3.黒猫が寝ていない姿というものには興味が湧く。
旅館「山猫庵」。
秘湯ならではの〝人知れず〟とあってなのか、温泉施設を除くと思ったよりも規模が小さい。
例えるのなら、外観は広めの家、もしくはアパートといった感じ。
旅館の暖簾や看板がなければ、旅館として見られないのではなかろうか。
民宿と言われてしまうことだってある筈だ。
中へと入っても、旅館として小さく飾り気のない造りとなっている。
設備を見ても、お世辞にも広いといえないロビー。
廊下があって、両脇に互い違いの並びに宿泊部屋がある。
全部で五部屋。
奥に従業員及び経営者の部屋へと通ずる狭い廊下と温泉施設へと通ずる廊下がある。
美加と和葉は褐色の和装をした、見た目が中年層に入った仲居に、今回宿泊する部屋へと通された。
ロビーから部屋までずっと仲居が話しっぱなしで言葉が止まらなかった。
余程の話好きらしい。
楽しげに話していることがよく伝わってくる。
現に、旅館についてと温泉の効果などを説明してくれているわけだが、ただ話したいだけなのではないかと見て取れるほど。
目の前の部屋、入り口の上には〝芙蓉〟と行書体で書かれた木板が掲げられている。
入り口の襖障子を開けると、六畳の和室が二間、吹き抜けとなっている。
〝旅館の部屋〟と一言で片付くほどに、特に変わったものはない。
至って普通。
旅館の部屋を想像したとおりのもの。
手前の部屋にはテーブルが置かれており、真ん中に牡丹の活けられた一輪挿しが飾られている。
奥の部屋には掛け軸がかけられているだけで、他に飾り気がない。
美加は部屋の隅へと旅行バッグを置くと、部屋の奥へと向かった。
窓があり、開ければ山の景色を一望できる。
といっても景観がいいというほどでもなく、木々と周りを囲む山々が見えるだけ。
ただ――
そこから吹き入ってくるそよ風が、ここまで歩いて疲れた体に、ひんやりと心地いい。
「空気が美味い」と思わず口にしたくなるほど。
仲居はテーブルで二人分のお茶を淹れ――
「遠いところ、ご苦労ですなぁ」
と若干の訛り混じりで、お茶を並べていく。
和葉はそのお茶を一口飲み、仲居を見やる。
「どうして、僕があの人と同室なのでしょうか?」
藪から棒というか、不機嫌なままに仲居へと尋ねた。
「あら、ご夫婦じゃないの?」
仲居は和葉の不機嫌など全く気づいていないのか、それとも受け流すことに長けているのか、カラカラと笑っている。
男女が旅館へと訪れれば、夫婦か恋人か、その手合いと見ているようだ。
「どこをどう見たら夫婦に見えるのですか?」
「あら、嫌だ。
恋人同士で温泉旅行だった?
あらあら、妬けるわねぇ。
そしたら、今夜は精のつく料理を出すように言っておかなきゃだわ」
仲居は和葉に嫌味を言わせない勢いで言葉を紡いでいく。
サービス業をやっているため、人の扱いに長けていると見るべきか。
それとも、和葉の様子を先読みして後の先を取ったと見るべきか。
しまいには、「アハハ」と軽快に笑いながら、部屋を出て行った。
完全に勘違いをしたまま、勘違いを訂正させないまま。
何の弁解もできなかった和葉は、苦虫を潰したような顔でお茶を飲み干し、美加へと見やってくる。
美加は和葉の表情に、自分に嫌味をここぞとばかりに向けてくるのだろうな、と想像できてしまい、何となく胸が――正確には胃の辺りが――痛くなるのを感じた。
「あの……その……いえ……私も、和葉くんと同室だと思っていなかったんで……その……何と言うか」
うまく言葉が出てこない。
最終的にはいつものように俯いてしまう。
この後に来るだろう和葉の嫌味に対して、覚悟を決めることしかない。
耐えるしかないのだ、と。
――でも、和葉のため息が聞こえてくるだけ。
嫌味がない。
グリグリと抉ってくる〝言葉の槍〟が、いつまでもやって来ない。
拍子抜け、肩透かし、どれも違う。
どう表現していいのか、と美加は心の中で迷いが出てしまう。
嫌味を言われることは嫌なのに、いつも来るものが来ないから、調子が狂うというべきか。
顔を上げて、和葉を見やる。
和葉は表情を変えることなく、新しくお茶を淹れて飲んでいる。
不機嫌な思いをお茶とともに飲み込んでいるのだ。
「もともと、あなたは〝二人でここに来る〟予定でしたし、そのため、僕があなたの連れとして数えられてしまったのでしょうね。
向こうとしても人数で見ていたのでしょうから、ヘカテが僕に代わっていることなど、思いもしなかったのでしょう。
ついでに、男と女が対となっているために、夫婦や恋人と思ったのでしょうね。
さらには、こちらの言い分を聞く間も与えてくれないまま出て行ってしまいましたからね。
困ったものです。
せめて、あちらの勘違いだけでも正したいのですが、手遅れと見るべきなのでしょうかね」
和葉は湯飲みを眺めながらとつとつと言った。
嫌味を言ってくるのではないかと思っていたために、やはり拍子抜け。
でも、言われてみればそのとおりで、この旅館の予約には美加ともう一人連れがいるとしか伝えていないし、予約をするにそれで十分だった。
その連れがヘカテなのか和葉なのか、誰が来るかは旅館側は知らない。
美加と一緒にやってきた和葉を〝美加の連れ〟として見ていたとしても何らおかしくない。
そのため、仲居は和葉を〝美加の連れ〟として認識して、部屋まで案内したに過ぎない。
夫婦もしくは恋人同士と見られても何らおかしくもないこと。
夫婦でも恋人でもないのに男女二人きりで温泉旅行というのも、そうあるものでもないだろうから。
さらには、〝秘湯〟とされる温泉旅館。
〝お忍びでやってきたカップル〟と見られたのだろう。
美加は嫌味を言われなくてよかったのだが、仲居の勘違いに和葉同様のため息しか出ない。
「――では、僕はこれから仕事を済ませに行ってくるので、あなたはここでのんびりしていてください。
まあ、ここへの目的が温泉ですから、のんびりと浸かってくるのもいいのではないでしょうかね」
和葉が二杯目のお茶を飲み終えたところで立ち上がった。
ここまで歩いてきたというのに、全く疲れている様子がない。
元気で何よりだと感心するほかない。
そのような感想はあとでもいい――美加は窓を閉めて和葉へと寄っていく。
「仕事って何ですか?」
和葉の言う〝仕事〟というものを、そういえばまだ聞いていないことに気がついたので尋ねた。
和葉は首を傾げる。
でも、すぐに元へと戻した。
怪訝に感じたのだが、怪訝に思うほどのことでもないと思ったのだろうか。
「あなたに関係のないことですので、話すほどのことでもないと思いますが」
「あ、いえ、少し気になっただけです。
和葉くんが外で仕事をしている姿を見たことがなかったんで、興味が湧いたというか。
UFO騒ぎの時だって、私は和葉くんが何をしていたのか見ていなかったし。
もし、の話ですけど――和葉くんがよければ、仕事しているところを見てみたいなって」
いつも事務所で暇そうにしている姿しか見たことがなかったのだから、興味は一入だ。
これが和葉の感情を逆撫でしてしまったのか、眉をひそめられてしまう。
「興味本位で気になられても困るのですけどね」
ため息をつかれるだけで済んだようだ。
それでも言葉は紡がれる。
「第一、僕が事務所の外で仕事をするといっても、何ら変わりません。
商人として魔具を売買するのが専らです。
まあ、今回の仕事は魔具の鑑定ですので、直接売買するわけではありません。
それでも魔具が何かを定める程度ですので、いつもの仕事と変わらないといっても過言ではないですね。
場所が事務所でないということに過ぎないのですから。
それに、UFO騒ぎといいますか、月光の時のようなことは極稀のことです。
〈鎮魂〉と呼ばれる儀式は、本来、僕のような商人がやるようなことではありませんので。
ああいった儀式は、〝ああいった儀式をやる人たち〟の専売特許です」
「〝ああいったことをやる人たち〟?」
美加は首を傾げる。
和葉は説明を略す時がある。
面倒くさいからなのか、言っても美加が理解できないと見ているのか。
なので、いつものようにわからないから尋ねるほかない。
和葉も尋ねられることがわかっているのなら、最初から説明してくれてもいいのではないだろうか。
そこは、嫌味を言うための布石なのだと考えられる。
だが、さすがにそれは口にできない。
言えば、さらに嫌味を言われるだろうから。
「簡単に言ってしまえば、〈異端狩り〉の人たちと同類です。
対象が〝人〟か〝もの〟かの違いでしかありません。
ネコジシ商会での話だと、あの街でそういうことは社長の領分になるのですが、如何せん事務所にいることの少ない方ですので、月光の時は僕が代理で行ったに過ぎません」
「社長さんて、まだ会ったことないですけど、すごい人なんですね。
是非とも会ってみたいです」
「すごい人?
ええ、〝色々な意味〟ですごいと思いますよ。
それに、会わないほうがはっきり言って幸せだと思います。
伊達に〝変態社長〟や〝色物社長〟と呼ばれていませんから。
あ、僕が社長のことを〝変態社長〟と呼んだのは、ここだけの秘密にしておいでください。
――では、僕は仕事を済ませに行ってきます」
和葉はこれで全て言っただろうと部屋を出ようと歩みだす。
美加はその後ろについた。
和葉の足が止まり、振り返ってくる。
「なぜ、ついてくるのですか?」
「だから、見てみたいなあって」
「興味本位は困ると言いました。
なので、お断りします」
「邪魔はしないから――駄目、ですか?」
美加は両手を合わせて拝むように和葉へと伺った。
和葉はジトッとした目で見てくるが、数秒して――
「わかりました。
邪魔をしないのでしたら。
ただし、今回だけですからね。
次からはないと思っていてください」
観念したように答えた。
魔具の鑑定。
和葉が仕事の内容を教えてくれないので詳細まではわからない。
仕事についてをベラベラと話すような人でないからとも言えようか。
また、仕事の内容を話すことが守秘義務とやらに触れるのかもしれない。
どんな職種であれ〝守秘義務〟というものがついて回るのだから、仕方のないことだ。
和葉が内容を話すのは、決まって警察と共同する時。
今回について、美加は飽くまで旅館へと来た客であり、和葉とともに仕事をするわけでない。
だから、詳細を教えてくれないのだろう。
とはいえ、魔具の鑑定だと述べてくれたことを思い返してみれば、特に深く考える必要もないのかもしれない。
この旅館に魔具の類があり、それを和葉に見定めてもらおうというのだろう。
それ以上の詳細など、仕事をする人しか知る必要がないのかもしれない。
美加が鑑定するわけではないのだから。
しかし、少しばかし疑問も生じる。
和葉は以前に魔術のエキスパートでないため、魔具の詳細についてまでわからないと言ったことがある。
〈テリオンの指環〉というものを見ていた時のことだ。
あの時はヘカテに任せていた。
今回はヘカテがいないので、和葉が鑑定を行わなければならない筈。
あれから日が経っているので、その間にエキスパート、もしくは鑑定できるほどになったとも考えられる。
だからといって、早々にエキスパートと呼ばれる域に達することができるのか、鑑定を行えるほどになったのか、疑わしいのだ。
和葉が無能かというわけでなく、魔具というものが浅知恵でマスターできるようなものではないと思っているからだ。
美加は前を歩く背中を見て、色々と考えるものの、うまく答えが出てこなかった。
自分が和葉たちの〝魔具の世界〟に足を踏み入れて間もないために、考えを巡らそうとしても考えの方向性がはっきりしない。
美加と和葉はロビーで見つけた仲居に仕事についての話をして、女将の部屋へと案内してもらった。
女将部屋へと通されれば、薄緑の和装をした女性が迎え入れてくれる。
女将というのだからもっと年配の女性をイメージしていたのだが、目の前の女性は若く、二十代だろうか、どちらかといえば〝若女将〟というほうがしっくりとくる。
「当館の女将、緑野皐月と申します。
女将と申しましても、最近なったばかりですけどね」
女将――皐月が会釈をして淑やかに笑みを見せてくる。
美加は皐月を前にして内心ため息をついた。
皐月の背筋を伸ばした姿が凛としており、また、女の目から見ても目を奪われてしまうほどの〝華〟がある。
でも、嫌らしさなどなく、気取った様子もない。
一輪挿しの花――それも考えに考え抜いて活けた至高の一輪がそこにあるかのように思えた。
若いながらもしっかりと女将に定着しているといってもいいだろう。
そういう女性を前にしているからなのか、和葉が美加に一瞥をくれるなり、鼻で笑ったかのように見えた。
和葉の心など読めるわけでないのだが、〝女性というものは、こういうものでなければなりません〟と、その目が言っているように感じ取れた。
それはともあれ、美加を見て嘲笑っていると見て間違いない。
口だけでなく、視線でも嫌味を言ってくるこの男をどうすればいいのか、美加は表に出さないようにしながら、げんなりと。
「――では、僕に鑑定してほしいというものを見せていただけますか?」
げんなりの美加を満足したのか、和葉は皐月へと尋ねた。
皐月は二人の前に漆塗りされた木箱を出した。
艶のある漆黒に金の装飾がなされたものであり、この木箱一つだけでもそれ相応の値打ちがあるだろう。
その中に魔具が収まっているのだろうか。
このような箱に収めているとなると、余程貴重なものと見るべきだろう。
何が出てくるのか、と心が躍る。
そんな美加は逆に、和葉は至って落ち着いていた。
仕事をするのだから、冷静であるべきなのは当たり前のことなのかもしれない。
そうでなければ鑑定などできやしない。
「私がこの旅館を継いだ際に、〝これ〟も一緒に継がされました。
代々この家に伝わるものであると話は聞いております」
皐月はそう言いながら木箱を開けた。
中には装飾された筒。
大きさとして十五センチほどの長さ。
径は五センチを満たさないほど。
赤地に金銀の糸が施されたもので、側面を覆っている。
漆塗りの木箱に入れられていたわりには、装飾が綺麗なだけの筒で、大層なものでないように見える。
正直、木箱のほうが高価なのではないだろうか。
和葉はその筒を手に取り、色々な角度から眺めていく。
「万華鏡の魔具ですか、なるほど。
見た感じでは、普通の万華鏡ですね」
と、覗き窓から中を覗く。
何が見えるのか、はたから見ていてもわからない。
和葉の言葉からしても様子からしても、普通に万華鏡を覗いているようにしか見えない。
気になるので尋ねたいところなのだが、邪魔をしないという約束で一緒にいるため、尋ねることを堪えた。
むしろ、この場には和葉と皐月しかいないのではないかと思えるほどに、大人しく二人の会話を見ているだけ。
「はい。
私としても、普通の万華鏡にしか見えないのです。
話では〝人を閉じ込めてしまう〟ものらしいのです。
私が知っている限りでは、そういったことは一度も起きたことがありませんでした。
なので、是非とも一度どうなのかを見てもらおうと思った次第です。
もし本当にそういったことがあれば、厳重に管理しなければならないと思っています。
そういったことがないとすれば、普通に万華鏡として今後とも大事にしていきたいと思うので」
「そうですか。
では、すぐにも鑑定を――と思っていましたが、もう少し時間をいただきたいのです。
宜しいでしょうか?」
和葉は万華鏡から目を離し、美加へとよこしてくる。
美加は受け取るも、どうしたらいいのかと和葉を見やる。
和葉は何も答えない。
好きに見ていろということか。
「本来ならば、僕のほかにもう一人――この人はただついてきただけの人ですので、数える必要はないです。
ここへと来る手筈になっているのですが、まだ到着していないようなので、鑑定ができない状況なのです。
なので、その人が来てからということになります」
「ええ、構いません。
急ぎというわけではありません。
私としてはそれの詳細を知りたいのです。
もし、ただの万華鏡でしたら、それに越したことはないのです。
話のとおりのようなことがあるとするのなら、それ相応の対策と申しますか、危険かどうかの有無ぐらい知っておくべきかと思っています」
「そうですね。
こういう魔具を所持するのでしたら、それ相応の知識が必要となります。
知識を持つことで、安全に保管することも可能となってくるでしょうからね。
それに、今までそれを手にしていた人たちも、そうしてきたことでしょう。
ですが、受け継いだのですから、わざわざ鑑定などせずとも、それに関しての詳しい話を聞けばいいだけのことではないのでしょうか?」
「それが……」
皐月の顔が曇る。
目を伏せ――
「女将になったこととも関係がある話なのですが……。
先代の女将、私の母なのですが、急死してしまって、まだまだ経験のない身ながらも、女将を継がなければならなくなったのです。
それで、詳しい話を聞くこともできないまま、それも継いだのです」
「あ、それはその、申し訳ありませんでした。
そちらの事情も知らず、勝手なことを言ってしまって」
「いえ、お気になさらないでください」
二人の会話が続いていく――。
美加は手にした万華鏡を、何気なく覗いていた。
話に加わることができず、他にすることもなかったから、折角手にしているので覗いてみようというのが理由。
いや、手にした万華鏡を覗けばどのような世界が広がっているのか、興味が湧いたといったほうがいいのかもしれない。
美加にとって、何もわからない〝魔具〟としてよりも、昔から身近にある〝万華鏡〟としてのほうが、興味深いのである。
それに和葉に覗くなと言われたわけでもない。
これで何かがあるとしたら、勝手に預けてきた和葉が悪いのだ。
自分に責任はない筈だ、と自らに言い聞かせた。
小さな覗き窓から見える世界はとても幻想的。
万華鏡はその作り方、構成によって見える世界が様々。
美加の見える世界は六角形の真っ白な光の中に青や赤や黄などの色が三方へと伸びて独特な光を作り上げている。
万華鏡をゆっくりと回していくと、色のついた光が色々と形を変えて、新たな世界を作り上げていく。
美加は感嘆の息を漏らした。
万華鏡を覗くと子どもに戻った気分になる。
何年ぶりに万華鏡を覗いただろうか。
子どもの頃――それもとても小さかった頃――家に置かれていたものを覗いた時以来だろうか。
あの時はそれこそ万華鏡の中の世界に取り込まれてしまったのではないか、と思えるほどに眺めていた記憶がある――ような気がした。
気がしただけで、本当に記憶があるのか定かではないのだが――




