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クロネコヤマネコ  作者: 葛飾タキ
Episode6.獅子の瞳
93/286

幕間:和葉 1.悩める少年に手を差し伸べるのは。

 年月を二年も遡れば、自分が如何に何も知らなかったものだ、と思う人もいるのかもしれない。

 和葉にとっては、そう思えることだ。それとも、〝何も知らなかった〟と感じることもなく過ごしていたことだって考えられる。知らなければ知らないなりの〝一般人〟としての生活を送っていたのかもしれない。

 〝一般人〟として生活していたら、どう過ごしていただろうか。魔具の世界をしってしまった今になっては分からないことだし、考えにくいことだ。魔具を知らないだけで、今までのように美加から〝黒猫〟と呼ばれていたのだろうか。暇潰しとして美加へと嫌味を散々ぶつけていたのだろうか。

 いや、魔具を知らなかったら、呼ばれることも会うこともなかったことだろう。魔具を知っているからこそ、美加と会ったわけだし、〝黒猫〟と呼ばれているのだろうから。

 それこそただの一市民として、街の中に溶け込んでいたに違いない――。


 二年も前となると、和葉はまだ高校生である。

 電車に揺られて数駅のところにある公立高校に通っている。特にどうということはない普通の高校であり、一応進学校として年に何人か名の知れた大学へと進むものがいる。早い話、そこそこの学校である。

「ったく、〝静御前〟の奴、俺に恨みでもあるのか? 説教ばかりしやがって」

 廊下では愚痴をこぼす浄一と、その隣で呆れる和葉。一方的に浄一が和葉に〝親の仇〟かと言わんばかりに言ってくるものだから、呆れるほかないといった方が正しいだろうか。それこそ、その愚痴を本人に言ってやればいいじゃないか、とさえ思えるが、本人を前に言えないからこそ和葉へと当たっているのだろうと分かれば、やはり、なおさら呆れるしかない。

「あなたは怠けすぎです。そんなことだから、〝静宮女史〟に呼び出されるのです。大方、また数学の課題を提出していないとかじゃないのですか?」

 和葉の問いに浄一は言葉を詰まらせる。図星を突いたようだ。

 〝静御前〟、〝静宮女史〟――二人のクラスの担任教師のことである。浄一は職員室へと呼び出されて、今まで説教をさせられていたらしい。和葉は職員室から出てきた浄一と出くわしただけで、それからは浄一に愚痴を聞かされながら廊下を歩んでいる。

「木曽野原、お前まで俺に説教するのかよ? 勘弁してくれよ」

 浄一からうんざりだといった目を向けられる。

 和葉――この頃はまだ木曽野原姓――は、さらに呆れるばかり。提出しなければならない課題もこなさないのに説教されるのは当たり前のこと。成績の良し悪し以前の問題である。しかも、自業自得の不満を自分に当てられては、困り果てた以外に何をしろというのか。

「あ、そういえば、俺は就職を決めてるんだが、おまえはどうするんだ? 進路について聞いておけって〝静御前〟に言われてよ。担任なんだから、〝静御前〟が直接聞けばいいのによ」

 これ以上愚痴に関してのことを言っていても和葉に言い返されるだけと感じたのか、浄一は思い出したような言い方をして話を替えてくる。

「ああ、進路希望について、〝静宮女史〟に言われているのを思い出しました。正直、悩んでいるところです。母は僕が進学することを願っています。でも、僕は母のためにも――」

「お袋さん、体が弱いんだったよな。就職して、お袋さんを楽させてやりたいところか」

「ええ。僕が小さい頃に父を亡くして、それからずっと僕のことを育ててくれたのです。なら、少しでも楽させてあげたいと思っています。

 ――というか、なぜあなたが僕の家の事情を知っているのですか? 話したことないのに」

 和葉は眉をひそめ、浄一を睨む。

 特に隠していることではないが、ぺらぺらと話すことでもないので、事情を知っているのは限られた人たちだけだ。少なくとも、浄一とこうして話をするといっても、家の事情まで話したことがない。

 〝静宮女史〟が担任として和葉の家の事情を知っているから、浄一へと話したのだろうか。可能性としては否定できないが、おいそれと事情を話す人ではないと分かっているので違うと断定する。

「そうだったか? じゃ、就職に向けての練習がてら、お前の家について調べたのかもしれないな」

 浄一は悪びれた様子もなく言う。指摘されて、そうだったかもねという感じなのだから、重く留めていないことがよく分かる。

「何なのです、その〝練習〟というのは。僕にプライバシというものはないのですか? いえ、そもそも、あなたは何になるつもりなのですか。人の事情を調べるとか、問題ありすぎです」

「俺は探偵になるつもりだよ。といっても、映画や小説に出てくるような探偵は、全く違うんだけどな。言わなかったか? ま、いいや。で、練習するに身近なのは誰かと思えば、木曽野原、お前だったわけさ」

 さも当然のようにいけしゃあしゃあと述べる浄一の顔が自慢しているように見えてしまう。

 和葉は眉間にしわを寄せ――

「そうですか、探偵ですか。なら、せいぜい映画のように呆気なく殺されないように頑張ってくださいね。変なネタを仕入れて、変な組織から目をつけられても、僕は骨を拾ってあげませんから」

「おいおい、酷い言い方だな。縁起でもないことを言うなよ。それに、そういう映画に出てくるような探偵じゃないって言っただろ。しかも、映画で呆気なく殺される探偵って、脇役もいいところじゃないか。

 全く、お前はそうやってすぐに嫌味を言うんだからさ。そんなことだと、女子に振り向いてもらえないぞ」

 嫌味には嫌味で返したということなのだろう。浄一はカカカとからかう笑いを向けてくるのだから、和葉の気は治まらない。

「嫌味を言わせる人が悪いと思いますけどね。それに、女子に振り向いてもらえないとか、どうでもいいじゃないですか。それは、いつも女の人に囲まれて過ごすあなたならではの嫌味ですか? ハーレムとはいいご身分ですね」

「言ってくれるじゃねえか。ハーレムなんてものはな、漫画やアニメの世界だけだ。現実じゃ、女が周りにいれば、男は何もできずにいいように扱われるだけ。実際、肩身狭いんだぞ。お前だって女に囲まれれば分かるさ」

 浄一は顔をしかめて、べっと舌を出す。普段からどのような生活をしているのか窺い知れないが、そこまで言うのだから嘘ではないのだろう。

 だが、そんなことを言うのも楽しんでいるからなのではないのか、とも和葉は疑ってみてしまう。そうでなければ、そうも易々と言えるはずがないと踏んでいるのである。

「でもよ。俺が言うのも変なのかもしれないが、お前の一番したいことをするのが、お袋さん、喜ぶんじゃないのか?」

 浄一はそう言うと、誰かを見つけたようで、名前を呼びながら駆けていってしまった。

 和葉は浄一の背中を見送ると、浄一の向かう先には女生徒がいる。やはり、口にするだけで、女の人に囲まれて楽しんでいるのだろうと分かれば辟易とする。

 浄一から視線を外し、〝自分の一番したいことをする〟とはどういうことなのかと考える。

 それはただの我が侭になるんじゃないのだろうか。でも、言うことを聞くだけがいいことだとも思えない。悩む一方だ。



   ◇



「母さん、大丈夫なのですか?」

 和葉が家へと戻れば、譲葉は寝室で横になっていた。上体を起こし、はにかむように首を横に振る。

「あらあら、タイミングが悪かったわね。和葉が帰ってくる前に起きていようと思ったのに。寝過ごしてしまったわね」

 そうは言うものの、顔色からまだ寝ていなければならないことは明白である。心配かけまいとしての言葉なのだろう。

「何を言っているのです。母さんは無理をしてはいけない体なのに」

「大丈夫よ。少し疲れたから横になっていただけ。本当に大丈夫なの」

 譲葉が手招いてくる。それに従い、譲葉のそばへと寄っていく。手招いていた両手は、しっかりと抱き寄せてくる。

「な、何を? いつまでも子ども扱いしないでください」

「いつまでも、和葉は私の子どもよ。これからも、ね」

 優しく頭を撫でてくれる。和葉は恥ずかしがって頬を赤らめるが、抵抗をしなかった。体が弱く、それでも、いつも和葉のことを想ってくれている譲葉が何よりも大事で――今まで譲葉が和葉を守ってくれていたのだから、今度は和葉が譲葉を守れるように、心に誓う。

「でも、その前に、和葉は言うことがあるんじゃないのかしら? 学校の先生から聞いたの。和葉がまだ進路希望の報告書を提出していないって。どうして?」

「そ、それは……」

 何をすることが一番いいのか。何を目指せば一番いいのか。自分のことも譲葉のことも考えると、決めかねている。心に誓っても、迷いが消えるわけではない。

「私は、ね。和葉のしたいことをしてほしいの。和葉のやりたいことは?」

「僕は――僕のしたいことは、母さんのために、母さんを守るために」

「私なんかのために、生きていくの? 和葉は、それでいいの?」

「僕は、それでいいと思っています」

「私は、私なんかのために生きてほしく、和葉を育ててきたわけじゃないの。それを分かってというのは、私の――ううん、今言うことじゃないわね」

 譲葉は和葉を放した。嬉しさと悲しみの入り混じった顔。そんな顔をされてしまっては、和葉は何も言えなくなってしまう。譲葉は、自分を守ると言ってくれる和葉が嬉しく、自分に縛られて生きようとしている和葉が悲しいのだろう。それが痛烈に伝わってくるからこそ、和葉は何も言えない。

「――分かりました。今はまだ、答えを出し切れませんが。

 晩御飯の準備をしてきますので、母さんはもう少し寝ていてください」



   ◇



 悩めば悩むほど、悩みが一層強くなっていく。焦らずに、でも焦って決めなければならないこと。正直、自分のことなのだと言われても、自分の未来のことなのだと言われても、まだ自分の周りのことさえ見えているのかどうか分からないのに、決められるのだろうか。

 その悩みも一旦中止。今は別のことを考えようと歩いている。

 和葉は譲葉とともに、近くのスーパーへと買い物に出かけ、今帰る途中である。両手に一杯の荷物を持って、二人で食べきれるのだろうかと思うほどにいつも買い込んでいる。けど、何かしらを作って、無駄にしていないので和葉はいつも感心させられる。

 実際のところ、譲葉が作った物を誰かに持っていっているらしい。どこの誰なのかまでは話してくれない――聞きもしていないこともある――ので、知らないことである。ただ、譲葉に誰か〝いい人〟ができたのかもしれないという憶測に、嬉しさと寂しさがある。

 自分以外に誰かがいれば、自分がそばにいない時に譲葉を守ってくれる相手がいるので助かる。しかし、自分以外の誰かに譲葉が守られているのだと考えることが寂しい。

 自分が置いていかれるわけでもないし、そんな年でもない。でも、寂しいのである。

 和葉は横に並んで歩む譲葉を見やる。譲葉は、なぁに? と問うように見て返してくる。和葉は、何でもない、と首を横に振って返した。

 そのまま二人で歩んで行く。何も悩むこともなく、ずっと二人で、こうして歩いていければという思いを胸に抱え込み――。

「――っんっ」

 唐突に譲葉が立ち止まり、呻き声とともにその場へとうずくまった。荷物を地面に置き、胸を押さえている。とても苦しそうに顔を歪ませている。これはいつもの発作だ。

 和葉は荷物を落としそうになるが留まり、置いた。焦るよりも、まずは冷静になることだ。その上で対処をしなければならない。

 ポケットからピルケースを取り出し、買い物袋からミネラルウォータのボトルを取り出して封を開ける。ピルケースから一錠、譲葉の口へと宛がえ、口の中へと収まるのを見ると、ボトルを宛がう。

 譲葉は弱々しくながらも飲み込む。苦しみをぐっと堪えている。薬を飲んだからといって、すぐに効果が出るわけではない。効果が出るまで、じっと待つしかない。どんなに焦れったくとも、耐えるしかない。堪えるしかない。

 譲葉がつらいことはよく分かるが、そばで見守ることしかできない和葉もじっと待つことしかできず、つらい。

「――なぁよなぁよ、大丈夫なんよぉ?」

 誰かが声をかけてくる。人が道の真ん中でうずくまっているところを見れば、気にかけてくる人もいたって何らおかしくもない。

 ここで騒ぎとして大きくなるのも困る。和葉は声の主へと、大丈夫だから、と言おうとしたところで止まった。唖然として、絶句してしまったのである。

 こちらへと覗き込むような形で相手は見下ろしてくる。その姿は、セーラーワンピースの少女。頭には獣耳のカチューシャをつけ、腰というべきか、スカートにはカチューシャに合わせたのだろう尻尾がひょろりと伸びている。耳も尻尾も作り物だということは分かる。しかし、街中でいる恰好にしては、明らかに場違いだ。〝外神田〟にでも足を運べば、いつもおかしくない相手といえばいいだろう。いや、たとえ〝外神田〟に行ったとしても、一部の店舗に入りでもしない限り見やしないだろう。

「なぁよ、具合悪いんかぁ? ちょっと待ってなぁ。今、楽してあげられるかもしれんよぉ」

 少女はそう言ってセーラーワンピースをまさぐっている。どこに何をしまっているのか忘れているような仕草である。

 和葉は唖然としたまま、少女を見据えている――あまりにもの珍妙さに、〝珍妙〟そのものを着ているかのようなそれに、目を奪われてしまっている。譲葉のことを思わず忘れてしまうのではないかと思うほどに、印象が強すぎるのである。内心かぶりを振って、譲葉へと見やる。

 譲葉は少女のことにも気づいていないようだ。まだ、そこまでの余裕がないのだろう。

「これやねぇ。あったんよぉ」

 ようやく見つかったらしく、少女のはきはきとした声。ただ、今の状況でこの声は耳を劈くだけで不快にしか思えない。頼むからそっとしておいてくれと叫びたいほど。そんな気持ちも露知らずに少女が何かを突き出してくる。

 カナリア色の石。手のひらの上にあるそれは、艶やかな光沢の中で何かが渦巻いているかのような印象を与えてくる。

「ちょっと待っててなぁ。今、楽にしたるからなぁ」

 少女は石を譲葉の胸元へと宛がい、言葉を発する。

 和葉には不可解な言葉にしか聞こえない。どこの言葉なのか聞き覚えもない。しかし、言葉の意味は分からずとも、とても大きな力があると感じられる。いや、感じ方であって実際はどうなのか、さっぱりだ。

 石は黒々とした光を放ち、散っていく。塵となって、風に乗って跡形もなく消えていった。

「何を……したんです? そんなことで――」

「なぁよ、煩いんよぉ。いくら楽にできると言うてもなぁ、すぐに効果はないんよぉ。せやけどなぁ、そろそろ効果が出てくるんよぉ。兄やんはぁ、それを待てばええんよぉ」

「待てと言われて、悠長に――」

 和葉は少女へと食って掛かろうとするものの、少女の人差し指が和葉の口へと宛がわれて制された。あまりにも無駄のない自然の動きに、和葉は虚を衝かれたとばかりに黙ってしまう。

「少し静かにするんよぉ。そんなに焦ったって、時間が進むわけじゃあらへんしなぁ」

 少女は何も心配が要らないと言わんばかりに笑みを向けてくる。

 和葉よりも年下に見える少女に、完全に場を制されてしまっている。だからといって何ができるわけでもないので憮然とするが、少女の言うことを信じて待つしかないのだろう。

 譲葉へと見やり、様子を見る。まだ苦しそうにしている姿を何もできずに見ているのは、こちらもまた違った苦しみを負わされてしまう。

 ――どれだけ待てばいいのだろうか。たとえ一分でも、とても長く感じてしまう。数秒であっても、重くゆったりとした時間に思えてしまう。焦れったく、待つことがこんなにもつらいことなのか、と改めて認識させられてしまうことに焦燥感が重なっていく。

 譲葉がゆっくりとこちらを見やる。まだ苦しそうではあるが、一生懸命に心配をかけまいと笑みを作ろうとしている。それがまた痛々しく感じられ、胸が苦しい。

 そこへ、少女が譲葉の胸元へと手を添える。和葉は、今度は何をする気か、と怪訝に睨む。

「全てを清浄なる流れに――」

 風が巻いた。

 和葉は目の前で起きる現象に息を呑む。何が起きているのか、何が起きようとしているのか、不安と期待が風とともに渦巻く。

 風が吹き抜けていった。和葉の中を貫いてった。心の中を穿っていった。ただ通り過ぎていった――。何かの風景が心境に広がった。風の記憶とでもいうのだろうか。

 涙が溢れてくる。何がそうさせるのかは分からない。風が催させるということだけははっきりしているが、それ以外は――この際どうでもいいことなのかもしれない。そんなことを考えるよりも、別のことに気にかけなければならないはず――。

「――これで、少しは楽になったと思うんよぉ。でも、病気を治せたわけじゃないんよぉ。せやから、気を抜いたらあかんよぉ」

 少女の声に我へと返った。譲葉を抱えている――そうだ、忘れてはいけないことだ。譲葉が体調を崩してうずくまってしまったのだ。そして、少女が譲葉へと何かをしたのだ、と記憶を反芻させる。

 譲葉の手が和葉の手に重なる。小さな笑みを向けてくる譲葉の顔色は、少しよくなっただろうか。少女へと見やれば、ニィと笑みを向けてくる。

「おいおい、勝手にいなくなったと思ったら、こんなところで何してんだよ。捜す方の身にもなれって、いつも言われてないか?」

 新たな声がある。それも、こちらへと近づいてくる。

 聞き覚えがあると思って見やれば、浄一がいた。


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