11.過去を引きずるからこそ、どこまでも怖い。
用を済ませて戻ってみれば、待ってくれている筈の千代の姿がなかった。
冗談やからかっているわけではない。
そんなことはわかっていることだ。
千代がそんなことをして楽しむとは思えなかった。
けど、どうして千代がいなくなってしまったのだろうか。
廊下をどんなに見渡しても、部屋へと戻っても、千代が見当たらなかった。
神出鬼没と言うのだから、別の場所へと移動してしまったのだろうか。
外へと出てしまったのだろうか。
あれこれ考えるも、答えに行き当たらない。
もしもそうであるのなら、是非とも何か言ってからにしてほしかった。
何も言わずにいなくなってしまったのだから――。
焦りが募っていく。
美加は部屋を出て、和葉の部屋へと駆ける。
襖障子を開けて、中へと勢いよく入るのだが、誰もいなかった。
静かな空間。
全てが停止しているかのように――。
「和葉くん、いないの?
ねぇ、和葉くん?」
名前を呼びながら部屋の中を歩き回る。
部屋はどんなに見ても、誰もいない。
だから何の返事もない。
美加の声と歩む音以外に何もなかった。
「どうしよう……どうしよう、どうしよう、どうしよう。
みんないなくなっちゃった。
みんな消えちゃった。
みんな……」
部屋の真ん中で座り込む。
放心状態にブツブツと呟くだけ。
捜さなければならないという考えは、どこに行ったのか。
独りきりになってしまったこと、千代も和葉もいなくなってしまったこと。
――美加を盲目へといざなっていく。
世界が暗転し、音も聞こえなくなっていく。
直後、後頭部を勢いよくはたかれ、痛みとともに光が戻ってきた。
世界が元に戻った。
和葉の部屋の真ん中でうずくまっている。
何が起きたのかわからず、前、横へと見渡す。
しかし、誰もいない。
「どこを見ているのですか? 後ろです」
という呆れた声。
振り返れば、棒状に丸められた新聞紙がまず目に入ってくる。
続いてそれを持つ和葉。
睨むようにして見下ろしてきている。
ものすごく不満顔。
今すぐ嫌味をこれほどかとまでにぶつけてくるのではないだろうか。
「何度も声をかけたのですがね。
どうしたものか、何も答えてくれないので、これで一発はたかせていただきました。
ともあれ、ここは僕の部屋です。
人が新聞を貰いに行っている間に、何で勝手に入り込んでいるのですか?
独りで捜索できないものだからって、わざわざ僕のところまで来なくてもいいでしょうに。
漆原千代に協力を求めなさい。
――と言っても、この場に漆原千代がいないところを見ると、相手にされなかったということでしょうかね。
それはそれで、困ったものですね。
いくら人見知りが激しいからといって、漆原千代が全うに仕事をこなせないなんて。
もともと商売敵ですので、僕の言うことを聞かないというのもわからないわけでもないのですが、仕事をしない人というわけでもないのですがね。
解せません」
やはり、いつもどおりに嫌味を〝言葉の槍〟として放ってくる。
ともなれば、目の前にいるのは嘘でも偽りでも幻でもなく、正真正銘の和葉。
黒猫よろしく、誰にも懐かない黒猫和葉そのもの。
美加がよく知る和葉だ。
美加の目から涙が落ちる。
「――よかった。
和葉くんが無事だった。
よかった、よかった、よかった……」
立ち上がり、感情の勢いそのもので和葉へと抱きついた。
和葉は唖然とするだけ。
それよりも、抱きつかれたことで顔が赤くなっていく。
「と、突然何をするんですか!?
は、放してください!?」
和葉はうろたえる声で美加を引き離そうとかかる。
美加はそんなことお構いなしに抱きしめる力を増していく。
力の差は美加のほうが上で、全くもって二人は離れない。
それどころか身長差によって和葉の足元がままならず、美加が和葉を押す形となっている。
ドタドタと部屋の中を移動したかと思えば、次第に勢いが増していき、部屋の外、廊下の壁まで到達。
和葉はこの勢いで頭を打ったのか、軽く呻いている。
美加はそれすらも構わなく、和葉を抱きしめ続けた。
これが何かの騒ぎに聞こえたのだろう、廊下へとやってくる声があった。
山鹿、作並、和銅の三人。
二人へと朝から何をやっているんだ、と言いたげな呆れた視線を向けてくる。
「は、放してください。
本当に、何なんですか!?」
和葉は力任せに美加の腕を引き離していく。
それでも美加は力を弱めることがない。
それどころか、周りの視線が全く入ってこない。
「みんな、いなくなっちゃったと思ったの。
独りになったと思ったの」
必死に、泣きながら訴えた。
独りがとても怖かったのだ、と。
「わかりました。
わかりましたから、部屋に戻りましょう。
ここでは人の目が気になって仕方がありません」
和葉は山鹿たちの視線が気になるようで、バツが悪そうだ。
ロマンチックになるものでもないし、ただただ恥ずかしい状況をどうにかしたいと声色に出ている。
和葉が美加の手を取ってくれるので、美加は抱きしめる力を弱めていく。
和葉の声を間近で聞いたことにより、少しずつ安心していく。
二人はここでようやく離れた。
和葉は美加の手を取ったまま部屋へと引き連れていく。
美加は和葉のされるがまま――。
コポコポと湯飲みにお茶が注がれていく。
心を落ち着かせるために、和葉がお茶を淹れてくれている。
何もない状態よりも、お茶を飲みながらのほうが話しやすいと考えてのことだろう。
それにこの間が心を整理するきっかけとなってくれた。
錯乱状態から放心状態へと変わっていく。
独りになってしまった時の放心とは違い、泣き疲れてのもの。
「それで、何があったのか教えてください。
漆原千代がこの場にいないことも関係があることですよね?」
和葉が湯飲みを差し出しつつ尋ねてくる。
美加は湯飲みを見つつ、ゆっくりと頷いた。
湯飲みに映る自分の顔にお茶の揺らぎもさることながら、酷い顔をしているのだとよくわかるほどに歪んでいる。
「漆原千代は神出鬼没であることを言うまでもないですが、仕事をちゃんとこなす生真面目な人なので、勝手にいなくなるというのが不思議でなりません」
「……いなくなっちゃったの……消えちゃったの……」
「漆原千代が、ですか?
正直、信じがたいですね。
だからといって、断りもなくここにいないということも信じられませんが。
となると、例の魔具は漆原千代すらも消してしまうほどのものなのかもしれません。
さすがにそれほどのものだとは思っても見ませんでした。
ヘカテほどでないにしても、漆原千代も魔具の発動には反応できる人なのですから。
困ったものです。
実践において、彼女以外に頼れる人はいませんので。
言っておきますが、あなたが役に立つとか立たないとか、そういったレベルの話ではなく、〝一般人〟では誰であろうと頼りにならないということですからね」
「………………」
「あなたには言ったような言ってなかったような――
まあ、よく覚えていないので、言っておきますか。
漆原千代は〈異端狩り〉です。
あなたの場合は、白矢のような相手と言えばイメージしやすいのかもしれません。
彼女はあんななりをしていますが、白矢と同じ類の人間です。
僕たちのような魔具などを知る人間と同じ側の人です。
それも、僕の知る限り、彼女ほどの〈異端狩り〉は滅多に見ません。
せいぜい、咲耶霞と白矢ぐらいでしょうか。
それほどの人間が消えてしまったと言えば、僕が困ったと言うことも納得してもらえると思います」
「………………」
和葉はだんまりの美加が気になって仕方がないらしく、お茶をすすりつつもチラリチラリと見やってくる。
美加は湯飲みを、お茶に映る自分の顔を見据えたまま。
「――あなたは、〝独り〟が怖いのですか?
独りになってしまうことが怖いのですか?」
静かになることで間が持たないらしく、和葉が話を続けてくる。
美加はビクリと顔を上げて、真っ直ぐに和葉を見る。
和葉はひどく困っているようだ。
自分のせいで和葉が困っているのだと、これまた寂しい気持ち、悲しい気持ちになる。
「前にもありましたよね?
前は……あれは違いましたか。
白矢に殺されかけての恐怖でしたか。
今回は殺される思いをしたわけでもないのに、心を乱して泣いていました。
それが悪いとは思いません。
人はそれぞれ恐怖を抱えているものです。
それが人それぞれ対象が違うに過ぎません」
「………………」
「無理に話せとは言いません。
言いたくなければ、何も言わなくても構いません」
「………………」
美加は再び湯飲みへと視線を落とした。
「……私、小さい頃の記憶がないんです。
事故なのか事件なのか知らないけど、それで記憶をなくしてしまって。
それと一緒に、両親も亡くしました。
今でも両親の顔を思い出せないんです。
その時のことが、今でも怖くて……独りになるのが怖いんです。
たとえ、見えないところでもいいから、私のそばに誰かいてほしくて……。
すみません。
もう大人なのに、いつまでも小さい頃のことを引きずってしまって。
今まで一緒にいた人が突然消えてしまったことに、動転していたんです……」
また泣きそうに感情が逆巻いてくるのを堪え、静かに言った。
それを境にどれほどの間、沈黙が続いたのだろうか。
部屋には時計がないので詳しい時間がわからない。
美加はずっと湯飲みを手にしていた。
もうお茶は冷め切ってしまっている。
手のぬくもりでお茶を温めなおしているかのよう。
その湯飲みを置き――
「……ごめんなさい。
情けなくて、弱くて、何もできなくて、いつも和葉くんに迷惑をかけて――」
美加は立ち上がった。
和葉が見上げてくる。
「もう少し、自分自身でやってみるね。
泣いてばかりじゃ、駄目だから」
と言って部屋を出ようとするのだが、そこへ止めるかのように和葉がため息をついて立ち上がった。
「独りでどこへと行くのですか?
そんな顔で捜索の続きを?」
そんな顔――美加は、今の今まで泣いていたために、目が赤く腫れている。
人前に出られるような顔ではない。
「まあ、あなたがどんな過去を持っていたのか、僕には詳しいことがわかりません。
ですが、何を理由にされましても、あなたを独りにしておいても漆原千代の二の舞になることが十分考えられます。
仕方がないので、僕も一緒にいます。
そうすれば消される可能性は低くなると思いますから」
「で、でも、和葉くんは和葉くんで調べるって」
「ええ、本当なら僕だけのほうが動きやすいですからね。
ですが、あなたを放っておくわけにもいきません」
「ごめんなさい」
「謝らないでください。
一緒にいれば、あなただけでなく、僕にも消される可能性が低くなると思ってのことです。
僕にもメリットがあるのですよ」
和葉は優しげな笑みを漏らした。
いつもの嫌味を見せる顔と違って、どこかホッとさせてくれる。
前にも見せてくれたことのある笑み。
温かいお茶を飲んだかのようにポッと心が温まる。
「それに、僕なりにですが、独りで情報を集めていました。
とりあえず、座ってください。
お互いに何を知っているのか、言い合いましょう」
和葉が手を差し伸べて座るように促してくる。
美加は小さく頷いて、ゆっくりと座った。
それを見てから、和葉が座る。
「僕は先程、新聞を貰う前のことですが、仲居頭の日向さんのところで話を聞いていました。
と言っても、特別何かを聞いたわけでもないのですがね。
先代の女将も、あの万華鏡について詳しく知らなかったようです。
ただ、〈神隠し〉と万華鏡には、何かしらの関係があるようなことを言っていました。
その昔、あの万華鏡が原因で、人々が消えてしまったことがあるそうです。
当初は〈天狗〉の仕業じゃないかと言われていたそうです。
まあ、昔より〈神隠し〉と〈天狗〉は関係があるようなことも、書物に残されていますからね。
その時もまた、そういった伝説に倣って思われていたのでしょう。
それで、万華鏡が原因だとわかったら、〈天狗〉の正体は消えた人々そのものだったというのです。
万華鏡を覗いている姿が、遠目からだと〈天狗〉に見えたそうです。
万華鏡が〝天狗の鼻〟ということですかね。
とまあ、そういう昔話を聞かされたわけですがね。
それと、今回のことに因果関係がないかを考えてみたのですが――」
和葉は一休みと口を湿らす程度にお茶を口にした。
美加はじっと湯飲みを見据えたまま。
「残念ながら、今のところ人が消えるということしか合致するところがないのです。
万華鏡を覗いた人が消えるというのでしたら、僕もあなたもすでに消えていないとならないわけですが、このとおりです。
それに、消えてしまった人たちが万華鏡を覗いたのかと問えば、否と答えざるを得ない状況です」
まだ消えていない、と胸に手を当てた。
「ともなれば、万華鏡を覗くだけでは駄目ということで、また振り出しに戻ってしまいます。
それで、あなたからは何かないですか?
どんなことでも構いませんので」
和葉はもう一つ湯飲みを取り出して、お茶を注いで美加の前へと差し出してきた。
冷たいものと湯気の立つものが並ぶ。
美加は湯気の立つお茶を手にして、飲んだ。
温かいものがのど元を通り過ぎ、気が落ち着く。
この温かさが和葉のぬくもりなのだろうかと考えが出てくるものの、すぐに打ち消した。
温かいお茶を飲んでいるのだから、温かいのは当たり前のことなのだと自らに言い聞かせる。
――でも、和葉のぬくもりなのだと感じている。
そうでありたいと考えている。
和葉を上目遣いで見やると、和葉はじっとこちらを見て待っている。
和葉に言えるような情報なんてあるのだろうか。
また何もなくて嫌味を言われてしまうのでなかろうか。
それが怖かった。
折角のぬくもりがなくなってしまうのではないのか、危惧してしまう。
それでも何も言えないよりかはいいのかもしれない。
何も言わないほうがそれこそ愛想を尽かされてしまいかねない。
内容はそんなに大層なものではない。
昨夜から今朝にかけてのことだ。
三人目と四人目――また人が消えたこと。
旅館の経営が危うく、今朝から銀行員と融資についての話をしていること。
そして、千代の姿も見えなくなってしまったこと。
「なるほど、漆原千代も入れて五人ですか。
ですが、目的が見えてきませんね。
万華鏡が人を消すといっても、万華鏡自身に自我のようなものがあって人を消しているとは、到底思えません。
となると、誰かの意図があって万華鏡を使って人を消しているということになります。
それなら万華鏡が取り替えられたことにもつながってきますからね。
万華鏡でどのようにして消したのかわからないので、今は措いておくことにしましょう。
誰がやったのかも見えてきません。
この旅館で何が起きようとしているのでしょうかね。
人が消えただけで済むとは思えませんし」
和葉は昨夜千代が書いた紙に目を通しながら言った。
美加が話をしながら和葉へと見せたもの。
自分の手にした情報ではないが、千代の情報なのだから、きっと有力になると思ってのこと。
「さて、話はこの辺にして、外へと行きましょうか。
昨日、あなたがどうして〝あそこ〟で気を失っていたのかが気になりました。
消されたというわけでなく、なぜ気絶させられただけで済んだのか。
消すまでもないと考えたというのは、さすがに考えにくいですからね」
和葉はそう言い、お茶とともに用意されている茶菓子から袋詰めの煎餅を手にして、袋を開けて中身へとかじりつく。
余裕をかましている暇はない筈なのだが、美加の様子を窺っているのだろうことは、視線から伝わってくる。
美加の気持ちが落ち着くのをお茶を飲んで待ってくれているようだ。
部屋を出て廊下を歩めば、旅館の中は静まり返っていた。
次々と人が消えていく中で、怯えて何もできないでいるようにも見える。
まるで隅で固まる小動物のよう。
ただ例外を言えば、朝見た銀行員たちがとても元気のようだ。
現状を知らないからだろう。
美加と和葉は旅館の外へと出て、裏へと回った。
ひっそりと佇む祠。
夕暮れ時と違い、今ははっきりと見ることができる。
石製の台座に木製の社殿。
高さは人の身よりも僅かに小さい。
社殿の中を覗くには、しゃがまなければならないだろう。
ところどころに苔が生えており、とても古めかしいもの。
むしろ、古ぼけたといっても過言でない。
「随分と古いものですね。
人の手は少なからず入っているようですが。
それでも、年に数度のものでしょうか。
何を祀っているのでしょうかね。
〝五穀豊穣〟や〝商売繁盛〟で、よく稲荷神の祠などを目にすることはあるのですが。
土地神でしょうか、屋敷神でしょうか、それとも別の神でしょうか。
旅館の裏に設けられているので、〝商売繁盛〟ということも考えられますが――方角は南にも東にも向いていませんね。
こちらは西だったでしょうか。
それと、眷属である狐の像が見当たりません。
となると、稲荷神の可能性は低いでしょうね。
狐の像はともかく、南もしくは東に設けるのが基本ですから」
和葉は祠を中心にぐるりと見守るようにして調べていく。
美加は頭上、特に木の枝を見やる。
また蛇が落ちてくるのではないか、と。
蛇に苦手意識を持っているわけではないのだが、蛇に驚かされた挙句に何者かによって気絶させられたのだから、用心せざるを得ないのである。
「この祠自体に何があるのかわかりませんね。
古いもの、ということぐらいでしょうか。
となると、祠自体に関係などないということなのでしょうかね」
和葉は祠から視線を外した。
美加もまた視線を落とした。
何もないという事実に、互いがため息をついた。
祠に何もなかったという残念。
蛇が落ちてくることがなさそうだという安堵。
「――そこで何をしているのだ?」
二人へと声がかけられた。
見やれば老神がこちらへと近づいてくる。
それもその形相は今まで見せていた温厚なものと違い、怖い印象がある。
「我々の仲間を捜しているのではなかったのか?
こんなところにいて、仲間を見つけだせるとは思えないが?」
老神はスーツ姿で、懐へと手を入れると、何かを取り出す。
こちらへと向けるようにかざす。
「それも、その祠を前にして、何を企んでいる?
仲間を捜すのは嘘で、その祠が目的か?」
手に持つそれが赤く光りだす。
手のひらほどの石。
「僕はこの祠に何かがあるのかと思い、調べているだけです。
これでもちゃんと消えてしまった人たちを捜すために情報を集めているところですよ。
――と言ったところで、聞く耳を持たないように見えますね。
で、僕たちをどうするつもりですか?」
「その祠を狙う者は、誰であろうと赦すわけにはいかない」
「どうしてそのような考えが?
さっぱりわからないところですね。
ま、この場合、力でねじ伏せてでも話してもらうことになるでしょうかね。
何かを知っているようですし」
和葉と老神が睨み合う。
三人を囲うように、音が鳴り響く。
茂みの中を這って移動する何か――それも多数いる。
「和葉くん、蛇が一杯!」
美加は茂みから何匹もの蛇が姿をあらわすのを見て叫んだ。




