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後日談:守りたい、君の笑顔は宝物

正真正銘、最終話です。

 シュナイダー家の次男坊は、そろそろ本気で退屈し始めていた。

 父はパーティに出ると言って早々に出て行ってしまったし、母は『リンパマッサージ』なるものを受けるとかで、ホテルの女性コンシェルジュと一緒に行ってしまった。


【ねぇおにいちゃん、マッサージってなに?】

【なんでも、身体のあちこちを揉んだりほぐしたりして……えっと、つまり母さんが今よりキレイになって戻ってくる、ってこと】

【へぇ……よくわかんないけどすごいねー】


 それじゃ待っていようかと兄とぽつぽつ話しながら部屋にいた彼は、一度着替えのために戻ってきた母を見て、本当にキレイになってる!と驚きつつもはしゃいだ。

 いつもは気をつけてこまめにセルフマッサージをしたり軽い運動をしたりしてむくまないようにしている香澄だが、日本に里帰りするにあたって長時間の飛行機移動やら子供二人の面倒やらでその暇もなく、街頭インタビューを受けたあの時は本当なら断ってしまいたいほどむくみが酷かった。

 とはいえ、普段から痩せ型で華奢な印象もあるため、むくんでいてもちょっとぽっちゃりな優しいお母さんという印象で留まっていたが。


【ごめんね、ケヴィン、リオル。ちょっとパーティに顔を出してくるから、ここで大人しく待ってて。ケヴィン、このボタンを押したら()()()()()が来てくれるから、何かあったらすぐに押すのよ?】


 はい、と手渡されたその『魔法のボタン』をケヴィンはそっとポケットに忍ばせた。



 それからしばらくして、いい加減退屈してきたリオルが部屋の外に出たいと駄々をこね始め、ケヴィンも何度か【出るなって母さんに言われただろ】とたしなめたものの、それでもやだやだと暴れだした弟に困り果ててしまったその時

 コンコン、と部屋の扉がノックされた。


【あっ、お母さんだ!】

【違うよ、母さんなら鍵持ってるじゃないか】


 駆け出していきそうになった弟の襟首を掴んで引き戻し、ケヴィンは【黙ってろよ】と言い置いてから「誰、ですか?」と日本語で尋ねた。


『失礼致します、ルームサービスをお持ち致しました』

「ルームサービス?……頼んでませんけど」

『いえ、シュナイダー様……お母様よりご依頼がございました。絞りたてのフルーツジュースでございます』

「母さんから?」


 いつもの母なら、待っててねと言って出て行った後は「待たせてごめんね」とお土産を持って帰ってきてくれる。

 それなのに、今日に限ってホテルのルームサービスを頼んだのだという。

 それは、少し遅くなるからという母からの気遣いなのか、それとも高級ホテルならではのサービスを利用したからなのか。

 多少なりとも分別のある年頃になったとはいえ、まだ子供であるケヴィンにもどうなのか判断がつけられなかった。

 なので仕方なく、彼はどうぞと許可を出したのだが


『両手が塞がっておりますので、申し訳ありませんが開けていただけないでしょうか?』


 この言葉に、彼はそこで初めてあれ、おかしいぞ?とこのルームサービスに疑いを持った。

 ここは、繰り返すが高級ホテルなので至れり尽くせりのサービスが受けられる。

 加えて今回シュナイダー社と提携関係を結ぶTKエンタープライズの経営するこのホテルは、従業員のレベルもかなり高いと評判なんだと、父や母がそう言っていたのを彼も聴いている。

 そんな『レベルの高い従業員』が、お客様に扉を開けさせたりするだろうか?

 もし手が塞がっているならそれを置いて、置けないなら他にもう一人誰かを連れてくるんじゃないのか。


『お客様?』


(どうしよう、もしぼくの判断が間違ってたら。けど、やっぱりおかしいよ!)


 ダメですと開けずにいれば、扉の前の人物も無理に押し入ってくることはないだろう。

 両手が塞がっているのが本当なら、何も出来ずに一度戻るに違いない。

 でも、そのこと自体が嘘だったら?

 何らかの手段を持って、押し入ってこられたら?

 その時真っ先に標的にされるのは、きっと自分より幼く抵抗力の低いリオルだ。


【何かあったら押すのよ?】


 母の言葉が、不意に蘇ってくる。

 彼は、躊躇わずにポケットの中のボタンを押した。



『あの、お客さ、あぁっ!』


 悲鳴のような声に次いで、ガッシャンと何かが派手に落ちる音が響いてくる。


【おにいちゃん……】

【大丈夫、リオル。大丈夫だから】


 怯えたように身を寄せてくる弟をぎゅっと抱きしめながら、ケヴィンは必死で恐怖心と戦っていた。

 扉の外からは「何のことですか」「離して」「私知らないわ」と徐々に声を荒げてくる女性の甲高い声が一方的に聞こえ…………そして、ややあって聞こえなくなる。

 あのボタンは一体何をするためのものだったのか、ルームサービスですとやってきた女性は何者だったのか、何もわからないまま随分長い時間そうしていたように感じられた、そんな時


 ピーッという電子音が聞こえ、鍵が解除される。


【ケヴィン!リオル!】

【二人とも、無事か!?】

【ムッター!ファーター!】


 真っ青な顔で駆け込んできた母、慌てたように髪を乱した父、そんな二人の姿を見てリオルは弾かれたように駆け出して父に飛びつき、ケヴィンはぺたんとその場に座り込んだ。


(あの魔法のボタンは、父さんと母さんを呼んでくれるものだったんだ……)


 良かった、怖かった、助かった、守られた。

 色々な思いが一気に押し寄せてきてぐちゃぐちゃな気持ちのまま、彼は泣きじゃくった。

 よく頑張ったわね、と褒めてくれる母の腕の中で。


【ありがとう。ケヴィンのお陰で二人とも無事だったのよ。あのボタン、本当に効力あったでしょ?】

【うん。でもあれってどんなものなの?】

【ホテルに待機してくれてる、警備の人を呼ぶボタンよ。同時に、父さんの持ってる携帯にも連絡が入るの。便利でしょう?】

【えっ、それじゃさっきの人って……】


 悪い人だったの?とは聞けなかった。

 もし部屋に押し入られていたら、と思うと今更ながらにまた怖くなってきたからだ。


【大丈夫よ。あの人も、悪いことをする前に捕まったから。……きっともう、しないわ】

【…………母さん(ムッター)?】


 見上げた、その寂しそうな笑顔に【どうして?】とは聞けなかった。




「でもどうしてあそこに高梨さんが?」

「一日目は元警察官僚の男にエスコートされて、二日目は派遣のコンパニオンとしてもぐりこんでいたんですよ。確かに以前に比べて様変わりはしていましたが……我々に気づかれないとでも思ったんでしょうか?随分浅墓ですよね」

「あの男は瀧河家うちの分家の入り婿なのだが、少々問題を抱えていてな。これを機に縁を切るかどうかは彼の妻の判断によるが、まぁまず間違いあるまい。あと、ホテル側にも厳重注意をしておいた。あのようなレベルの低いコンパニオンを雇う派遣会社との契約に加え、コンシェルジュの制服を勝手に貸し出したこと、勝手なルームサービスをでっち上げてジュースのピッチャーを持ち出させたこと、それらは明らかな規律違反だ。あの女にまんまと誑かされた担当者も含め、今後は管理体制を見直して指導役を常駐させる方向で考えている。……このたびの不始末、誠に申し訳なかった」


 TKエンタープライズの社長である瀧河という壮年の男に頭を下げられ、香澄はその謝罪を受け入れた上で頭を上げてくれるようにとお願いした。

 確かにホテル側の過失であるのは間違いないが、それでもあの高梨薔子が狙っていたのは香澄なのだ。

 こちらこそお騒がせしてすみませんと一言詫びておいてから、薔子に関してどうしてこうも対応が早かったのかと問いかけてみた。


「元々あの男には警察内部での不正疑惑が付きまとっていてね。それに加えて、今度は某大物政治家との繋がりまで囁かれ始めた。……その政治家に会う際には必ず同じ女性を連れていたという調査結果が上がっていたので、その女性も共犯関係かと捜査に乗り出そうとしていたところに、思わぬ横槍が入ったというわけだ」

「わかりやすく言いますと、高梨家がストップをかけてきたんですよ。うちのバカ娘を連れ戻してくれ、とね」


 当初離れに軟禁していたバカ娘こと高梨薔子は、決してそれだけで終わるような女ではなかった。

 彼女はこれまで培った営業スキルをフル活用して実家の父に何度も訴えかけ、このまま飼い殺しにしていれば自分は財産を食いつぶすだけの邪魔者になる、だけど外に出してもらえればきっと家の利になるような仕事をしてみせる、だから軟禁を解いて欲しい、そう言って自由を勝ち取っていたのだ。

 高梨家としても監視はさせていたようだが、まさか不正の匂いのする男を誑し込んでいるとは思っていなかったらしく、それに気づいた時点で恥を忍んで瀧河家へと泣きついたというわけらしい。



「外で仕事をする、と言ってもあのプライドの高い彼女がハローワークに通って就職活動をする、なんて出来なかったんでしょう。結局その容姿を売り物にして派遣会社でコンパニオンをしていたそうですが、コンパニオンと言ってもおキレイなだけでは務まらない気遣いが求められる仕事ですからね、トラブルもそれなりに多かったようですよ」


 確かに周囲に男を侍らせてその権力に守られてはいたが、それでも『Sai-Sports』で働いていた頃の薔子は生き生きとしたデキる女のオーラを放っていた。

 素行はともかく営業成績はダントツ、こうと思ったことはすぐに実行に移せるだけの行動力もあり、頭の回転も速いので古狸揃いの取引先とも対等に渡り合えていた。


 なのに、西園寺らの庇護を失った彼女は一人で立っていることもできず、その優秀な才能を生かすこともできず、女としての自分を利用し尽くすこともできず、中途半端なままただ香澄に対する敵対心を歪な方向へ向けた結果、香澄を気遣った夫や義弟に追い払われてしまった。


「高梨さんには恨まれてるだろうなとは思ってましたけど……まさか子供達まで狙うなんて思いませんでした。その点に関してだけは、狙いは的確だったというべきでしょうが……」

「褒めてどうするんですか。……とはいえ、あの時は少しスッとしました。正に、母は強し、ですね」



 アッシュの携帯に緊急通報が入ったことでパーティはお開きとなり、彼らは慌てて最上階にあるスイートルームへと駆けつけた。

 その途上、警備員に両脇を挟まれて連行されていくコンシェルジュの制服を着た女性に出会い、その女性が香澄を見た途端「貴方の所為で」「どうして貴方ばっかり」「卑怯者」と怒鳴り始めたため、アッシュが警備員に事情を聞くとその女性が子供達にジュースを届けようとしていたことがわかった。

 詳しくは捜査してみないとわからないが、銀食器ナイフを所持していたこともあってなんらかの危害を加えるつもりだったと予測できたことから、こうして連行しているところであると聞いた香澄は、つかつかと薔子に歩み寄るとパンッと力いっぱいその頬を張った。


「貴方が何を思ってどう行動しようが勝手ですし、誰を誘惑しようとお好きにどうぞ。でも、か弱い子供を狙うなんて恥を知ってください!」




「そうそう、その捜査結果だが……ひとまず掃除のついでにジュースの成分を調べさせた結果、睡眠薬の成分が検出されたそうだ。恐らく、薬で眠らせたところで何らかの危害を加えるつもりだったか……もしくは脅すためにナイフを持っていたか。立件できていれば少しは謎も解明できたのだろうが」

「あの高梨家が、警察沙汰にしたいはずもありませんからね。その見返りに我々は高梨家所有の不動産をいくつか譲り受けることができたわけですし。香澄さんの平手打ち以外はイーブンの取引ということですかね」

「とはいえ」


 と、それまで子供達についていたアッシュが、妻の隣に移動してきて一言。


「誰を誘惑しようとお好きにどうぞ、というのは少々堪えるな。うちの奥さんはまるでわたしに興味がないように聞こえるよ」

「あら、アッシュ。あの子達は?」

「今はリリーナがついていてくれているし、多少ぐずったがようやく寝てくれたよ。これでいいかな?子供のことしか頭にない奥様」

「何を拗ねてるの、もう。現に貴方は彼女の誘惑に引っかからなかったでしょう?信頼されている、とは思ってくれないのかしら?」


 アッシュが誘惑されていたという話はパーティの最中にこっそりと黒崎が教えてくれた。

 詳しい事情はさて置いて、あの高梨薔子が貴方の夫を寝取ろうとしてましたよと明け透けに告げた後、きっと貴方が標的でしょうねと付け加えられた時点で、彼女は相当お怒りモードだったのだ。

 もし子供たちが標的になっていなかったとしても、次に彼女の顔を見た時は嫌味のひとつもぶつけてやりたいと思うくらいには。


 だが彼女の夫は、家族をとても大事にしてくれている。

 うぬぼれでなければ、妻である彼女のことも心底愛して大切にしてくれている。

 今回は相手が偶々見知った顔だったということもあるが、そうでなくてもそう易々と誘惑に引っかかるわけがないと、彼女は夫を信頼してパーティや出張などに送り出しているのだ。


(そりゃ、本音を言えば確かにちょっと不安だったけど……でもこの子もいるんだもの、ネガティブになってもいられないわ)


 大事そうにおなかを撫でる香澄の手の上から、アッシュも同じように優しくおなかを撫でる。



 ゴホン、とわざとらしい咳払いが聞こえたのはちょうどその時


「さて、私はそろそろおいとまするとしよう。なんだか君達の仲睦まじさを見ていたら、妻の顔が見たくなった。すっかり待たせてしまっているからな、きっと今頃カフェの最高級アールグレイを啜りながら娘と愚痴をこぼしていることだろう」

「それはそれは。随分と贅沢な女子会ですね。エトワールカフェのアールグレイはうちの妻や娘も気に入っている逸品ですからね、今度ゆっくりと寄らせていただきます」

「ああ。注文時に私か妻の名前を出してもらえれば、サービスさせてもらおう。カフェインレスのものもあるから、シュナイダー君も是非」

「ええ。それでは近いうちに必ず」


 では、とその眼鏡の向こうの厳しい視線を若干和らげて、瀧河氏はスイートルームを出て行った。

 黒崎も、これ以上はお邪魔でしょうからと席を立ち、リリーナや娘のいる続き部屋へと移動する。


 残された夫婦二人は、今夜だけは水入らずでどうぞとあらかじめ言われていたこともあり、揃って寝室へと移動した。

 交代でシャワーを浴び、並んでベッドに入る。

 アッシュはそっと彼女の膨らんだ腹をいたわるように手を伸ばして何度も撫で、そして不意に真顔に戻って妻の顔を覗き込んだ。


「ケヴィンがああも真っ直ぐに育ってくれたのは君のお陰だ。君が、リオルとケヴィンを分け隔てなく一緒に家族になろうとしてくれたから、あの子も私も救われたんだ」

「私の力だけじゃないわ。アッシュ、貴方だってケヴィンの父親になろうとあんなに頑張ってたじゃない。私はそれを見習っただけよ」


 香澄とケヴィンと三人で家族になりたい、というのがアッシュのプロポーズの言葉だ。

 だから彼女も、自分の子供とケヴィンに同じように家族として接した、というだけだった。

 なろうと思って家族になれるわけじゃない、ケヴィンがそれを受け入れてくれたから出来たんだと彼女は言う。


「この子も一緒に、みんなでひとつの家族なんだもの。誰のお陰だとかそういうことじゃないわ」

「……うちの奥さんが素敵過ぎて辛い」

「なに言ってるの。普通のことでしょ?」

「あぁ。だがその普通が一番難しいんだよ。きっと」


 だからね、と彼は微笑んで妻の頬にキスを落とす。


「君を好きになって本当に良かった。ありがとう、香澄」



ラストまでお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございました。

途中後味悪い結末や展開があったかと思いますが、読みきってくださった皆様に感謝を捧げます。


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