告げる(羽鳥弘夢×鷲巣祐太郎)
本編の1年後のお話です。
この2人のカップリングは認めない! という方はお読みにならないほうがよいと思います。
「……すきです」
「え……?」
放課後、わたしと先生が2人になったのは本当に偶然だった。
この春から鷲巣先生は学級担任を持つことになって、1年生の学年所属になった。必然的に受け持ちの授業は1年生が中心で、わたしたち3年生の授業に来ることはなくなった。よっぽど会おうと頑張るか、偶然がない限り、ほとんど顔を顔を会わせる機会はない。それでも、わたしのことをまだ気にかけてくれているらしく、廊下で会えば立ち話をするし、ライブ会場で会えば雑談をし、ライブ後はいつかのように最寄り駅まで送ってくれる。
だけど、それが何となく嬉しくて、受け入れてしまっていたのがよくなかったらしい。いつの間にか、わたしは先生のことを好きになってしまっていた。先生にとって、生徒は対象外だってことは重々承知している。この気持ちが、きっと迷惑だってこともわかってる。
だけど、あんな風に会うたび優しい言葉をかけられて、からかうように触れられて、そして学校とは違う、無邪気な顔まで見せられて、男の人に耐性のないわたしの気持ちが動かない訳がなかった。
1年前、わたしはちゃんと、ああいうのは勘違いを招くって言ったのに、態度を改めてくれない先生だって悪い。八つ当たり気味にそう言い訳して、わたしは気持ちを伝えてしまうことに決めた。だって、もうすぐ3年生は自由登校になる。そうなったら、いつ会えるかもわからなくなるのに、こんな気持ちを抱えていたら、勉強に集中できない。すっぱり振られて落ち込むにしても、試験が近くなってからだと危険だ。なんせ、わたしはまともに人を好きになったことがなくて、当然失恋もしたことがないんだから。
だから、通りがかりに荷物運びを頼まれたとき、もう今日しかないと思ったのだ。
「いま、なんて……」
「わたし、先生が、好きです」
声が震える。自分の気持ちをつたえることって、こんなに緊張するものなんだな。
今、わたしたちは英語科準備室に2人きり。去年、プリント作り中にわたしが泣き言を言って、先生に励ましてもらった場所だ。
「それは、あれか。先生として、で……」
「だったら、こんなに緊張しません」
先生はずるい。そうやって、ごまかそうとして、はぐらかそうとして。やっぱり迷惑なんだろう。そう思うと、ちくりと胸が痛む。
でも、こちらを見る困り顔が、いつもより頬が赤いのを見て、わたしは満足した。この人の心に小さな傷を残せたら、それでいい。わたしの気持ちを簡単に袖にしたこと、後悔すればいい。相手のことを無視した、ひどく傲慢で残酷な考えが頭をしめる。人を好きになるって、きれいな気持ちばかりじゃないなんて、知らなかった。
「先生はずるいです。年齢なんて、わたしにはどうしようもないことで、線を引く」
「それは……」
「わかってます。生徒と親密になることは、先生にとってリスクだって。1年前に聞いたこと、覚えてますから」
そう言って笑って見せると、先生は顔を歪ませた。
「すまん」
「でも、先生だって悪いんです。わたしも言いましたよね。あんまり構われると、勘違いするって」
「……ああ、そう言えば、そうだったな」
「だからわたし、謝りません」
先生は頭をかいてうつむくと、ふーっと長く息をついた。動揺くらいは、してくれたんだろうか。それとも、幻滅しただろうか。
「気持ちは嬉しい。けど、今、答えることはできない……」
「わかってます。返事は、もらえないってわかってました」
ちょっと泣きそうになるのをこらえて、笑顔をつくる。うつむくな。顔をあげろ、わたし。
「聞いてくれて、ありがとうございます。これで、受験勉強に集中できそうです」
「そう、か。頑張れよ」
「はい。次に先生に会うのは、卒業式かも知れませんね。それじゃ、さようなら」
できるだけ、いつも通りに挨拶をして、英語科準備室を出る。廊下を歩き出したところで、ポロリと涙がこぼれたけど、それを無視して歩いた。
*****
それからは、先生とは会わなかったどころか、姿を見ることもほとんどなかった。顔を合わせてもきっと気まずいだけだから、よかったのかも知れないけれど、見かけることもなかったのは、今の自分と先生との距離を見せつけられるようで、なんだかショックだった。
卒業式でも、近くに寄ることはできず、遠目に見ただけ。なんせ鷲巣先生は今の3年生からは大人気だったから、ずっと人に囲まれていて、とても近づけなかったのだ。一瞬だけ、目があったような気がしたけど、それも気のせいかもしれない。
もう、学校に行くのは今日で最後だろう。制服に袖をとおしながら、ぼんやりと思った。卒業式から5日、今日はわたしの第一志望の大学の合格発表で、その報告があるのだ。結果は無事合格。今から行くと、ちょうど午後の授業が半分終わる頃だから、1・2年の先生はほとんど授業中だろう。きっと、鷲巣先生も。
学校に着くと、まっすぐ3年職員室に向かう。先生たちもネットで合否を確認していて、中に入るなりおめでとうと声をかけてくれた。わたし以外にも同じ大学を3人受けていて全員合格。みんなは午前中のうちに報告に来たらしい。お茶とお菓子をもらって、世間話を少しして、職員室をあとにする。他の学年の担当でも、お世話になった先生はいるから、ご挨拶に行くのだ。
だけど、鷲巣先生の所にはいくべきだろうか。一方的な告白をしてから、ずっと会っていない。最後にちゃんと会いたい気持ちはあるけど、拒否されたらと思うと怖い。それに、会ったときに、自分の気持ちがどうなるかわからないのも、怖い。もう吹っ切れてるのか、まだ先生のことが好きなのか。今こんなに気持ちが揺れるってことは、まだダメな気もする一方で、受験の結果が出るまではあまり考えることもなかったから、平気なような気もする。
考えれば考えるほどわからなくて、他の先生方への挨拶をこなして、最後の最後。わたしは、結局、英語科教官室の前にいた。鷲巣先生は1年職員室にいる可能性が高いけど、ほとんど接点のない先生ばかりの所へ入っていく勇気がなくて、なんとなくここへ足が向いた。これで会えなかったら、それまでの縁だったと思うことにしよう。それでも、もし会ったら何て言おうか、どんな反応を返してくれるだろうか。少しくらいは、わたしのことを意識してくれるんだろうか。だったら、嬉しい。そんなことを考えたら、ふわふわした気持ちになってくる。
深呼吸をしてノックし、ドキドキしながら入り口の戸に手をかける。ぐっと引こうとしたけど、動かない。鍵がかかってる、つまり、誰もいないってことだ。ふいに、興奮が冷めていく。
そっか、わたしと先生の縁はこれまでか。わたしの恋も、先生の中では、年上への憧れで片付けられてしまうんだ。結構本気のつもりだったんだけどな。そう思ったら、なんだか悔しくて、悲しくて、涙がにじんできた。
「羽鳥?」
呼ばれた声に、ゆるゆるとそちらを向く。にじんだ視界に、背の高い男の人が小走りでこちらに向かってくるのが写った。
「久しぶりだな。試験、どうだったんだ?」
「せんせ……」
こんなことってあるんだろうか。劇的って、きっとこういうことだ。もう会えないと思っていたのに、今になって目の前に現れるなんてずるい。嬉しいんだか、腹立たしいんだか、よくわからなくて、眦にたまっていた涙がぼろぼろこぼれた。
「うおっ、どうした? ちょ、なんで? まさか、試験ダメだったのか?」
「ちが、ます」
涙声で答えると、慌てた顔をした先生が、そっとわたしの肩に触れて顔を覗き込んだ。久々に感じるその感触に、益々の涙が止まらなくなった。ああ、わたし、こんなに涙もろかっただろうか。
「うわわわ、待った、落ち着け、羽鳥。今、開けるから。そうだ、コーヒーいれるから飲んでけ、な?」
しゃくりあげながらも、先生の言葉になんとかうなずく。入り口の鍵を開けた先生に背中を押されるように、わたしは英語科教官室の中に入った。
当然ながら、中は無人だった。空いている椅子に座るように促され、それに従う。わたしが座るのを見届けると、先生はティッシュボックスを押しつけて、シンクへ向かう。言葉通り、コーヒーをいれてくれるらしい。カチャカチャと食器がぶつかる音がする。膝におかれたティッシュを何枚か取り出して、涙をおさえ、鼻を噛むと嗚咽も収まってきた。うん、大丈夫。きっと今度はちゃんと話せる。最後にスンと1つ鼻をならして、顔をあげた。
「大丈夫か? ほら、ココア。これ、福井先生の私物だから内緒な」
「えっ、いいんですか?」
「まあ、1杯分くらい福井先生も許してくれるさ。気が動転してるときは、甘い方がいいだろ?」
「ありがとうございます……」
自分のコーヒーをすすりながら笑う先生からカップを受け取って、ふうふうと息を吹き掛ける。一口口に含むと、甘さがじんわり広がって、はあとため息が出た。
「で、試験は、大丈夫だったんだな?」
「はい。お陰様で、無事合格しました。春からは大学生です。ありがとうございました」
「そうか、よかったな」
表情を引き締めて答えて頭を下げると、先生がふっと笑う気配がして、上げかけた頭をわしわしと撫でられた。下ろしっぱなしにした髪の毛は、きっとグシャグシャだ。だけど、その触れる手が嬉しくて切なくて、さっき引っ込んだばかりの涙が、また溢れそうになる。ひくっとわたしの喉が鳴ったのが聞こえたのか、先生はうろたえたような声をあげる。
「なんだ、どうしたんだよ。なんで泣くんだ、俺、なんかしたか?」
「う、だっ、て……」
先生が優しいから、 なんでもなくわたしに触れるから。そう言ってしまえたら、どんなに楽だろう。どうしよう、わたし、全然吹っ切れてなかった。やっぱり、来なきゃよかったんだろうか。そしたら、こんな思いは……。
「っ?!」
「なあ、羽鳥」
びくりと肩が揺れたのは、ふいに頬を包まれたから。優しく、でも少し強引に顔を上げさせられた。
「頼む、そんなに泣かないでくれ」
「っせ、んせ、っ……?」
顔を上げると、想像以上に近い位置に鷲巣先生の顔があった。びっくりして、嗚咽も止まる。
眉を下げて、すっかり困った顔の先生は、なぜか目元を赤くして今にも泣きそうで。なんで、どうしてそんな顔するの。わたしが困らせてるのはわかってる。でも、先生がそんな風に泣きそうになる必要はないのに。
「ごめ、ん、なさい」
「え?」
わたしの頬に触れる大きな手に、自分のそれを重ねた。まっすぐ視線を返して謝ると、困惑したように眉尻がさがった。
「困らせて、すみません。わたし、もう、最後だから……」
言葉を切って考える。どうしよう、もう一度、振ってもらえたら、きっぱり諦められるだろうか。それなら、今日しかない。だって、わたしはもうここには来ないんだから。
「そうか、最後…………なあ、羽鳥」
「はい」
思考にふけっているうちに、また頭が下がっていたようで。呼ばれて顔を上げたら、さっきとは違う、なにかを決意したような表情の先生がいた。一瞬見惚れたすきに、わたしの両手は先生に握りこまれて自分の膝の上にある。
「あの時の、返事は……」
「へん、じ?」
「ああ。お前に、もらった言葉への答えは、まだ、有効か?」
噛み締めるようにゆっくりと言われた言葉に、わたしは思わず息を飲んだ。それって、告白のこと? なんで、今そんなこと言うの。聞きたいけど、振られるのは怖い。でも、さっき振られなきゃダメかもって思ったばかりだし……。
うろうろと視線をさ迷わせて、どうにかこくりと頷いた。下げた頭は上げられない。ぎゅっと目をつぶって、次の言葉を待った。
「羽鳥、俺は……」
その沈黙は、精々数秒だったはずなのに、ひどく長く感じた。
「好きだよ。羽鳥が、好きだ。ごめんな、返事が遅くて」
「うそ……」
思わず顔を上げると、照れたように笑う先生がいた。心臓が大きく跳ねて、体がだんだん熱くなってくる。
「なんでだよ。こちとら決死の告白なんだぞ。年の差とか立場の違いとかよく考えろ。嘘や冗談でんなこと言えるか」
思わず出た言葉に、苦笑いで否定を返された。でも、じゃあ本当に? 両思いってこと? じっと見つめ返すと、まるで心でも読んだかのように、うなずき返された。
「それとも、もう要らない返事だったか?」
「ちが、いる! いりま、すっ」
ダメだ、今日のわたしは涙腺が崩壊してる。またしても溢れてきた涙は、先生の手で優しくぬぐわれる。どうしよう、これって本当に現実? 心臓がうるさい。
「じゃあ、俺と付き合ってくれるか?」
「っ! は、はいっ。ぜひ、よろしくお願い、します!」
勢い込んで言うと、先生は柔らかく笑ってわたしの頭を撫でる。それが嬉しくて、くすぐったくて、わたしはやっと心からの笑顔を先生に向けられた気がした。
そして特に続きません。
ネタが思いついたら、書くかもしれないですが……。