第六話 霧街の問題。
「まだ、逐鹿様はお戻りに成られぬか。」
遅れてやって来た蛙王角黒丸は、会場の熱気とは無縁の冷静さで言った。彼は今、舞闘で負傷し、舞闘者として引退した一文字の代わりに霧城城主名代を務めている。逐鹿が戻るまでの役割だ。城主代行に羊王角渦翁は返す。
「遅かったな。逐鹿様はそろそろかと思うが、連絡が取れぬままだ。」
二人とも舞闘場の貴賓席の大きな椅子に腰を下ろしていた。周囲にはひやりとした空気が漂っている。大喝破は今回の舞闘会を観覧していない。体調がいよいよすぐれず、リツザン雄山の頂上にある岩戸の奥に隠れてしまっている。霊力を秘めた常春の泉、称名池の霊水で辛うじて、命をつなげているのだ。皆、大渇破と連絡を取りたかったが、帝は念珠を持たず、唯一、連絡係として機能している帝の式神である小さな髭蛙も霧街に現れなくなった。何度か使者を出したが、三乃越の狂獣に阻まれて先に進むことが出来なかった。実際にそれと相対した訳では無いが、三乃越の狂獣の魂力は破格であのサカゲでさえ、戦わずにして引き返した程だった。今、六角金剛達は霧街の問題に対して大渇破の知恵を借りたかったが、リツザンの狂獣と不動の岩戸に阻まれそれが敵わない状態だった。岩戸を開く方法を八掌が調べていたが、記録にある限りでは大渇破の霊力が無ければ開くことは無さそうだった。彼等は岩戸を開く確証さえ得られれば、狂獣に挑む覚悟でいたが、今のところその確証が得られては居なかった。今暫くは調査に時間をかけてみるしか無かった。いずれにしてもそのような事情により、黒丸と渦翁はは大喝破の代わりの見届け役として舞踏会を閲覧していた。だが、大会は見た振りをするだけで、娘であるハクの華々しい活躍も渦翁の心を高揚させる事は無かった。 今、キリマチは問題を抱えていた。これまでに無い問題を。街で同族殺しが発生しているのだ。遥か以前、開闢が現れて世界が終末に向かい始める前の世界では、零鍵の世界の覇権を巡る戦争があり、同族殺しが存在していた。漂泊者や歩む者達がそう言った“殺し”を連れて来る事もあった。だが、朧が帝都を取り巻き、魂の抜けたモルフ達が彷徨い始めてからは、このような事は無かった。舞闘会と言う擬似的な殺し合いが可能で有ることも一因であると思われたが、ともかく、キリマチでは同族殺しはこれまで発生することは無かった。しかし、この半年で、もう百人が殺されていた。街人は異常に気づき、噂を発して呑まれていた。街は見た目の平穏の下にぴんと張った異常を隠している。舞闘の喧騒の中で、黒丸と渦翁は最新の情報を交換する。先に黒丸が告げる。
「クウに変わりは無い。裏町の住人達にも目立った動きはない。が、この半年で千人近いファンブルが消えておる。ナカスの一区画が廃墟同然じゃった。元々、失踪が多い裏町じゃからすぐにキリマチの同族殺しと繋げることは出来んが。ただ、ナカスではこの失踪について騒ぐ者はおらん。他人に無関心なファンブルとは言え、一割の仲間が居なくなっているのにだ……どうも気に入らん。」
渦翁は予想より悪い調査結果に眉を寄せた。縦に潰れた神秘的な羊の瞳を黒丸に向ける。黒丸は同じく縦に潰れた美しいカエルの瞳で渦翁の視線を受けた。渦翁も彼の報告を行う。
「こちらは、聞いている通りだ。キリマチの被害者に殺害時刻と殺害方法以外の共通点は無かった。つまり、零時に何者かによって首を切り取られ、食い殺される以外の共通点は無い。現状、何の手掛かりも無い。まだまだ被害は拡大しそうだ。」
渦翁は疲れた様子で眉間を揉んだ。頻発する敵対種の襲撃と同族殺しの対応に忙殺され碌に睡眠時間も取れていない。それは黒丸や蟲王角一文字や熊王角胆月も同じだったし、彼等が従える十爪や四牙のメンバーにも言えた事だった。やはり世界は終末を迎えようとしているのだろうか……。目を閉じたまま、渦翁は付け加えた。
「そうだ。新しい報告が一つ。セアカについても調べた。彼は完全に姿を消している。我々、“八掌”が本気で捜査したが、見つから無かった。大したものだ。」
一年前の舞闘会を機にセアカは黒丸の狩猟隊を辞めていた。そして今はキリマチの何処かに潜伏中だ。渦翁の報告を聞いた黒丸はふふと笑い、そうか、と小さく呟いた。




