第52話 八院の決戦
鎮幸は、包囲の中にいた。
前後左右——鍋島の旗。
兵が、じわじわと迫ってくる。
槍の穂先が、光っている。
「……数えるか」
鎮幸は、小声で言う。
隣の家臣が、答える。
「……三百は、います」
「そうか」
「我らは——五十です」
「知っている」
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鎮幸は、刀を構える。
恐怖は——なかった。
道雪の頃から、何度も修羅場をくぐってきた。
死ぬかもしれない場所に、何度も立ってきた。
その度に——生きて帰った。
今度も——
「……来い」
低く、呟く。
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鍋島の兵が、動く。
「かかれ!」
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鎮幸が、駆ける。
包囲の一角へ——真っ直ぐ。
「どけ!」
槍を、薙ぐ。
一人、倒れる。
また一人。
「どけどけどけ!」
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しかし——
数が、違いすぎた。
右から、槍が来る。
左から、刀が来る。
鎮幸の具足に——傷が入る。
「くっ——」
馬が、よろける。
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「鎮幸様!」
家臣の叫び。
鎮幸は、馬上で堪える。
「退くな——!」
「しかし——!」
「立花が——」
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その時。
鬨の声が——聞こえた。
包囲の外から。
「立花——!」
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鍋島の兵が、振り返る。
包囲の一角が——崩れる。
立花の旗が、霧を裂いて——現れた。
宗茂が、先頭に立っていた。
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「鎮幸!」
「……殿」
「生きているか」
「……生きております」
「そうか」
「……来てくださったか」
「当たり前だ」
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宗茂が、鎮幸の隣に並ぶ。
包囲が——揺れる。
「押せ!」
宗茂の声が、野に響く。
立花の兵が、鍋島の包囲へ——食い込む。
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鍋島の陣。
物見台。
直茂が、戦況を見ていた。
五十を過ぎた男。
白髪混じりの髪。
しかし——その目は、鋭かった。
「……来たか」
側近が、言う。
「宗茂自ら——出てきました」
「そうか」
「城を、空けて——」
「分かっている」
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直茂は、戦場を見る。
立花の旗が、包囲の中で——動いている。
数で劣る。
それでも——
崩れない。
「……やはり」
直茂は、小声で言う。
「この男は——恐ろしい」
側近が、聞く。
「宗茂が、ですか」
「ああ」
「しかし——城を空けた。失策では」
「違う」
直茂は、首を振る。
「家臣を見捨てられない男が——城を守り切れるか」
一拍。
「この男の強さは——そこだ」
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側近が、黙る。
直茂は、続ける。
「兵が、この男のために死ねる」
「……はい」
「兵が死ねる将は——強い」
「では——」
「だから——恐ろしい」
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直茂は、目を細める。
「……包囲を、解け」
側近が、目を見開く。
「解く——ですか」
「今、無理に押せば——こちらも損耗する」
「しかし——」
「立花は、逃げない」
一拍。
「柳川がある限り——必ずまた戦う」
「ならば——どうするのですか」
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直茂は、戦場を見る。
宗茂の旗が——まだ、動いている。
「……兵糧だ」
静かに、言う。
「城を囲む。干上がらせる」
「時間がかかります」
「構わない」
「……宗茂は、諦めませんよ」
「知っている」
一拍。
「だが——民が、苦しむ」
「……」
「宗茂は——民を見捨てられない男だ」
直茂は、目を閉じる。
「それが——この男の、唯一の弱さだ」
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江上の野。
鍋島の包囲が——引いていく。
立花の兵が、息を整える。
「……退いた」
十時が、言う。
「ああ」
「追いますか」
「追うな」
「はい」
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宗茂は、鎮幸を見る。
具足に——傷が、いくつもある。
「鎮幸」
「はい」
「怪我は」
「……かすり傷です」
「見せろ」
「殿——」
「見せろと言っている」
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鎮幸が、具足を外す。
脇腹に——切り傷があった。
深くはない。
しかし——血が、滲んでいる。
「……手当てをしろ」
「これくらい——」
「手当てをしろ」
「……はい」
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鎮幸は、しばらく——宗茂を見ていた。
「……殿」
「なんだ」
「城を——空けてきたのですか」
「ああ」
「……無茶です」
「そうだな」
「政治的に——」
「分かっている」
一拍。
「だが——」
宗茂は、鎮幸を見る。
「お前が死ぬのを——黙って見ていられるか」
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鎮幸は——
しばらく、黙っていた。
その目が——
揺れた。
道雪の頃から戦い続けてきた男の目が。
五十を過ぎた、古参の重臣の目が。
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やがて——
笑った。
「……困った殿だ」
低く、しかし——温かく。
「道雪殿も——そうでした」
「そうか」
「家臣のために——無茶をする」
「……そうか」
「だから——」
鎮幸は、笑ったまま言う。
「誰も、離れないのです」
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宗茂は、答えない。
空を——見上げる。
霧が、晴れていた。
秋の空が——高かった。
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夜。
陣の中。
十時が、報せを持ってくる。
「殿」
「なんだ」
「鍋島が——柳川を、囲み始めています」
「……そうか」
「兵糧攻めかと」
「直茂殿らしい」
宗茂は、地図を広げる。
柳川の周囲。
水路。
兵糧の備蓄。
「……どのくらい、持つ」
「二ヶ月——あるかないか」
「そうか」
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宗茂は、地図を見たまま——
しばらく、黙っていた。
二ヶ月。
その間に——何ができるか。
援軍は——来ない。
西軍は——潰えた。
「……」
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城内から——
誾千代が、歩いてくる。
宗茂を——見つける。
「……お帰りなさいませ」
「ただいま」
「鎮幸は——」
「生きている」
誾千代が、目を閉じる。
「……よかった」
小さく、言う。
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宗茂は、誾千代を見る。
「誾千代」
「はい」
「しばらく——苦しくなる」
「……はい」
「覚悟してくれ」
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誾千代は——
宗茂を、見る。
その目が——揺れない。
「立花の女城主に——覚悟を問いますか」
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宗茂は——
少し、笑う。
「……そうだな」
「余計なことを——聞きました」
「はい」
一拍。
「ですが——」
誾千代の目が、真剣になる。
「民を——苦しめないでください」
「……ああ」
「それだけが——お願いです」
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宗茂は、頷く。
地図を——見る。
柳川の水路が、月明かりに光っている。
民が、この水路のほとりに——暮らしている。
「……分かった」
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立花の旗が——
夜風に、揺れていた。
その旗の下で——
何かが、少しずつ、動き始めていた。
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次回、第53話「開城」。




