私の声は、聞こえますか?
ぽかぽかとした日差しが眠気を誘う小春日和。
わたしはそんな中、子どもを二人連れて十年目になる結婚の記念旅行に来ている。
旅行先はライルの家の別荘がある田舎。
馬車で何時間も揺られる旅だけれど、途中途中の街で見れる真新しいものは、十年経った今でも珍しい。
ただ子どもたちがいるから大変。
「おかあさま、おとうさま。ぼく、あれ見たい!」
「お母さま、お父さま。わたし、あっち行きたい!!」
「ほら、二人とも。僕たちは一人だけだから、一つずつ見ようね」
「「はぁーい」」
『ありがとう、ライル』
「ふふ。大丈夫。さ、どっちから先に見に行こうか?」
息子のアデルはライルに似て黒髪で碧眼。
娘のメイリーンはわたしに似て、銀髪で紫色の目をしているの。
アデルとメイは結局話し合って、アデルが気になった方を先に見に行くみたい。
『メイはいい子ね。譲ってあげられるのは偉いわ』
「えへへ。だってわたし、お母さまのむすめで、お姉ちゃんだもん!」
七歳のメイと五歳のアデルは、それはそれはすくすくと育ってくれて。
昔から一緒にいるせいか、二人にはある程度なら口パクで伝えられる。
特にメイはわたしの歌姫という職業に憧れて、わたしに良く話をせがんでくるの。
にっこりと笑いあって、メイの手を握る。
そんなときだった。
「おい、あっちで起きた暴動で、負傷者が出たらしいぞ!」
「おい、治療士を呼んでこい!」
「あの傷じゃあもう助からねえよ……!」
そんな声に、思わず足を止めてしまった。
するとメイがキラキラした目を輝かせて袖を引っ張る。
「お母さま、行こう!」
『……ライル、行ってもいい?』
「……仕方ないなぁ。まぁ、困っている人を放ってはおけないからね」
「おかあさまのちからはすごいんだもん!
ほら、行こうっ」
優しい家族に背中を押されて、わたしはその暴動が起きたほうへと走った。
そこでは未だに小競り合いみたいなものが続いていた。
するとライルがにっこりと微笑んでアデルの手を離す。
「僕は少しあっちに行って、暴動を止めてくるよ」
『……ほどほどにねー?』
「分かってるって」
ライルのほどほどはあんまり当てにできないけれど、多分大丈夫だと信じましょう。……多分、きっと。
その暴動とは別の場所に人垣ができていて、そこに負傷者がいるのだとわたしは踏んだ。
でもわたし一人だと声が出せないから通れない。
するとメイとアデルが胸を張って、大きな声を上げる。
「みなさーん、ちょっとどいてー!!」
「おかあさまがとおるからどいてー!!」
それに驚いた人たちが、一斉に道を開いてくれた。
『ありがとう、メイ、アデル』
「ううん! だってわたしは、お母さまのむすめだもん!」
「あ、僕だって!」
そんな二人の手を離してその先へと駆ける。
するとそこには、メイと同い年くらいの男の子が、お母さんらしき人に抱かれてぐったりとしている姿があった。
その姿に思わず唇を噛み締める。これは絶対に治さなきゃいけない。
「貴女は……治療士の方ですか!? この子を……この子をどうか、助けてください……!!」
『えっと……治療士ではないんですが……』
そんなことを言っている時間ももどかしく、わたしは男の子の傷口に手を当てた。
そして頭に治癒の歌を浮かべる。
すると、男の子の傷口から淡い光が零れ出した。
お母さんらしき人と周りの野次馬は目を見開いている。
「そんな……呪文すらなく、治療できるだなんて……」
「おかあさまはね、歌姫なんだよ!」
女の人の言葉に、アデルが胸を張って答えた。
でも、それはちょっとマズイ。
「……呪文を使わない……歌姫……?」
「……もしかしてあんた、『歌えない歌姫』……!!?」
そう、『歌えない歌姫』。
そんな風な不本意なあだ名が広まってしまったのは、結婚してから一年経ったある日のこと。
ライルと一緒に久々に訪問した城で大量の負傷者が出たことがキッカケだった。
さらには別の騒動が隣町で起きていて、主要な歌姫たちは殆どいなくて。
それをどうにかしたい、と思っていたら、あの日のような感覚を覚えた。
そう、ライルを助けたときみたいな感覚。
試しに使ってみようと治癒の歌を頭に思い浮かべると、それは見事に力を発揮した。
そこから広まったのが、『歌えない歌姫』というあだ名。
歌姫と言っても、使えるのは治癒の歌だけ。他のを思い浮かべて使おうとしても、それが力を発揮することはなかったから。
というより、歌えないっていう代名詞は歌姫とは真逆だから、はっきり言って侮辱なんじゃ……。
まずい、と思ってメイとアデルを引き寄せれば、人垣のあちこちから歓声が湧いた。
ああ、やっぱり。
思わずアデルのメイの顔を見れば、アデルは泣きそうな顔をしていた。
「ご、ごめんなさい、おかあさま……」
『いいのよ、そんなこと言わなくても、ばれてたと思うし』
そんなことは言ったけれど、やっぱりまずい。きっとこのままいけば、物珍しいもの見たさに人がさらに増えるだろう。
どうしたものか、と思って冷や汗を流していると、声がする。
「リノラ、何をやってるの……」
『あはは……ごめんなさい、ライル』
人垣を割って入ってきたのは、ライルだった。
その姿を見てホッとする。返り血は付いていないみたい。
するとライルがいきなり、わたしのことを抱きかかえた。膝裏とウエスト辺りに手を添える形での抱え方だ。
視界が一気に高くなって、思わず慌てる。
「すみません、今、結婚十年目の旅行中なんです。通してください」
『ライル……!?』
「いいからいいから」
少しばかり深みを増した彼はしかし、その端々にやっぱり悪戯っ子のような笑みを浮かべている。
わざとだ、絶対にわざと……!
あと一日はこの街にいるのに、とんでもないくらいいにくくなってしまったじゃない!?
「へぇー! 結婚十年目! その割には新婚さんみたいだねえ!」
「あらやだ。もっと若いのかと思ってたわ!」
「二人並ぶと絵になるねぇ」
「わたし、あんなふうになってみたい!」
「あたしもー!」
どこから持ってきたのか、通ろうとするたびに花束やらパンやらお菓子やらを押し付けられる。
苦笑いをしながらそれを受け取っていると、後ろから声がした。
「あ、ありがとうございました……!!」
それは、先ほど助けた男の子のお母さん。
わたしはそれに笑顔で手を振った。
□■□
別荘に着いたのはそれから三日後。
大きな湖が近くにあるそこは見晴らしも良く空気も綺麗で、とても美しい場所だった。
「すっごくきれい!」
「ねーおかあさま! ぼく、あそびにいってもいいっ?」
『荷物を運び終わったらね?』
「「やったー!」」
嬉しそうに廊下を駆ける二人はどうやら、途中でライルにぶつかってしまったみたい。
笑顔のライルに怒られて泣きそうな二人を見て、わたしは思わず笑ってしまった。
そしてそんな二人が遊び疲れて寝静まった頃。
わたしとライルは、二人で湖のほとりにきていた。
「……もう十年か。早いね」
『そうね』
目をつむってみれば、瞼の裏に浮かぶのは彼と出会ってからの数十年間の出来事。
ベンチに腰掛けて空を見れば、満点の星と満月がわたしたちを照らしてくれている。
『……そういえばライルと初めて会った舞踏会のときも、こんな月だったわ』
「え、そう?」
『ええ、そうよ』
本当に、本当に色々なことがあった。
出会って、付き合って。
別れて、また出会って。そしてこんなふうに歳月を重ねた。
楽しいことばかりじゃない。辛かったことも苦しかったことも、悲しかったこともある。
でもそれも全て、ライルとの思い出の欠片だから。
「ねぇ、リノラ」
『……なぁに、ライル』
「リノラは今、幸せ?」
『……どうしたの、急に』
こてり、と彼の肩に頭を乗せる。
するとどうしたのか、彼がわたしの手を握り締めた。
「……時々、幸せすぎて怖くなるんだ。リノラと過ごした時間が、大切だから」
『……それはわたしもおんなじ』
いつかわたしも死ぬでしょう。ライルかわたしか、どっちが先にいなくなるかは分からないけれど、でも。
『大丈夫よ、ライル。だって、わたしたちは、声を出さなくても会話ができるんだから』
そう。わたしたちは、言葉がなくても通じ合える。いいえ、声に出さなくったって、わたしの声を彼が聴いてくれる。ただそれだけで。
大丈夫。
「……そうだね」
『ええ、そうよ』
満点の星がひとつ、きらりと流れ落ちる。
ライルの目を盗んでそれを見つけたわたしは、その星に向かってひっそりと願いを呟いた。
ねぇ、ライル。
わたしがもし星になってしまっても。
わたしの声は、聞こえますか?
ご愛読ありがとうございました!