第十三羽. 常世の森の異変
翌朝。
セリアたちは、冒険者ギルドを訪れていた。用件は、昨日ギルドマスターから持ちかけられた依頼を正式に受諾するためである。
冒険者ギルドには昨日とは打って変わって大勢の冒険者で溢れ返っていた。朝から酒を煽る者、依頼書を巡って言い争う者、戦利品を自慢げに並べる者、広いホールは無数の冒険者の熱気と雑音が渦巻いていた。
だが、セリアたちが中へ足を踏み入れた、その瞬間だった。
ざわめきが、潮が引くようにすっと静まり返っていく。完全な静寂ではない。だが、確かに空気が変わった。視線が一斉に集まり、囁き声が波紋のように広がっていく。
「あれが、噂の・・・。」
「登録したばかりで、ゴブリンの集団を壊滅させたっていう・・・。」
「上位個体も倒したらしいぞ。」
「昨日の、獣の咆哮を一瞬で制圧したのも、あいつらだ。」
ここ二日間の出来事が、既に多くの冒険者の間に広く知れ渡っていた。セリアたちに向けられた視線には、好奇と警戒感、そして僅かな畏れがあった。
ーーー目立つつもりは・・・無いんだがな。
内心でそう呟きつつ、セリアは表情を変えない。
その時だった。
「セリアさぁぁん!!!」
何処からか場違いなほど明るく可愛らしい声が、静まり返った空気を切り裂いた。声のする方へ顔を向けると、受付カウンターの奥から、セリアの名を呼びながら駆け寄ってくるティアの姿が見えた。軽やかな足取りで人混みをすり抜け、難なくセリアの前へと辿り着く。
「セリアさん、おはようございますっ!」
元気よく挨拶すると、ティアは丁寧に一礼した。顔を上げたティアの表情は、屈託のない笑顔で包まれている。
「ティアさん、おはようございます。」
ティアと挨拶を交わしながら、セリアは改めて周囲を見渡した。無骨な男たちでごった返すこの空間で、ティアの存在が不自然な程に柔らかい。
ーーー癒し、だな・・・。
そんな事を考えていると、ティアが小さく眉を寄せた。
「セリアさん。私に対して、そんな丁寧な口調はいりませんよっ。」
頬を膨らませた、可愛らしい顔がセリアを睨む。
「・・・分かった、ティア。おはよう。これでいいかな。」
「はいっ!」
満面の笑みで即答するティア。ころころ変わる表情に思わずセリアは笑みが漏れる。これで惚れない男がいるのだろうか、などと余計な感想が頭をよぎる。
その視線に気付いたのか、ティアが小首を傾げた。
「セリアさん、どうかしましたか?」
「い、いや、なんでもない。それより、依頼の件なんだが。」
急に話を振られ少し慌てて話を逸らすと、ティアは一瞬だけ訝しげな表情を見せたものの、すぐに仕事の顔に戻った。
「依頼の説明用に会議室を取っています。そちらにお願いします。」
通された会議室は、中央にテーブルが置かれ、四人が向かい合って座れる程度の、簡素で一般的な空間であった。
セリアとアルジェントが席に着くのを確認してから、ティアも席に座り、依頼書を取り出しながら口を開いた。
「今回、お願いしたい依頼は、二件になります。」
まず差し出されたのは、盗賊討伐の依頼書だった。
「こちらは盗賊討伐です。冒険者は魔物だけでなく、人を相手にすることもあります。その際に適切に対処できるかどうかは、重要な判断材料になります。」
セリアが依頼書を手に取ると、ティアはそのまま説明を続ける。
「討伐対象の中には、元Bランク冒険者が含まれています。正直に言えば、並の冒険者では太刀打ちできません。」
ーーーなるほど。これは、確かに厄介だ。
セリアは内容を確認し、内心で頷いた。
「本来であれば、受けて頂くには少々荷が重い依頼ですが・・・。」
そこでティアは、僅かに言葉を区切る。
「昨日の件やゴブリンのこともあり、セリアさんたちであれば問題ないと判断しました。」
次に、もう一枚の依頼書が差し出される。
「そして、こちらが本題です。」
それは調査依頼だった。
「この依頼は、先日セリアさんたちも向かった常世の森の調査依頼となります。薬草採取依頼の際にも説明しましたが、もともと高ランクの魔物が生息する地域ですが、外縁部は比較的安全な森です。そのため、外縁部は新人冒険者が訪れることも多い場所でした。」
「確か、森に異変が起こっているとかで、外縁部でゴブリンの目撃例が増えているんだったか。」
セリアは先日聞いた説明を、記憶をなぞるように口にする。
「はい、その通りです。ですが、正確には・・・少し違うんです。」
「違う?」
「正確にはゴブリン以外の魔物も目撃例が極端に増えているんです。しかも、本来現れるはずの無い、脅威度の高い魔物も現れています。既に下位冒険者にかなりの被害が出ています。原因の調査をお願いします。」
「討伐は?」
「調査が主ですが、遭遇した魔物については、討伐をお願いします。」
説明を終え、ティアは静かにセリアを見つめた。
常世の森は、平時でも危険な場所だ。この異常事態ではなおさらだろう。調査ではあるが、高リスクの依頼であるのは確かだった。
ーーーだからこそ、と言う訳か・・・。
セリアは依頼書から目を上げた。
「念のため聞くが、期限は?」
セリアの問いに、ティアは一瞬だけ考える様な仕草をして視線を落とした。即答できない、というよりも、どう言えば角が立たないかを測っているような、そんな間だった。
「調査依頼については、できるだけ早急に取り掛かっていただきたいです。可能であれば、調査結果も併せて提出をお願いしたくて・・・。」
そこまで言ってから、ほんのわずかに言葉を選び直す。
「それ以外の依頼については、特に明確な期限は設けていませんが・・・ただ、なるはやで対応して頂けると、とても助かります。」
語尾が、意識したように小さくなった。無理を承知で頼んでいる、その自覚が言葉の端々に滲んでいる。急かしているのは分かっている。それでも頼らざるを得ない。
そんな内心が、言葉にせずとも伝わってきた。
「わかった・・・可能な限り早めに終わらせよう。」
即答に近い返事だった。
自分がまた、余計な仕事を背負い込んでいることは分かっている。それでも、セリアはここで曖昧な返答をする気にはなれなかった。
「ありがとうございます。」
そう言って柔らかく微笑むティアを見て、セリアは内心で肩をすくめる。
ーーーこの笑顔には、逆らえないな。
理屈では分かっている。無理をすれば、自分たちの首を絞めることになる。それでも引き受けてしまう。その原因が、今まさに目の前にある。
その時だった。
隣から、空気に溶け、普通なら聞き逃してしまいそうなほど小さな声が届く。
「セリア様は・・・ティアさんに、デレすぎだと思います。」
ボソリと呟かれた言葉。
セリアは聞こえなかったふりをするべきか、軽く流すか、一瞬だけ思案する。だが反応を決めかねている間に、ティアが次の話題を切り出した。
「それと、もう一つお話があります。」
ティアは表情を引き締め、静かに続ける。今まで声の柔らかさが消え、仕事の顔になるのがはっきりと分かった。
「獣の咆哮の面々が、正式にギルドから除名されました。」
淡々と告げられた言葉の裏に、事後処理の面倒さが透けて見える。
「自業自得なので仕方がないのですが・・・セリアさんたちに対して、かなり強い恨みを抱いているようです。」
恨み、という単語を使いながらも、ティアの声は冷静だった。感情論ではなく、事実としての警告。
「接触の可能性がある、と?」
「はい。何らかの形で関わってくるかもしれません。どうか、十分、気を付けてください。」
ーーー終わった話じゃない、ということか。
セリアは内心でそう整理し、短く頷く。
「わかった。気に留めておこう。」
その返答に、ティアは僅かに肩の力を抜いた。
「これで、説明は以上になります。依頼の件、どうかよろしくお願いします。」
そう言って丁寧に一礼するティアに、セリアは椅子から立ち上がりながら応じる。
「すぐに遂行して戻ってくるさっ!」
そして振り返り、隣に立つ相棒へ声を掛ける。
「アル、早急に、というオーダーだ。このまま常世の森に向かうぞ。」
有無を言わせぬ調子で告げると、セリアは会議室を後にした。背後では、アルジェントが一拍遅れてティアに一礼し、静かに付き従う。
◇◇◇◇◇◇
冒険者ギルドを後にしたセリアたちは、そのまま常世の森に向けて移動を開始した。本来であれば、ローレルから森の外縁部までは歩いて三、四時間ほどの距離だ。だが今回は事情が違う。調査時間を確保するためにも、早めに常世の森へ到着する必要があった。
常世の森の調査をするにあたり、セリアは森の中での野営は最初から考慮に入れていなかった。何があるか分からない以上、森の調査は日が昇っている間と決めていた。
前方に、濃い緑の帯、常世の森外縁部がはっきりと見え始める。
歩調を上げた甲斐もあり、到着した時刻はまだ昼前。
セリアは足を止め、森の外縁部の手前で周囲の様子を素早く確認した。街道脇には、視界の利く開けた場所があった。
ーーーここなら、仮に魔物が出ても問題無いな。調査前に、休憩を挟むか・・・。
「ここで一度、休憩を入れよう。昼食を済ませてから、調査を開始しよう。」
セリアは、ストレージ中から次々と必要な物を取り出していく。折り畳み式の簡易テーブルに椅子、木製の皿と杯。野外とは思えないほど整った食事の場を手早く作り上げた。
取り出した鍋は、つい先程まで火にかかっていたかのように温かく、微かな香辛料の香りが立ち込める。蓋を開けた瞬間、湿り気を帯びた空気の中に、深く豊かな香辛料の香りが広がっていく。複数の香辛料が重なり合い、わずかに甘さを含んだ匂いが、空腹をはっきりと刺激した。
アインザックのもとで世話になるようになってから、セリアは時間を見つけては自炊を続けている。そんな折に、手に入る香辛料でカレーを再現したところ、思いの外好評を得た。それからアルジェント、テトラの定番になっていた。
皿に盛り付け、順に配っていく。
アルジェントは一口運ぶと、わずかに目を細めた。
「・・・美味しいです。」
抑えた声と共に浮かぶ、ほんの小さな笑み。感情を多く表に出さないアルジェントが、こうして素直に感想を口にする。それだけで、仕込みに費やした時間は報われる。
テトラも夢中で食べ進め、あっという間に皿を空にすると、ぴょんと跳ねてこちらを見上げた。もう一杯を期待するその様子に、セリアは苦笑しつつ応じる。
食事を終えると、セリアは再びストレージに手を伸ばし、茶器と茶葉を取り出した。
湯を注ぐと、甘みを帯びた芳醇な香りが静かに立ち上る。香辛料の余韻を包み込むようなその香りが、張り詰めていた感覚をわずかに緩めていく。一口含むと、舌の上で柔らかく広がり、豊かな香りが鼻腔から抜けていく。身体が温まり、身体の奥に溜まっていた緊張がわずかにほどけていく。
ーーーさすが・・・アインザックさんのもとから拝借した、一級品の茶葉だっ。
セリアは、この僅かな時間を、大いに堪能していた。
ーーーさて、ここまでだ。
そう内心で区切りを付け、セリアは杯を置いた。アルジェントもそれを察したのか、緩んでいた表情を引き締める。
食器と簡易テーブルを手早く片付け、再びストレージへと戻していく。あれほど整っていた食事の場は、瞬く間に消え去った。
セリアたちは言葉を交わすことなく、探索の準備へと入った。
◇◇◇◇◇◇
『《オモイカネ》、この森に何か異常はあるか?』
常世の森の外縁部、まだ街道が視認できるほどの距離を進めながら、セリアは即座に問いを投げる。
『森の奥に高濃度のエーテルを感知。この反応が、この森の異常に関係していると推測。』
同時にセリアの視界に森の略図が表示される。そこには《オモイカネ》が解析した異常地点がマッピングされていた。
『わかった。《オモイカネ》は周囲監視を最優先で頼む。』
『承知しました。』
短いやり取りの後、セリアは森の奥深くへと視線を向ける。
視界に映るのは、どこまでも続く濃く深い緑。エーテル濃度の濃さが、呼吸の奥に残る微かな圧迫感として現れる。
「森の奥に何かあるようだ。とりあえず、奥に向かって進むぞ。アルは先頭、テトラは中衛でアルの補助っ。」
セリアの指示を聞き終えるとアルジェントの身体が淡い光に包まれる。次の瞬間、アルジェントの装備がメイド服から白銀のプレートアーマーへと換装し、重装備特有の質量感が空気を押し出した。
テトラはフードから飛び出すと、アルジェントの肩へと乗る。
ーーーそれだと・・・テトラも前衛では・・・?
そんな考えが一瞬よぎったが、セリアは何も言わず、好きにさせてみるか、と判断した。
アルジェントとテトラを先頭に、セリアたちは常世の森の探索を開始した。鬱蒼とした樹々が何処までも続き、森を進めば進むほどに緑の濃さが増していく。
セリアはこの森に足を踏み入れてから、違和感を感じていた。
光量が明らかに少ない。まだ日が高いにもかかわらず、光を遮断している樹冠があまりにも多すぎる。見渡せば、不自然な生命分布が広がる。
樹々の密度が高すぎる。
本来であれば、光を奪われた下層植生は枯れ、淘汰されていく。だが、この森ではそれがない。周りを見渡しても、枯れている草木が見当たらない。低木も草も、過剰なほどに青い。
まるで、エーテルが無理矢理に生命を支えているかのように。
そして、その過剰さが、重苦しい気配となって周囲に滲み出し、不可思議な空間を創り出していた。
ーーー自然じゃ・・・ないな。
常世の森の異常さに圧倒されつつも歩みを進める中で、魔物との遭遇が散発的であったのが救いだった。アルジェントは盾で突進を受け流し、体勢を崩した個体を剣で断つ。テトラは身体を伸ばし、触手のように魔物の急所を貫いた。遅れて飛び出した一体も、氷弾が即座に穿ち、動きを止める。
セリアが参加せずとも、問題無く戦闘が終わる。希に取りこぼした魔物の処理と、倒れた魔物を淡々とストレージへと回収するセリア。
その間も、視線は隈なく周囲を警戒している。
程なくして、状況が一変する。今まで散発的だった魔物との遭遇が、進むにつれて確実に増えてきた。進行方向の左右、そして背後。次から次へと魔物がセリアたちに襲いかかる。
ーーーこのままでは・・・囲まれるな。
「アル、足を止めるなっ。突破しながら処理する。テトラ、アルの背後と死角を優先っ!」
命令が飛ぶと同時に、戦闘の質が変わる。
アルジェントは盾で進路を切り開き、押し出すように魔物を弾き飛ばす。体勢を崩した個体を、流れるような動作で斬り伏せる。
テトラはアルジェントの動きに合わせ、触手を伸ばして確実に急所を穿つ。取りこぼしが出れば、即座に氷弾を叩き込む。その反応速度は、先ほどまでより明らかに洗練されていた。
セリアは後方で全体を見渡し、追いすがる魔物や死角にいる魔物を確実に屠っていく。
移動速度を徐々に上げ、セリアが魔物を探索し、逐次、殲滅していく。常世の森の奥深くを探索と殲滅を繰り返し、目的地へと進んでいく。
ある地点を境に、今度は魔物が、一切出てこなくなった。つい先程まで溢れていた気配が、嘘のように消え失せる。足音も、唸り声も、草を踏み荒らす気配すら感じない。
そのある地点を、セリアは明確に感じていた。薄い膜を抜けたような感覚が全身を覆い、エーテル濃度が明らかに濃くなった。
確実に領域が切り替わったと分かる瞬間が。
そして、歩くこと一時間、ようやく目的の場所へと辿り着いた。
鬱蒼とした森は途切れ、視界が一気に開けた。そこには草原のような空間が広がっていた。周囲を取り囲むように立つ樹木。その中央に、異物のような構造物がある。
そして、それを囲むように配置された魔物たち。ゴブリン、オーク。数が揃いすぎている。しかも、ただそこに存在しているだけ、そう思わせるほどに微動だにしない。
『《オモイカネ》、総数を把握できるか?』
『総数三百五十五体。ゴブリン、オーク双方において、王、将軍、戦士級を確認。』
セリアは目を細める。
ーーーいったい、何を・・・守っている。
『アル、テトラ。警戒を維持したまま、十分休憩を取る。身体を休めろ。』
気付かれまいと、セリアは念話でアルジェント、テトラに指示を出す。
『承知しました。』
『わかった~。』
『《オモイカネ》、中央にある構造物が何だか分かるか?』
『遺跡と推定。ただし、高濃度エーテルの影響によりダンジョン化しています。』
ーーーこの世界にもダンジョンがあるのか。
その言葉に、セリアの胸の奥がわずかに弾んだ。さらに”ダンジョン化”という言葉に純粋に興味が湧く。
『ダンジョン化?』
『ダンジョン化とは、遺跡や特定の地形が、高濃度のエーテルに晒されることで、自律的な内部構造を持つ空間へ変質する現象です。今回のケースでは、発生して間もないため、それほど階層は深くないと推測されます。』
《オモイカネ》からの回答は即答だった。その説明を聞いて、さらに浮かんだ疑問を投げかける。
『発生して間もない、ということは・・・ダンジョンの階層は、時間の経過で変化するのか?』
『はい、年月の経過とともに構造は複雑化し、階層数も増加します。そして二十層を超えた段階で、一般に迷宮と呼称されます。』
ーーーなるほど・・・。
ダンジョンについての基礎情報は、これで十分だ。だが、今の問題は、そのダンジョン化した遺跡だ。今回の異常を引き起こしている原因の一端だとするなら、内部を確かめる必要がある。
『その確率は、高いと推測。』
セリアの考えを読んでいたかのように、《オモイカネ》の報告が静かに響く。
ーーーなら、目の前の対処が先だな・・・。
《オモイカネ》とのやり取りの最中も、セリアの意識は魔物の集団から離れていなかった。その場で立ち尽くしたままのゴブリンとオーク。その様子に、はっきりとした違和感を覚える。
本来、落ち着きなく動き回るはずの連中だ。その場で動かずにじっとしていることなど、先ずあり得ない。知能が高い個体ならまだしも、全個体となると説明がつかない。
ーーー陰で糸を引いている奴が・・・いるのか?
『マスター、十分が経過しました。』
《オモイカネ》の報告が、セリアの思考を遮った。
『あぁ、わかった。』
セリアは静かに息を整え、魔物の群れを見据える。
ーーーさて、殲滅戦を開始だっ!




