9-1 八年前の風景1[◆]
懐かしい、見たことのある内観が彼の目に写っていた。
真っ直ぐに伸びる廊下、無機質に並ぶ教室の入り口。
教室から出てくる少年少女は制服に身を包み、鞄を持って同じ方へと向かっていく。
これは彼――真田宗治が八年前に見た風景だった。
「お疲れっす!」
「あ……お疲れ、隆一」
まだ幼い顔をした少年――飛鳥隆一は、宗治の肩をぽんと叩いて挨拶をした。
「中学校生活は慣れたかねぇ、宗治くん」
「いや、隆一も中学入ったばかりじゃん」
苦笑を浮かべながら突っ込みを入れる宗治。
対する隆一は、宗治の突っ込みに満足そうな笑みを浮かべる。
「明日からやっと夏休みやなぁ」
「そうだね。宿題もたくさん出たから頑張らなきゃね」
「宿題かったるいわぁ、終わったら写させてくれ」
「いや、自分で解こうよ……」
何気ない、いつもの会話を二人は交わしていた。
「あ、二人ともお疲れ様」
雪のような白い髪の少女――三上瑠里がとことこと走り寄ってきた。
「隆一と宗治はいつも一緒ね、お疲れ様」
少女の少し後ろから、薄めの金髪の少女――瑠里の双子の姉である瑪乃有がやってくる。
「お二人さんもいつも一緒やん」
「仲のいい兄弟がいるっていいよね」
羨望の眼差しで言う宗治の肩に、隆一の腕が伸びる。
「何言うてんねや、俺らも兄弟みたいなもんやろ」
誇らしげな表情を浮かべる隆一に、宗治は困った表情を浮かべる。
「そ……そうだね」
どのように反応すべきか分からず、宗治はとりあえず肯定の意思を示した。
「反応薄っ」
「隆一、あんまり宗治を困らせちゃダメよ」
水のように透き通り、凛とした声で隆一に注意を促す瑪乃有。
「困った顔をしてるけど、宗治としては少し嬉しいんじゃない?」
そよ風のように優しく、柔らかな声で瑠里は宗治に尋ねた。
「ま、まあ……別に悪くはないけど」
赤く大きな瞳でじっと見つめる瑠里に、思わず宗治は目を反らす。
反らした先で、満面の笑みの隆一と目が合う。
「ほうら、やっぱり宗治と俺は相思相愛やん!」
「それはちょっと……気持ち悪いわね」
「瑪乃有に同感。俺もその表現はちょっと引く」
宗治は再び目を反らし、今度は瑪乃有の方へと視線を向ける。
赤紫色の大きな瞳は瑠里と似ており、少し釣り目がちだ。
「瑪乃有お姉さまはいっつも冷たいなぁ、瑠里」
「? お姉ちゃんはいつも優しいよ?」
隆一の言葉に対し、不思議そうに瑠里は首を傾げて瑪乃有を見る。
すると、視線の先の瑪乃有も同じように瑠里を見て、見守るような優しい笑みを浮かべた。
「せやかて、瑪乃有は妹大好きお姉さんやん」
「姉が妹を愛することの何が悪いっていうのかしら?」
瑪乃有は冷静に、かつ堂々と隆一に尋ねて見せた。
「そうだよ、ボクだってお姉ちゃんが大好きだもん。姉妹がお互いを好きで何が悪いの?」
傍から聞けば誤解を招きそうな会話だが、四人の会話と言えばこれが日常茶飯事だった。
■■■
「ただいまー」
いつものように四人で下校し、宗治と隆一は真田家に帰ってきた。
「さなくん、兄ちゃんおかえりー!」
「うわ、鈴音がおる!」
元気よく玄関へと駆けてきた少女は、隆一の妹の鈴音だ。
「すずちゃん、久しぶり」
「お久やでー! さなくん髪型めっちゃイケメンになっとるやん!」
「あ、ありがとう」
小学校のときよりうんと短くなった赤い髪の先をつまんで、少し照れた様子の宗治。
それを見て、隆一は納得のいかない表情で話す。
「悪くはないけど、俺的には長い方が良かったと思うわ」
「長いままだと性別誤解されるじゃないか」
「お、せやな……」
非難の目を隆一に向ける宗治。
髪を切るまでは隆一に性別を間違われていたことがあり、それが彼の中でコンプレックスとなっていた。
それから宗治は、一人称、口調、外見といったあらゆる自身のことに対し、男子らしい振る舞いを心掛けていた。
「それにしてもなんや、鈴音こっち来とったんか」
「うん、大阪の小学校もう夏休みはいってん、それでこっち遊びにきたんよ」
隆一は、あからさまに嫌そうな表情を無言で浮かべた。
「なんやのその表情ー! 兄ちゃんめっちゃムカつく!」
「俺も鈴音のことめっちゃムカつくー」
「その言い方めっちゃ嫌! 兄ちゃん嫌!」
「俺も鈴音めっちゃ嫌!」
「真似せんといて! まじでキモい!」
隆一は鈴音をからかい、鈴音は隆一に涙目で感情をぶつける。
お互いに信頼し合っているからこその会話だろう、宗治はそう考えた。
「仲のいい兄弟がいるって、いいな」
羨望の眼差しで、宗治は二人のやりとりを見ていた。
■■■
夏休みに入ってしばらく経った頃。
夜の20時すぎに、突然真田家に誰かが訪ねてきた。
「誰だろう、こんな時間に」
リビングに一人いた宗治は、玄関へと向かった。
そっと扉を開けると、そこには俯いたままの瑠里がぽつんと立っていた。
「こんばんは。どうしたの、こんな夜遅くに」
声をかけると、瑠里はゆっくりと顔を上げた。
その頬には涙が静かに伝い、明日の遊びの誘いなどでないことを物語っていた。
「瑠里……?」
きゅっとスカートを握り、彼女は必死に涙としゃくり声を押さえこんでいるようだった。
しかし、それに反して涙はとめどなく流れ、声は余計に漏れ出していた。
只事でない状況であることを悟り、宗治は玄関を出て瑠里を手招いた。
「とりあえず、公園で話を聞くよ」
瑠里はゆっくりと俯き、宗治の後を何も言わずについてきた。
宗治もそれ以上何も声をかけず、ただ公園へと向かっていく。
5分ほどで公園に着いた二人は、ゆっくりとブランコに腰掛ける。
よく遊んだこの公園は、二人にとって思い出の場所であり、安心できる場所でもあった。
二人が沈黙する中、蛙の鳴き声が近くの田んぼから聞こえてくる。
「お姉ちゃんが、一週間前から帰ってこなくて」
「え、瑪乃有が……?」
蛙の鳴き声に交じって、弱々しい少女の声が宗治の耳に響く。
少しの間の後、ぽつりぽつりと瑠里は話し始めた。
「お母さんの――幻界プロジェクトの仕事のお手伝いで幻界に行ったっきり、戻って来ないんだ」
キイ、とブランコが軋む。
「他に誰か一緒に行動してた人はいたの?」
宗治は瑠里の方へと少し身を乗り出して尋ねた。
「ううん。すぐに済むからって、一人で行ったんだって」
「そんな……」
いつも一緒にいた友人の一人が、突然姿を消した。
それは宗治にとっても、大きなショックだった。
「お母さんも幻界でのお姉ちゃんの行動記録を見たりして調査してるんだけど、幻界を出た情報もないまま途絶えてるって」
「それってつまり、どういう……」
意味を尋ねようとして、宗治は途中で悟った。
――幻界での記録が途絶えるということは。
「……もう、どこにもいないかもって」
再び泣き出す瑠里。
「――――」
だが、宗治は何も声をかけることが出来なかった。
それは、自分自身もショックを受けているからなどという理由ではなかった。
ただただ、何を言えば良いのか分からなかったのだ。
分からないが、何かしなければならない。
そう思い、咄嗟に宗治は手を伸ばす。
震える小さな彼女の手を、そっと握った。
震えながらも、瑠里は一生懸命に握り返す。
その手はまるで、救いを求めるような、すがるようでもあった。
――守ってあげなければ。
そうして少年――真田宗治は、自身の守りたい人を見つけた。
恋慕とは少し異なる、近くにいたい存在。
それが、三上瑠里だった。




