第8話 竹原修斗
「ねぇねぇ、奈木」
「うん」
「ここの問題ってこれでいいの?」
「うん……」
「ねぇ奈木」
「うん」
「進路決まった?」
「ううん…………」
学生寮1階の部屋で行われる取り留めのない会話。
低いテーブルの上に教科書を広げて、絨毯の敷かれた床で足を伸ばす2人の学生がいました。
ちなみに女子寮なので男子が室内へ入るのは禁止されています。
この部屋に住む女子生徒は感情が乏しく、他人と接触するのが苦手なため長い前髪で目元を隠すようにしていました。
この部屋になぜかいる男子生徒は、無知な明るい漆黒の瞳を輝かせます。
他の男子生徒より童顔な顔立ちをしている彼。
「俺は先生になろうと思ってる」
「うん、私も」
とってつけたかのように呟きます。
「奈木もそうなんだ、でもどうやってなれるの?」
「うん……卒業すればなれる」
奈木と呼ばれている女子生徒は決して彼と視線を合わせず、教科書にひたすら目を通していました。
「ホントに?」
「あの、修斗は男子だよね? 男子はここに来ちゃダメっておじさんが言ってた」
修斗と呼ばれた男子生徒は目を丸くして口を小さく開けて停止します。
「え、そんなの今更じゃんか。入学してからずっと奈木の部屋に入ってるよ」
「それはそうだけど、そろそろおじさんと橘先生が言ってくるかもしれない」
「姉さんは何も言わないよー、俺に甘いもん。神山先生は奈木が何か言えば大丈夫だって」
何も問題はないと笑う修斗。
奈木はちらりと横目で見つめてすぐに教科書へと視線を戻し、何事もなかったように沈黙を始めました。
彼女が声を出さなければ、修斗は自ら会話を繋げようとします。
深い考えも、意味もないまま。
「ねぇ、奈木って家族はいないの?」
今日初めて奈木は確実に修斗と視線を合わせました。
持っていた教科書をテーブルに落とし、目を見開かせます。
「奈木?」
「あ…………うん、おじさんだけ。家族はもう」
奈木が説明しようとしたところ、突然外から鋭い爆発音が単発で響いたのです。
女子生徒の叫び声も学園内に響き渡りました。
修斗は立ち上がると窓の外へ顔を出します。
「あいつ、人を撃ったぞ! 警備員か先生を呼べ!!」
学生寮から近い駐輪場にいる生徒達がなにやら騒がしそうに走り回っていました。
ここからでも確認できたのは誰かが血を出して倒れていること。
そして、拳銃を持った怪しい男が逃げていること。
「お、追いかけないと!」
「修斗?」
今追いかけなければ捕まえることはできないと、そう確信した修斗は部屋を飛び出して一気に走りました。
まだ遠くに逃げていない男を視界に映し、標的を捉えます。
「待て!」
学生寮を通り抜ければそこは学園内に設置されている大きな公園。
中央にある聖母を象った像の噴水が目印です。
逃げている男は警備服を着ており、手には自動式拳銃がありました。
息を切らしながら走っている男がふと何かに気付いたのでしょう、後方を確認します。
「な、なんだ、あのガキは!?」
物凄い勢いで追いかけてくる修斗に驚きを隠せません。
男が前を向きなおしたときでした。
「えっ?」
修斗の視界から男が消えたのです。
いいえ、消えたのではなく、落ちたのでした。
公園の下には急な長い階段。
男の絶叫と何度もぶつかる鈍い音が耳に入ってきます。
最後に大きな何かと衝突した音がして、聞こえなくなりました。
思わず顔が青ざめて、慌てて修斗が階段へと近寄ると、
「下がれ、修斗」
背後から聞き慣れた冷たい声。
「ね、姉さん」
短い黒髪ですが横髪を伸ばした体育教諭である橘恵の姿。
ノースリーブの黒シャツにストレートジーンズ。
口に煙草を咥えています。
冷徹を表現するには充分な鋭い漆黒の瞳が修斗を睨んでいました。
「ここから私達が対処する。危険なことに首を突っ込むな」
「でも、あの人が……俺のせいで」
「修斗」
言葉を遮られた修斗は黙って俯いてしまいます。
鋭い視線に負けて、静かにその場から逃げるように帰っていきました。
その姿を見送った恵はゆっくりと急な階段を下ります。
一番下にはうつ伏せに倒れている男の姿。
真っ赤な血を周辺に散らばせて、苦しい表情で顔を歪めている男に息はありません。
男の遺体を見下ろしながら煙草を手に持ち替えると、
「処理する手間が省けたな」
恵は小さく呟きました。




