15.そこにいないのは誰なのか。
「――ど……どういうこと……?
何かしたの?」
千代は泡を食ったかのように、美加へと詰め寄ってくる。
美加は千代の勢いにうろたえるだけで、何も答えなかった。
答えようとも、答えるべき言葉がうまく出てこなかったと言っていい。
千代が驚く理由。
二人の周囲に突如現れた人々――消えた人たち。
雷電、老神、日向、霧積、他にもいる。
少なくとも宿泊している男たちのほとんどがここにいるのではないだろうか。
雷電や老神のほかは美加の気づかないうちに消されてしまったということだろう。
旅館の従業員たちも、仲居の中で最初に消えたあの恰幅のいい人を始め、日向や他、あの受付の男までいる。
それらに加えて、ヤクザと間違えられてしまった銀行員の三人も。
ただ、誰もが意識のあるように見えず、目の焦点が合っていない。
マネキンが並べられたかのような、異様な光景。
千代が現れた時と同じ。
「結果としてはいいほうに向かっているのかもしれないけど。
どうしてこうなっているのか、わからないのは解せないわ。
何かしたの? 何もしていないの?」
「そ、そう言われても……」
ただ願っただけとしか言い返すことができない。
何か付け加えても、強く願ったとなるだけ。
けど、それを言ったところで信じてもらえるかわからず――不安で――怖くて――口にできなかった。
おろおろとうろたえるだけの美加に、千代の睨みがきつくなる。
「私は何もしていないの。
あなたが何かをしたとしか考えられないの。
どんなことでもいいから、何をしたのか言いなさい」
「え、えぇぅ……」
美加は千代の睨みに怯んでしまう。
答えない限り、逃してくれそうにない。
千代の視線が触手を伸ばしてきて絡め取ってくるかのよう。
「い、言うけど――怒らないでね?
……願ったの。
ここに消えてしまった人たちが、出てくれればなって」
もじもじと俯き加減で答える。
上目遣いで千代を窺う。
きつい一言でも返されるのではないかと怯えてしまう。
「そう――。願ったの。
私は思いどおりのことをすることができないけど。
私よりもあなたのほうがこの世界に順応できるのかもしれないわね」
千代は美加の考えていたこととは逆。
何を怯えていたのだろうか、と美加は唖然。
あんな答えで納得したのだろうか。
理解したのだろうか。
必要としていたのだろうか。
千代の考えがわからない。
千代は美加の反応など気にする様子もなく、美加の答えを受け入れて現れた人々を見て回る。
美加の答えを聞いた上で、自分で答え合わせ、もしくは、答えを導き出そうとしているのかもしれない。
「この男から、魔具の〝ニオイ〟がするわ」
千代が老神の前で足を止める。
美加には魔具の〝ニオイ〟がどういうものか知らない。
だが、現に老神は蛇を操る魔具――〈赤城〉を所有していたので、それを感じ取ったのだろうとだけはわかった。
千代が老神の首元へと小太刀を向ける。
〈異端狩り〉として魔具を持つ老神を〈異端〉として殺そうというのだろうか。
でなければ、〝魔具を所有するもの=事件の犯人〟として見ているのだろうか。
どちらにしても、老神が殺される前に止めなければならない。
美加は飽くまで警察官として消えてしまった人たちを助け出すことを目的としている。
たとえ老神が自分に蛇をけしかけてきたからといって、見捨てるわけにはいかない。
それに、老神は魔具を所有しているだけであって、犯人と決まったわけでもない。
千代へと手を伸ばし――〈異端狩り〉という存在ゆえに恐ろしくなって、手が止まってしまう。
それでも勇気を振り絞って、再度手を伸ばしていく。
「――殺しはしないわよ」
美加が千代の背に触れるよりも早く、千代はそう言って小太刀を下ろした。
美加の動きが見えていたようだ。
それとも、美加が止めに入るのを予期していたのかもしれない。
だからこその言葉。
「魔具の〝ニオイ〟がするいから、この世界に私たちを連れ込んだ奴なのかと思ったけど、この世界とこの人の〝ニオイ〟は別だわ。
この人も所詮、被害者。
今、私のターゲットとしている相手じゃない。
それとも、私が魔具の〝ニオイ〟を持つ者を片っ端から殺していくとでも思ったの?
〈異端狩り〉ならそういうことを平然とやると思ったの?
生憎と、殺人衝動に駆られて生きているわけじゃないの。
その辺りは、〈異端狩り〉として生きていく上で、霞姉さんにみっちりとしごかれたもの。
飽くまで世界の秩序を乱す〈異端〉を狩るためにいるの。
魔具を持つからって、必ずしも〈異端〉というわけじゃないってことよ。
魔具を持っているからといって〈異端〉としてしまうなら、ネコジシと手を組むことなんてないわ。
それこそ、〝血で血を洗う〟ことをずっとしてきた筈よ。
――と言って、理解できたかしら?
私は霞姉さんと違って、話をするのが苦手だから、説明もうまくできてないのだけどね。
――さて、それといいかしら?
隠れてないで、出てきなさいよ。
この世界の主?
それとも私たちを〝食い〟に来たのかしら?」
千代は語るも、すぐさま警戒の目を周りへと向けていく。
とても冷たく突き刺さるような視線は、自分に向けられずとも思わず身をすくめてしまう怖さがある。
これが〈異端狩り〉としての千代なのだろう。
怖さがあるものの、自分に向けられていないとわかっているからこそ、美加は余裕を持っていられる。
千代は何を感じ取って、周りを見渡しているのだろうか。
美加も倣って見渡す。
現れた人々以外に何かがいるようには見えない。
見えないということは、感じ取れということなのだろうか。
美加には千代のような感受性を持ち合わせていない。
不安な目で見渡し続けることしかできなかった。
細い影が人々の合間をするりするりと這い抜けてきた。
美加と千代の前へと姿を現し、とぐろを巻く。
蛇だ。
それも美加はどこか見た覚えがあるものの、どこで見たのかはっきりとしない白い蛇。
『ほう、存外抜けているわけでもないようだな。
まあ、まだまだ〝お嬢さん〟だから、感じ方もそれ相応なのだろう』
蛇の鎌首が千代へと向き、どこか嗤っているかのように言う。
「あなたは何?
この世界そのもの?」
『随分と気の強そうなものだな。
それも〝お嬢さん〟ゆえのものなのか?』
千代と蛇が睨み合う。
殺伐とした空気へと変わっていく――。
美加はその合間へと入って、睨み合いを遮った。
とても怖いことはわかっている。
自分が入り込めるような雰囲気でないこともわかっている。
でも、今は睨み合っている場合でないのだ、と態度で示そうというのだ。
「い、今は……ここから出るためにどうするかが先でしょ」
睨み合いの板挟みに今にも泣きたい。
「わかってるわ。
けど、こんな得体の知れないものを前に、挑発までされては――」
「ですから、駄目ですって。
この蛇がこの世界から出るために必要だと思うの」
何の根拠もないことを言っているのだとわかっている。
勢いだけで言っていることもよくわかっている。
だから千代の睨みがきつくなる。
でも、ここまで言ったのだから、引き下がるわけにいかない。
千代の睨みが怖かろうと、ここで立ち阻み続けなければならない。
『なるほど、〝お嬢さん〟と違って、こちらのほうが我を〝扱う〟に向いていそうだ』
美加は、背後より言ってくる蛇に、どうして挑発を繰り返すのだろうか、これ以上かき回さないでと内心ぼやく。
さらには、睨みがどんどんきつくなっていく千代に落ち着いてと伝えたい。
ただひたすら笑み――それもものすごく作り笑い――を向けることしかできない。
そうしている間に、周りの人々が次第に目を覚ましていった。
状況がわからないことに戸惑いを見せている。
これで状況が変わると感じた美加は人々を見やった。
「どうなっているのだ?
どうして、ここに?」
老神が人々の代表だと言わんばかりに、尋ねてくる。
これをきっかけに、千代が睨みを解いてそっぽを向いた。
『お前たちを、その娘が助け出そうというのだ』
蛇が答えた。
人々の視線が全て蛇へと向く。
蛇が言葉を発していることに驚いているというよりも、得体の知れないものを見ている反応。
怪訝。
『さて、人は揃った。
あとはここから出るだけだ』
蛇は人々の視線を気にすることもなく、言葉を紡いでいく。
「待て。
揃ったと言うが、本当にこれで全員なのか?
我々の仲間は全員じゃない。
旅館側とて同じだ。
それにあの青年も見ないではないか。
単に消されずに済んだだけと言うのか?」
老神は周りを見回して言う。
人々が周りを確かめていく。
誰が足りないのか、と。
『全員だ。
ここにいない者は、我々をここへと導いた者ということだろうな。
あとは、お前の言うとおり、消されずに済んだということもあろうか。
言っておくが、ここへと来ていないのは我の知り得る限り、魔具を知る青年と女将を除いて、〝万華鏡を手にした者〟だけだ』
美加は蛇の言うことに、人々を確かめるように見ていく。
魔具を知る青年というのは和葉のことだろう。
あと皐月もいない。
従業員の全員の顔を把握していないが、美加の知る限りの従業員は揃っている。
銀行員は三人ともいる。
全員揃っていないといえば、老神らだ。
誰がいないのか、一人一人確認していく。
老神、雷電、和銅、霧積、作並、糠平、雄琴――
「山鹿がいないぞ」
老神がそう言って、奥歯を噛み締めた。
◇
旅館の中は静まり返っている。
音があるとすれば、和葉と皐月の声が響いているだけ。
「老神さん以外にここへと定期的に来ている人がいるのですか?」
和葉は皐月へと尋ねる。
皐月が老神以外にこの旅館へと訪れる客がいると言うのだ。
別に常連であること自体、悪いことではない。
だが、今回の事件において、〝常連〟であることが何よりも重要になってくる。
女将が代々引き継ぐ万華鏡を知っているか否かに関わってくるからだ。
老神は旅館の祠を管理するために、定期的にここへと訪れているので、常連となる。
それも昔からの付き合いがある。
だが、その老神から万華鏡のことを全くもって知っているようには見えなかった。
知らないふりをしている可能性もあるのだが、演技ができるような男にも見えなかった。
あとはこの旅館に来ている男たちなのだが、秘湯サークルというのだから何度か訪れたこともあるのかもしれない。
それでも〝常連〟と言われるほど、ここに訪れていないだろう。
常連でないのなら万華鏡のことなど知る由もなく、今回の事件を起こすことも叶わないのではないだろうか。
では、日向を始めとした旅館の関係者なら、万華鏡の存在を知っていてもおかしくない。
しかし、今回の事件を起こすメリットが感じられない。
この事件で旅館がより潰れるほうへと向かってしまうことになるからだ。
〝働き場をなくす〟という意味では、むしろデメリットしかないのではなかろうか。
そんな中で皐月が〝もう一人常連がいる〟と言うのである。
老神以外の男たちは常連でないと考えていたために、思っても見なかったこと。
和葉は思考を巡らせる。
老神のようにこの旅館の何かしらと関わりがあるのなら、万華鏡のことを知っていてもおかしくない。
ともなれば、〝誰が〟ということになる。
老神、すでに消された雷電と糠平、今しがたここで消えた霧積を除けば、あとは作並、和銅、山鹿、雄琴の四人。
「山鹿さんです。
先代女将の時に、この旅館の相談役として、よくここへと訪れておりました。
私の代になってからは、どうしても費用の面で相談役を続けてもらうわけにもいかなくなってしまいましたが」
皐月は視線を落とす。
膝の上で握り拳を作って、ぐっと感情を抑えているようだ。
「山鹿さんには私が小さい時からお世話になっていたのを覚えています。
若い頃から弁護士として優秀な方と言われていたのを覚えています。
それに、何かと私に対しても優しくしてくれたことを覚えています。
――そんな人が、今回のようなことを起こすのでしょうか?」
唇を噛み締め、和葉へと睨むように見やってくる。
今までの会話から、〝老神と別の常連客が犯人だ〟という和葉が結び付けようとしていることを、否定しようというのだろう。
知っている相手だからこそ、犯人でないと信じたいのだろう。
座る体勢からしても、いつまた倒れてもおかしくなさそうなほどに弱っていることが明白なのだが、視線は全く別。
力がある。
威圧とは違う、訴えかけてくる力。
「僕にも正直わかりません。
目的が見えないのに、飽くまで消去法を取っただけに過ぎません。
そして、その常連である山鹿さんが一番可能性があるというだけのことです。
それと、老神さんのように、管理しているものがあるのかもしれない、と言いましたよね?
どうしてです?」
「それは――こちらの都合とはいえ、相談役を降りられても、ここへと足を運んでくださいましたから。
それも、先代女将もいないのに、わざわざお客様として来てくださっていたので、老神さんのような背景があったのか、と。
やはり、山鹿さんでしかないのでしょうか?
私には、あの方が事件を起こすなんて、どうしても考えられません」
皐月が再び目を伏せた。
どうしても信じたくないと語っている。
だからといって、和葉は皐月を責めるつもりがない。
人それぞれ信じたいものはある。
それが必ずしも信じられるかどうか別だっただけのこと。
信じたい思いまでを否定する必要はない。
責め立てたところで何も得やしない。
「まだ、確定したことではない、と言いたいのですけどね。
さすがに、そうも言えなくなってきました」
和葉は皐月から視線を外す。
出入り口を見やり、そこに立つ影がある。
人が消えてしまった旅館で和葉と皐月を除くのなら、残りは犯人しかいないのではなかろうか。
そう思える影は――山鹿。
冷たい視線――敵意を向けてくる。
右手には筒状のものが握られている。
万華鏡――最早、これで山鹿が今回の事件の犯人であると断言しているようなもの。
物証がある限り、言い逃れのしようはない。
皐月は山鹿を見て、両手で口を押さえて言葉を失っている。
信じていたのに裏切られたとでも感じているのだろう。
それだけに、ただでさえ弱っている体なのに、より顔色が悪く見えてしまう。
「まさか、そちらから出向いてくるとは思いませんでした。
今の今まで〝尻尾〟を見せずにいたのですから、その調子でここから去っていくとばかり思っていました。
人が皆消えてしまえば、あなたが犯人であることを言える人がいなくなるわけで、悠々とここから去ることもできたでしょうからね。
ああ、でも、まだ僕たちがいましたね。
最後に僕たちを消してから去るつもりですか?」
和葉は一つ息をつき、山鹿の視線に対抗するように、冷淡とした視線を向けつつ言った。
「………………」
山鹿は何も答えない。
和葉が全て言ったために答える必要もないのだろうか。
和葉は眉をひそめ――
「何か言ってくれませんかね?
それを持っていながら、今さらになって〝何もしていない〟なんて、言ったりしませんよね?
言うぐらいなら、僕たちの前に現れる必要もないでしょうし。
それに、だんまりでいられても困るのですから」
和葉と山鹿が睨み合う。
先に動いたのは山鹿。
右手をかざす。
万華鏡がどのようにして人を消すのか和葉はまだ知らない。
知っておけば、何かしらの対策を打てたのだろうが、今のままでは山鹿の思うがままに消されるだけになってしまう。
ともかく、どうやって消すにしても、何かしらの行動をする筈なので、何が来てもいいように構える。
それに、魔具を商売にしている商人だからこそ、全く手を打っていないわけではない。
その手にうまく乗っかってくれるかどうかが鍵となってくる。
「――お前には、私の心など知りもしないのだろうな」
「ええ。
僕には、人を消してまで何をしたいのか、知るわけがないですし、犯人が自ら出てくれたのであれば、目的を知る必要もありません。
さっさとこの件を終わらせて、帰りたいだけです。
その前にあの人を捜さなければなりませんけどね。
僕のせいで消えたなどと、後々に恨み節を聞かされたくないので。
――ああ、このまま消えていてくれれば恨み節を聞かされずに済みますね。
いえいえ、それはそれで夢見が悪そうです。
化けて枕元に出てこられても困ります。
長い髪を垂らして出てくれば、〝番町皿屋敷〟です。
嫌ですよ。
意味もわからず夜な夜な皿を数えられるのは。
〝なんまいだー〟と念仏を唱えても、〝九枚だ〟と返されるのなんて――
いえ、冗談はさて措き、そういうわけですので、神妙にお縄についてください」
「どうする気だ?
これに対抗する術でも持っていると言うのか?」
「どう思います?
試してみますか?
僕に何ができるか、何をするか、見せてあげますよ」
和葉の目が細まる。
不敵な笑み。
ポケットに手を入れ、如何にも何かありげに見せる。
無論、和葉に不明瞭なこと――万華鏡による人を消すこと――に関しての対抗手段など持ち合わせていない。
明らかなブラフ。
ポケットの中に入っているものといえば、魔具を〈鎮魂〉する際の魔法円を描くために持ち歩いているチョークのケース。
あとは老神から取り上げた、蛇を操る魔具――〈赤城〉。
今ここで〈鎮魂〉して万華鏡の力を封じてしまうという手段は有効だろう。
ただ、山鹿が大人しく〈鎮魂〉を行わせる時間をくれるかどうかにかかってくる。
そもそも、魔法円を描いている暇さえ与えてくれないことだろう。
魔具に対して絶対的な力である〈鎮魂〉は、今のところ全く役に立ちそうにない。
残るは〈赤城〉。
しかし、こちらは使い方が全くわからない上に、蛇を操ったところで万華鏡相手にどうすることもできないだろう。
蛇ごと消されて終わるのがオチだ。
なので、これもまた手段として用いるに至らない。
ポケットの中身は結局何の役に立ちそうもない、となる。
「ふ、ふふっ、何ができるか、か。
見せられるのなら見せてくれても構わない。
できれば、の話だがな。
悪いが、そんなこけおどし、私には利かぬよ。
これでも弁護士という職業柄、多くの人を見てきた。
君のようなことを言う者もたくさん見てきたよ」
山鹿の嘲笑。
和葉のブラフなどすでにお見通しということで、余裕を見せてくる。
それでも和葉は動じることがなかった。
真っ直ぐに山鹿を見据えるのみ。
たとえブラフであろうとも、ここで視線を逸らせばそれこそ山鹿のペースとなる。
「こけおどしですか。
なるほど、弁護士ゆえの人を見る目という奴ですか。
でも、どうでしょうかね。
僕は曲がりなりにも商人です。
あなたの見たとおりとは限らないと思いますがね。
商人というものは、いつも見た目どおりだと思わないでほしいところです」
「そうやって、自分が上にいると見せかけのことを言っているに過ぎないのだろ?」




