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クロネコヤマネコ  作者: 葛飾タキ
Episode5.紫鎧
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幕間:ヘカテ 4.それぞれの準備。そして、雨降る夜へと歩みだす。

 隆文に連れ添ってもらって、瑞希とヘカテが家に着いた時はすでに日が暮れていた。

日に日に日照時間が長くなっていくこの時季、辺りが暗くなった時間ともなれば夕食時ということになる。


 瑞希とヘカテがシャワーを済ませ、着替えを済ませてから居間へと入った。


 居間ではグラスにビールを注ぐ隆文が、それを飲んで空腹を紛らわせていた。

あれほどの惨状を目の当たりにしても食欲があるのは、刑事としての慣れなのか。

鈍感な人だとは思ったことはない。

むしろ、誉と一緒にいてあれやこれやと最善を尽くそうとするので、敏感なまでに気が利く人なのだろう。

いや、ここはスイッチの入れ替えの器用な人と評するほうがいいのかもしれない。


 酒の肴というべきかテレビがつけられており、野球中継がやっている。

ドーム球場で白いユニフォームと赤いユニフォームが入り乱れている。

ちょうど攻守の入れ替えなのだろう、中継からCMへと切り替わった。


「おぅ、お前さんたち、さっさと座れよの」


 隆文はもうほろ酔い気分で気持ちよくなっているらしく、一気にあおってグラスを空にすると、豪快に息をついた。

さすがに口に運ぶものがビールしかないからか、どこか物足りなさそうにしている。


「わ、私は……晩御飯の準備をしてきますね」


 瑞希は腰を据えることなく、俯いたままキッチンへと入っていった。


 ヘカテは隆文の斜め向かい側へと座った。


「よっぽど、怖い目に遭ったということかのぅ」


 隆文は瑞希がキッチンへと消えてから口を開いた。

グラスへと新たにビールを注いでいく。

泡がグラスからあふれそうになったところを慌てて口をつけてすすった。


 ヘカテは何も語らない。

瑞希の落ち込みようを見れば、語らずとも伝わる筈。


 隆文にはそれがちゃんと伝わっているようで――


「そういえば、互いにまだ名を言っておらんかったのぅ。

 柳崎隆文だ。

 お前さんは?」


 瑞希についての話を続けようとする気はないようだ。


「ヘカテ」


 ヘカテは素っ気無い淡々とした言い方で答えた。


「ほぅ、お前さんが〈魔女〉か。

 なるほどのぅ、入国したことは何かと噂になっておったが、この街におったとはのぅ」


「アタシを知っているの?

 あんた、何者なの?」


 ヘカテは怪訝の目を向ける。

警察だということはすでに承知だが、ヘカテの存在を認識しているあたり、〝一般人〟ではないと判断できる。


 しかし――


「ただのしがない公僕に過ぎんよ。

 魔具に関して、多少知っただけの、お前さん方のようなのから言えば〝一般人〟となるのか、それと何も変わらんよ。

 お前さんのことは、お前さん方のようなのが察知して教えてくれただけでの。

 放っておいても今のところは害がないと言われておるし、刑事事件でも起こさん限り、こちらから出向くことはないのでの。

 そう怖い顔で睨まなくても大丈夫だからのぅ」


 隆文は再びグラスのビールを一気にあおった。

息をついて、口の周りについた泡を親指で拭い取った。


「警察なのに、お酒なんて飲んでいていいの?

 アタシたちが〝あんなもの〟を見つけたから、忙しいんじゃないの?」


 ヘカテは貯水施設の遺体の数々のことを言った。

だが、隆文は気にする様子もなく、もう一度ビールを注ごうとするものの、グラスの半分も行かずにビールが尽きた。

物足りなさそうにため息をつく。


「貯水施設のことなら、本庁が引き継いだんでの。

 所轄には手を出させてもらえん。

 だからというか、待機していなければならんので、こうして酒で憂さを晴らしておる」


 瓶の口を覗いて中を確かめているのだろうが、出てこないものは出てこないので、隆文のため息が重なる。


「待機中なのだから、飲んでも駄目なんじゃないの?

 不良刑事というわけ?」


 嫌味を込めて言ってやるが、それもまた気にする様子を見せない。

小さく笑むと――


「当然じゃての。

 だから、魔具に関する仕事もできるからの。

 本庁は腕利き揃いだが、魔具に関しては全然駄目でのぅ。

 好きにさせておくのが一番じゃて。

 特に、貯水施設の死体は魔具に関わることなのだろう?

 なおさら、本庁じゃ解決はできんだろうのぅ」


 隆文は残り少ないビールをゆっくりと味わうということなのだろうか、口を湿らせる程度に飲んだ。


「事件は本庁が、魔具絡みのことはこちらでやるだけじゃての。

 本庁も一応魔具絡みのことをできる部署もあるんじゃが、課が違うとうまく仲良くできんでの。

 こちらはこちらで勝手ということもあるかのぅ。

 さて、お前さんに色々と聞かせてもらうかの。

 魔具については、まあ、ネコジシのオヤジ殿に任せておけばいいから、犯人についてを詳しく聞きたいのぅ。

 魔具はわからんとも、刑事としての足は使えるからの」



   ◇



 居間でヘカテと隆文が話しているらしいということは、キッチンにいてもわかった。

テレビの音もあるので、何を話しているのかまではわからないのだが、きっと、貯水施設で起きたことを改めて聞いているのか、魔具についてのことを聞いているのだろう、と予想をつけられる。


 なので、瑞希は料理に集中する。

自分では突っ込んだところまでの話をすることが難しい。

あったことを話すだけでも、思い出すだけで――体が震えてしまうほど。

だからというわけではないのだが、料理することで必死に忘れようとしている。

忙しなくすることで、頭の中から追い出そうとしている。


 料理といっても、今から作るにしても凝ったものを用意するに時間がかかるので却下。

さっと作れるものがないかと冷蔵庫を開けてみれば、卵とベーコン、半分だけ残った玉ねぎがあったので、それらを出していく。

冷凍庫を見れば、ラップに包まれたご飯があったので取り出す。


 これらでオムライスを作れば、晩ご飯として十分だろう。

あとは、何か付け合せになるものがないものか、隆文の酒の肴になるようなものがないのか、と再び冷蔵庫と冷凍庫を眺めた。


 こうしてあれこれ考えながら体を動かしていると、ほんの少しであるが貯水施設の出来事を少しだけ忘れることができた。

思い返さない限り、簡単には記憶の扉は開かないだろう、と自ら信じることにした。


 魔具に関することの喜びとヘカテを手伝おうとする安易なお節介――これで自分も死んでしまうのではないかというほどの恐怖を味わった。


 誉の関わる世界がこんなにも怖いものだということを知らなかった。

ネコジシ商会でバイトをしていて、いつも下手に魔具に関わるなと言われていたことを思い出す。

言われていたことの意味を今回の件で知ることになり、自分が如何に甘い考えで臨んでいたのかを思い知らされることとなった。


 でも、今回に限って誉が止めることはなかった。

素人だろうと何だろうと、止めなければならないほどの事件が起きていたということもあるだろうし、一度どんな世界なのかを体験させれば、如何に怖い世界へと足を踏み入れることなのかわかるだろうと思ったのかもしれない。

だとすれば、自分は誉の術中に見事なまでにはまったということになるのだろう。

何よりも、世界の違いを知るという経験を嫌というほどに味わえたのだから。


 結局、忘れようとして忘れることができず、記憶の扉が開く以前に閉まらなかった。

さらに、そんなことを考えながら作ったものだからか、随分と塩辛い味付けになってしまった。

失敗した、と後悔するわりには腹の虫が「早く食わせろ」と急かしてくる。

不味かろうとも、これで我慢してもらうしかないのだろう。


 できたものを盆へと載せ、居間へと向かった。



   ◇



 食卓にはオムライス。

少し野菜があったので、さっとドレッシングを絡めただけのサラダ。

そして、隆文の酒の肴として、ベーコンを厚めに切って焼いたものが並んだ。


 隆文はヘカテとの話を終えたのか、新たに用意したビールをあおりつつ、ベーコンを頬張り、野球中継を眺めている。

酒を飲んでいるからか、多少塩辛くても問題ないようだ。

ヘカテは黙々とオムライスを食しているのだが、味付けに関して何も言ってこないとなると、濃い味が好みなのかもしれない。


 ――特に会話のないままに食事が進んでいった。

会話をするにも、今日のことを話題にして食事などできないということもあるだろう。

魔具がどうとかという以前に、食事時に話せるような内容にならないからである。

あとは、三人で会話をするような話題がなかったということもあろうか。


 全員の食事が終わったところで、隆文はテレビを消した。

真っ直ぐに瑞希を見据えてくる。


「とりあえず、犯人については聞いたんだがの。

 どうする? ここで身を引いたほうが賢明だと思うがのぅ」


 瑞希はヘカテへと見やる。

ヘカテも隆文と同意見なのかもしれない。

真っ直ぐに見やってくる。

〝一般人〟なのだから、深く関わる必要がないと言いたいのだろう。

命に関わることを目の当たりにしたのだから、ここで引くべきだとなのかもしれない。

確かに、隆文の言うとおりだ。

それが賢明な判断に違いない。


「自分で勝手にお節介を焼いて足を突っ込んだんだから、けじめっていうのかな、最後まで手伝わせて。

 すごく身勝手なことを言っているのは、自分自身でもわかってる。

 足手まといにしかならないのだってわかってる。

 でも、怖い思いをしたからって、引き下がって放っておいてもいいのかって思ったの。

 手伝っている上で、私自身がどうなっても構わない。

 だから、最後まで――」


 真剣な眼差しで言っていく。

どこまでも馬鹿なことを言っているのだと、よくわかっている。

身を引くチャンスを与えてくれたのに、自ら棒に振ることもないだろうということも、よくわかっている。


 如何に愚かしい答えだったのか、とわかるように、ため息が二つ。

それも呆れた表情で出されてしまった。


「困った嬢ちゃんだというのは、よくわかっておったつもりだったのだがの。

 まさか、ここまでとは思わなんだのぅ」


「本当にやれやれって感じね。

 それとも、こういう相手に見つかってしまったアタシ自身の落ち度だったのかもしれないわね」


 二人とも怒っているように見える。

戸惑った様子で、二人を交互に見やるだけしかできない。

ここは〝身を引く〟という選択肢を選ばなければならなかったのだろうか。

馬鹿だとわかっていても、自分の思う先を選んでは駄目だったのだろうか。


「嬢ちゃんに何かあると、ネコジシのオヤジ殿にどやされるのは嫌だからのぅ」


「アタシがちゃんと独りでこなせれば、こんなことにもならなかったんだけどね。

 他人を巻き込んでしまったわけだし」


 瑞希は二人の物言いに物怖じをし、肩をすぼめる。

言葉だけなら手伝うことを許してくれているようにも聞こえるのだが、その口調は明らかに正反対である。


「やはり、ここは嬢ちゃんに怪我のないように、事を運ばざるを得んだろうのぅ」


「余計なことで労力なんて使いたくないんだけどね。

 勝手に怪我されて夢見が悪くなるのはこちらだし」


 瑞希は俯き、上目遣いに二人を見る。


「え、えと……私のせいで、怒ってる?」


 聞いていいものなのか悩んだのだが、ここは一度はっきりさせておくべきなのだろうと問う。

すれば、二人はタイミングを合わせたかのように、「当然!」と同時に返してきた。

瑞希は慄き、思わず小さく悲鳴を上げる。


「さて、と。犯人の狙いも分かっておるし、嬢ちゃんに無理せんようにしてもらうには――」


「ひとまず、タカフミについていてもらうのがいいのだけど。

 どうせ、言うことも聞かずにアタシについてくることを考えると――」


「お前さんに頑張ってもらうしかないのぅ。

 こちらはこちらで手を打っておくからの。

 ネコジシのオヤジ殿も、今回ばかりは出向いてもらわんとの」


 消沈する瑞希の前で、二人のつりあがった目はじっと瑞希を捉えたままだ。

瑞希は泣きたい思いを胸に、ここで何かを言い返せば、説教が返ってくるのだろうと察して、黙っていることにした。

二人に任せるしかないのだろう、色々と。



   ◇



 三日が過ぎた。


 子どもが消えたという事件は、その間に起きることがなかった。

あの鎧の魔具が新たな宿主を探すに時間がかかっているからだ、とヘカテは説明してくれた。

でも、それだけで三日もかかるのだろうかという疑問を瑞希は持った。


 しかし、連日連夜、貯水施設で見つかった痛ましい事柄をニュースもワイドショウもずっと取り扱っており、泣き喚く親兄弟をモザイクと変声機能を用いて映像にして、とても深い悲しみと憤りが画面一杯にここぞとばかりに流れているだけだ。

一方、新たに事件が起きたということが一切報道されていないことを見れば、ヘカテの言うとおりなのかもしれない。


 警察が情報統制しているも考えられるものの、それならそれで、隆文から何か話があってもいいのかもしれないが、何一つなかった。


 瑞希はぼんやりとテレビを眺めている。

この三日間、特に何もやることがなくて暇な時間を持て余していた。


 ヘカテは瑞希のことなど構っていられないと言わんばかりに、居間の隅で作業をしている。

瑞希が何をしているのか尋ねたところで、何も返してくれなかった。

見ていれば何をしているのかわかる、とでも言いたそうである。


 あの魔具に対抗する手段を用意しているのだろう、とは薄々と感じている。

紙に魔法円を描き、黒い玉をいくつか包んでいくのだ。

危険なものだから近づくな、とまで言われているので、ヘカテを放っておくことにした。

邪魔をしても仕方がないし、瑞希の手伝えることでもないのだろう。


 壁にかけられているヒヨコを模った時計を見やれば、午後五時を回ろうとしている。


 瑞希はため息をついた。

テレビを消して、椅子の背もたれへと体を預ける。

目を閉じれば、音のみの世界が広がる。

ヘカテが作業をしている音。

外の音も僅かに聞こえてくる。

車の走る音に加え――雨が降り出したようだ。

梅雨の時季なので、雨など何も珍しくない。

むしろ、雨音に厭いてさえいる。


「――できた」


 ヘカテがそう言ったので、瑞希は目を開けた。

見やれば、紙に包まれていたものが山となって積まれている。

十、いや、十五はあるだろうか。


「三日が経つし、そろそろこっちも動かないとね。

 あちらも新たな宿主を見つけて、新たに子どもを狙いだすだろうし。

 何? ああ、これ?

 魔術発火式の簡易爆弾よ」


 瑞希が尋ねるまでもなく、ヘカテが答えてくる。

もしかしたら、視線が何をしているのか、と尋ねてしまっていたのかもしれない。


 積まれた山へと見やれば、紙の塊にしか見えないのだが、〝爆弾〟と言っているあたり、きっと中に詰めていた黒い玉は火薬なのだろう。

ならば、本当に近づいたら危険なものを、この居間の隅で作っていたということになる。

火を使うようなことを一切していなくてよかった、と胸を撫で下ろすほど。


「さあ、出かけようよ」


 ヘカテは紙の塊、もとい、簡易爆弾をビニル袋へと詰めていく。

無造作に放っていくので、扱っている本人は大丈夫そうなのかもしれないが、見ているこちらとしては、それに危険性はないのだろうかとハラハラとしてしまう。


「そうだ。

 あなたは、〝〈人の枠〉から外れた奴を見つけることができる〟って言ったわよね?」


 何を唐突に訊いてくるのだろうか。

正確には〝見つけることができる〟ではなく、〝見分けることができる〟だけなのだが、頷いて返す。


「相手がいくら鎧をまとっているからといっても、その上から上着を着られたら、見ただけじゃ判別がつかないんじゃないかとも思うんだけど、その辺は?」


「鎧そのものを見て判別しているわけじゃないし、何と言えばいいのかなぁ、そういう人は周囲が違う色になって見えるの。

 上着を着ても関係がないと思うけど。

 でも、この時季に上着なんて着ていたら、すぐにわかりそうだけど。

 鎧を隠せるような上着なんて、コートだろうから、暑苦しい恰好だろうし」


 それなら自分の〈魔眼〉とやらも、必要がないように思えて仕方がない。

首を傾げてしまう。


「今、雨降ってるよね?

 別に大げさな恰好じゃなくて、雨の下でも何ら不自然じゃないコートがあるじゃない」


 ヘカテは簡易爆弾の入ったビニル袋の上から布を巻きつけ、トートバッグへと入れながら言う。

雨の下を歩くために濡れないための処理なのだろう。


 それを見ながら瑞希は考える。

雨の下で不自然でないコートといえば――難しく考えるまでもなく、答えが出てきた。


「レインコートね?

 あれなら、体をすっぽりと覆うような大きなタイプのものを着れば、鎧の上からでも目立たないし、誰からも不審がられない」


「そう。

 アタシはあいつが何かしらの力を使わないと察知できないけど、あなたの〝目〟ならば見分けられるのかなって思ったの。

 で、どうなの?」


「うん、大丈夫」


 自分に役立つことがあることに、心の奥底から嬉しさが駆け上がっていく。

ヘカテと隆文にこっぴどく怒られた後だからこそ、その思いはとても大きい。


 でも、ここで浮かれていては、前のような何もできず、動けないことになりかねない。

気を引き締めて、改めて頷いた。



   ◇



 赤い傘の瑞希、黄色い傘のヘカテが並んで歩む。

辺りはだいぶ暗くなってきている。

夜を間近に空が紫へと染まっていく。


 瑞希は自らの〝目〟で行き交う人々を見ていった。

今まで、誰かを探そう、誰かを見つけようと思って〈魔眼〉を使ったことがない。

見たら、たまたま普通の人と違った色をしていたということしかなかった。


 この印象の違い、手段として用いることに、初めて戸惑いを感じてしまう。


 でも、何ということもない。

いつも見えている世界に、何も違わないのだ。

そう、ちょっとした小物をどこかに置き忘れて捜しているような、買い物で欲しいものを探しているような、人ごみの中で友人を捜しているような、至って普段の生活で使う〝目〟の使い方と変わっていない。

目的というべきか、目標が違うだけのこと。


 そう考えれば、何を戸惑っていたのだろうか、と自らを嗤った。


「どう? 何か見えたりしない?」


 ヘカテが心配そうに見やってくる。

自分の〈魔眼〉を信用してもらえていないのか、とも思ったのだが、単にすぐに見つかるようなものでもないから焦れているのだろう。


 瑞希は首を横に振った。


 こうやって探しているうちに、改めて自分の見える世界に関して、新たに認識することがあった。


 〈人の枠〉に収まらない人というのはどこにでもいるのに、いざ探してみるとどこにも見当たらないのである。

自分自身を始め、ほんの少し、ほんの僅かだけ〈人の枠〉に収まることのできない人は、今まで何人も会ったことがある。

そういった人たちは、決まって自分の存在が〈人の枠〉に収まっていないことを認知できていないことが多い。

また、認知できていたとしても瑞希のように大して力のない者ばかりだった。


 ヘカテのような、明らかに〝〈人の枠〉から外れすぎている人〟は今まで会ったことがない。


 そういう人は〝人の社会〟からも外れ、人目のつかない生活を送っているのかもしれない。

なら、人目につく人たちは皆、〝人の社会〟に適応できる範囲の人たちなのだろう。

自分自身も〝人の社会〟の中で生きているのだから、同じだろうと結びつけた。


 そして、あの鎧は〈人の枠〉に収まらない上に、〝人の社会〟にも適応しない――適応できない――もの。

今まで見たこのない存在、会ったことのない存在だった。

横に歩くヘカテと同じ、自分が今足を踏み入れようとしている〝世界〟の存在。


 怖い。


 一言で言えば、それ以外にない。

今にも足が震えてしまいそうになる。


 でも、ここで臆してしまったら、それこそ何のためにこの世界に足を踏み入れたのだろうか、ということにもなる。

浮かれているのと変わらず、何できないだけじゃないか、と。


 心の奥底に渦巻く感情を振り払う。

あとでまた渦巻くのかもしれないが、そうなったらまた振り払えばいい。



 ――視界の隅に何かを捉えた。



 人とあまり出くわさなくなって、どれほどの時間が経ったのだろうか。

人のいないところのほうが、魔具とも出くわすだろうと思って、人寂しいほうへと足を向けていたということもある。


 だから、明らかに違うものが見えた。


 白、青、黄色、赤、紫、オレンジ、ピンク――色彩豊かなものが見えたのだ。

虹彩色といってもいいのか、色が次々と入れ替わっているといっていいのか。


 それは青黒いレインコートを着て、こちらを見据えている。

フードを目深に被っているので男か女かもわからない。

レインコートの上からでは、体格すらもわからない。


「……ヘカテ、あの人……」


 瑞希は言った。

指を差そうとも思ったが、本能が「差すな!」と叫んでくるので、言葉だけにした。

指を差せば、間違いなく今すぐ嫌なことが起きかねないと予見してのこと。


 ヘカテは何も答えない。

でも、そのレインコートのことであるとわかって、見据えている。


 レインコートはゆっくりとよそを向き、歩き出した。

ついて来い、と言っているようにも見えた。

こちらが気づいていると同じで、向こうもこちらに気づいている。

いや、他に人影がないのだから、間違いなくお互いがお互いを認識している。


 間隔を取って、レインコートの後ろをついていく。

きっちり、十メートル以上は離れているだろう。

レインコートは瑞希とヘカテがついてきていることに気づいているのに、逃げる素振りもない。

明らかに誘っている。

おびき寄せるような足取りに見えた。


 間隔を維持して、レインコートと同じスピードを保つ。


 瑞希は携帯電話を取り出して、アドレス帳から隆文の番号を選択し、つないだ。


『――どうかしたのかの?』


「柳崎さん、今すぐ来られますか?

 〝それらしい人〟を見つけたんです」


『わかった。無闇に突っ込むなよ。

 それと、どこへと向かえばいいのかの?』


 レインコートの歩む先に、墨色の空を背景にそびえる黒い影がある。

病院。

何年も前に廃業して、そのままにされた建物である。


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