5.人を惑わす噂を目にした時の現実。
和葉には全くもって反省の色がなかった。それどころか、さも当然のことだと言わんばかりの顔をしている。
「あなたが僕を“黒猫”扱いするので、当てつけたに過ぎません。それに、今まで暢気に寝ていたことに対しての当てつけもあるでしょうかね。ああでもすれば、目も覚めることでしょうし」
何ら悪気もない。むしろ、正しいことをしたと言わんばかりなのだから、これ以上何を言ったところで反省は決してしないのだろう。
そんな和葉に美加はため息をついた。がっくしと肩を落とす以外の何ものでもない。スチールデスクから離れて、壁に背をつけてマグカップに口をつけた。和葉の言動に呆れて何も言えない。それがまたコーヒーを苦くさせてくる。
気分を変える“砂糖”が欲しくなってくる。もうぬるくなってしまっているので、砂糖よりもガムシロップの方が適任かもしれない。どちらにしても、この雰囲気をどうにかできるような画期的ともいえる何かが欲しい。その“何か”というのは何なのかと問われると答えようがないし、思い当たりもしないところがまた侘しい。
片目で和葉を見やれば――
散々嫌味を言って気が晴れたようだ。先程までのツンケンとした様子がなく、平々凡々とマグカップを傾けている。次の饅頭を手にして、心置きなく味わえると内包袋を開けている。
その姿がまた憎たらしく見えてくる。自由奔放に遊び呆けて我が物顔で欠伸をしている黒猫そのものなので、嫌味を言いたいのはこちらの方ではなかろうか。まさしく、“黒猫”と呼んで正解だったのだと再確認してしまう。
静かになった二人をよそに、ガタガタと暴れ回る音が聞こえてくる。ヘカテが入っていった部屋から、それもドア越し壁越しに聞こえてくるのだから、さぞかし部屋の中で嵐が訪れていると言わんばかり。物騒なまでの騒音として聞こえてくる。
ヘカテが何かに当たっているのだろう。さらには怒号らしき声も聞こえてくるので、どんな暴れ方をしているのか想像するだけでも怖い。この音が止む頃には、さぞ悲惨な光景が広がっているのだろう。散らかって済めばまだいい方で、色々と物が壊れて部屋の壁にはいくつも穴が開いているんじゃないかと、想像が膨らんでしまう。
美加はヘカテの部屋に入ったことがない。でもそんな光景を浮かべてしまえば、ため息が勝手に出てきてしまう。予想などしたくもないのに予想してしまって、よりげんなりである。
そんな音も数分で静かになった。ヘカテの気が済んだと見ていいのだろうか。ただ、騒ぎ方が派手過ぎたような気がしたので、まだ怒りが治まるには短時間に思えてしまう。
一度何かに怒りをぶつければ気が済んでしまう性格だとするなら、あり得ない話でもない。しかし、長い付き合いというわけではないが、ヘカテがそう簡単に気を治めるような相手だったとは思えない。考えると「違う」と頭の片隅からすぐに答えが出てくる。考えるまでもないと断言してもいい。
そう考えていたからこそ、スチールデスクから離れてコーヒーを飲むなんてことをしている。この後のことも予測できていた。ヘカテの性格を簡単に想像できてしまうからこそ、予想を容易に立てることもできた。
勢いよくドアが開かれ、「カズハ!」と叫ぶ女が部屋から出てきた。
美加と同年代の風貌。しかし、体型は違った。起伏の乏しい美加と違い、“西洋の映画女優”よろしくといった豊かなボディラインの持ち主。無理矢理着たんじゃないのかと思えるTシャツとジーパンがボディラインを顕著にしている。美加に対していささか嫌味を見せているだけじゃないのかと勘繰ってしまうところなのだが、手っ取り早く着れそうな物を片っ端からまとった結果なのだろう。
さらにというべきか、ただというべきか、その手には黒々とした細長い代物、如何にも危険極まりないということを体現した消音狙撃銃、VSSヴィントレスが握られている。
そして、昨日の寒空の下に廃工場の裏手で犯人から和葉を陰ながら守っていた女狙撃手でもある。
美加は息を呑んだ。さすがにそんなものまでも持ち出すのかと唖然としている。
和葉は平然と見やるだけだ。銃口を向けられても余裕なのは、廃工場で犯人に拳銃を向けられた時と同じ。銃火器なぞ恐れるにあらずと言わんばかりである。
「今すぐバチを当ててやるんだから!」
女は明らかに逆上している。トリガーに指がかかり、いつ発砲するか分からない狂気に包まれている。
「バチ? あなたが手にしている物は銃ですよね? それでバチを? そんなこと“神様”でなくてもできますよね? 所詮、自称“神様”ですか。とんだお笑い種です」
和葉は依然余裕を持ったまま冷笑を浮かべた。撃たれることを考えてもいないのか、徒に挑発しているとしか思えない。あたかも愚行と取れる行動にしか見えなかった。
「もう、和葉くんは変に挑発しないでください」
しばらく関わらないでいようと思っていたのに、この状況を見ていることが我慢できず、止めなければならないと駆られ、美加は二人の間に割って入った。
女のヴィントレスは玩具などでなく、本物であることを重々知っている。だから、銃口の前に立つことはとても怖い。だが、こんなところで事件沙汰になっても困るのだ。バレルを押さえ、強引にも銃口を下げさせた。
「“ヘカテさん”も落ち着いてください。和葉くんは元々あんな性格なんですから、気にしちゃ駄目なんです」
「ううぅ……ミカがそう言うのなら。
いい、バカカズハ! 今回は美加に免じて見逃してあげるだけだからね! 次は痛い目に遭わせるんだから!」
美加に宥められてもなお怒りの治まりきれない女、ヘカテは和葉へと言い捨てると、部屋へと戻っていった。
それを見て美加は胸を撫で下ろす。警察沙汰にまで発展しなくてよかった、と。そして、とばっちりで撃たれなくてよかった、と。
ヘカテ――幼女と妙齢の女、背恰好が違うものの同一人物である。全く同じ存在なのだ。一見、物理的にあり得ないほどの差はあるのだが、個体そのものは何も変わらない。
ヘカテの特徴というべきだろうか、周りとかけ離れた〈異能〉を持つ。とはいえ、背恰好を自由に変えられるという“しょーわのまほーしょーじょ”みたいなことができるだけだ。さすがに“へーせーのまほーしょーじょ”のようなビーム照射や爆裂魔法といった物騒なことはできない。
そういった〈異能〉を持つことから、自ら“神様”と名乗り、周りから〈魔女〉と呼ばれている。
着ぐるみパジャマからTシャツとジーパン姿に変わったのは、着替えただけのことに過ぎない。さすがに“しょーわのまほーしょーじょ”ほど万能でなく、着ている物までは替えることはできないのである。そこまでできたら、さぞかし“しょーわのまほーしょーじょ”から“昭和の魔法少女”へと格上げしていることだろう。それでも女の子の変身願望を体現した古めかしい魔法少女観を拭い去ることができないのは、変身だけではその程度の代物だというだけのことだ。
部屋へと戻っていったヘカテは、数分と経たずにこちらへと戻ってきた。手にはヴィントレスがなく、単に部屋へと置いてくるために戻っていっただけらしい。
誰にも目を合わせることなく、事務所に乱雑に置かれているパイプ椅子を手にすると、部屋の隅へと置いた。そこへと座り、何も言わずに和葉を睨む。行動へと移らなくなっただけで、まだ怒りは治まりきっていないようだ。
これで一応騒ぎが治まったと見ていいのだろうか。美加は安堵の息をついた。
彼らとて、本気で事を大きくしようなんて考えていない筈だ。だからこそ、騒ぎが大きくならずに済んだともいえる。
「さて、“茶番”はこれまでにしますか」
和葉が口を開いた。その“茶番”の原因なのにも拘らず、自分の言ったことを悪いとも思っていないようだ。いい気なものだとしか言いようがない。
ヘカテが“茶番”に反応を示しているようで、でも、和葉を睨むことで我慢をしているようだ。刺々とした感情が空気を伝わってきそうなまでに不機嫌をあらわとしている。そして、これ以上の騒ぎを続ける気もないようだ。口を挟むこともないし、その気すらも感じられない。
「本題に入りたいわけですが――“あれ”は持ってきていますよね?」
和葉は両肘をスチールデスクへと突き、手を組んで顎を乗せる。そして、美加へと催促の目を向けてくる。先程までからかって遊んでいた時と違い、商人としての鋭い、とても鋭い光を放つ日本刀のような、全てを切り裂いてしまいかねない目。
正面からこの視線を受けると、思わず生唾を呑み込んでしまいそうになる。美加はその目に竦まないように内心かぶりを振った。
ポケットから手のひらほどのチャック袋を取り出して、スチールデスクへと置いて和葉へと滑らせた。
和葉は受け取ると躊躇なく中身を取り出す。まるで自分の物であるかのような扱いだ。
銀色の指環。山羊とも獅子ともとれる動物の頭が装飾されている。むしろ、動物よりも悪魔を模したと言った方がいいかもしれない。正直、趣味がいいとは思えないものだ。年代物なのか、擦り減っていて鈍く歪な光を放っている。
「なるほど、これが“あの男”が所有していた指環ですか」
“あの男”というのは、昨夜逮捕された九条のことだ。ただ、和葉は九条の名前を覚える気もなく、知ろうともしない。指環の所有者程度の認識しかもっていないから、他の情報はどうでもいいらしい。
「そう。犯人の持っている指環が和葉くんのご所望でしたから、こうして持ってきました」
たとえ犯人とはいえ、所有物を勝手に持ってくることは許されていない。事前に隆文に話した上で持ち出すことを許されている。
「そうですか、なるほど――」
和葉は美加の話など聞いていないようで、意識が指環へと向かっている。美加もまじまじと眺めてみるのだが、何があるのか分からない。なので何が“なるほど”なのか見当もついていない。
「それって、何か“曰くつきの物”なんですか?」
ただの小汚い指環にしか見えなかったので、何気なく尋ねてみた。
「“曰くつき”と言えば“曰くつき”ですね。この指環は〈テリオンの指環〉と言いまして、かの高名な近代魔術師アレイスター・クロウリィが身に着けていたという噂があります」
「あれいすた? くろぬり?」
「アレイスター・クロウリィです。黒く塗ってどうするのですか。全く――」
厭いた様子でため息をつかれてしまった。いや、むしろ小馬鹿にしたため息だろうか。
聞いたこともない名前を挙げられて、聞き取りきれなかっただけのことなのに、そこまでの反応を示さなくてもよいのではないだろうか。美加はムッとしてしまう。それでも話を聞かなければならないので、ここは我慢するしかない。
「中高生でも知っているような、結構名の知れた魔術師なんですけどね。まあ、あなたに魔術師の説明をしてもいいのか悩んでしまいますが、今は長々と説明している暇はないので割愛させていただきます。
それでですね。その指環についてですが、“身に着けた者に多大な魔力を与え、国一つを手にすることも可能”だとか。それこそ、“〈黙示録〉に登場する〈666の獣〉になることができる”そうです。
――ですが、噂は所詮噂でしかないようですね」
和葉は一頻り眺めた後、ため息をついた。指環に何の価値も見いだせないのか、ぞんざいにヘカテへと投げ渡した。
指環を受け取ったヘカテは、和葉がやったことと同じく、掲げて眺め始める。
美加はヘカテの結論を待てなくなり、和葉へと尋ねた。
「噂でしかなかったって? それって、“噂ばかりのただの指環”だったのですか? 魔術やら何やらの道具じゃないってこと?」
そんな美加のせっつき方に、和葉は片眉を吊り上げる。マグカップを置いて仕方がないかと言いたそうな顔をした。ここで突っぱねたところで、何度も質問を繰り返されるとでも思ったのだろう。
「どうなのでしょうかね。僕は魔術のエキスパートというわけではありません。飽くまで、“特殊な物”を扱う商人でしかないのです。ですので、魔具の類かどうか、詳細までは分かりません。
でも、商人としての勘では、“噂ほどのものでもない”と判断させていただきます。噂というものは、“尾ヒレ”が付くものですからね。クロウリィに関する事柄は全て“尾ヒレ”だと思いますよ」
そう言って、再びマグカップを手にして傾けたのだが、中身が入っていなかったようで、ため息をついた。立ち上がってコーヒーメーカーの前へと立つ。
その間に、ヘカテが指環を投げ返してきた。トントンと、スチールデスクの上を跳ね、加減して投げたのだろうか、落ちることなく縁の手前で動きが止まった。そこまで見越して狙ったかのように。
「さて、ヘカテ。あなたの見解はどうなのですか? 僕と違って、この手に関する“目”はあなたの方が優れているわけですし。魔具かどうかの判断はついたのでしょ?」
和葉は湯気の立つマグカップを手に席へと戻り、指環をスチールデスクの真ん中を置き直してからヘカテへと尋ねた。置き直すのはきっちりした性格とでも言おうか。
散々ぞんざいに扱われた指環からして、最早、魔具かどうかの判断を訊く意味などあるのだろうか。大層な物なら、“投げる”なんて行為はしないだろう。それこそ、地方によっては捨てることを“投げる”とも言うぐらいなのだから。
美加はそれでも仔猫が猫じゃらしを待つような目で二人を見やった。何と言ってくれるのだろうか。是か非か。魔具なんていう物を今まで見たこともなかったのだから、好奇心をくすぐられる。いや、魔具でないような扱いをされているのだから、“魔具でない”ということの答え合わせをしたいのである。
ヘカテは未だ気の乗らない様子だったが、話さないと先に進まないとあって口を開いた。
「……魔具よ」
その答えに美加はきょとんとする。“魔具でない”と予測していたのに、全くの逆なのだから驚くほかない。思わず「あれ?」と口に出てしまいそうなほどだ。
和葉は魔具でなさそうな判断をした。ヘカテだって放り投げるほど。これで“魔具”だと言われても、ピンとこない。粗末な銀細工を扱っているようにしか見えなかったのに、合点がいかない。
唖然と二人を見やる。
「間違いなく魔具よ。でも、噂ほどの能力は全く持ってないわ。〈鎮魂〉するほどの危険な代物でもないし、“一般人”が持っていたところで何ら問題もないわね」
ヘカテは未だに根に持っているようで、和葉に顔を合わせるつもりが全くなく、指環についても仕方なく答えているだけで、横を向きながらぼそぼそと言うのだ。
「――だそうです。なら、これは犯人さんに返してあげてください。元々は彼の所有物ですし、犯罪者だからといって、所有する物を意味もなく取り上げるわけにもいかないでしょうからね」
「え? 返していいの?」
魔具だったり、返してよかったり、美加の頭の中は今にも混乱の渦に呑み込まれんばかりだ。しかし、和葉の言う通りでもあるのは確かである。けれども、魔具かどうかが分かっただけでしか、今の段階ではいない。これでは魔具を見たかっただけで留まるのではないのかという疑問が沸き立つ。
「ええ、魔具といっても、危険でなければ〈鎮魂〉する必要はありませんからね。現に、世の中の魔具のほとんどは野放しのままです。とりわけ危険な物だけを〈鎮魂〉して、あとは持ち主の意思に任せています。
そうですね――。例えるのならば、某国の博物館に所蔵されている〈ホープダイア〉がいいでしょうか。幾つか逸話のある呪われた青いダイアモンドなので、一般人でも知ることのできる有名な魔具の一つです。あれ自体はかなりの魔具としての力を有しているのですが、某国は一時期展示までしていました。正直、恐れ入る話です。
変な話ですが、刃物でも刀などは持つために許可が必要となってきますが、包丁のような物は持ち主の意思によって普通に持てますよね。まあ、自由に持ち歩けなのは、法律で定められていますけどね。凶器として使用しなければ、許可あるなしに拘らず、刃物自体を所持することに何ら問題ないわけです。ナイフや刀剣の蒐集家もいるぐらいですから。あ、いえ、その辺に関しては法律改正で持つのも厳しくなってきていましたかね。それは僕よりも警察であるあなたの方が詳しいでしょうか。
魔具も然りです。刃物のような法的処置は一切ありません。むしろ、表舞台に立つことがないので法的にどうこうできる代物ではありませんけどね。社会において危惧するようなことでもなければ、特に何かをする必要もありません。
まあ、危惧するようなことがあるとしたら、僕たちが〈鎮魂〉するよりも早く、“ある人たち”が動くだけのことですけどね。そのことについては、“刃物を振り回している人がいれば警察が出る”と同じことと思ってくれればいいのでしょうかね」
「そうなんだ……」
美加は空返事で、和葉とヘカテを真似て指環を掲げる。銀色の指環を、これが魔具なのか、と眺めた。
しかし、近くから見ても、遠くから見ても、どの角度から見ても、ただの指環にしか見えなかった。指環でないとするなら、金属が輪状になっているだけにしか見えない。これのどこが魔具なのだろうか。それこそ、街の銀細工の店へと行けば、二束三文で売っていそうだ。露天商で売っている物だと言われても信じてしまいそうだ。和葉もヘカテも投げるようなことをするのだから、なおのこと。
さっぱり理解できない。せめて持っていれば何かしらの“力”を感じるというのなら、分からないでもない。でも、何も感じない。金属特有の冷たく硬い感触しかない。
魔具たる然とした“力”を感じられれば、魔具を全く知らない美加にも、魔具とはこういう物だと分かるのに。考えれば考えるほど、魔具としてよりもただの指環にしか見えなくなってしまった。底なし沼に嵌って、もがいた挙句に余計に嵌っていってしまうかのようだ。
「それのどこが魔具なのか、さっぱり分からない――そんなところですか?」
和葉はマグカップを傾けながらほくそ笑んでいる。
美加が何も知らないことを嗤ってくるのはいつものことなので、気にしない。しないとイライラが募って仕方がないからだ。ただ、和葉に心を読まれたのかと驚いて、体を強張らせてしまった。
「別に驚かなくてもいいですよ。魔具を初めて見る人は、大概同じ反応をしますからね。あなたは魔具に関しての知識を持っていないのですから、魔具を目の当たりにしても不思議がるのは当然のことだと思いますよ。
それは間違いなく魔具のようです。ヘカテの見立ては確かなので、嘘偽りはないかと。それで、どのような物なのかの詳細については、ヘカテに聞いてください」
和葉はそう言うと、これで話は終わりだと言わんばかりに椅子を回して背を向けてしまった。
美加はもう少し説明があってもいいのにと文句を言いたげに和葉の背中を睨むことしかできない。言ったところで和葉が相手してくれるとは思えず、むしろ、嫌味を返してくることが目に見えているので言わないことにした。
であれば、とヘカテに期待の目を向ける。和葉がヘカテに聞けと言うのだから、素直に従うしかない。
ヘカテは目を合わせてくれようとしてくれない。でも。
「大したことのない、ただの魔具よ。指環を嵌める人の感情を昂らせてくれるの。喜んだり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだり、その時の感情の最も高いものを昂らせてくれるの。クロウリィが持っていたかどうかは分からないけど、身に着けた人に魔力を与えるところは、きっと感情の高ぶりによる驕りね。強くなったなんて頭の片隅で思っていて、それが他の感情よりも強かったら、その感情が昂ってしまう。だから強くなった気になって、国の一つでも手にした気分になるのよ。クロウリィに関してのところなんだけど、“獣”になるとかも、結局同じことが言えるだろうし。
特別な力を持ったとでも驕って、そういった大層なものになったと思い込んじゃうのよ。ただの中二病ね。中二病を顕著にしてしまう魔具ってだけのこと」
ヘカテは先程の説明同様にぼそぼそと言った。美加に当たるつもりはないのだろうが、素直に話せなくなっているだけのことのようだ。
美加は「アリガト」と返し、手にしている指環をチャック袋へと戻した。指環についての用件も終わったことだし、警察署へと戻ろうというのである。
「――ああ、そうそう、一つだけ」
その背に、和葉が声をかけてくる。振り返れば、未だ背を向けたままだ。
「指環についてのことを持ち主に伝えるかどうかは、あなたの判断に委ねます。持ち主は……指環に執着があったようで、〈テリオンの指環〉の噂を信じていたと考えられます。そうでもなければ、相棒を容易く殺してしまうなんてやらないでしょうからね。
なので――いえ、これ以上は言わないでおきます。言わずとも、あなたなら相手の気持ちを思慮できると思いますので。改めて言いますが、指環の詳細についてはあなたに一任します」
和葉は言い終えると、静かにため息をついた。大した効果のない指環一つで殺しをしてしまった九条のことを思ってのため息なのだろう。
大した価値のない物のために人を殺めたと知れば、九条はどんな気持ちになるのだろうか。かといって、知らせないままでいればどこまでも指環に執着するだろうし、その指環が何もなく手元に戻ってくるとすれば、自ずと指環の価値を知ることにもなる。話すか話さないかではなく、どうやってこの事実を伝えていくのか。そのことを言いたいのだと、伝わってきた。
美加は「分かったわ」と返して、事務所から出た。




