45 嫌な予感のする電報
翌日の午後、キャサリン姉様あてに電報が届いた。
居間へ入ってきた執事が銀盆の上に載せていた時点で、私にはもう、何となくそれが姉様のものだと分かった。
薄い紙の折り方と、封をしない電報独特のそっけなさは、手紙とは違う緊張を帯びて見える。
「キャサリン様へ」
やはりそうだった。
姉様は、ちょうど窓辺で封筒の整理をしていらした。
留学中の婚約者へ送る手紙の控えやら、先日出した電報の写しやらが、小卓の上にきちんと重ねられている。
「ありがとう」
そう言って受け取られた時、姉様の表情はまだ穏やかだった。
先日、こちらから打ったのは短い電報だった。
要するに、こちらの家で少し面倒なことが起きている、委細は手紙で送る、そちらからも取り急ぎ返事がほしい――そういう意味のものだった。
だから、今届いたのがそれへの返しなら、せいぜい数語で済むはずなのだ。
無事受領した、であるとか。手紙を待つ、であるとか。あるいは、心配している、くらいの。
けれど、姉様は電報の紙をひらいた瞬間、目を止めた。
その場の空気が、ほんの少しだけ変わる。
「姉様?」
私は思わず呼びかけた。
キャサリン姉様はすぐには返事をなさらなかった。
紙面をもう一度、最初から確かめるように見返してから、ようやく小さく息をつかれる。
「……電報返し、ではないわね」
その声が、少し低かった。
私は思わず立ち上がりかけて、やめた。
近づいて覗き込むのは違う気がしたからだ。
「長いのですか」
「ええ。思ったよりずっと」
姉様はそう言って、紙を持ったまま椅子へ腰を下ろされた。
その様子を見て、お母様もすぐにこちらへいらした。
「どうしたの」
「バーナードからです」
姉様は答える。
「でも、ただの返電ではないの」
バーナード。
姉様の婚約者で、いまは留学先で医学を学んでいる方だ。
落ち着いていて、物事を軽く扱わない人だとは、私も何度か聞いていた。姉様がその方の話をする時の声音で分かる。
だからこそ、その方から届いた電報が“短い返し”で済んでいないのだとしたら、たしかに少し嫌な感じがする。
お母様が姉様の向かいへ座られる。
「読める範囲で読んでちょうだい」
姉様は頷いて、紙へ目を戻された。
「“手紙待てぬ、放置できぬ”」
そこで一度、目を上げる。
「……嫌な書き出しね」
ご自分でそうおっしゃった。
私はその時点で、背中のあたりが少しひやりとした。
――放置できぬ。
その言葉の置き方が、もう軽くない。
キャサリン姉様はそのまま読まれる。
「“性格の問題だけで片づけぬよう”」
部屋がしんと静まった。
私は思わず、膝の上で手を組み直した。
性格の問題だけで片づけぬよう。放置すべきでない。
そういう言い方は、姉様の口から普段あまり出ない種類のものだったからだ。
お母様も、少しだけ目を細められる。
「ずいぶんはっきりお書きになるのね」
「ええ」
姉様の返事は短かった。
「たぶん、委細の手紙を読む前に、先にここだけは伝えておきたかったのだと思う」
私は、そこで口を開いた。
「バーナード様は、以前にもそういう方をご存じなのですか」
キャサリン姉様は、少しだけ考えるように紙へ視線を落とされた。
「それが、たぶん、その先に書いてあるのよ」
そう言って続きを追われる。
「“実例として耳にしたことあり”」
私は、その言葉を聞いて、息をのんだ。
実例として。
耳にしたことがある。
それが、昨日ハロルド兄様から聞いた“友人の昔話”と、ひどく近い場所にある気がしたからだ。
お母様も同じことを感じられたのかもしれない。
表情は変えずに、静かに問われる。
「続きを」
姉様は頷かれた。
「“故に一人にするな。善意で応じさせるな”」
私は、その文を聞いた瞬間、今日までの話が全部、妙につながるのを感じた。
一人にするな。善意で応じさせるな。
まるで、今日の私のために書かれたみたいだった。
お母様が、そこでゆっくり息をつかれる。
「委細は後で、というわけね」
「ええ」
姉様は電報の紙を軽く持ち直した。
「最後に、“委細文”と」
沈黙が落ちた。
電報としてはずいぶん長い。――それだけ、向こうも急いだのだろう。
手紙で済ませるつもりだったが、それでは遅いと思った。だから先にこれだけ打ってよこした。
そのことが、かえって胸に重くのしかかる。
「……嫌な予感がするわね」
キャサリン姉様が、紙を膝に置きながらぽつりとおっしゃった。
その言い方は、いつもの姉様にしては珍しく少し感情が出ていた。
「わたくし、ただ“心配しすぎるな”か、“委細は手紙で”くらいが返ってくると思っていたのよ」
「ええ」
お母様も、静かに頷かれる。
「それが、ここまではっきり注意されると、たしかに嫌な感じがするわ」
私は、姉様の手元の紙を見ていた。
バーナード。
まだお会いしたことは多くないけれど、姉様がこの方について話す時、いつも少し安心した声音になるのを知っている。軽く騒ぐ人ではないという。
その人が、手紙を待つつもりだったのに電報を長く打ってきた。それだけで、十分だった。
そこへ、また足音が重なった。
今度はハロルド兄様だった。
部屋へ入ってきた兄様は、私たち三人の顔を見比べて、すぐにただならぬものを察したらしい。
「何だ」
「バーナードから電報ですの」
キャサリン姉様がそう答えると、ハロルド兄様は一歩近づいた。
「何と?」
姉様は、さっき読んだところを、今度は要点だけ兄様へ伝えられた。
するとハロルド兄様の目が変わった。昨日までの“気味が悪い”とか“厄介だ”とか、そういう段階ではない顔になったのだ。
「……放置できない、か」
兄様は低く言った。
「ええ」
姉様が答える。
「しかも、実例として耳にしたことがあると」
ハロルド兄様は、それを聞いたまま少し黙っていた。
そして、静かに、しかしはっきりと口を開いた。
「キャサリン、その手紙は届き次第、すぐに見せてくれ」
「もちろんよ」
「お父様にも」
「ええ」
兄様はそこでようやく、私のほうを見た。
「イブリン」
「はい」
「お前は、先日のようなことはもう二度とするな」
声はきつくなかった。
でも、いつになく断定的だった。
「たとえ向こうがどんな顔をしていてもだ。可哀想そうでも、弱って見えても、そこでお前が席を作るな」
私は、その言葉に素直に頷けた。
「はい」
「それから」
ハロルド兄様は、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「この間、私がした友人の話」
私の胸が、わずかに動く。
「ええ」
「あれと、今の電報が、妙に重なる」
姉様も、お母様も、何も言わなかった。
でも、言わなくても皆そう思っているのだと分かった。
――もしかして。
――まさか。
――でも。
そういう形のないものが、部屋の中へ薄く広がっていく。
「断定はまだしない」
ハロルド兄様は言った。
「だが、もし同じ類の話だとすれば、エミリー嬢がグランヴィル家へ預けられた事情も、もっと違う見え方になる」
私は、その言葉を聞いて背のあたりが冷えるのを感じた。
もっと違う見え方。
つまり、ただ持て余されただけではなく、すでにどこかで誰かの関係を壊しかけていたのではないか、ということだ。
お母様がそこで、ゆっくりと口を開かれた。
「バーナード様は、医学のことだけでなく、見方そのものを教えてくださったのね」
「ええ」
キャサリン姉様は電報を指先で整えながら答える。
「まだ詳しいことは手紙待ちだけれど、少なくとも、“少し変わった方”で済ませるな、という意味でしょうね」
私は、その言葉を聞きながら、今日はじめて本当に背筋が伸びるのを感じた。
少し変わった方――病弱で繊細な従妹。
そういう言葉で曖昧にしてはいけないのだと、また一つ輪郭が増えた気がした。
キャサリン姉様は、電報をそっとたたむ。
「手紙が来たら、また話しましょう」
そうおっしゃった時の声は、もう姉様らしい落ち着きを取り戻していた。
でも、その落ち着きの下にあるものは、さっきよりずっと固かった。
嫌な予感がする。その勘は、たぶん外れていない。
私は、そう思った。




