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異世界転生コーディネーター 〜異世界での人生設計ならお任せ下さい〜  作者: ロナルド愛


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2/2

夜の街 雑居ビルから眺める草原

突然、木の扉が内側から開く。


 中から出てきたのは、スーツ姿の男だった。年は三十代半ばくらいに見える。紺色のスーツに、細い銀色のネクタイ。髪はきちんと整えられている。営業マンのようにも、役所の職員のようにも見えた。


 男は良子を見ると、丁寧に頭を下げた。


「あなたは――佐藤良子様でいらっしゃいますね?」


 突然、見ず知らずの人に自分の名前を呼ばれて、思わず良子は息を呑んだ。


「どうして、私の名前を知っているんですか」


「今朝から、こちらに来られるのをお待ちしておりましたから」


 男はそう言って、扉を開けたまま少し横へ寄った。


 その隙間から、部屋の中の空気が流れてくる。階段の冷えた空気とは違う、ほんのり温かい空気だった。かすかに香る石油ストーブの匂いがどこか懐かしい。


「お疲れのようですね。立ち話も落ち着きませんので、よろしければ、中で少し休んでいかれてはいかがでしょうか」


 良子は返事をしなかった。


 知らない男が自分の名前を知っている。扉には異世界転生相談所と書かれている。普通に考えれば、ここで帰るべきなのだろう。


 ただ、強引に腕をつかまれたり、しつこく誘われたりすれば、勢いで断れたかもしれない。けれど男は、良子と距離を取ったまま、ただ静かに返事を待っていた。


 その態度が、かえって良子を戸惑わせた。


「あなたは、どちら様ですか?」


 自分でも、なぜそう返したのか分からなかった。けれど気がつけば、そう口にしていた。


 男は胸の内ポケットから名刺入れを取り出した。黒い何でもない普通の名刺入れ。そこから一枚を抜き、両手で差し出す。


 異世界転生コーディネーター

 伊勢亮太


 良子は名刺に書かれた文字を見て、戸惑ったような表情を見せる。


「これはやっぱり異世界転生(いせかいてんせい)コーディネーター と読めばいいのかしら?」


 思わずそう聞くと――


「はい。私は異世界転生コーディネーターの伊勢亮太と申します」


 大真面目な表情でそんな返事が返ってきた。だが、良子は今まで生きてきてそんな仕事を聞いたことがない。


「初対面のこんなおばさんをつかまえて、いきなり冗談ですか? 宗教なら、お断りしますよ」


 失礼を承知の言葉だった。しかし目の前の男はそれでもムッとした表情など見せること無く、静かにその言葉を否定した。


「いえ、間違っても宗教の勧誘などではありません。と言うより、私はてっきり、良子様が自分のご意思でこの事務所をお尋ねになったものだとばかり思っていましたが――」


 確かに男の言った通りだった。逆にこんな薄暗い事務所の前に用もなく一人で立っている女のほうが怪しい。


「それは……ただ、下の喫茶店が気になったついでに、上の階も見ただけです。たまたま気になって、ここまで来ただけで――」


 言い訳臭い言葉だったかも知れない。しかし逆に男は良子の言葉で確信をした。


「ならば、やはり」


「やはり、何なんですか?」


「やはりあなたは――この場所に私がお預かりしていた大切な届けものを受け取りに来られたのですよ」


「大切な届けものを、私宛に?」


「ええ、佐藤良子さん。あなた宛にです」


 伊勢は、もう一度頭を下げた。


「もちろん、お受け取らずお帰りになるのでしたらお止めはいたしません。ただ、お話を聞いてからお決めになっても遅くはないのではないでしょうか。温かいお茶をお出ししますので、少し休まれてはいかがでしょうか。今日は特に冷えますから――」


 良子は階段の下を見た。


 もちろん駅へと戻る道は覚えている。帰りたいならもう一度傘を広げて、少し歩けばいい。


 なのに、今はその少しが遠かった。


 病院の待合室で長く座っていたこと。薬局で薬を受け取ったこと。買い物袋の重さ。駅の階段の前で、足が前に出なくなったこと。それらが急に身体へ戻ってきたようだった。


 扉の内側から流れてくるのは、どこか懐かしい匂いのする温かい空気。


 良子は迷った末に、伊勢にすすめられるまま、部屋の中に一歩――足を踏み入れた。


 そこは古い事務所のような場所だった。壁には木の本棚があり、分厚いファイルや、背表紙の読めない本が並んでいる。中央には低いテーブルとソファが二つ。奥には机があり、どこかで見たような電気スタンドの明かりがついていた。


 窓には厚いカーテンがかかっている。


 部屋の中には、お茶の匂いとほのかに灯油の匂いがした。


「どうぞ」


 伊勢にすすめられ、良子はソファに座った。買い物袋を足元に置き、鞄を膝に乗せる。座ってしまうと、自分が思った以上に疲れていた事が分かる。


 伊勢は小さな急須でお茶を淹れた。


 良子の前に白い湯呑みが置かれる。


「温かいうちにどうぞ」


「ありがとうございます」


 良子は湯呑みに両手を添えた。


 指先が冷えていた。手の中の温かさが、少しずつ広がっていく。知らない場所で、見ず知らずの人が淹れたお茶を飲む事に少しの戸惑いはあったが、それでも温かい湯呑みを持っているだけで気持ちが少し楽になった。


「それで、その……届いているものというのは何ですか」


 良子が聞くと、伊勢は机の引き出しを開けた。


 白い封筒を一通、取り出す。


 少し厚みのある封筒だった。表には宛先も差出人もない。ただ、綺麗な文字で佐藤良子とだけ書いてあった。また、良子自身も見るのは初めてだが、封には糊では無く金色の封蝋が押されている。


 それは、良子が普段目にする郵便物とは、まるで違っていた。


 伊勢はその封筒をテーブルの上に置いた。


「これが、貴方様宛に届いた異世界転生者用の契約書でございます」


 良子は封筒を見ただけで、開封もせずに言った。


「すみません。おっしゃっている意味が分からないんですけど……」


「確かに、今すぐに理解というのは難しいかも知れません」


「だって、異世界転生というのは、小説や漫画の中だけの話ですよね」


「ええ。今は、そのような形で知られることが多くなりました」


「今は、と言いますと?」


「昔は別の呼び方をされていたのです。神隠しや―異界渡りなど、時代によって、言い方は様々ですが――。しかし今はやはり異世界転生や転移と言った言葉が最も伝わりやすいのではないでしょうか」


 どうにも信じ難い説明を、伊勢はとても真面目な顔をして話す。


 しかし、良子にとっては、この場所にそんなマンガの様な話を聞きに来たわけでは無い。


 良子はたまらず湯呑みをテーブルに戻した。


「私は、そういう話を信じる方ではありません。あなたは、私が何かに引かれてこの場所に来たように言いたいのかも知れませんが――今日は病院の帰りで、私は少し疲れていただけです。ここに来たのも気晴らしをしようとして下の喫茶店をたまたま見つけたからです」


 やはり、からかわれているのだ。良子はそう思い席を立とうとソファーの横に置いていた荷物を手に取った。


「もちろんそう考えるのが普通です――」


 伊勢が何かを言いかけても、良子はその言葉を無視した。


 病気や息子の事で心が疲労している時に、面倒な事に巻き込まれたものである――そう思った。今の良子には他人のつまらない冗談に付き合っている余裕など残ってはいない。


「では、失礼します」


 そう言って良子は入ってきた扉に向かって立ち上がる。


 しかしその時だった。


「お帰りになる前に、一つだけ見ていただけますか」


 そう言うと伊勢は部屋の奥へ行き、窓の前に立った。


「何を見ろと言うのですか」


 良子のつれない言葉に、伊勢は黙ったまま窓を塞いでいた分厚いカーテンを開けた。


 もちろん、そこは古い雑居ビルの二階だ。窓の外に見えるものなど、向かいの建物か、暗い路地くらいのはずだった。


 しかし、その瞬間――良子は、言葉をなくした。


 窓の外に、うらびれた夜の街はなく、代わりに見えたのは広い草原だった。


 明るい光が草の上に広がっている。遠くには湖があり、その先には白い城のような建物が建っていた。森も見える。城の上には、小さな旗が揺れていた。


 まるで絵本の中の景色だった。


 良子はソファの背に手を置いたまま、窓の外を見ていた。


「……映像ですか」


 やっと出た声は、そんな疑いの言葉。


「本当に、そう思いますか?」


 伊勢は窓の金具に手をかけた。


「少しだけ開けます」


 窓が開いた。


 部屋に、草の匂いが入ってきた。


 土の匂いも混じっていた。雨の街とはまるで違う匂いだった。頬に当たる風はやわらかく、冬の湿った冷たい空気とは全くの別物。


 テーブルの上に置かれた名刺の端が、少しだけ持ち上がる。


 良子は窓へ近づいた。


 手を伸ばすと、指先に風が当たった。


 作り物ではない。そう思った瞬間、良子は自分の考えに驚いた。


「こんなこと、あるはずがないでしょう」


 良子は窓の外を見たまま言った。


「もちろん――」


 伊勢は落ち着いた声で答えた。


「――そう思われるのが普通でございます」


 良子は何も言えなかった。


 信じたわけではない。しかしそれでも、草の匂いは優しい風とともに部屋の中を満たしていき、心地よい風は頬に当たっている。


 足元には買い物袋。中には牛乳、卵、菓子パン。鞄の中には少し重さを増した薬。


 家へ帰ったら、卵を冷蔵庫に入れなければならない。夕飯も作らなければならない。それを斗真の部屋の前に置かなければならない。


 そんな現実を、思わず忘れてしまいそうになるくらい見事な景色が、この古い雑居ビルの外に広がっていた。


 良子は長いあいだ、窓の外を眺めていた。


 やがてソファへ戻り――もう一度手を添えた湯呑みのお茶は少しぬるくなっていた。


「……お話を、聞かせてもらってもいいですか?」


 良子の言葉に、伊勢は静かにうなずいた。


「承知いたしました」

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