彼岸花
「おはようございます」
先に朝餉を食べている香月の背中に向かって話しかける。
「……ん、おはよ」
茶碗もお椀も空になっている。
あれ、わたし今日そんなに遅く起きましたっけ。
いつもなら半分くらいしか終わっていないはずなのに。
……ってこの人はっ
「香月さん!お茶、器から溢れていますよ?!」
「え? ……あああああっ!!君、そこの手ぬぐいとって!」
ご飯の入っている器の近くに積み重ねてあった白い布を三枚ほどばさっと渡す。
「なにやっているんですか。自称朝型人間のくせに」
「あはは、面目ない。
……って自称ってなにさ?僕は本当の本当に朝型だよ。
昨日はその……書庫ですごいおもしろい巻物みつけちゃってさ。
夜明けの手前くらいまで読んでいたんだ」
なるほど、妙にぼーっとしているのはそういうわけなのか。
「そんなに面白い巻物なのですか?では要約して後日聞かせてください、
徹夜しないと読めないようなものを読むのは面倒なので」
「はいはい。要約かぁ……何日かかるかわかんないけど頑張ってみるよ」
そう言って席を立ち、部屋を出ていく。
……怪しい。戯言(皮肉、からかい等)の数が少なすぎる。
・◇・◆・◇・
「香月殿」
「あ、どうも家主さま」
頭を下げてかるく会釈する。
「昨日で連続襲撃は三日目でしたが……」
「この三日で先方もかるく五万は兵を消費しているでしょう。
しかし草の者たちの情報によると彼らの戦力はおよそ六十から七十万。
残りの六十万以上の兵をいっきに赴かされるのも恐ろしいですが、この調子で毎日兵が襲撃にくるのも困りますね」
「ついに、彼らの手に渡ってしまうのか……」
「以前から思っていたのですが、
このお屋敷は、なぜ彼女を守っているのですか?
毎年どころか毎月襲撃があるような生活、大変ではないですか」
「一族の務めなのだ。
……あと、百年。あと百年は表の世界に出てはならぬのだ」
「もし、出たとしたら?」
「……それは」
「香月!」
「ああ、君。どうしたの?」
「どうしたの、ではありません!
今日はおもしろい物を見せるって昨日言ってたではないですか」
ぷうっと頬を膨らませ、香月の袖をひっぱる。
「ごめんごめん。あとちょっとだけだから部屋で待っていてくれるかな? あ、そうそう。この間、下町で見つけたおいしい抹茶のお菓子が僕の部屋の机の上にあるから、それ食べてていいよ」
「ま、抹茶のお菓子ですか?!」
目をきら~んと光らせて聞きかえす。
「うん、抹茶。胡蝶屋のものをふんだんに使いました、っておじさんから聞いたよ」
「早く来てくださいよ。……全部お菓子食べてしまいますから」
「はいはい。それからさ、食べすぎるとぷよっちゃうよ?」
「余計なお世話です!」
顔を真っ赤にして去っていく。
「……ずいぶんと慕われていますね」
「ん~、そうですか?」
「あんなにコロコロと表情を変える彼女は初めてみます。
以前はぴくりとも表情を変えませんでした。……恐ろしいくらい」
「彼女も恐ろしかったのではないかと、僕は思います」
「…………」
二人の間に沈黙が流れる。
「では、姫が待っているので」
そう言って背を向け、立ち去る。
が、角を曲がったところで左腹をおさえてうずくまる。そっと手をはずしてみると、彼岸花のように紅い血がにじんでいた。
【用語集】
◇抹茶のお菓子……主人公の大好物。
◆胡蝶屋……山の麓にある大きな和菓子屋さん。
駿河の国直通でおいしいお茶の葉を仕入れているとか。




