第9話 竹原修斗
他人の部屋で寝転がっている竹原修斗は無知で明るい漆黒の瞳を細めました。
低いテーブルに分厚い文庫を積み重ねて読み漁る神山奈木は、この部屋に住む女子生徒。
男子禁制の女子寮になぜいるのか、という疑問を浮かべながらも奈木は決して本から目を離しません。
沈黙だけの空間にいる2人。
「ねぇ、奈木」
その空間を先に崩し始めたのは修斗の方でした。
「北原、死んだって」
「うん」
「あの人は大丈夫かな」
「階段から落ちたっていう人?」
つい数時間前の出来事が鮮明に思い出されます。
捕まえようと無謀にも追いかけたことによって相手は階段から転倒。
修斗はまだ相手がどうなったのかを知りません。
「あれは俺が追いかけたりしたから、俺のせいで」
「……どうして修斗のせいなの? その人は悪いことをしたから自業自得だと思うけど」
修斗は唸りながら真っ白な天井を見上げました。
「なんか最近、学園内の事件が多いよね」
「うん」
寝転んでいた体を起き上がらせ、奈木と低いテーブルを挟んで対面します。
ですが決して奈木は本から目を離していません。
「先生も2人が急に辞めたし、いつまで寮待機なのかな」
独り言のように聞こえる疑問。
修斗は答えを待ちますが、奈木に独り言と判断されたのでしょう、返ってきませんでした。
低いテーブルの上に腕を乗せて顔を埋めます。
眠気もなければ気だるさもないのですが、修斗は重い石を体に乗せられたような感覚に陥っていました。
勉強以外にすることもありません。
奈木をちらりと覗いてみても、沈黙を続けて本を読んでいるだけです。
壁に掛けられた時計の秒針が音もなく回り続けて5周目のときでした。
単調な機械音が部屋に響き渡ります。
ようやく本から視線を外した奈木は玄関へと向かいました。
ドアの横に取り付けられたモニターに映っているのは学園の数学教諭である神山雄一。
長い前髪に隠れた感情のない瞳が見開き、応答もしないままドアを開けました。
雄一の服に染みついている煙草の臭いが心地よく、奈木は口元を少しですが上向きにさせます。
「よっ、奈木。何もないか?」
「うん」
「そっか、さっきのことで警察も来ているからあまり外をうろつかないようにな。それと、竹原!」
奈木に優しい笑みを見せたと思えば険しい表情に変わった雄一。
怒った口調に両肩を震わせた修斗は恐る恐る玄関へと歩み寄りました。
「やっぱりいたか、ここは男子禁止って何回言ったらわかる?」
「でも姉さんが好きにしたらいいって」
雄一は呆れて首を横に振ります。
「いくら恵が許可してもこれは規則だから駄目だ」
「ねぇ奈木、ダメ?」
「え…………駄目なの? おじさん」
「いや、奈木に言わせるなよ。もうお前こっちに来い!」
奈木の部屋から引っ張り出された修斗はそのまま襟首を掴まれてしまいます。
「そもそもなんで奈木の部屋に行く必要があるんだ」
「だって奈木しか友達がいないし、他のみんな俺のこと馬鹿にするし相手もしてもらえないから」
雄一は目を細くして数秒の間、怪訝な表情で修斗を見下ろしました。
「そりゃ、まぁ馬鹿にされて当然だ。こんな有名な学園にお前が入れた理由は皆が知っている」
襟首から手が離れ、自由になった修斗は大きく肩を落とします。
「だからって奈木や恵にいつまでも甘えていたら駄目だろ。少しは自分から進んで勉強して、みんなに認めてもらう努力をするべきだな」
修斗は残念そうな表情で俯きながら、ゆっくりと男子寮の方へ戻っていきました。
なんともいえない、雄一は煙草を取り出して口に咥えると、
「二ノ瀬よりアイツの方が危ない気がするけどな……」
独り言を呟きます。
その独り言を受け取ったかのように背後から歩み寄ってきたのは体育教諭の橘恵。
「危険なことに巻き込まれないよう注意していれば、大丈夫」
「あのな恵、お前だろ。北原の件」
咥えていた煙草を手に持ち替えた恵は鋭い眼光で雄一を睨みました。
「私は命令通りに行動しただけで、北原はもちろん何も悪くなかった。子供を1人も守れない奴が悪い」
「っ、痛いこと言うじゃねぇか」
耳が痛い、雄一は苦笑してしまいます。
「それよりも奈木をいつまで保護していられるか、ヤナギグループに見つかればお前も奈木も始末される」
これはさすがに笑えません。
雄一は眉間に皺を寄せて表情を歪めます。
「本当に変わったな、恵」
かつての面影もない彼女の姿。
もう一度煙草を咥え直した恵は小さく頷き、雄一を通り越して男子寮方面へと足を進めてきました。
男子寮は聖母を象った像の噴水が目印の公園を挟んだ向こう側。
急な坂である階段を下りると既に片付けられたのでしょう、飛び散った血痕が残っているだけです。
そこに目も向けず恵は男子寮の門前へ。
『暗証番号を入力してください』
自動で開くドアの前に立つと、センサーに反応し女性の機械音声が流れてきました。
恵が4桁の数字を入力すれば、
『認証しました、お帰りなさいませ』
温もりのない機械の声。
恵は寮内へ入る前に煙草を携帯用灰皿へ捨てました。
軽快な足音とともに2階まで上がり、角部屋のドアを相手の許可もなく開けてしまいます。
部屋は薄暗く窓のカーテンもしっかりと閉じてありました。
全ての光から断絶した部屋でベッドに寝転がっている少年へ、恵は遠慮なく近寄っていきます。
「修斗、寝ているのか?」
「あれ姉さん、どうしたの?」
元気のない修斗の声。
ベッドに腰掛けた恵は優しく修斗の柔らかい頬に触れて、ゆっくりと撫でます。
笑みを浮かべながら漆黒の瞳を細くする修斗。
「様子を見に来た。いろいろと落ち込んでいるようだし、大事な弟がそうなっているのは姉として心配だからな」
「そう見える?」
「そう見えたから来た」
修斗は困ったような表情で笑いました。
「あの人ってどうなったの?」
「死んだ。でも修斗のせいじゃない、あれは自分でやったことだ」
「でも」
「というより、どうして追いかけた?」
頬から頭部に手をずらして髪を撫でまわします。
「なんでだろう、とにかく追いかけなきゃって思ったらいつの間にか走っていて……わからない」
「あまり、感情や直感に頼るべきじゃない。これ以上修斗が危険な目に遭うなんて考えたくないからな。わかった?」
修斗が眠たそうに頷くと、思わず口元に笑みを零した恵。
ですが、すぐに笑みは消えて壁を横目で確認します。
「隣の部屋は誰だ?」
「えっと、西京さん」
「そう」
眠りにつきそうな修斗を撫で続け、恵は鋭い目つきで壁へと視線を送りました。




