ざあっと不自然な風が吹いて、目を閉じる。
風の音が止んだ後、もう一度目を開けば、私の作ったプレハブ小屋が目の前にあった。
「なっつかし……」
「ふふ、でしょう? こっちよ」
繋いだままの手を引いて中に入ると、居心地の良さそうなリビングが私たちを出迎える。そのままソファの後ろを通って奥の扉を開けると、クーが「あれ?」と首を傾げた。
「空間拡張が掛けてあるから、中は結構広いわよ」
「え、すご」
「護りもばっちりだから安心して?」
クーの元に通う合間に作った仮の隠れ家だけど、この世界のぬるい魔法では絶対に突破できない程度の守りはつけてある。
廊下を抜けて前々から儀式の準備をしていた部屋に案内すると、クーはまず魔法陣に意識を惹かれたようだった。
「早速儀式をしましょうか。この陣の中に入って。魔力を流してくれる? 半分ぐらい」
「……このぐらい?」
「ええ、完璧。あ、そうだ。妹と娘、どっちがいい?」
「それは実質妹一択じゃ……?」
「了解。じゃあ、これからは姉さんって呼んでくれる?」
「ん、リア姉さん」
「……いいわね」
素直な妹がとっても可愛い。かみしめる私にクーは少し呆れた顔をしたけど、何も言わずに私が落ち着くのを待ってくれた。
「後は呪文を唱えるだけだけど……本当に、いいのね?」
「もちろん」
迷いなく頷いたクーに、なんだか逃げ道を用意した私が馬鹿みたいね、と少し笑って。
唱えるべき呪文と注意事項を告げ、全てきちんと彼女の頭に叩き込まれたことを確認してから、アイドリング状態だった魔法陣に最後のパスを通して起動させた。
「【我が名は"記憶"の神・アンリーア。これより眷族化の儀を執り行う】」
「【眷族と成りし娘の名は、クーアティア・フレア】」
「【今この時より、"記憶"の神の一の妹となる女神の名前である】」
「【我が魂は姉たる神・アンリーアに全て委ねると誓う。死に別たれることがないように】」
「「【世界よ、神々よ。新たなる眷族の誕生を祝福し、女神に加護を与え給え】」」
最後まで唱え終わると、魔法陣の光が爆発し、クーの体を包み込む。
数秒の間を置き、光が晴れるとふらりとクーの体がカーペットに倒れ込んだ。こうなると分かっていたから、衝撃を吸収するような厚い布地に陣を描いたのだけど……今、いい音したわね……。足りなかったかしら。
丸一日はこのまま魔法陣の上に寝かせておかないといけないし、動かせるようになってもその倍は眠り続ける。この術はそういう仕様だ。
ちょっと名残惜しいけれど……空調の温度を高めに設定して、私は部屋を出た。
補足コーナー
【儀式】
リアが神としての力を用いて作った秘法。肉体と精神を作り替え、神の眷族として永遠を生きられる体にする。何百年と生きても精神を病まないように、決して老いず、多少のことでは死なない頑丈な体を得られるように。
不老ではあるが不死ではない。代わりに死亡した時は瞬時に魂がリアの手元に転移するように術式が組まれている。契約したら絶対に逃がさない、離さない。