やさしい朝が始まる場所
駅前のスーパーでパートを始めて、まだ三日目。
春野柚は、慣れない接客に戸惑いながらも、なんとか仕事を終えた。
ミスをして、謝って、落ち込んで、それでも「また明日も来よう」と思えたことが、今の自分には十分だった。
帰り道、小さなカフェの前を通りかかった。
あたたかそうな光が漏れていて、ふと吸い寄せられるようにドアを開ける。
「いらっしゃいませ」
店内は穏やかで、ふわりとコーヒーの香りが漂っていた。
カウンターに座ると、白髪の女性がやわらかく微笑んで言った。
「疲れてる顔だね。でも、いい顔してる」
柚は驚いて、小さく笑った。
「……新しい場所で、がんばってる最中なんです」
「うん、わかる。
“がんばる”って、何かをやることじゃなくて、“やろうとしてる心”のことなのよね。
あなたのそのまなざし、すごくいいわよ」
その言葉に、胸の奥が温かくなった。
カップに注がれたカフェオレの泡が、やさしく波打っていた。
一口すすると、苦さとともに、体がふっと緩む。
——新天地。まだ慣れないこの場所。
けれど、誰かと笑えたこと。名前を呼んでもらえたこと。
知らない人の優しさに触れたこと。
どれも、“ここで生きている”ことの確かな手応えだった。
外に出ると、夕暮れの風が肌を撫でた。
前の街では見えなかった、オレンジ色の空。
きっと、この場所だから見えた景色。
柚はポケットに手を入れ、小さくうなずいた。
「これでよかったんだよね」
その声に、どこからか風が「うん」と返してくれたような気がした。
そして彼女は、ゆっくりと歩き出す。
——やさしい朝が、また始まる場所へ。




