268 筆頭聖女の最高の魔法 下
王太后は何をするつもりかしらと、どきどきしながら見つめていると、彼女ははっきり魔法の呪文を口にした。
「慈悲深き天の光よ、我が魔力を癒しの力に変えたまえ――― 『回復』」
王太后が詠唱を終わると同時に、彼女の手から回復魔法が放出され、ザカリー団長を包み込む。
王太后の魔法はザカリー団長の火傷をゆっくり治していった。
団長の体がきらきらと輝くとともに、流れていた血が止まり、ただれていた皮膚が元に戻っていく。
……7秒、8秒、9秒、10秒。
そこで、王太后は上げていた手を下ろすと、魔法を終了させた。
同時に、フラワーホーンディアの瞳が青色に戻り、魔物の周りに出現していた炎が消える。
フラワーホーンディアは炎を出している間は攻撃をしてこない。
そのことが分かっていたからこそ、王太后は安心して魔法をかけられたのだろう。
魔物の特性を理解した、見事な立ち回りだわ。
それから、フラワーホーンディアは今回のデモンストレーション用としてぴったりだから、この魔物を選んだ担当者は見事だわ。
そう感心したけれど、全ては王太后の魔法の腕があってこそ実現できたのは間違いない。
選定会の第一次審査の際に気付いたけれど、聖女たちの魔法は、かけ終わるまで30秒とか50秒とか長い時間が必要となる。
しかしながら、それほど時間がかかってしまうと、たとえばフラワーホーンディアであれば、途中で瞳が青色に変わり、攻撃を始めてしまうだろう。
その結果、聖女たちは恐怖のあまり、最後まで魔法をかけることができなくなるはずだ。
王太后の魔法行使にかかる総時間が10秒というのは、他の聖女たちと比べるとものすごく短く、だからこそ実戦に耐えることができたのだろう。
ザカリー団長の腕を見ると、まだ火傷の痕は残っていたけれど、随分色が薄くなっており、戦えるくらいまで回復したようだ。
すごいわ。
あれほどの火傷を負ったのであれば、戦線から離脱しなければならなかっただろうに、王太后の魔法がそれを防いだのだ。
普通に考えたら、魔物の側近くに立つこと自体が恐怖なはずだ。
にもかかわらず、王太后は恐怖を抑えて騎士や魔物の近くに立ち、ザカリー団長を治癒したのだ。
王太后は素晴らしいわねと考えていると、少し遅れて状況を把握したらしい人々がざわざわと騒ぎ出した。
「う、嘘だろう?」
「そんなまさか!?」
「ひ、筆頭聖女様は戦闘に参加し、騎士様を治癒することができるのか!!」
人々が驚愕するのも無理はない。
誰一人想定もしていなかったことに、イアサント王太后は戦闘中の騎士団長の怪我を治したのだから。
ザカリー団長は剣を振り上げると、少し前に酷い火傷を負ったとは思わせない動きで、フラワーホーンディアに向かっていった。
団長の動きは普段と変わらず、剣を振り下ろすたびに、ざん、ざんと重い音が響く。
一振りごとに重く、強力になっていく剣を見て、ザカリー団長は不完全な形ではあるものの、身体強化を身に付けていたことを思い出す。
今日のデモンストレーションについて、ザカリー団長は事前に王太后と打ち合わせをしていたはずだ。
だから、もしかしたら王太后が魔法をかけるのを待って、本気を出す約束になっていたのかもしれない。
そう思うくらい、ザカリー団長の剣は突然強くなった。
しかしながら、見学する人々にそのようなことが分かるはずもなく、興奮した声を上げる。
「すごいぞ! ザカリー騎士団長が完全回復したぞ!!」
「王太后様が魔法をかけたから、腕が治ったんだ! 何て素晴らしい治癒力だ!!」
「ザカリー団長、頑張れ!!」
ザカリー団長は声援に応えるべく、何度も魔物に向かって剣を振り下ろした。
周りの騎士たちも団長を支えようと、一丸となって攻撃する。
騎士たちの奮闘の結果、ザカリー団長はとうとうフラワーホーンディアの腹に深く剣を突き刺した。
団長が魔物から剣を抜いた瞬間、フラワーホーンディアは地響きとともに地面にくずおれる。
その様子を見ていた人々の間から、歓声が上がった。
「や、……やったぞ!」
「王太后様のおかげで完全復活したザカリー団長が、とどめを刺したぞ!!」
「戦闘中の騎士を治すことができるなんて、無敵じゃないか!!」
人々は興奮した様子で、思い思いのことを言葉にした。
すると、その中の一人がおもむろに両手を上げる。
「王太后様、万歳!」
すかさず、別の一人が同じように叫ぶ。
「筆頭聖女様、万歳!!」
興奮した人々の歓声がまるで地鳴りのように響く中、私は感心して王太后を見つめた。
「完璧だわ」
王太后はこれ以上ないほど聖女の価値を高く見せることに成功したのだ。
怪我をしたのはザカリー団長だけではなかったし、多くの騎士たちは治癒されずにそのままにされたけれど、そのことを気にする者は一人もいなかった。
それから、ザカリー団長の火傷は完全に治癒されなかったため、普段通りに戦えたのはザカリー団長の気力と、これまで培ってきた実力、身体強化のスキルのおかげだったけれど、人々はそのことに気付きもしなかった。
だから、王太后一人がもてはやされているけれど……それは正しいのかしら。
ふとそんな疑問が湧いたところで、ふわりと風が吹いて、王太后の髪を持ちあげた。
その途端、人々が興奮したように王太后を指差す。
―――そう言えば、ファビアンが言っていた。
『普段、イアサント陛下は片方の目を隠しているけど、どういうわけか、大事な式典のここぞという場面では必ず風が吹いて、両目が見えるんだよ。金の瞳に赤い髪は伝説の大聖女様の色だ。だから、その全てを目にすることができた時、皆はものすごいレアものを見た気分になって、大興奮するんだ。すごい演出だよね』
確かにここぞという場面で風が吹いたわね、と思いながら王太后を見つめていると、風で髪が持ち上がり、普段隠れている右目が露わになった。
同時に、陽の光がさっと差して、王太后の金の瞳がきらきらと輝く。
その途端、その場にいた人々が熱狂のあまり、一斉に叫んだ。
「何てことかしら! 完璧なタイミングで、筆頭聖女様の両目が露わになったわよ!!」
「何て美しい金の瞳かしら! きらきらと宝石のように輝いているわ! 赤い髪に金の瞳だなんて、伝説の大聖女様の色じゃないの!!」
「最高だわ! 比類なき能力で魔物討伐に貢献する、いと尊き金の瞳を持つ筆頭聖女様だなんて!!」
「王太后様、万歳!」
「「「筆頭聖女様、万歳!!!」」」
私の周りでも聖女たちが感激したように何事かを叫んでいたけれど、私の耳には入ってこなかった。
王太后の右目を見た瞬間、あまりの驚きで、それ以外のものが何一つ入ってこなくなったのだ。
私は呆然と目を見開くと、ただただ王太后を見つめる。
……そんなまさか。こんなことがあるはずないわ。
だって、王太后の右目で輝いているのは……
手に持っていた聖石のネックレスが、ぼとりと地面に落ちる。
「フィーア、大事なものが落ちましたよ」
隣にいたシリル団長が気付いて、聖石を拾ってくれたけれど、そのことすら意識の外にあった。
私は瞬きもせずに王太后を見つめると、かすれた声を出す。
「あれは……サヴィス総長の目だ」
シリル団長がはっと息を呑む音が聞こえたけれど、反応することもできない。
私が呆然と見つめる先、王太后の右目では、ナーヴ王家に代々伝わる精霊王の金の瞳がきらきらと輝いていた。









