限界がきたら、2.優しさが欲しいなあと呟いてみなさい
イーノス視点です。
アンケート結果は後書きに。
「エドナ?」
私は目の前で優雅に紅茶を飲む婚約者に呼び掛けた。
彼女はカップに落としていた視線をゆっくりと私に向け、なんの感情もなく冷たい目で私を見つめる。
その視線にぞくぞくとする。そしてなにより、今の彼女の瞳には私しか映っていないという事実に喜びを覚える。彼女は私だけ見ていればいい。彼女の瞳には私以外映さなくていい。
彼女が私だけのものになるのなら、何も望まない。身分も財産も、なにもかも。
「なんでしょう、殿下」
瞳と同じように冷たい声音で答える彼女に、私はにっこりと微笑んだ。
そんな私を見て、彼女は警戒するように眉間に皺を寄せた。
…本当に、彼女は私の事をよくわかっている。
彼女とはもう十年の付き合いだ。
初めで出逢ったあの時から、彼女に惹き付けられてやまない。
私が唯一欲しいと願ったのは彼女だけだ。
「今日は何の日か覚えているか?」
「今日…ですか?」
彼女は小さく首を傾げ、思案するように視線を彷徨わせた。
やがてわかったのか、ゆっくりと私の顔に視線を戻す。
「今日はわたくしの兄の誕生日でしたわね。お兄さまと会うことがないので、つい忘れてしまいましたわ。わたくしとしたことが…お兄さまにメッセージカードとお花をを送って、おめでとうと言いに行かなくては。思い出させてくれてありがとうございます、殿下。しかし意外ですわね。殿下がわたくしの兄の誕生日を覚えていらっしゃるなんて」
感心したように私を見つめるエドナの瞳も悪くはない。
そして私は彼女の台詞で、今日が彼女の兄であるダミアンの誕生日だという事を知った。
「……良いように解釈して貰えて光栄だが、それではない」
「お兄さまのお誕生日ではない?」
パチリとゆっくりと瞬きをし、蠱惑的な仕草で首を傾げた彼女は「他になにがあったかしら」と小さく呟いた。
きっと今、彼女の頭の中で今日が何の日なのか必死に思い出そうとしているのだろう。そんなことは決して表情には出さないのがまた彼女らしい。
「申し訳ありません、殿下。今日が何の日なのか思い当たりませんの。今日はいったい何の日でしょうか?」
しばらく考え込んだが結局思い当たらなかったようで、少しだけ悔しげに彼女は言った。
やはり覚えていないか、と思うと同時に少しだけ落胆した。
期待はしていなかったが、私にとって今日は特別な日だ。それなのに、彼女にとっては違うらしい。
「…悲しいな、君が覚えていないとは。今日は私たちが出会った記念すべき日だろう?」
「……そういえば、そうでしたわね」
「そうだとも。今日は記念日だ。だから」
途中で台詞を切り微笑んだ私に、エドナが身を引いた。そして警戒をするように私を見つめる。
そんなに警戒をしなくてもいいのに。彼女に危害を加えることは絶対にないのだから。
「たまには私に優しくしてくれないか?」
「……は?」
意味がわからない、と言うように彼女は眉を潜めた。
「なにを仰りますの、殿下? わたくしはいつも殿下に優しくしておりますわ」
「そうだろうか? エドナはいつも私の願い事を却下するじゃないか。たまには私のお願を聞いてくれてもいいだろう?」
「殿下の願い事を却下するのは当たり前ですわ! 殿下のお願いを叶えるのは、淑女には抵抗がありことばかりなのですもの」
「あれくらい、抵抗を覚えることはない」
「覚えます!」
エドナは強い口調で言い切った。ワインレッドの瞳が強い光を宿し、ギロリを私を睨む。
予想通りの反応に、私は心の中で微笑んだ。エドナは予想外な行動をすることもあるが、基本的には私の望み通りの反応をしてくれる。そんな彼女が、とても愛おしい。
「…私の願い事を叶えてくれるつもりは、エドナにはないと?」
「そういうわけでは……そうですわね…その内容によって、でしょうか」
「内容か。例えば?」
「例えば? 例えば……なにか、プレゼントが欲しいとか、ですわね。激しい言葉責めをして欲しいとか、鞭で叩いてほしいとか、そういうこと以外でしたら」
「…なるほど。私にとっては残念だな」
「さようですか」
どこか白けた様子でエドナは呟いた。淑女らしく微笑みを保ったままではあるが、その目がどこか虚ろなような気がするのはきっと私の気のせいではないだろう。
エドナは私が望む行動をしたくない、と言いつつも、無自覚に彼女はそういう行動をとる。それも生き生きとした表情で、とても愉しそうに。
だからきっと彼女は本当にそれが嫌なわけではないはずだと私は考えているが、本人が認めないのだから仕方ない。
「だがそれも一種の放置プレイだと考えれば…」
「殿下。もう帰ってもよろしいでしょうか?」
微笑みを消し、冷たい目をして私を見つめるエドナに、私はにっこりと微笑み、「ちょっとした冗談さ」と言うと更にその視線が冷たくなった。
「…殿下には付き合い切れませんわ」
「そう言いつつ、私に付き合ってくれる優しい君が好きだよ」
「な…!」
エドナは目を見開き、頬を赤く染めた。
不意打ちに私の好意を伝えると彼女は年頃の乙女と同じ反応をする。普段はどこか落ち着いた雰囲気すらある彼女だが、たまに見せるその初々しい反応に心が躍る。
彼女がそんな反応を見せるのはきっと私だけだ。一瞬だけ頭に過ったあの憎らしい紺色の髪の男の事は頭からすぐに消し去る。
「何を仰いますの!?」
「本当の事を言っただけだが」
少し首を傾げ、不思議そうに呟けば彼女の頬はさらに赤く染まった。
そんな彼女の反応に満足し、私はふふっと笑いを零す。
すると揶揄われたと思ったのか、顔が赤いまま私をぎろっと睨み、「殿下!」と叱るように叫ぶ。
彼女が可愛くて仕方ない。私の思い通りに反応してくれる彼女が。
「……わたくしを揶揄っていいと思って?」
エドナは不意に低い声音で呟いた。先ほどまでは赤く染まっていた頬が、平常通りの白に戻っていて、それを少し残念に思うのと同時に、悦びを感じた。
「わたくしの狗であるあなたが、わたくしを揶揄っていいと思って?」
「揶揄ったつもりはない」
「わたくしに口答えをするの? ああ、わたくしの躾がなってなかったのかしら。狗は主人に口答えなどしてはいけないのよ」
わかって? と彼女は私を嘲笑い、私の顎をくいっと持ち上げた。
彼女の瞳に自分が映っていることを確認し、その事が嬉しくてたまらない。
初めて彼女と出逢った時、彼女の瞳に私だけを映すことができたならどれほど素晴らしいだろうと思った。その気持ちは今でも変わらない。
だからこそ、今だけでも彼女に瞳に私しか映っていないことが嬉しいのだ。
大人しくされるがままにされている私に、彼女は満足そうな顔をする。
「良い子ね。わかれば、いいのよ」
本当の犬にするかのように私の頭を撫ぜる彼女を好きにさせる。
本来ならばなんて失敬な、と怒らなければならないのだろう。エドナ以外にやられたら、私はきっと不快に思い、辛辣な言葉を吐いたはずだ。だけど、エドナには何も思わない。
むしろ、彼女の思いの外優しく撫ぜる手が心地よいとさえ感じてしまう。
言葉責めされるのも鞭で叩かれるのも好きだが、こんな風に優しくされるのも悪くない。
大人しいままの私を訝しく思ったのか、エドナが「殿下?」と少し不安そうに私を呼ぶ。
「どうか、なさいまして?」
「…いや。たまにはこんな風にされるのも悪くないと思って」
「まぁ。殿下は甘えん坊でいらしたのね。知りませんでしたわ」
「…私も初めて知ったからな」
小声で返した私の言葉を聞き取れなかったらしく、エドナが可愛らしく首を傾げて「なんと仰いまして?」と聞き返してきたが、私は静かに首を横に振った。
「君にだけだ。こんな風に私が甘えるのは」
エドナの前だけは、色々な責務を忘れてありのままの私でいられる。
だからこそ、エドナに甘えてしまう。彼女はどんな私であっても私に付き合ってくれることを知っているから。例えそれが家の定めたことであっても、例えこの婚約が突然なかったことになっても、彼女はきっと私に対する態度を変えないだろう。なにしろ、十年も付き合いがあるのだから。
そんな彼女の傍はとても心地よく、ずっと彼女の隣に居たい、と心から思う。
「…こういうことでしたら、いつでもやって差し上げますのに」
少し照れたように言う彼女がとても愛おしい。
彼女は根本的に優しい人間だ。私とは違う。
「では、これからは時折頼むとしよう。その時は頼む」
「…いいですわ。殿下とは長いお付き合いになりますもの」
すまし顔で彼女はそう答えた。
長い付き合いになる、と彼女は言った。つまりそれはこれから先も私の傍にいてくれるという事だ。
私と彼女は婚約をしていて、順当にいけば結婚する。これは私たちが決めたことではない。だが私はそれをとても嬉しく思っていた。だから、彼女のその言葉はこの先ずっと私の傍にいてくれるという意思の表れのようで、私の胸に喜びが広がった。
わかっている。彼女は自ら望んで私の傍にいてくれているわけではないということも。決まった事だから傍にいてくれているだけに過ぎないということも。
でも今はだけは、都合の良いように解釈をしても罰は当たらないだろう。
―――だからどうか、ずっと私の傍にいてくれ、エドナ。
声に出さずに、そう願う。それが私の唯一の望みであるから。
アンケートにご協力頂き、ありがとうございました!
続編はイーノスルートから書いていくことにします。
アシュレイもそこそこ票を頂いて、嬉しかったです。
続編の連載はいつになるかはわかりませんが、気長にお待ちください。
その前にまずお題を終わらせないと!




