9.華だって咲き続けることは難しい。
皐月を部屋へと寝かしつけたところで、美加はゆっくりと息をついた。
突然皐月が倒れた時はどうしたらいいのかと焦りもした。
けど、都合よく仲居が通りかかってくれたので、皐月を部屋へと運ぶのを手伝ってもらった。
すぐに運び込んだので、周りにはそんなに騒ぎとなっていない筈だ。
医者を呼ぶよう頼んだが、それもまた騒ぎにならないように言ってある。
皐月は布団の中で規則正しく呼吸している。
まだ断定できないが、大事に至っていない筈だ。
一緒に皐月を運び入れてくれた仲居へと見やれば、深々と頭を下げられる。
美加は「気にしないでください」と返したところで、仲居が昼過ぎに〝仲居の一人が消えた〟と言ってきた人であることに気がついた。
「女将さ、最近忙しかったさぁ。
無理が祟ったんだと思うさ」
仲居は皐月を見やりながら言う。
その仲居もどこか疲れているような声がする。
皐月ほどでないにしても、この仲居も休んだほうがいいのかもしれない。
美加へと見やってきて――
「ここだけの話さ、しといてくれますか?」
と言うわりには、とても言いづらそうな面持ちをする。
表沙汰にしたくない内容なのだろう。
なら話さなくてもいいのだろうが、皐月が倒れるまでに至った理由がそこにあるからこそ言うのだろう。
美加は頷いて返す。
「実は、この旅館さ、経営が苦しいんです。
ほら、ただでさえ小さな旅館でしょう。
今回は全ての部屋さ埋まってますが、いつもは閑古鳥さ鳴いているほどでね」
その言い方からして、観光シーズンであったとしてもあまり客が入らないのだろう。
「表立って宣伝さしないもんでね。
ここに来るような人さ、おらんね。
交通の便さ、よくないからね」
宿泊券のパンフレットからして、確かに宣伝をしているとは思えない。
交通の便の悪さは車で訪れるほど酷いものだ。
電車とバスで来たとして、バス停がすぐそばにあるらしいが、一時間に何本あるのか――いや、一日に何本あるのかという世界なのではなかろうか。
「それに、銀行に融資のお願いさ駆け回ったり、それでも、旅館のほうも放っておけないって、休みなく働いて。
私ら、少しぐらい休んでなって言っただけども、女将さ『まだまだ未熟だから、その分、頑張らなきゃ』なんて言って」
皐月は先代の女将が急死したと言っていた。
ともなれば、女将としての仕事を覚える時間もなく、今の立場になってしまったのだろう。
客が来ないから資金繰りが難しい。
その上、慣れない仕事を強いられてしまう。
どんなに気負いしても、体が追いつかなくなってしまったからこそ、今に至るのだろう。
「そして、今回のことさ、起きたでしょ。
体も心も参ったって、おかしくなかったんですよ。
はぁ――私ら、無理にでも休ませるべきだったんだと思います。
そうすれば、女将さ、こんなことになるなんて……」
仲居は涙ぐみながら語る。
皐月は女将としての経験が少ないといっても、女将として慕われているということだ。
あの女将然とした姿を思い返せば、よくわかる気もしてくる。
経験の有無に限らず、あの姿に従業員はついてきたのだから。
「女将さんには、ゆっくりと休んでもらいましょう。
そのためにも、私も頑張らなきゃ」
美加は仲居へと頷いた。
旅館経営が緊迫しているのに、人が消えてしまうことでより心配をかけてしまうわけにはいかない。
それに関しては、せめて自分で解決しなければならない。
少しでも皐月に無理をさせないためにも。
仲居は美加の気持ちを汲んでくれたのだろうか、頷いて返してくれた。
「――お医者様が、いらっしゃいました」
そこへ障子の向こうから声が聞こえてくる。
障子越しに影が三人分。
ここへと案内してきた仲居と医者たちだろう。
医者を呼びにいってから三十分が経ったかどうか。
近くに病院か診療所を構えている町医者を呼んできたのだろう。
救急車を呼べば騒ぎとなりかねない。
騒ぎを大きくしたくないと言っていたからこその処置。
だから、医者たちもひっそりとやって来たに違いない。
美加は仲居へと会釈をすると、医者たちと入れ違いに部屋を出た。
旅館関係者の部屋の並ぶ廊下から宿泊部屋の並ぶ廊下へと戻ってきた。
そこではまるで待ち構えていたかのような山鹿がいる。
美加を見るなり近づいてくる。
「何かあったのでしょうか?
騒がしかったみたいですが」
山鹿は弁護士をしていると言っていた。
そのためか、シャキッとした風貌で鋭い眼光を持つ。
老神も威圧感を持っていたが、山鹿も負けず劣らずの威圧感の持ち主。
口調に至っても感情を表に出さない。
どこか冷たい感じがする。
全て弁護士ゆえのものだろうか。
「いえ、特に問題はないですよ」
美加は至って普通の装いで答えた。
騒ぎを大きくしたくない、という仲居たちの意向を考えた上での答え。
しかし、山鹿は訝しく目を向けてくる。
この手の視線は和葉によく向けられているので、美加には慣れたようなもの。
――と言いたいところだが、美加をからかうために向けてくる和葉と違い、山鹿の視線は感情が見えてこないのでより冷たく感じてしまう。
和葉の視線よりも苦手なタイプだ。
「今朝から色々と問題が起きているようなので、気になるところですが。
まあ、特に問題がないのでしたら、いいでしょう。
とはいえ、最初の問題を起こしたのが我々の仲間なので、あれこれ言えない立場ですがね」
「雷電さんのことは、絶対に捜し出してみせます」
「そう言っていただくのはありがたいですが、雷電のことだから、どこで何をしているのやら。
前々から勝手なことをするので、困っていたほどです」
山鹿の言い方に棘を感じる。
他の面々の前で見せていた〝心配している〟ところが、今の山鹿から感じられない。
なおさら冷たい人なのだと見えてしまう。
「ミュージシャンをやっていると言っていたが、果たしてどこまでが本当なのか。
自由気ままに音楽をやるだけで、自分勝手なことしかしていない生き方を送って――
あ、いえ、要らないことを言ってしまいましたね。
弁護士という硬い仕事をしているせいか、自由奔放という生き方に疑問を持ってしまう悪い癖が出てしまいました。
決して雷電がいなくなってほしいと思っているわけではない、ということだけは、心に留めておいてください。
私としても、今回の騒ぎが早く終わることを願っているわけですから」
「はい」
美加は頷いた。
山鹿を冷たく感じてしまうのは表面だけで、心情は別なのかもしれない。
表情と言い方が冷たいからこそ、そう思ってしまうだけなのだ、と自らに言い聞かせる。
「そういえば、ただ一つ、雷電がおかしなことを言っていました。
いなくなる前の話ですがね。
それと、仲居たちもヒソヒソと話しているのも聞きました。
その内容というのが、この旅館がなくなる、というもの。
詳しいことはわかりませんが――今回の件には、関係のない話でしたね」
山鹿はそう言うと咳払いをした。
会釈をして、部屋へと戻っていってしまう。
美加は山鹿が部屋に入って姿が見えなくなるのを見届けてから、ロビーへと向けて歩む。
未だ何一つ状況がわからない。
いい加減に消えてしまった人に関しての情報が出てきてもいい筈なのに、別の情報ばかりが入ってきている気がする。
気持ちだけが空回りしているようだ。
美加の手に入れた情報といえば、山鹿の言っていたこと。
本当のことなら、雷電もまた旅館の経営について知っていたということ。
この旅館が栄えていないことは誰の目にもわかることなのかもしれない。
そういう意味で考えれば、雷電は察知しただけということもあり得る。
でなければ、山鹿のように仲居たちの会話を聞いたと言うことも考えられる。
でも、〝しかし〟という考えが出てくる。
その先に続く言葉が出てこないのだが、どこか釈然としないことは確か。
うーんと唸りつつロビーへとやって来た。
そこでは、外から戻ってくる和葉の姿。
部屋で暇そうに万華鏡を見張っていた筈なのに、外で何をしていたのだろうか。
万華鏡を見張っていなくて大丈夫なのだろうか。
あまりの暇さ加減に、見張っていることを放棄してしまったのだろうか。
〝和葉がここにいる〟ことに、怪訝の目を向けてしまう。
「何か新しい話とかありますか?
僕からは特にないのですけどね。
ま、あるとすれば、僕の手元にあった〝あれ〟は全くの偽物だったということでしょうか」
和葉は靴を脱ぎつつ、美加の視線を気にすることなく言ってくる。
和葉の言う〝あれ〟とは何のことだろうか。
万華鏡のことだろうか。
でも、それなら皐月が持っていたものが、和葉へと渡った。
それを目の前で見ている。
偽物かどうかの話のようなのだが、〝本物として持っていて、本物として渡った筈〟だ。
ここで〝偽物〟という言葉が出てくることが不可解。
和葉を見据え、次の言葉を待つことにした。
「昨夜のうちに、取り替えられていたようです。
道理で僕が見張っていても、何も起きなかったわけです。
ただ、誰が何の目的で取り替えたのか、わからないままですがね。
さて、僕はこれから本物の〝あれ〟を捜さなければならないので、あなたに構っている暇がありません」
和葉は言うだけ言って、そそくさと廊下へと向かってしまった。
ロビーに取り残された美加は首を傾げるだけ。
〝見張っていた〟というのだから、〝あれ〟というのは間違いなく万華鏡のことだろう。
なら、なぜ言葉を伏せていたのだろうか。
魔具だから他の人に知られるわけにはいかないからこそ、あえて伏せたのだろうか。
それなら納得もできる。
それに比べ、自分はどうして役に立たないのだろうか。
和葉は何もしていないように見えて、ちゃんと自分の仕事をこなしているではないか。
自分は情報を集めようとするだけで、大したことは何もできていない状態。
実績を上げることができない。
ため息をつき、靴へと履き替えて外へと出た。
夕方を迎えるにはまだ早い時間だが、山へと太陽が隠れようとしているために、薄暗くなってきている。
でも、まだ外を出歩くに十分な明るさだろう。
何も思い当たらず何も目的もなく外へと出たわけだが、外へと出れば何かを知ることがあるのではないかという安易な考え。
あとは外を歩いていて、頭の中を一度リフレッシュさせたかった。
旅館の外壁を伝って裏手へと回っていく。
草が刈られ、綺麗に手入れがされている。
でも、人の出入りがないのか、とても寂しげな場所。
そして、ちょうど旅館の真後ろに祠があるのを見つけた。
祠へと近づき――直後に頭上から何かが落ちてくることに気がついた。
美加は足を止め、見上げると――
◇
その日の夜を迎えようという時のこと。
夕食時の慌ただしい時間帯であるにも拘らず、より騒ぎになりそうな話が出たのだ。
それは〝美加の姿を見なくなった〟というもの。
誰が最初に言ったのだろうか。
知らず知らずのうちに騒ぎとして大きくなっていった。
三人目は捜索する側の美加となってしまったのか。
とうとう〝ミイラ取りがミイラになってしまった〟のかと捜索がなされた。
そして、千代が旅館の裏であるものを見つけたのである。
美加だ。
これまでと違って消えるということはなかったが、〝赤く染まった〟状態で倒れ伏せていた。
「お休みのところ、申し訳ありませんね。
〝僕の連れが死んでしまった〟ということで、こちらに多大な迷惑をかけてしまって。
謝罪を、と思って参ったのです」
皐月の部屋。
床に伏していた皐月が状態を起こして、和葉らを迎え入れてくれた。
和葉としては、倒れたと聞いていたので、どのような状態なのか気になっていたところだ。
皐月を始め、従業員たちが言うには過労とのこと。
無理をしなければすぐにもよくなると医者が言っていた。
それならひとまずよかった、と胸を撫で下ろす。
最初に出会った時は全く気がつかなかったが、よく見てみれば皐月の目の下にくっきりとクマが浮いており、頬は少しこけている。
無理をしなければという話ではなく、まだまだ安静にしていなければならないだろう。
「そんな。迷惑をかけてしまっているのは、こちらのほうです」
皐月は首を横に振って答えた。
心配をかけまいと無理に笑みを作っている。
それがまた、とてもつらそうに見えて痛々しい。
「いえ、女将に朗報の一つでも聞かせて、元気を出してもらいたかったところでしたが――
僕の連れが、不甲斐なく、それも呆気なく、さらにみっともなく、ついでにかなり間抜けに〝死んでしまった〟ことがいけないのです」
そう言う和葉の背後で何かがゴソゴソと動いている。
まるで和葉の言っていることを否定したいようだ。
和葉は気にする必要もない、と構わず言葉を紡ぐ。
「今後は僕のもう一人の連れ頼みですね。
まあ正直な話、あちらのほうがとても役立ってくれるので、〝死んでしまった人〟のことなど、どうでもいいのですけどね。
その人が消えた人たちを何としても捜し出してくれるでしょうから、女将は安心して休んでいてください。
さて、〝死んでしまった人〟のことなど、どうでもいいですね。
本題を――」
和葉は咳払いをした。
その背後では未だ何かの動く気配がある。
それでも和葉は気にしない。
気にも留めない。
「あ、あの、宜しいですか?
後ろの――」
皐月が空笑いを浮かべ、和葉の背後をどうしても気になって仕方がないといった様子。
和葉の話よりも、まずはその背後で動くものの、説明をしてほしいのだろう。
「後ろですか?
ああ、お気になさらず。
気にするだけ無駄です。
たとえ、幽霊の一つや二つあったとしても、気になさらないほうがいいです。
気にしすぎると体に障る恐れだってありますから」
和葉は満面の笑みで答えた。
飽くまでも後ろを見ようとしない。
「え、えぇ、そうおっしゃるのなら……」
皐月の空笑いが歪んでいく。
体力がないからと言いたいところなのだが、正直、空笑いを維持できないほどに和葉の背後で動くものが気になって仕方がないようだ。
気にしないと言っておきながら、視線はくっきりとそちらへと向かっている。
「――あ、あのぉ、気にしてください……」
和葉の後ろで動いていたものが、もじもじと声を出す。
今まで黙っていたのが、我慢できなくなったのだろう。
「そ、それに、死んでないですから。
死んだことにしないでくださいぅ……」
和葉はできる限り無視する意向。
なのに、声のほうがどうしても相手してほしいようだ。
それも、どこまでも情けない声を出してくるのだから、鬱陶しい。
これが階段に出てくる幽霊ならば、おどろおどろしいということにもなろうが、オヨオヨとした声では怪談どころか喜劇にしかならない。
「煩いですね。
あなたはすでに〝死んだ〟のです。
死人は言葉を発したりしません。
なので、黙っていてください」
和葉は耐えられなくなって、あれほど相手にしないと決めていた背後へと振り返って、その声へと指差して言い放ってやった。
声はビクリと肩を強張らせ、怯えた仔猫のよう。
そして、〝死んだ〟と言われてしまったことに、何も言い返せなくなったようだ。
肩を落としている。
美加だ。
「ものの見事に気絶した挙句、如何にも死んでいたかのような状態で発見されて――
ああ、それにしても何ですか、その臭いは?
ちゃんと洗ってきたのですか?」
和葉は眉をひそめ、不快をあらわにした視線を向けた。
「ううぅ……上から何かが落ちてきたかと思ったら、蛇で。驚いた矢先に、後ろから殴られて……。
に、臭いは、全然取れないんです。
何度洗っても、全然取れないんですぅ」
美加が涙目で訴えてくる。
髪が半乾きの状態で、甘ったるい匂いと青臭い臭いの混じった、何とも気味の悪い臭いを放っている。
いつ蝿がたかってもおかしくない臭いに感じるので、近寄りがたい。
美加が発見された時に、美加を赤く染めていたものの臭いによるもの。
さらにはその臭いを誤魔化そうと香水を使ったらしく、甘い匂い――臭いに拍車がかかって気持ち悪い臭いに様変わり。
「この辺りにしか生らない実で、〝ヘビヨセ〟と呼ばれているものです。
その名のとおり、その実には蛇がよく集まるのです。
といっても、その実を食べに来る動物を狙ってやって来るんですけどね。
一応食べられる実ではあるのですが、その臭いのせいか、この辺りの人はあまり食べることがありません。
でも、干してしまうと臭いが緩和されるので、とても甘くて美味しいんですよ」
皐月が臭いの元となったものを説明してくれるのだが、だからって臭いをどうこうできるわけでもない。
甘くて美味しいと言われても、何の慰めにもならない。
この臭いのせいで色々と考えなければならないのに、考えがどこかに行ったきり還ってこない。
「一体何のために気絶させた挙句、その実をこの人に――
その果汁なら血にも見えなくもないですから、〝死んだ〟と見せたかったのでしょうかね。
とはいえ、この臭いで血でないとすぐにわかってしまうでしょうに。
何がしたかったのか、理解しがたいです。
それだけ、焦っていたと見ればいいのでしょうか」
和葉は唸りつつ、改めて考えた。
苦虫を噛み締めたかのような顔のまま、考えは停止してしまう。
ただでさえ状況がわからないのに、さらにわからないようなことが起きてしまうのだから、悩まされて仕方がない。
「――考えても無駄ですね。
このことは後回しにしましょう」
「後回しにしないでくださいぅ」
「煩いですね。
〝死人〟は黙っていてください。
話す〝死人〟なんて、映画だけで十分なんですから。
まずは、あなたのことよりも、本題に入らせてもらえますか」
「うぅ……死んでないのにぅ……」
美加は肩を落としてため息をついている。
口を尖らせながらうな垂れているのだが、何も言い返そうとしない。
自ら招いたミスなのだから、そのまま大人しくしておくべきなのだ。
和葉は美加が黙ったことに見届けたところで、皐月へと言葉を紡いだ。
「昨夜、この部屋に誰か来たことはないですか?
いえ、あなたはこの部屋をどのぐらい空けていましたか? と問いましょうか。
いささか奇妙なことがありまして、あなたに最初に見せていただいた万華鏡と、あなたから受け取った万華鏡が、別だったことに気づいたのです。
それもかなり巧妙に似せたものでした。
あなたが万華鏡を取り替えたとは考えにくく、別の誰かが取り替えたのではないかと思ったのです」
「万華鏡が?
え? でも、同じものが入っていたのではないのですか?
私の目からは、同じものだとばかり」
皐月が驚いた様子で言っているということは、皐月自身も万華鏡が取り替えられていたことに気づいていなかったようだ。
だからこそ巧妙な偽物だったのだろう。
でなければ、受け渡しの際に気づいていただろうし、わざわざここで尋ねるようなことをする必要だってない。
さらには部屋で万華鏡を見張っていた時に、千代が万華鏡を見ても偽物かどうかの判断をしていてもおかしくないのに、何も言わなかったほどだ。
それが偽物であることに気づいたのは先程のことだ。
見張っている際に万華鏡を手にして改めて細部に渡って見ていたら、印象が僅かに違っていたのだ。
そこで改めて千代を呼び出して見てもらったところ、違う万華鏡であることが判明した。
「――見た目はそっくりなのですが、全くの別物です」
偽物であると判断した時のことを話した。
美加は俯いたまま大人しく話を聞いているようだ。
皐月へと見やれば――
「そうなのですか……」
こちらもまた俯いてしまった。
「そう言われましても、昨夜はこの部屋を長く空けていたので、誰がこの部屋へと入ったのかわかりません。
それに障子で閉ざしているだけですので、鍵なんてものは存在しませんし、入ろうと思えば誰でも入ることが可能です。
大事なものは全て金庫へと入れているので、部屋自体までどうしようという考えがありませんでしたから。
こうなるのでしたら、金庫の中に入れておけばよかったですね。
私の落ち度です」
「いえ、女将に問題はありません。
まさか、万華鏡を盗むような者がいるとは、誰も思いませんでしょうから。
――では、あの万華鏡のことを知っている人はどのぐらいいますか?
万華鏡を知らずに新しく万華鏡を用意するなんて、すぐにはできないでしょうから」
「知っている人……。
そんなに多くないと思います。
といっても、私もどれだけの人が知っているのか、把握できていません。
少なくとも、仲居頭の日向さんは知っています。
あとは……母、先代女将と深い関わりのある人は、知っているのかもしれません。
ただ、そこまでくると、私にはよく存じておりません。
すみません。この程度のことしか言えなくて」
「いえいえ、十分過ぎる情報です。
どこかの〝死人〟と違い、役立つ情報で、何よりです」
和葉は笑みを向けて立ち上がった。
その際に美加を見やれば、何かを言いたそうな顔で見てくる。
それでも何も言わないのは、言い返されるのが怖いのだろうか。
いつものことなので、気にもしない。
大方、美加と皐月の扱いに差があるから文句を言いたいのだろう。
そんなこと当たり前のことで、実際に落ち度のある美加と病床の皐月では差がつくに決まっている。
だから、なおさら気にもしない。
「では、僕はこのへんで部屋に戻ることにします。
少しばかし考えたいことがありますので。
それにこれ以上ここにいては、女将の体にも障るかもしれませんし。
女将はゆっくりと休んでください」
そう言い、部屋を出た。
美加が皐月へと会釈をしてからその後ろについてくる。
和葉は顎に手を当てつつ歩いていく。
ただ情報を集めるだけでなく、今後の事を考えていかなければならない。
美加がこうなったということは、何かがあるからこそ起きたわけだ。
しかし、消さなかったというのがどうしても釈然としない。
消せなかったのだろうか。
そのあたりの事情が引っかかってならない。
それとも、消えてしまった人たちを捜すことをやめさせるための警告だったのだろうか。
いや、今の段階で方向性を導くのは危険だ。
人が消えることと美加が気絶されたのは別件だってあり得る。
ここはもう少し慎重に動かなければならない。
かといって、のんびりと事を構えるわけにもいかない。
足を止めて、振り返った。
「あなたに漆原千代をつけましょう。
これ以上勝手に〝死なれて〟も困りますから。
それに、死んだ場所、いえ、気絶させられた場所が少しばかし気になるところでもあります。
あなたが何かを知ろうとしたから阻止してきたのか。
殺すまでに至っていないから警告程度で済ませたかったということも考えられるでしょうから。
ま、今から旅館の裏へと行ったところで、ヒントになるようなものがいつまでもあるとは思えませんし。
それに、夜では何も探し出せないでしょうし。
他には、このままあなたを放っておいて、また何かあっても後々に困ることだって考えられますからね。
用心ということです。
これからは、漆原千代と仲良く捜索を続けてください」
如何にもな作り笑いを浮かべて言ってやった。
美加は肩を落とし――千代と行動をともにするということで、怪訝に思うことでもあるのか、首を傾げた。




