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クロネコヤマネコ  作者: 葛飾タキ
Episode6.獅子の瞳
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4.猛獣の檻へと放り込まれる罠にはまって。

 正直、どうしてこうなったのだろうか、と言わざるを得ない。何でこうなったのだろうか、と疑問をぶつけたくて仕方がない。

 だからといって、誰が答えてくれるのだろうか。誰が導いてくれるのだろうか。誰も答えてくれないし、自分でも答えを導き出せない。

 ううぅ、と呻くかため息を漏らすか、ともかく、遣る瀬無いということだけは分かっている。

 そのために、心穏やかというにはとても遠く、かといって何かしらの感情に絞るにも至らない。嬉しさや不安、色々な感情が入り混じり、あたふたとも混乱とも錯乱ともいえる状態。一言で表すのなら、〝どうしようもない気持ち〟となるだろうか。そうでなければ、やはり遣る瀬無いということになる。

 感情の赴くままに行動ができれば、すぐにもこの気持ちをどうにかできるのかもしれない。そんな考えが頭の中を過ぎるのだが、感情のままに行動などできるわけもなく、必死になって心を落ち着かせようとしている。

 カタカタと蓋を鳴らす薬缶とでもいおうか。蓋を押さえても、蒸気の力で持ち上がろうとする。隙間から吹き出す熱気に火傷しかねないし、その前に手を離してしまう。火を止めれば収まるはずなのに、火の止め方が分からないから、薬缶は煮立つままに蓋を鳴らすのである。

 いっそのこと、薬缶そのものを火から遠ざければいいのかもしれないが、そんな考えが思いつかないほどに混乱が乗じているのだから、これまた手の施しようがないとしかいえない。術(すべ)が思いつかないのだから、不甲斐ないといわれようとも情けないといわれようとも、事の成り行きに任せるしかない。

 こうなれば、今すぐにも叫びたい一心だ。叫べば、きっと心を制御できるはずだ。けど、できない。叫ぶわけにもいかない。これもまた、感情の赴くままに行動できないから、ということにつながるわけだ。

 さらにいえば、叫んでしまえば自分自身の心をどうにかできるかもしれないが、相手はどう思うことだろうか。自分だけ落ち着ければそれでいいのか。相手のことももう少し考えて行動しなければならないのではないのか。その考えがこの混乱の中で生まれるものだから、さらに混乱している。

 ――いや、ここにいるから落ち着かないわけであるから、叫ぶなりしてここから追い出されてしまえば、落ち着けるのではなかろうか。相手を前にしているから駄目なのだから、追い出されてしまおう。そんなことを考えても実行できないからこそ、今に至っているわけなので、これまたどうしようもない。

 どうしたらいいのか――悩めば混乱に赴くだけ――誰かに助けを求めようとも、自分で解決しなければならないのでどうしようもない。

 これほどにまで頭の巡りがよくなって色々と考えているのに、頭の巡りが悪いと言わんばかりに解決に至らない。正直、今の自分はどちらなのだろうか、と自問自答しているところがまた頭の巡りがいいのか悪いのか。

 もうこの際、頭の巡りが悪いということでいいのだろう。器用でないことは重々分かっているので、これしか答えようがない。

 〝どうしようもない〟の堂々巡りだと分かっているが、やはり、これもまたどうしようもないという答えしか導き出せない。

 今にも泣いてしまいそうだ。混乱のあまりに――何よりも、恥ずかしさに負けて。

 美加は俯き、上目遣いで相手を見やった。

 その相手は椅子に座り、机に向かって何か作業をしている。その背中は――何を語ろうとしているのだろうか、窺い知れない。やはり、不機嫌であると見ればいいのだろうか。それとも、こちらを相手として認識すらしてもらえていないのだろうか。悩ましく思えてくる。

 こちらの気持ちなど分かってくれていないだろう。〝どうしようもない〟ことに苛まれているなんて、微塵にも思ってくれていないことだろう。

 焦れったい気持ちが何かをさせようとより焦れったくさせる。なら、その焦れったさに乗じて、こちらから何か声をかければいいのだろうか。でも、かけるにしても何てかければいいのか――そもそも、声をかけられる状態になっていない。特に自分がいつまでも堂々巡りに興じてしまっていて。

 何もできず、ため息をついた――ついつい出してしまったといっていい。

「そこで不景気なため息をつくのはやめてください。ただでさえ不景気な世の中と言われているのに、さらに不景気に感じてしまうじゃないですか。第一、不満があるのでしたら、この部屋から出て行けばいいだけでしょうに。それとも、他に何か理由があるのですか?」

 振り返りもせずに、背中――和葉が先に声をかけてくる。恐らく、向こうも美加のどうしようもない行動に焦れてしまったのだろう。声色に棘がある。

 美加は思わず体をこわばらせてしまった。叱られたわけでもないのに、しゅんとしてしまう。ただでさえ俯いていたのに、より俯いてしまった。大きな体を、どこまで小さくするのかと言わんばかりに肩を落とし、身を縮こまらせる。

 ここは和葉の部屋だ。

 そして、ここへと放り込まれた美加は何もできずに俯いているだけとなっていたのである。猛獣の檻に放り込まれた仔猫。いつ黒猫ならぬ黒豹に食べられてしまうのか分からないと言いたげな状態。いや、もう黒豹の大きな口が仔猫の首へとかかろうとしているのではなかろうか。

 そんな〝猛獣の檻〟である和葉の部屋に、なぜ美加がいるのかということになる。

 百合垣家に一泊することになり――強制的に――夕食、入浴を終え、あとは就寝するだけとなった。特に問題もなく、百合垣家の一員に温かく接してもらえたともいえる。家族団欒とはいいものだな、と感じてさえいたし、今や独り暮らしをしている身からすれば羨ましいとも思っている。

 そうして時間が過ぎていき、美麗と同じ部屋で寝るということになったはずなのに、美麗に連れてこられた部屋は和葉の部屋だった。そして、美加の不意を衝いたというべきか、押し込められてしまったのである。

 何とも単純な罠にかかったというべきか、策略すらもない状況でよくそこまで追い詰められたというべきか。美麗の含み笑いがずっとしたたかに向けられていたことを感じていたというのにも拘らず、純真無垢な子どもなのかとそれこそ和葉に嫌味を向けられるほどに、ものの見事に罠へと飛び込んでしまったわけだ。

 そのあとはずっと何の会話もなく今に至るのである。部屋から出ようとするものの、美麗がドアの向こう側で出すまいと開けてくれない。最終的には、ここへと入れられて何分が経っただろうか、美麗が飽きるよりも早く部屋から出ることを諦めて、俯いていたということになる。結構早い根負けだったに違いない。

 和葉としてはどう思っているのだろうか。何度も背中を見たが、やはり一向に分からない。美麗の悪戯であることを分かった上で、あえて放っているのだろうか。飽きればそのうち出て行くとでも考えているのかもしれない。

 でも、状況が一向に変わらないから、俯いて何もしない美加だからこそ、声をかけてきたのかもしれない。哀れんでいるのだろうか。呆れられているのだろうか。

 美加はゆっくりと顔を上げれば――タイミングを計ったかのように和葉が椅子を回して見やってくる。その顔には、哀れんでもいるし、呆れてもいる。美加の不甲斐なさに、今にもため息をつきそうなほど、厭いているようだ。

「あなたにはからかい甲斐があるということでしょうかね。でなければ、愚昧にこうまでも弄ばれたりしないでしょうからね。僕としても、否定のしようがありません。全くもってそのとおりだ、と肯定してあげます。だからこそ、いつもからかって遊んでいるわけですし。

 ――さて、そろそろ何か言ってください。あなたの場合、一度だんまりになると意固地と思えるほどに何も言わなくなってしまいますから」

「………………」

 痛い。〝言葉の槍〟が突き刺さる。久方ぶりの痛みだ。

「ま、だんまりでいても構いませんけどね。夜な夜な騒がれるよりも、そちらの方が静かですから」

 和葉が背を向けてしまう。再び机へと向かって作業を始めた。美加の相手よりも作業の方が大事なようだ。それも分からないわけでもない。美麗の策略で放り込まれた相手など、重要視する必要などないのだから。

 美加は俯き――でも、すぐに頭を上げた。心はまだあちらこちらと暴れ回っている。何やったって落ち着かないだろうから、この際諦めもする。

 ならばこそ、これに乗じてしまおう。言っておかなければならないことがある。ずっと言おうとしていたこと。混乱の最中に忘れていたものが、今になって思い出してくれた。

 和葉に謝らなければならない――。

 決心にはなかなか辿り着かない。好機だということはよく分かっているつもりだ。しかし、心の整理する時間が欲しい。でも、すぐに謝りたい気持ちもある。

 どうしよう、どうしよう、とより焦ってしまう。また叫びたい気分だ。それこそ、そんなことをしてしまったら、何の意味もなくなってしまう。

「……ごめんなさい……」

 決心したのが先か、口が勝手に動いてしまっただけか――弱々しい言葉。それでも、精一杯の言葉。

 和葉の手が止まる。こちらへと振り返り、何を言っているのか、と言いたげに首を傾げている。

 美加としても、謝るには謝ったものの、和葉へと伝えきれていないことに、さらに焦ってしまう。

 どう説明すればいいのか。以前の、勝手に和葉を悪者扱いしてしまったこと――それを伝えればいいだけなのに――口にできない。

「僕が考えるに、〝僕が〈蒼い王〉を手にするため、あなたを囮にしていたという〟、あなたの勝手な解釈についてのことでしょうかね? まあ、全くもってあなた誤解以外の何ものでもないので、謝罪のひとつぐらいあっても然りなのでしょう。

 ――ですが、気にしていませんので、そんなに落ち込まなくてもいいですよ。〝あんなこと〟のあった後でしたからね。色々と整理する必要があっただけに過ぎません。ま、それでも謝りたいのでしたら、ご自由にどうぞ。といっても、すでに謝った後ですけどね。

 で、それだけですか、用は?」

 和葉はこちらの気持ちを察してくれた。その上で特に変わる様子もなく、いつもの調子で話してくれた。意地悪そうな顔――でも、よく見れば、優しく笑んでくれている。安心させようとしてくれている。

 それを汲み取れたからこそ、美加の心のわだかまっていたものが、少しずつ落ち着きをとり始めた。安堵へと変わっていく。

「本当にごめんなさい」

「二度も謝る必要はありませんよ。

 ――それで、まさかとは思いますが、何日も顔を見せていないと思ったら、それを言えずに悩んでいたなんてことないですよね?」

「え? えぇとぉ……」

 図星を衝かれてしまうと、言葉を詰まらせざるを得ない。まさか、ここまでものの見事に見通されていたことに苦笑いを返すことしかできない。

「ネコジシ商会に来ていなかった理由のことです。まあ、特にやってもらわなければならないことなんてなかったので、大した問題でもありませんでしたけどね」

「あぁ……うぅ……ごめんなさいぅ……」

 美加は俯いた。

 こちらの考えることが全て筒抜けなので、自分の情けないところの全てを和葉に予見されてしまったことに、恥ずかしく、穴があったら入りたい気分。

「でもまあ、何の因果か知りませんが、こうして顔を合わせています。お互い意図したものではありませんでしたけどね。

 そのついでというわけでもないですが、今のうちに僕の用件も済ませてしまいましょう」

 和葉は机のわきにかけられているバッグを手にして、中に手を入れると、瑠璃色に光る物を取り出した――青い石、ラピスラズリの石がついたペンダント。和葉から初めて貰った物。そして、お守りにと和葉に預けていた物――預けたままだった物。

 美加の視線は青い光に吸い込まれ、離すことができない。

 ずっと忘れていた。今になって悲しく思えるほどに、頭の中にそのペンダントのことがなかった。

 頬に涙が伝う。意思で止めることのできない――感情が湧き上がるよりも早く、泣くことよりも早く、涙が先立って流れ出てくる。

 和葉が目を見開いて驚いている。突然目の前で不意に泣かれれば驚くのも当たり前か。

 どのように声をかけていいのか戸惑っているようだ。どんな声をかければいいのか悩んでいるようだ。

 美加としても、和葉に迷惑をかけたくない。気を遣わせて、嫌な思いをさせたくない。

 でも、涙は止まらなかった。勝手に次々と出てきてしまう。

 和葉は椅子から立ち、美加へと近づいてくる。座り込む美加へと目線の高さを合わせるべくしゃがんだ。両手が伸びてくれば、美加にペンダントがかけられる。胸元に、再び灯る青い光。

「何を泣いているのか知りませんが、ひとまずそれは返しておきます。それは、あなたの物ですからね」

 笑みながら言ってくる。とても不器用ながらも、精一杯の優しさを込めてくれているのだろうことが伝わってくる。

 美加は洟をすすって、頷いて返した。

「こういう時――僕は何をしてあげればいいのでしょうか。恥ずかしながら、僕にはどうしていいのか分かりません。僕は……いえ、言う必要もないですね。言う権利などないですね。僕は、こんな性格ですから」

 和葉の指が涙を拭ってくれる。美加は目を瞑り、和葉の胸元へと額を当てた。そのまま頭を預ける。涙はまだ止まってくれない。泣き声が出そうなのを必死に堪えるだけ。

 和葉は――邪険にしてくる様子がない。受け入れてくれているのだろうか。それとも、我慢してくれているのだろうか。

「――僕のことを気にしなくてもいいですよ。できる限り声を落としてくれれば、構いません。好きなだけ、どうぞ」

「うぅ……ごめんなさい……ごめんなさいぃ……」

 和葉の胸にすがりつき、嗚咽を漏らす。声をなるべく漏らさないように、和葉に顔を押し当てて。その頭を、和葉が優しく撫でてくれる。

 とても温かい――

 心が落ち着く――

 こんなにも和葉に優しくしてくれて、安らぐ――

 和葉は本当はとても優しい人なのだと心に刻んだ。何もできない、泣くことしかできない自分に手を差し伸べてくれることが何よりも嬉しい。

 だからこそ、謝ることができて、本当によかった。もっと早く謝っておけばよかったと後悔さえあるほど。

 胸に光る青い石が、何だかとても眩しく見えた気がする。そして、和葉が言っていたこと――美麗が言っていたらしいこと――ペンダントで〝幸せ〟になれるということを、今改めて知った。再確認できた。教えてもらえた気がした。

 こうして自分が泣いてしまう時にも、一緒にいてくれる人がそばにいる――。

 少しずつ嗚咽が収まっていく。落ち着き始めたようだ。

 そこへ――

「それにしても、何を考えているのか分かりません。いやはや、僕の考える余地ではないということなのでしょうかね。部屋に許可なく入ってきたかと思えば、勝手に泣き出すのですから。これでは、まるで僕が虐めているようではないですか。嫌ですよ、あなたの都合で僕が悪者になるのは。僕にだって面子というものがあるのです」

 嫌みったらしい声がやってきた。優しい和葉でなく、いつもの〝黒猫〟和葉が戻ってきた。

 クドクドと言ってくる様には、さすがに嬉しさが半減し、優しいなんて思ったことが恥ずかしい。前言撤回である。

 美加は和葉から離れて目を据わらせて睨んでやれば、和葉はどこからどう見ても悪戯な笑みと分かる表情で見据えてくる。

 そのお陰というべきか、そのせいというべきか、涙はすっかりと止まっていた。

 憎たらしさよりも、どこか安心感がある。意地悪な和葉なのに――いつもどおりの和葉なので。

 でも、それだけだ。むっとしたまま、いつものように頬を膨らませた。

「いつものあなたに戻りましたね。下手に泣かれるよりかは、ずっとマシです」

 和葉は小さく笑むと、席へと戻っていく。机と向き、美加をそっちのけで作業の続きを始める。

「ああ、そうです。眠くなったら、僕のベッドを使ってください。さすがに〝その顔〟で美麗の部屋へと戻られても、僕が困りますので」

 振り返ることもなくベッドを指差す。

 いつも細かいことまで口に出す性格を表したといっていい、きっちりとしたベッド。潔癖症とまではいかなくとも、整理整頓をしていないと落ち着かないのではないだろうかとさえ思えてくる。

 よく見れば、部屋の至るところがきっちりと整理している。飾り気はない。

「聞いていますか、僕の言ったこと」

「う、うん。そうすると、和葉くんはどうするの?」

 さすがに和葉の性格からして、一緒に寝るとは言わないだろう。だが、気になるところだ。寝ずに机で作業をしているとも思えない。かといって、眠くなったらベッドから美加を追い出すとも思えない。

「僕は居間にでも寝ますよ。この時季、どこで寝ようと風邪は引きにくいので、問題はありません。なので、僕のことは気にしなくてもいいです」

 素っ気なく返ってくる。何かを含んでいるとは思えない。言葉どおりなのだろう。

「でも……」

「一応、あなたは〝客人〟としてここにいるのです。なので、無下にするわけにはいきません。それとも、その顔を美麗に見られたいですか? あなたはそれでもいいのかもしれませんが、僕は困ります。絶対に後で何かを言われるのが目に見えるからです。

 ですので、諦めて僕のベッドで眠ってください。まあ、僕のベッドが嫌だというのでしたら、止めませんけどね」

「ううん。アリガト」

 それっきりで会話が止まった。和葉の作業――ページを捲る音とペンを走らせる音だけが響く。

 何をやっているのか気になるので覗いてみたい一心に駆られるが、黙々と作業する和葉の背中を見ているだけで満足していく――。

 膝を抱え、顎を乗せた。眠気はあるが、もう少しこのままでいたい。久しぶりに顔を合わせ、同じ空間にいられるのだから。



   ◇



 ――どれほど時間が経っただろうか。部屋は暗くなっており、和葉の姿がない。時刻は分からないが、夜中であることは周りの静けさから窺える。

 どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。座ったままなので、体が痛い。

 肩には薄手の毛布がかけられていて、和葉がかけてくれたのだろう。

 和葉のにおいだろうか――とても温かいにおいがする。

 毛布の端を掴むと、頭からかぶって、包まれた。

 トクン、トクン、と胸が高鳴る。

 自分の気持ちを、今になって知ったのだろうか。ため息が漏れる。

 和葉と一緒にいたい――ずっと寄り添っていたい、と。


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