2-1 笑顔の裏とペンダントの中 [◆]
姫宮家に二人の用心棒がやってきて、三日が経った。
蝉の声はまだまだ騒がしく、空の真っ青な日々が続く。日中は三十度超えで、町の住民は皆外に出たがらない程に暑い。
そんな炎天下の中、黒井龍斗は姫宮家の中庭で、彼にはまだ大きい模造刀を一生懸命振っていた。
「あんたもよくこんな暑い中やっていられるわねぇ……尊敬するわ」
縁側で腹ばいになってそれを観察しているのは、黒井少年の幼馴染である美山姫奈だ。
少女の手元には、冷たい麦茶の入ったグラスがあり、少女はそれを大事そうに飲んでいる。
「……ふぅ、ちょっと休憩」
「お疲れ。ちゃんと水分補給しなよ」
姫奈は、まるで昼寝中の家猫のようにごろんと仰向けに寝転がる。グラスは腹の上に乗せ、両手を添えるような形で、常に手放さないでいた。
龍斗は、寝転がる少女の隣に座り、放り投げたように置かれているタオルを手に取った。
そして、少年は姫奈の手元をじっと見つめる。
「喉渇いたなぁ……」
龍斗は、姫奈に飢えた子犬のような表情でそう呟いた。
「……あげないわよ。これ、最後の麦茶なんだから」
姫奈は、龍斗を上目遣いで睨みつける。白のブラウスにリボン、そしてプリーツスカート。この女子高生のような服装が上目遣いの彼女を色っぽくさせていた。
しかし、龍斗はそんなことなど気にも留めない。
「あぁ……やばい、もうダメかも。頭が頭痛で痛い」
龍斗は突然前かがみになって、頭を抱える。
姫奈は一瞬戸惑ったが、シリアスな雰囲気で迫って断り辛くするという少年の作戦であるということを見抜いていた。
少女は体を起こし、麦茶の入ったグラスを胸に抱いた。
「どんな顔したって無駄よ」
龍斗は両手を挙げ、降参のポーズをとった。
「分かったよ。あとで買ってくる」
ため息をついてしょんぼりする少年。
その姿を見て、姫奈は少し罪悪感を抱いてしまう。
「……一口くらいならわけてあげてもいいけど」
そうして、少女は言ってしまった。
サンキュ、と言うのと同時に龍斗は姫奈の抱えていたグラスを強引に奪い、一口どころか全て飲み干してしまった。
「あ――」
「ごちそーさま」
意地悪な顔をして龍斗は姫奈を見る。姫奈が怒り出すのを待っているようだった。
が、少女は龍斗のその顔を見逃さなかった。
「龍斗……ひどい」
「え、姫奈?」
予想外の反応に、龍斗は戸惑う。
いつも強気な少女が、今にも泣き出しそうな顔をしていたのだ。
「一口って言ったのに……」
「あ、……ごめん」
龍斗は心配そうに姫奈の顔を覗き込む。
そして、少年は自分の犯した罪の重さを思い知るが——
「なーんてね」
姫奈はグラスを奪い返し、残っていた氷を龍斗にぶちまけた。すっかり油断していた龍斗は、氷をまともに顔面に食らう。
「つめたっ、何すんだよ!」
「汗でびしょ濡れなんだからそんなに変わらんでしょ」
「変わる。全然違う。水をぶちまけられた方が不快だ」
龍斗はぶつぶつと文句を言いながら肩にかけたタオルで顔を拭いた。
「シャワー浴びて着替えたら麦茶買いに行くわよ。あんた疲れてるだろうから付き合ってあげる」
龍斗は、「だったらお前一人で行けばいいじゃん」などと言いそうになったが、リリアンにお使いを頼まれたのは自分だったことを思い出し、言葉を飲み込む。
少年はだるそうに縁側に上がると、脱いだ靴を持って家の中へ入っていった。
「龍斗くんはなかなか向上心がありますね」
部屋の窓から、赤髪の男――真田宗治が顔を出す。
「龍斗にはね、剣術が得意なお兄さんがいたの」
姫奈は窓ごしの宗治に話す。
「真田は、三年前の二界統合の争いは知ってるよね?」
「はい、もちろん。この人工世界——『幻界』と向こうの世界の『実界』を統合させてしまおうという案……幻界の人の多くはそれを反対し、実界の人の多くは賛同した。その対立した者同士は国民に内密で武力行使を行った……酷い話ですよね」
うん、と姫奈は頷き、話を続ける。
「その腕を見込まれて、龍斗のお兄さんは反対派が結成した幸民隊に入ったんだけど――最初は拒んでいたの。家族を巻き込みたくないからって」
「……そうですよね。自分だけの問題では済まない事ですよね」
「だけどある日、龍斗のお姉さん――お兄さんから見たら妹かな。その人が賛成派の政光隊に捕まっちゃったの。お兄さんはその自分の妹を助けるために、幸民隊に入ったんだって」
「家族想いなお兄さんだったんですね」
「そうね。だからこそ、龍斗はお兄さんのように強くなりたいって思ってるのかもね」
姫奈は言って、グラスの底にほんのわずかに残っている水を飲んだ。
「幸民隊の隊長がやられて決着がついた後、お姉さんは無事解放されたのだけど……」
姫奈は、言葉を続けることに躊躇いを見せた。
少し間が空いた後、空のグラスを見つめながら姫奈は続きを口にした。
「お兄さんは、家に戻らなかったの」
「……それで、龍斗くんはそのお兄さんを探している、ということですか?」
姫奈は俯きがちになって頷いた。
ほんの少しの沈黙の後、姫奈はぽつりと呟く。
「アタシ、お兄さんがどうなってるか知ってるんだ」
沈黙の間、窓から中庭をぼんやりと眺めていた宗治は、姫奈の方を見た。
「この町に来てたんだ。アタシ、お兄さんともよく話してたの」
少女は、体育座りになって空っぽのグラスを見つめる。
「でもさ、ある日お兄さんは――自殺したんだ」
「え……?」
宗治は、突然発せられた物騒な単語に思わず目を見開いた。
「遺書には、幾多もの人を殺めた自分に生きる価値はない、そういう風に書いてた。きっと家族のところに戻らなかったのも、そんな自分が許せなかったからなのかもね」
姫奈は、一見淡々と話しているように見えたが、その声は震えていた。
自分だけが知る龍斗の兄の居場所。
残酷な兄の結末を、姫奈は再開したばかりの大切な幼馴染に告げることなどできるはずもなかった。
だが、隠し続けることも少女には苦しく、心が痛む。いずれ、話さなければならない事実だった。
故に、龍斗の兄のように強くなりたいという想いは彼女には痛いほどに伝わり、その想いを聞く度に自ら抱く後ろめたさに押し潰されそうになった。
「今日あたりにでも、ちゃんと話さなきゃね」
姫奈はそう言って、翠色のペンダントをスカートのポケットから取り出した。
「それは……?」
「お兄さんが持ってたロケットペンダント。この中に写真が入ってるんだ」
ペンダントを開くと、そこには三人の兄弟――そして、姫奈の写っている写真が入っていた。
「姫奈ちゃんは、龍斗くんの家族とも交流があったんですね」
「うん。黒井家は剣術の名門でさ。当時、色々あったアタシを助けてくれたんだ」
少女はペンダントを閉じて、スカートのポケットにしまった。
「へぇ。実は僕も、小さなころから剣術を叩き込まれて育ったんですよ」
「あぁ、だから盗賊を打ち負かすくらいに強いのね」
姫奈は、少し安心感を得たような微笑みを見せた。
「……? 僕、何か嬉しいこと言いました?」
「だって、真田は全然自分のこと話さないんだもん。初めてそういう話聞いたなって思って」
「……ああ、言われてみれば確かに」
宗治がそう言った後、少しの沈黙の時間が流れる。
だが、その沈黙は少女と男にとって、決して苦痛な時間ではなかった。
「姫奈ー、行くぞー」
声変わりまでもそう間もないであろう少年の声が姫奈を呼んだ。
「今行くー、先玄関行ってて!」
姫奈は宗治に軽く手を振り、にっと笑った。
少女は今日もおてんばに振る舞う。
暗い真実を笑顔の下に隠しながら。




