第6話 襲撃
奏はまず宿屋に向かった。
そこは有事の際の避難場所になっていて、怪我人たちもそこに運ばれるのだと、ジャンから聞いていたからだ。
幸いそこまでの道のりで魔物に出会うことなくたどり着くと、そこでは宿屋の主人が掃除をしていた。
「どうしたんだ?アリア。」
「あの!街が魔物に!」
「なんだって!?また来たってのかい?」
「まだ、ここには」
「ご覧の通り来てないよ。」
ほらと、宿屋の主人が手を広げてみせる。
宿には避難してきた人も、怪我をした人もいなかった。
「ほ、本当なんです!信じてください!ここに魔物が」
「来るんだろう?なら急いで皆を避難させなきゃだ。」
「え?」
「何を呆けてるんだい。魔物はどこまで来てるか、分かるかい?」
「恐らく門前まで。もしかしたらもう街に入っているかも。ジャンはそっちに向かったわ。」
「なら、しばらくは大丈夫だろう。アイツは腕が立つからな。」
「え、ええ。…信じてくれるんですか?」
「なに言ってんだい。当たり前だろ。それとも質の悪い冗談なのかい?」
「まさかっ!」
ブンブンと首を振れば宿屋の主人はふう…とため息をつく。
「冗談の方が嬉しいけどね。なんて、そんなことも言ってられないか……俺たちはまず人の避難からだな。手伝ってくれるかい?」
「もちろんです。」
宿屋の主人はそう言うと急いで宿を出る。奏もそのあとを追った。
「おーい!魔物が出た!宿屋まで避難してくれ!
戦える奴は準備を整えて門の方へ!」
宿屋の主人が叫ぶと露店を開いていた人たちが、彼のもとに駆け寄ってくる。
「魔物だって?」「昨日も出ただろ?」
「連日なんて今まであったか?」などと疑念を口にする。
「もう門前まで来てるらしい。ジャンが向かったそうだ。」
宿屋の主人がそう答えると、男たちは顔を見合わせて頷く。
「そうか…じゃあ、俺達は加勢に行く。ここは任せるぞ。」
若い男たちは武器を取りに家へと急ぎ戻っていく。その足取りに迷いは見られない。
彼らは魔物に襲撃されることに、こんなにも慣れてしまっている。そう思うと、貴族の暮らしとあまりにも違う環境に、奏の心はズキンと痛んだ。
“私はなんにも知らなかった”
“仕方ないでしょ。”
“えっ?”
頭に声が流れてきて、奏は吃驚して声の主を探せば、頭上を優雅に飛んでいた。ふわふわの尻尾が奏の腕を指しているので見れば、無意識に腕輪を触っていたのだと気がつく。
“教えてもらわなかったんでしょ?庶民と貴族の違い。”
“う、うん。でも知る機会はあったと思う。”
“奏は真面目だねー。僕だったらそうは思えないなぁ。だってさ、無理やり転移させられて、この国を救えなんて、勝手が過ぎるんだもん。怒っても良いと思うけどね。”
セツの言葉はもっともだと奏も思う。普通なら愛美のように、喚き散らして泣き叫んだって不思議ではない。ただ奏がそうしなかったのは、元の世界に未練がなかったから。
むしろ絶望していた時に世界を転移して、不安ではあったが同時にワクワクしていたくらいだ。
だからこそ、城での仕事は楽しかったし、愛美の我が儘も耐えられた。
愛美だって被害者なのだから、優しくしようとすら思えたのだ。ただそれは、彼女が仕事を面倒だとやらず、でも贅沢な生活をするので、すぐに思わなくなったのだが。
その挙げ句、クリスは愛美を選んだ。
と、そこまで考えて奏は頭を振った。
嫌なことは忘れよう。もう、城から逃げたしたんだ。関わる必要なんてない。今は目の前の事を、ここの生活を守りたい。
“奏?”
“ああ、ごめん。考え事してた。”
“この世界に復讐する?連れて来たことを後悔させる?”
“えっ!?そんなことしないよ。”
“えー、なんでー。”
つまらないと不満そうな声に、奏はふにっとセツの頬を摘まんだ。
“私はここの生活嫌じゃないの。今は自由になったし。セツにも会えた。だから、復讐したいとは思わないよ。”
“そっかぁ。奏がそういうなら別に良いけど。”
ほっぺを触られてセツは気持ち良さそうにするので、奏がそのまま撫でれば首を伸ばした。ふふっと笑みが溢れる。
ふと宿屋の主人が振り向いたので、奏は慌てて手を離してピシッと姿勢を正す。
「よし、じゃあアリアはあっちの方を頼むよ。さっきみたいに説明すれば、良いから。」
幸い宿屋の主人には見られなかったようで、彼はそう言って別の方向へ駆けていった。
奏も街中を走り回って、避難するように声をかけてまわった。
一通り声をかけて宿屋に戻ると、すっからかんだった宿屋は避難して来た女子供で賑やかになっていた。
幸いまだ街に魔物は入っていなかったようで、怪我人は運ばれていない。
「ここは大丈夫ですか?」
奏が聞けば、戻ってきていた宿屋の主人がにっこり笑って頷く。
「ああ、問題ないさ。ここは私たちで何とかするよ。」
「では、私は門の方に向かおうと思います。」
「ああ、無理はしなさんな。」
「ありがとうございます。そちらもお気をつけて。」
奏は宿屋をあとにした。
「セツ、門の方に魔力の塊みたいなものが見えるんだけど…」
「それは魔力が重なって、そう見えるんだろうね。だって大きな魔力は感じないから。他に魔力は散らばってないみたいだね。」
「ええ。ジャンが食い止めているんだわ。急がないと。」
奏はそう言ってセツの方を見る。
「セツ、転移魔法をお願い。」
「君って人使い荒いんだね。これは契約する人間を間違えたかなぁ。」
「何言ってるのよ。あなたは偉大な精霊で、高い魔力持ちなんでしょ?これくらい朝飯前じゃない。」
「なーんか、上手いように使われてる気がする。」
「もー、ひねくれ屋ね。」
「まぁ、良いや。確かに僕にとっては朝飯前だからね。」
「それに奏のことは好きだし。」と付け加えてから、セツは魔法を発動させる。
奏の足元が淡く光を放ち、間もなくして彼女の姿は消えた。
「やっぱり、これってふらつくのね。」
「それはそうだろうね。空間を歪めているんだから、多少なりとも影響は出るよ。」
そうなのね。と、車酔いのような吐き気と目眩に、頭を押さえつつ奏はゆっくりと視線を上げる。
さすが精霊の魔法だと奏は感心する。目の前には城壁があり、そこから右手に約100メートル先が門というベストな位置。
「さすがセツね。ここなら、魔物に気付かれないけど、十分に近い距離だわ。」
奏が褒めればセツはまんざらでもなさそうに、へへんと鼻を掻いた。
奏は門の方へ意識を集中させる。やはりまだ魔力が塊みたいになって、光を放っていた。
「何匹くらいいるのかしら?」
「ざっと見て十匹かな。」
「そんなことまで分かるの?」
「僕くらいになればね。あっ、でもこれくらいなら、奏にも出来るようになると思うよ。」
「じゃあ、そのうち教えてもらわないとだね。」
セツののんびりさに合わせるように、奏も努めて明るく振る舞う。
だが、彼女の心は今にも不安に押し潰されそうだった。それもそのはずだ。奏はいつも回復役で、戦闘に加わったことはない。この前のようなことにだってなりかねないのだ。
もちろん遠征には同行しているし、怪我人や死者を見てきている。だけど人が死ぬということには、どうしても慣れなかった。
命が消えていくのを見て、どうしようもないことなのに、できることがあったのではないかと考えてしまい、心を病むことだってあった。そんなの前の世界じゃ、奏が経験することのなかったことだったのだから、仕方ないことだろう。
奏は実際、数日食べ物を口にすることが出来ず、部屋に籠ってしまったことがある。その時、奏を闇から立ち直らせてくれたのはクリスだった。
毎日のように部屋まで出向いて話をしてくれた。ただただ日常の何でもないことを、奏に教えてくれる。
そして、この世界はこんなにも平和になったのだと。それは聖女である奏のお陰なのだと。いつもそう言ってくれた。
確かに救えなかった命もある。だけど、それを減らせたのは奏のお陰なのだと、言ってくれた。
他愛のない話をして、笑って。それは少しずつ奏の傷ついた心を癒してくれた。
今でも死は慣れない。だけど、深く考えて落ち込むことはなくなった。
だからこそショックだったのだ。こんなにも人の心を理解してくれる彼だからこそ…
「貴方は違うと信じていたのに…」
「奏?」
セツの声に意識を戻せば、グッと握り絞めていた拳が真っ白になっている。それをセツが心配そうに見ていた。
「大丈夫。ちょっと考え事。」
「声をかけても返事がないから、ビックリしちゃったよ。」
「ごめんね。」
「僕は良いけど、そろそろ門が近いよ。」
言われて、奏は初めて気がつく。
魔物や人間の怒声や武器のぶつかり合う音。鳥や虫の声は聞こえなくなり、ピリリとした独特の空気感。何度経験しても慣れない雰囲気に、奏の心は一気に緊張した。ドクドクと心臓がうるさくなる。
それを押さえつけるように、胸に手を当てて奏は深呼吸をした。
そして奏は喧騒に向かって足を進めた。
ガキンッと、ぶつかり合う音は鉄を打つのと同じように響く。キーンとなるのは金属が擦れる音なのか。
「いた。」と、草の影から門の方を覗けば、魔物の姿を見つける。魔物は昨日と同じでゴブリンが数体。手にしているのは棍棒や、太い枝に石をくくりつけたものだけ。あまりにもお粗末な武器からして、群集ではなく小さな群れが街に食料を求めてきただけだと分かる。
街の占領が目的なら、まず数が違う。この何十倍も多く、近接戦だけでなく魔道を扱うものや、弓矢、投石などもあるものだ。
だが、それらは見られない。
「はぐれゴブリンだろうね。」
セツが裏付けるように言って、奏の横で手を伸ばした。
その先を見れば、門の近くにジャンの姿がある。
丁度、棍棒を持った一匹を倒したところで、別の一体へ向かう。彼から少し離れた後方では比較的若い衆が、ジャンから逃れたゴブリンを待ち構えていた。
ジャンとの力の差は歴然だった。ジャンは数体のゴブリンを相手にしても息ひとつ上がっていない。ただ数が多いため、ジャンの脇をすり抜けて街に入ろうとする奴をその他で一斉攻撃して倒していくのだ。ここが一方通行で脇から抜けられないような道なら、間違いなくジャンひとりで対処できるだろう。そのくらいの実力差だ。
「うわっ!」と悲鳴が聞こえて奏が視線をジャンから後方に移す。すると、若者の一人が足元に転がっていたゴブリンの死体に躓いて後ろに転んだのが見えた。
それがトリガーとなり、若者たちの陣形が完全に崩れる。そこをゴブリンたちは見逃さなかった。門の前でジャンの剣に翻弄されていた数体が、一斉に中へと入り込む。切られようが気にせず突っ込んでこられては、さすがのジャンも全てを止めることはできず、3体のゴブリンが彼の横をすり抜けていった。
彼らは迷うことなくその倒れた若者に向かう。他の若者達が懸命に止めるが、1体だけそれをすり抜けて、手にした武器を倒れている若者へ振り下ろした。
人の悲鳴とバキッ!と何かが折れる音は同時だった。
恐怖に目を瞑っていた若者は、状況が分からず恐る恐る目蓋を開く。すると、目の前に転がっていたのは棍棒だった。それは途中で折れたのか短い。
そのまま視線を上げれば、目の前には折れた棍棒が突き出されていた。それは針の筵のように鋭利な形になっている。
ヒッと息を飲み若者は必死に後退ろうとするが、ゴブリンの死体から流れた血が滑ってそれはうまく行かない。
そんな中、ゴブリンは不思議そうに折れた棍棒を見つめていたが、考えるのを諦めたのか目の前の若者に視線を戻す。グヘヘ…とニタリ笑うゴブリン。
若者の顔が恐怖の色に染まる。
完全にパニックになった若者は、必死にもがいて立ち上がろうとするのだが、その足は震えて力が入らなかった。
ゴブリンが短くなった棍棒を振り上げた。その顔は完全に殺しを楽しむ狂喜に満ちていた。
その視界が右に傾いた。ゴブリンはそう思ったのだ。頭を動かしたつもりはなかったが、興奮しすぎて記憶が曖昧になっていた。
一歩足を踏み出して、さらに視界が傾いた。
訳が分からなくなって、ゴブリンは腕を振り下ろすことにした。
だが、それは動かなかった。
「ギャフ?」
訳の分からない声が上がり、その顔は地面に落ちた。
そして大量の血を吹き上げて、体もゆっくりと頭の後を追って倒れる。
その一瞬、他のゴブリンたちの動きも止まる。きっと勝ちを確証していたのだろう。それが崩されて、思考が停止したのだ。
「今だ!武器を振るえ!!」
ジャンの怒声が若者たちに衝撃を与える。息を吹き返したかのように、止まっていた息を吐いて吸い込む。
そして、各々が武器を構えた。
それは倒れていた少年も同じで、足をバンッと手で叩いて奮い立たせた。
目の前にいる敵を倒すために武器を振るった。まだまだ鍛練の足りない筋肉が悲鳴を上げるが、そんなこと気になどしていられない。
がむしゃらに武器を振るって、
「良くやった。」とジャンの声が聞こえて、振り下ろそうとしていた腕の動きが止まった。
ふと見渡せば、ゴブリンたちの死骸が転がっていた。もう一匹も残ってはいない。
「終わったぜ。」
ジャンの笑顔に若者は力をなくして、その場に崩れ落ちた。
ジャンが若者の背中をトントンと優しく叩いて鼓舞する。そんな姿を奏は草むらから静かに眺めていた。
しばらくして若者が落ち着きを取り戻したのを確認して、ジャンは他の人に彼を任せると、一緒に戦っていた人達にテキパキと指示を出していく。
それはあまりにも手慣れていて、奏は手を出すことも出来ず呆然と眺めているだけだった。
「おい。」
「へっ?」
そんな間抜けな声が出たのは、突然後ろから声をかけられたから。驚いて振り替えれば、いつのまにかジャンがそこにいた。
「来てくれてたんだな。」
「え、ええ…」
「街の方は?」
「皆に声掛けして、とりあえず避難できたよ。それでこっちに来たのだけれど…」
「だけど?」
言い淀む奏の言葉を促すジャンは、真っ直ぐに奏を見ている。空色の瞳が今は夕暮れに照らされて、赤みを帯びていた。
「自分は役立たずだったと思って…」
奏はなんだか全てを見透かされているようで、居たたまれなくなり視線をそらせた。
「はぁ…なんであんたはいつも」
「え?今なんて?」
「なんでもねぇよ。」と不機嫌そうに言ってからジャンは言葉を続ける。
「あんたがいなかったら、トビアは死んでたんだぞ。」
トビア?と首を傾げて、先程ゴブリンに殺されそうになっていた若者を奏は思い出す。
「あんたが結界魔法で守ってなきゃ、棍棒で一撃だっただろうな。」
「でも、その魔物を倒したのはジャンの魔法じゃない。」
「あれは、あんたが隙をつくったからできたんだよ。俺だって数体を相手にしつつ、人を助けられる程強くねぇよ。」
「でも、助けたじゃない。」
「だーかーら、あんたがその隙をつくったからだよっ。」
奏の目の前に指を突き出すジャンは、どうしてこんなにも彼女が自分を卑下するのか理解できなかった。
「あんたがいなかったら、トビアは助からなかった。それが事実。分かった?」
「え、ええ。」
半ば押しきられた奏は頷くが、納得はしていなかった。それはもっと動けたのではないか、という後悔ばかりが頭をよぎるからだ。
だけど、変に動いて最悪の結果を招くのも怖かった。だから結局は結界を張るだけしか、奏には出来なかったのだ。
「もっと自信を持てよ。」
「自信って言われても」
ないものは仕方がないと訴えれば、ジャンは諦めたのかため息をついた。
「じゃあ、明日は俺に付き合え。良いな。」
ビシッと指を突き付けられて、奏はまたも頷くしか出来なかったのだ。




