第二十七話 ワル、その絶望に……
交差する二つのビガク。
短いストロークで打ち出した右フックが相手を捉えた。そのまま左も交えたワンツーで敵の体を打つ。
が、こちらもボディに軽い一撃を受けてしまう。いや、しかし、本当に軽い……?
すれ違う。俺は着地を済ませ、素早く振り向いたつもりだった。
「ぐっ!? ごぼ……」
俺は振り返ろうとして、膝をついた。口から溢れた血が仮面を濡らし、隙間から零れていく。
え、マジで? これってば、中学生向けのちょっと軽めのエッチを売りにした悪童君の物語なのに、血なんて吐いてたら別の意味で年齢制限かかっちゃうよコレ!?
クソ、体の中がガタガタになるような一撃だった。当たった瞬間はなんとも無いと思っていたのに……。
流石、ヒーローの中でもナンバーツーと言われる実力者と言ったところなのか。
「ク、クソ、やってくれるじゃねえか。おかげさまで年齢制限をかけることも厭わない過激な表現が俺を襲ったぜ……」
「フフフ、どうですか私の内蔵破壊の味は。まあ、なかなか繊細な技なので好んでは使いたくありませんがね」
「じゃあ是非とも使わないで頂きたい……ッ! 俺、死んじゃいますからッ!」
「善処しましょう」
政治家みたいな受け答えしやがって手加減する気ねーなコイツ。
いや、真剣勝負で手加減もクソもありませんけどね!
「さあ、どうしますか。既にかなりフラフラなようですが……ギブアップもありですよ」
「ノーサンキュー。俺のこの怒りをテメエにぶち込まないと気が済まないんでな」
と言っても、俺のパンチがほぼダメージを与えていないことからも、これはヤバイ状況だ。
肥え太った腹部が衝撃を吸収したのか……? 肉の鎧恐るべし。
だが、全くダメージが無いわけじゃないだろ?
右腕に纏った怒りは、大丈夫、消えていない。この腕に走った赤いラインは、まだ煌々と輝きを放っている。
力はまだ制御出来ている……。せめてパワーの上がった一撃をぶち込めれば、確実にダメージは与えられるはず、だが……。
いや、本当困った。かなり焦ってます。
「オラアッ!!」
再び飛ぶ。相手へと肉薄するが、ナルシストンはまるで余裕の表情を崩さない。
俺の怒りを刺激する薄ら笑いに、更に右腕が烈火の炎を纏った。怒りの赴くままに、マシンガンの如き左腕のジャブの嵐を顔面へと叩き込む俺。
一撃一撃が風を切り裂き、弾丸を超える速度で打ち出される。その全てを軽々手のひらで受け止めていくナルシストンに、俺の顔が歪んだ。
それこそ小技だが、易々受け止められてしまうのは全く面白くない。面白くねぇなあ!
「うおおおおおおおおおおおおッ!!!!」
「ホホホ、軽い軽い」
「オラアッ!!(十秒ぶり、二回目)」
ジャブをフェイントに放つ右のハイキック。ナルシストンは、軽々とそれをかわして笑う。
クソ、だが飛天●剣流は隙を生じぬ二段構えじゃいッ!!
無理やりに降りる右脚へと重心を乗せ、左の脚を遠心力のままに振り回すッ! 身をそらしたナルシストンめがけて、追撃のように左のかかとが昇った。殺ったッ!!
「む」
ナルシストンが少しばかりだが、緊張の音色を喉から鳴らした。
ずがりという重い打撃音が響き、俺の体は左足をあげたままの状態で静止している。
ただし、その一撃は敵の右手に受け止められていた――。
その一撃は、ナルシストンの顔から笑みを奪うには十分だったようだ。それでも尚、ヤツから余裕が無くなったような雰囲気は一切無いのだが。
「いやはや、足癖が悪いですね。しかし、無理な体勢からよくもまあ……」
「とにかく攻撃をするのは得意なもんでなッ!!」
掴まれた左足を軸に飛び上がった俺は、タメもせずに顔面へと右足を突き込む。
ノーウェイトで反撃してくるとは思ってもいなかったらしく、その一撃は顔面に突き刺さった。
小さなうめき声を上げて俺の左足を離したナルシストンに、最大の好機を見た俺は右腕を振り被る。
これがチャンスか、それとも相手の誘いかはわからない。だが、実力差のある相手に何度もチャンスがあると思うなッ!!
男は度胸! なんでもやるんだよォッ!!
「『悪童――――』」
「んん、くく、本当に悪い足癖だ。そんな子には――――」
ぞわっと吐き気を覚えるような強烈な悪寒が背筋を駆け抜けた。
それは圧倒的な余裕か。消していた笑みを再度浮かべて、自分の顔面を労わるように一撫でしたナルシストン。
ヤツが右腕を少し上げた。圧倒的な恐怖が、俺の本能を刺激する。
捻じ伏せられている……ッ! 俺の中の獣が。戦いを求める意志が。約束と怒りが、壊される……ッ!
俺は振り抜こうと引き絞った腕を止め、すかさず左のストレートへと切り替える。
ヤバい。ヤバいヤバい。無意識とも意識的とも言える行動。理性も本能も、この一撃を回避するという選択肢を選んでいる。俺の中の信念が穿ち貫けと叫ぶが、頭がそれを許さない。
本当であれば、ここは是が非でも勝負を避けるべきだ。これほどの警鐘を意識的に感じることなど、今まで無かった。しかし、一撃をぶち込む……そう勝負を選んで逃げることなど己の信念にかけて許せないッ!
その選択が正解か不正解かなどは、時間を巻き戻しでもしなければわからない話だが。
「――――お仕置きしましょう」
「ぐ、う、うおおおおおおおおおおおッ!!」
向かう先がわからずとも、俺は進むしかない。
少なくとも退くことなどは己が許さないのだから。
左のストレートが飛ぶ。この一撃は本当に撃つべきだったのか……大きな迷いと理解不能な恐怖心が極限まで時間をスローに導いた。
ゆっくりと進む時間の中、放たれてしまった俺の矢は――――。
「メガ豚パンチ……」
それこそ握手でもするかのような気軽さで出された右腕。
ナルシストンのその右腕へと俺の左腕は吸い込まれ、止まった。
まず、嫌な音が響いた。
パキ、という硝子のひびわれるような音の後、左腕に黒い線が走る。装甲が軋み、膨らんだ。
次に拳の先が割れる。破砕する。指が飛び散り血が吹き飛び、飛沫を上げる。そのままナルシストンの手は俺の腕を貫いた。
消し飛んだ。
血が飛び散り、腕を支えていた強化金属の骨と人工筋肉がへし折れながら吹き飛んで、肩の付け根からそのままもがれていった。
俺はあまりの光景に、呆けたような顔を仮面に隠して、吹き飛ぶ左腕をその目に映すしかなかった。
呆然自失のままに散り散りになっていく腕の破片を見送る。
砕け逝く改造人間の矜持。
俺は左腕からおびただしい量の血を流しながら、絶望に燃え尽きそうな心の火を感じていた。
***
「ここにいるというのはわかっているんだがな……」
イカルガは発信機の反応を追いながら地下を進む。ほぼ使われた跡の無いような独房。埃臭さだけはいかんともし難いなと思いながら、身を隠しながらゆっくりと歩いていく。
なかなかイイ趣味だ。こんな埃臭いところで女の子に懲罰なんて、反吐が出るほどイイ趣味である。イカルガは、自然と舌打ちをしていた。
「まさかとは思うが、ウチの学生に酷いことだけはやめてくれよ……不登校のケアは面倒なんだからな」
反応が近くなる度に嫌な予感が脳裏を掠めるが、それでも尚、自身の部下と約束した手前、結果を見ずに回れ右とはいかない。
近く。次の独房……。唯一、明かりの灯る独房からは、小さく何か声と音が聞こえた。
「ク、クフフ……い、イイ……実にイイ……最高の光景だ」
パシャッ、パシャッという音とともに、いかにも下衆な声が耳に届く。
ダメだったか……。せめて、少女の貞操の仇は獲らねばならないだろう。
イカルガはそっとブルーシェリフがいるだろう独房を覗き込んで、止まった。
「ああ、とてもいい被写体だ! もっと撮らせてくれ! 僕の欲求を満たしてくれ!」
「イイイイイ、イヤです! もうなんかイヤですぅ!! 別に変なことされてるわけじゃないけど、なんかイヤああああ!!」
……特に酷いことをされてるわけでもなく、ただただ動けなくされて写真を撮られているブルーシェリフがいた。
写真を撮っているヒーローは、イカルガにとって顔も名も知らぬ者だった。ひとまずこのヒーローの実力を測っておかなければならないだろう。
「ふふ、戦闘力を測るのはやはりスカ●ターに限る……」
イカルガは色のついた片眼鏡をかけて、装置の側面についた小さなスイッチを押した。
「ふふ、戦闘力たったの五十三か……ゴミめ……ムッ? なに、数値が……上がる……だと!?」
戦闘力の下に備えた変態力の数値が急激に上がり始める。
「そ、そんな……一万、五万、十万を超えてもまだ上がるというのか……こ、コイツ、真性の……」
と言ったところで、スカウターは音も無く壊れてイカルガの右目からぽろりと落ちた。
イカルガは溜息をつく。
「無駄な機能をつけるべきではなかったか……つい原作を意識してしまったせいで、測定範囲狭いわりに測定できないと壊れてしまう機能も……面白いからヨシ! まあ、そんなことより、そろそろ助けてやるか」
白衣に壊れた片眼鏡を突っ込むと、イカルガは警戒した様子も無くふらりと独房の入り口に歩み出た。
ブルーシェリフはその堂々とした女と目が合うと、安堵とともに「え、なんでいんの?」といった困惑の表情を浮かべる。
イカルガは唇に人差し指をあてて、少しだけ静かにしててくれと示す。
「いいよいいよぉぉぉ――ッ! そのちょっと困ったような顔、グッドだよぉぉッ!」
「本気当て身!」
「アフンッ!?」
ヒーローの後ろに堂々と立ったイカルガが、力強く首筋に手刀を当てると、情けない声を上げてヒーローは崩れ落ちた。
「ふ、私の非力な一撃ですら気絶させられていたらヒーローは務まらないぞ君」
「い、イカルガさん」
「いやいや、遅れたね。本当は君のヒーローが助け出すのが一番かと思うんだが、今君のヒーロー君は本気バトルしていてね。申し訳ないんだが私で我慢してくれよ」
「うううう、そんなことありません。恐かったですよおおおおお。何もされないけどあれはあれで嫌なものがありましたよおおおおお」
「いや、なんか君、地みたいなものが出てるぞ……。もう少しこう……辱めを受けても屈さないタイプかと思ってたんだが」
「うう、別にあれくらいいいんですけど、なんか何もされずに延々写真撮られるのはそれはそれで不気味で……」
「そうだな、悪かった悪かった。君も年頃の女の子だしな。そう飄々ともしてられんよな。さ、拘束を解こう……ジッとしていてくれよ」
イカルガが白衣からスパナのようなレンチのような、先が刃にもなっている珍妙な工具を取り出すと、ちょい、ちょいと手錠による拘束を解く。
脚の方につけられた錠も工具でひしゃげ斬ると、シェリフはやっとと言ったように息をついた。
「大丈夫かい? 肩でも貸そうか?」
「いえ、そこまでじゃないです。それよりも、早くブラックのところに行かないと」
「ああ。流石にあいつの相手は悪童君にも荷が重いだろうしな」
二人が頷き合い、独房を出る。
暗がりの中を戻る中で、ふとブルーシェリフは音に気づいた。
足音――――。前から何かが歩いて来る。
「待って下さい。誰か、前に居ます」
「……やれやれ。簡単には帰してはくれないよな。まあ、最初から襲ってこなかっただけマシといったところか」
イカルガは心底厄介だとでも言いたげに肩を竦めた。
自分達にとって何の益も無い件だけに、流石の後先考えないイカルガも自分の発明品を惜しげもなく無駄遣いというわけにはいかない。
「支払いさえあれば私の無駄に持ち歩いている発明品が火を噴くが、どうする?」
「う、うーん。もしもの時だけで。わたしじゃ払えませんし」
「く、請求書なんぞ今回の件をみすみす起こさせたバカにつけておけばいいのに……!」
「考えておきます……」
そんな話をしていると、遂に暗闇からゆらりと足音の主が現れた。
上から下まで黒く染め上げられた服装の主。パーカーのネコミミがぴこぴこと体に合わせて揺れる。
「シャ、シャムちゃん!」
「待ちたまえ」
「う、うぐっ」
顔見知りの出現に、慌てて近づこうとする白い少女。それをイカルガが首根っこを引っつかんで止める。
「君はシャムシール君だね。剣を抜いているということは……こちらと戦う意志がありと見ていいかな」
シェリフがシャムシールの右手へと目をやると、確かに少女の手には魔剣が力強く握り締められていた。
つい嬉しさから見落としてしまっていた。冷静なイカルガに感謝の念を込めて頭を下げると、シャムへと向き直って、キッと目尻を吊り上げる。
「シャムちゃん。まさか……」
友を疑う声に、シャムシールは震えて、顔を上げた。
その顔は絶望に染まって、歪んでいた。苦しみを訴えるような表情で、しかし、口を必死であけて言葉を紡ぐ。
「に、逃げて…………」
彼女はそう言いながらも、剣を振り上げる。
「シャムちゃん……」
「シェリフ君。戦えるのかい。友達を相手に……」
シェリフは一度目を瞑ると……ゆっくりと頷いた。
「シャムちゃんに合法的にあんなことやこんなことをするチャンスというわけですね」
「……うむ、真面目だった方向性が急速に路線変更されたな!」
イカルガはやれやれと首を横に振った。




