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愛も罪も  作者: 銀花。
13/18

第十三章 沈溺の賽



         1




「え?」


 悠は朝の身支度を済ませ、机の上で学生鞄に教科書を詰め込んでいる所だった。


 a2の無謀な言葉に驚き、動かしていた手を止めて、ベッドへと視線を向けた。a2は上半身を起こし平然としてベッドに凭れている。


「もう熱もない、平気だ」


 腹部の上に両手を置き、視線を下ろし涼し気な顔をしている。今日ここを出て行くという。だが、その胸部にはコルセットを装着しており、動く度に痛みが走り、苦痛に顔を歪めている事を悠は知っている。そんな体で帰してもいいものか、素直に別れの言葉を交わす気にはなれなかった。


「そんな体で無理だよ」


「鎮痛剤を所持している。大丈夫だ」


「まだ完全じゃないじゃん。無理しない方がいいよ。それに病院にも行った方がいいと思うし」


「判ってる。心配無い。世話になったな」


 引き止める悠を真っ直ぐに見つめる。その眼にはもうここを出て行く事を決意している光が、はっきりと浮かび上がっていた。それでa2の意思の強さが悠にも伝わり、ここに引き止める事は出来そうもないと感じた。


「そっか…。なんだか寂しくなるね。せっかく知り合えたのに残念」


 悠は再び、力無くその手を動かし始めた。


 a2がこの部屋に来てから四日目の朝を迎えていた。その間コミニュケーションを計ろうと接してきたが、a2は多くを語ろうとはしなかった。この数日間で知っている事といえば、名前が住田要という事、胸部と右手の指を怪我している事の二つだけだ。


 自分の事は何も話さず、こちらから訊こうとすれば、これ以上詮索するなとばかりに威圧した空気を漂わし心を閉ざす。その美しく澄んだ瞳を冷淡な光に塗り替えた。きっと他人には言えない何かを抱えているのだろうと察して、悠もそれ以上踏み込んだ会話をする事が出来なかった。


 それでもこれで別れるとなると寂しさを感じる。それでこれからも連絡を取って、たまに会えないだろうかと考えた。


「LINEの交換しない?」


 思いもよらぬその言葉にa2は驚き、彼の顔を見据えた。


「断る」


 言葉と共に顔を背け俯く。サラサラとした髪が顔を覆いa2の表情を隠した。


「どうして?」


 その言葉に不服を抱き、悠はベッドの横へと跪き、a2の顔を見据えた。


「無駄だ。私の事など直ぐに忘れる」


 a2は悠にたじろぎもせず、視線を伏せたまま合わせようとはしない。


「そんな事ないよ! 4日も同じ部屋で過ごしたんだ。そんな簡単に忘れるわけ無いじゃない。それに住田さんの体の事も気になるし。別に恩を着せるわけじゃ無いけど、オレにだって怪我の経過を知る権利はあると思うよ。たまに会って話すくらい良いだろ?」


 悠はa2の脚に手を置きその手に力を込めた。


「………」


 悠の顔を直視する事は出来ないが、その強い口調と注がれる眼差しから、悠の思いがa2にも伝わった。



 どうせ記憶を失うならば、結果としては同じ事…。



 しつこい悠に屈してそう考え直すと、ここは軽く受け流す事とした。


「判った」


 a2が承諾すると、悠はスマートフォンを持ったが、a2は携帯電話を持っていないと言ったので紙とペンを差し出した。そしてお互いの連絡先を交換した。 そこにはa2のパソコンのアドレスが書いてあった。


「メールするよ」


 悠は屈託のない笑顔を向けた。


 そして時間を気にすると、鞄を持ってドアへと歩み寄り、ノブを掴むとa2に向き直る。


「もう時間が無いから行くけど、住田さんはゆっくりしてっていいから。ちゃんと病院に行ってね。じゃあ、元気でね!」


 明るく言って手を振り部屋を出て行った。


 何も疑わず真っ直ぐな視線で自分の体を心配してくれる悠に、少し後ろめたさを感じた。


 a2は心の中に小さな感情が芽生えている事に気づく。だがその感情はa2にとって邪魔な感情であり、この先の事を考えると認める訳にはいかなかった。それで平常心を保つ為、その感情を直ぐに掻き消した。


「…直ぐに去るべきだった」


 俯くa2の眼差しには重く沈んだ鈍い光が漂っていた。




           2



「よぉ、お早う!」


 家を出て暫くすると、何時ものように前を歩いている理奈に声をかけた。


 その声に体を硬直させ理奈が立ち止まる。そして様子を窺うように、横目で悠の顔を見た。悠は何時もと変わらぬ様子で平然としている。


「…おはよ」


 理奈はどういった態度を取って良いのか判らず、悠の目を見る事が出来ず、ぎこちなく挨拶した。


 悠の後ろ姿を見て昨日の出来事を思い出す。


 何故、突然あんなにも強く抱き締められたのか。何故、何も言わずに去ってしまったのか…。何時もとは違う悠の様子に驚いて戸惑い、そして抱き締められた瞬間、少しでも心地好いと思ってしまった自分に、恥ずかしさを感じていた。その事が頭の中で整理出来ず、悠に対してどう接して良いのか困惑していた。


 理奈より三歩先を歩いていた悠が振り返って声を掛ける。


「あ、家にいた怪我人、住田さんって言うんだけど、今日出て行く事になったよ」


「えっ…?」


 話が唐突で理奈は反応する事が出来ない。


 悠は理奈が横に並ぶのを待つと、歩調を合わせて構わず話を続けた。


「まだ怪我が完治してないんだよな。それなのに出て行くって、大丈夫なのかなあの人? 心配なんだよね、ちゃんと病院に行ってくれるといいんだけど」


「………」


 昨日の事には触れず、淡々と話している悠に、理奈は言葉も返せず、ただ表情から悠の心情を読み取ろうと見つめていた。


「その人さ、変わった人で、要らない感情は持たないんだってさ。すごくキレイな顔をしてて、でも無表情なんだ。いつも冷静な顔して、多くは語らないんだよね。なんだか人形みたいだよな」


「あ……」


 理奈が足を止め小さく声を出す。


「ん?」


「あたしもそんな人知ってる…。ほら、前に話したでしょ? ディスポウザーって言って、赤い糸の始末をする人。その人もね、髪の毛サラサラで整った顔をしてるの。だけど無愛想っていうか、素っ気無いっていうか、人に関心無さそうで冷めてるんだよね…」


「もしかして、その人だったりして」


「まさか…ね」


 話に載ってきて、やっと何時もの理奈に戻り、悠は安堵して会話を続けた。


 悠も昨日の出来事に全く無視をしていた訳ではなく、理奈と同様にどう接して良いのか不安に思っていた。だが自分でもあの時取った行動が何だったのか説明する事が出来ない限り、それを理奈に伝えるのは非常に難しい事で、逆に何も無かった様に、何時も通りに接した方がお互い楽なのではないかと考えて、敢えて何も触れなかった。だからといってこのまま有耶無耶にするつもりも無く、自分の気持ちが見えた時に、理奈にそれを告げるつもりでいる。


 悠はその選択が正しい事を信じ、理奈と以前通りに振る舞い、心の距離を修復するのに努めた。




            3




 何の感情も抱かず、ただ、モノを斬る事にだけ集中して、冷たく冴えた光を宙に踊らせ、見事な手捌きで粉砕する。その瞬間の恍惚とした空気の中に、愚劣と虚無を垣間見て顔を背けた。


 鋼がチップへと変形しケースに収められると、突如体が地へと吸い込まれて行くのを感じ、その反動で体がそれを拒否し足が空を蹴る。


 頭の中の映像が溶けて消えて行く。


 軈て意識は鮮明になりゆっくりと目を開いた。


 それが夢だと気づき深く息を吐き目を閉じる。虚脱感からか一斉に毛穴から汗が吹き出した。


「………」


 上体を起こし、左の掌で頭を抱える様に汗を拭い、その手を布団の中へ潜り込ませると、スウェットのポケットから白いカプセルを二錠出す。それを口に放り込みペットボトルの水を流し込んだ。


 自分の部屋へと戻る為、痛みに耐えられる様、鎮痛剤を服用する。


 胸部の痛みを堪えて立ち上がると、壁に掛けてある、黒く光沢のある上着を取りに行く。多くをベッドの上で過ごしていた為、体の重心が何処にあるのか定まらないみたいに、歩くのにふらついてしまう。


 悠に借りていたスウェットから何時も着用している自分の服に着替えて、久々に上着を身に纏い、出窓に置いていたゴーグルを首に掛けると、ガラス戸を開けてベランダへと立つ。


 悠が学校へ向かった後、a2は再び浅い眠りに就き、目覚めた時には陽が高い位置へと上昇していた。


 他人の部屋から眺める見慣れぬ風景に違和感を感じながらも、澄んだ空気に気を和ます。数日室内に籠もっていた間に風は随分と冷たくなっていた。その髪を撫でる風や、久々に身に受ける空気が、肌に心地好かった。そして目を閉じて大きく深呼吸する。


「……っ!」


 酸素を吸い込み切らない内に胸の痛みによって呼吸を止めた。左手で胸を押さえて体を縮める。そして胸に負担を掛けない様にゆっくりと息を吐き出した。


「やはり一度戻らねばならないか…」


 食事は一日に二食取るか取らないかといった状態で、体を動かしていなかった事もあり、体力がかなり落ちていた。一度医療部に戻って検査をし、少し休息してから任務に臨んだ方が良さそうだ。


 戻った後の周囲の反応を予測してa2は渋面する。結局は醜態を晒す事となる。それは避けられそうに無い。念わず鼻から小さく息を吐いた。


 ガラス戸を閉め部屋へと向き直り全体を見回した。ここには四日しか居なかったが、何故だか少し名残惜しくも思えた。


「全く…掻き乱された数日だったな」


 僅かに口元に笑みを浮かべると、ゆっくりとドアへと向かいその部屋を後にした。




         4




 理奈と美都は昼食後、何時ものように自動販売機で温かいココアを買い、ベンチに座って雑談していた。


「へぇ、そんな事があったんだ?」


「そう。なのにハルったら、その事について何も言わないんだよ。まるで何も無かったように平然としてるんだから。何考えてるのか全く判らない!」


 理奈は不服とばかりに頬を膨らませ唇を尖らせる。


 美都は理奈のその言葉に驚いて目を見開き凝視した。


「えっ? 判んないの?」


「?」


 美都が何故驚いた顔をしているのか理奈は疑問に思う。


「ねぇ、本当に判んないの?」


「なにが?」


 怪訝な顔をしてこっちを見ている理奈の様子から察して、本当に悠の気持ちが判っていないらしい。美都はそんな理奈に呆れて頭を抱えた。


 聞いた話から推測して、どう考えても嫉妬から出た行為だと感じられる。それを全く判らないとは、なんて鈍い神経をしているのだろうかと腹立たしくも思えた。


 悠は家教の話をする理奈に嫉妬し、居た堪れなくなって抱き締めた。だが今迄通りに接する事が得策だと思い、平然とした態度を取ったのであろう。それは悠の優しさだと感じても良いのではないだろうか。それを全く感じ取れないとは、これでは悠が余りにも気の毒だ。これは二人の為にも、理奈にその事を教えてあげた方が良いのではないかと考えた。だが余計なお世話とも思え、悠が自分の口から理奈に想いを伝える事、また理奈が自分で悠の想いに気づく事が大切なのだと思い直し、余計な口出しはしない事にした。


「灯台下暗しって言うけど、近すぎると本当に見えないものなのね」


 悟った口調の美都に、バカにされた気がして、理奈は不愉快に感じた。


「何、それどういう意味?」


「手の届かない人を想い続けるより、もっと現実的に近くにいる人を見なさいって言ってるの!」


 ジュリアンに熱を上げる美都が言っても全く説得力も無いが…。


 理奈は空を睨みつけ、美都の言葉に暫し考えを巡らせる。そしてその言葉に一人の男性の顔が浮かんだ。


「何、もしかして武田の事言ってんの? 確かに眼鏡が無かったら結構イケてるとは思うけど。やめてよ、あれはもう終わった事なんだから。今更どうこう言わないでよ!」


 理奈は美都の肩を軽く押し、顔を背けて苦笑いした。


 押されて美都は、ココアを零さない様に揺れに合わせてカップを慎重に持ち直し、理奈をじっと睨んだ。


「………」


 遠回しな言い方では鈍感な理奈には伝わらない。美都は再び呆れて、この居た堪れない思いに、態と音を立ててココアを啜ってみせる。


「ねぇ、それより聞いて! あたし、麻生さんに一緒にいた彼女の事を訊いてみたの。そしたら、元カノだけど今は何とも思ってないって。たまたま偶然に会っただけだったんだ。もう、要らない心配して損しちゃったよ!

 ねぇ、努力したら、あたしの想いが報われると思う?」


 理奈は目を輝かせて嬉しそうに顔を近づけ、興奮して持っていたカップのココアをチャプチャプと揺らす。


「ちょっと、零さないでよ! 精々望みを持って頑張りなさい」


「にへへ…」


 理奈が妙な笑い声を出してニヤけた。


 悠に同情している美都は素っ気無く言うと正面を向き、両手でカップを包み込む様に持ち、その手を温める。


 美都の冷めた反応に理奈は寂しく感じた。友達ならここで激励の一つでもくれても良いのではないだろうか。しかし芳朗の事を勧める美都にはそれが出来ないのかもしれない。できれば裕弥との事を応援して欲しかったのだが、美都にそれを催促するのは難しそうだと読み、諦めた。


 美都の言葉を勘違いして受け取っている理奈には、美都の本当の心情を読む事が出来ずにいた。


 理奈は肩透かしを食らった気がして、正面を向き直し、肩を竦めてココアを口にした。





           5





 決断を下す時が近づいていた。理奈の気持ちとは全く無関係に、選択によって永遠の別れをしなければならない。失う事がどんなに辛いのかさえも知らされないまま、日常へと溶け込んで行くのだ。


 今はまるで、暗くて深い水の中を、小さな泡を立てながらゆらゆらと沈んで行く賽の如く、その者達の運命が静かにその時を待っていた。






           ✲            ✳            ✶




 土曜日。



 今月、短期大学の推薦入試を受ける事となった理奈。入試の内容が書類審査、小論文、面接となっていて、学力試験が無い事で少しだけ安堵できた。勿論成績を下げない様にこれからも勉強を頑張るつもりではいる。が、少しなら許されるだろうと、昼食を終え、暇を持て余していた理奈は、部屋でベッドに寝転び、占い雑誌を捲っていた。


 足をバタつかせながら鼻歌を歌っていると、部屋の隅から冷たい空気が入って来る気がして後ろを振り向く。


 理奈は驚き表情が固まる。


 そこには初めて見た時と同じ、黒ずくめの出で立ちで、ドアの前に立っているa2の姿があった。


 冷艶な光を瞳に浮かべながら、鋭い視線を真っ直ぐに理奈へと向けている。美しく潤いのあるその唇は、理奈にとって非情な言葉を齎す。


「待たせたな。さぁ、答えを聞かせてもらおうか」




 悠の部屋を去ってから四日後の事だった。






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