第53話 開城
兵糧が、尽きかけていた。
柳川城の蔵が——空になっていく。
一日一日、確実に。
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宗茂は、毎朝——城の水路を見た。
花宗川が、流れている。
変わらず、流れている。
しかし——
城下の民の顔が、変わっていた。
頬が、こけている。
目が、落ちくぼんでいる。
子供たちが——泣かなくなっていた。
泣く力も、なくなっていた。
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「殿」
十時が、報せを持ってくる。
「城下の米が——底をつきました」
「……そうか」
「兵の分は——あと十日ほど」
「十日か」
「はい」
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宗茂は、水路を見たまま——
答えない。
十日。
あと十日、立花の旗が立つ。
その十日の間に——民が、死ぬ。
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「殿——使者が来ています」
「誰だ」
「加藤清正殿の——使いです」
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清正の使者は、一通の書状を持っていた。
「清正様より——直接、お話ししたいとのことです」
「……清正殿が、自ら来るか」
「はい」
「分かった」
「お通しします」
「ああ」
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加藤清正が、城に入ってきた。
大柄な男。
朝鮮でも共に戦った男。
その顔が——今日は、戦場の顔ではなかった。
「宗茂殿」
「清正殿」
「……久しいな」
「ああ」
「碧蹄館以来か」
「そうだ」
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二人は、向き合う。
清正が、先に口を開く。
「単刀直入に言う」
「聞く」
「開城してくれ」
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静寂。
宗茂は、答えない。
清正が、続ける。
「家康公は——宗茂殿の武勇を認めている」
「……」
「開城すれば——命は取らない」
「命の話ではない」
「分かっている」
清正は、宗茂を見る。
「だから——来た」
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「清正殿」
宗茂が、言う。
「立花は——まだ戦える」
「知っている」
「兵が——まだいる」
「知っている」
「鍋島を——追い返せるかもしれない」
「……知っている」
清正は、静かに言う。
「だが——」
「ああ」
「城下の民が——限界だ」
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宗茂は、目を閉じる。
清正の言葉が——
分かっていた。
分かっていたから——
この十日間、毎朝水路を見ていた。
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「宗茂殿」
清正が、一歩、前に出る。
「お前の義は——俺も知っている」
「……」
「関ヶ原で西軍についたのも」
「……」
「大津城で高次を助けたのも」
「……」
「義弘殿を助けたのも」
「全部——知っている」
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清正の目が——真剣だった。
「だからこそ——言う」
「今、この城で死ぬのは——義ではない」
「……」
「民を道連れにして散るのは——立花の義か」
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宗茂は——
目を開く。
清正を、見る。
この男も——義のために動いている。
秀吉への恩を抱えて、徳川の世を生きている。
立場は違う。
しかし——根っこは、同じだった。
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「清正殿」
「なんだ」
「一つ——聞く」
「聞く」
「立花は——残れるか」
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清正は、少し考える。
「名前は——残るかもしれない」
「領地は」
「……それは、約束できない」
「正直だな」
「嘘はつかない」
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宗茂は——
しばらく、黙っていた。
城下の方角を——見る。
水路が、光っている。
民が、そのほとりに——暮らしている。
「……民のために——開ける」
静かに、言う。
「立花の義のために——ではない」
「……」
「民が、苦しんでいる」
「それだけか」
「それだけだ」
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清正は——
その言葉を、受け取る。
しばらく——黙っていた。
「……お前は」
低く、言う。
「本当に——変わった男だな」
「そうか」
「褒めている」
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その夜。
宗茂は、誾千代の部屋へ行った。
誾千代が——待っていた。
すでに——知っていたように。
「……開けるのですね」
「ああ」
誾千代は、答えない。
しばらく——行灯の火を、見ていた。
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「誾千代」
「はい」
「すまない」
「……何が、ですか」
「柳川を——守れなかった」
「……」
「道雪殿から受け継いだ城を——」
「宗茂様」
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誾千代が、宗茂を見る。
その目が——静かだった。
「父上は——城を守れと言いましたか」
「……」
「民を守れと——言いませんでしたか」
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宗茂は、答えない。
道雪の声が——耳に響く。
「強さとは、守ることだ」
守るべきものは——城ではない。
「……そうだな」
小さく、言う。
「父上なら——同じことをしたかもしれない」
「はい」
「民を——道連れにしない」
「はい」
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誾千代は——
行灯の火を、見る。
「柳川は——水の城です」
「ああ」
「水は——なくなりません」
「……ああ」
「いつか——」
一拍。
「必ず、帰ってきてください」
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宗茂は——
その言葉を、胸の中に、仕舞う。
「ああ」
「必ず」
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翌朝。
夜明け。
城門の前。
立花の旗が——立っている。
家臣たちが、並んでいた。
鎮幸が、十時が、増時が——
皆、無言で立っていた。
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「皆」
宗茂が、声をかける。
「よく戦った」
誰も——答えない。
鎮幸の目が——赤かった。
十時が——唇を、噛んでいた。
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「立花は——負けていない」
宗茂が、続ける。
「民のために——旗を降ろす」
「それだけだ」
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風が、吹く。
立花の旗が——揺れる。
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旗が——降りる。
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鎮幸が——
目を閉じる。
その頬を——一筋、伝うものがあった。
死を恐れない男が。
戦場で笑える男が。
今だけは——
堪えられなかった。
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宗茂は——
その旗を、受け取る。
折り畳む。
胸に、抱える。
「……道雪殿」
小さく、呟く。
「紹運殿」
一拍。
「必ず——帰ります」
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城門が、開く。
柳川の朝日が——差し込んでくる。
水路が、光っている。
花宗川が——流れていた。
変わらず。
待っているように。
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次回、第54話「浪人」。




