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島の娘  作者: M38
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第8話

 それからは地獄の日々だった。

 オリバーはふさぎこみ仕事以外は部屋から出ようともせず家人を心配させた。

 クロエはダニエルと派手に遊びまわるようになっていた。

 彼女の妊娠による身体の膨らみは肥満で誤魔化されていた。

 

「オリバーさまの落ち込みようはそれはひどいもので、原因はクロエさまとの婚姻以外に思い当たる節がございません。はたで見ていても心苦しく、わたくしが代わって差し上げたいぐらいでございます」


 セバスチャンが眉間にシワを寄せ苦悩を顔に歪ませながらオリバーについて語った。

 あの日いらいオリバーには会っていない。

 極力こちらからは顔を合わせないようにしていた。

 向こうもそのようだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 そして結婚式前日の夜。

 わたしはリード夫妻の部屋に呼ばれていた。

 オリバーもいた。

 数週間ぶりに見たオリバーは、見る影もないほど痩せ衰えていた。


「エマ、たいへんなことが起きてしまったの! あなたの力が必要よ。どうか、わたしたちを助けてちょうだい!」

「わたくしが……ですか? ですが、どのような……」

「ダニエルとクロエが、カーライル未亡人を連れて駆け落ちしたんだ! しかも、リード家の財産を持ち逃げした」

「おお……なんという恐ろしいことを……いったい、どうしたら……」


 ショックのあまり膝が震え立っていられなくなった。


「エマ!」


 オリバーが駆け寄り、支えてくれた。


「数週間前の領地での暴動のさい、我々は家を空けた。その隙にダニエルが証書や手形を自分名義に書きかえて散財していたんだ。我々にバレそうになったので、有り金を掻き集め逃げ出した。リード家の財産はまだ残っているからどうにかなるが、問題はあしたの結婚式だ。エマ、きみにクロエの代わりにオリバーと結婚してもらいたい」

「わたくしが……オリバーさまと……!」


 気が遠くなるような錯覚を覚えた。

 足元がふらつく。

 わたしを支えるオリバーの手に力が入る。

 あの夜を思い出す。

 情熱的にわたしを抱きしめたオリバーの熱いからだ。

 だが、それが原因でわたしはいま、オリバーとの結婚を躊躇チュウチョしている。


「エマ……ぼくからもお願いするよ。こんなぼくとでよかったら、結婚してほしい……」

「オリバーさま……」


 彼の瞳に悲しげな炎が揺れていた。

 後悔しているのだろう。

 あの夜を。

 共に過ごしたのがわたしだとも知らずに。


 心の中にはげしい懺悔の嵐が吹き荒れた。

 いますぐ彼の足下にひれ伏し許しを請いたい。

 床に這いつくばってリード家の方々に謝りたい。

 だが、それはエマ・カーライルには許されない行為だった。


「オリバー……2人だけで話をしてきなさい。エマ、外の空気を吸いにオリバーと庭に出るのはどうかな?」

「はい……」

「では、父上、母上。エマを連れていってまいります」


 ◇ ◇ ◇ ◇


 オリバーに手を引かれ月夜の花畑を訪れた。

 幽霊のように浮かび上がる小さな白き花の影。

 

「デイジーもじきに終わりだ……。来年の春が待ち遠しいですね」

「オリバーさま……」


 月光に浮かび上がる青年の顔は青白くまるで生気がなかった。


「ぼくはあなたに懺悔すべきことがあります。この月明かりのなかで聞いていただけますか……」

「オリバーさま……」


 オリバーはわたしの手をにぎったまま片膝をついて頭を垂れた。

 おおっ、許しを請うべきはわたしのほうなのに。

 どうしたらいいのだろう。


「あした婚礼を迎える予定のわたくしが、清い身ではありません。あなたに純潔を捧げていただける資格がないのです。ハプニングとはいえ許婚のクロエと……。もしも許していただけるのなら、エマ、愛するあなたと結婚したい……」

「……オリバーさま……おお……そのような……」


 わたしの目からはいつの間にか大粒の涙があふれ落ちていた。


「エマ……!」


 オリバーはいそいで立ち上がるとわたしを抱きしめた。

 彼の胸にもたれながらいつまでも泣きつづけた。

 わたしはいったい、どうしたらいいのだろうか。

 月がいつまでも2人のシルエットを照らし続けていた。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇


「エマさま……この世のものとは思えないほどお美しいです……」

「とてもすてきですわ……」

「……どうもありがとう」


 翌日、大勢のメイドに囲まれ式の準備に追われた。

 クロエのウェディングドレスにタックをたくさん詰めて、なんとか着られるようにした。

 薄いベールを被りデイジーのブーケを持ち頭の上にもデイジーの花冠が捧げられた。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 聖歌隊の歌声と共に静々とオリバーの元に歩み寄る。

 父親代わりにセバスチャンが腕を取ってくれた。

 ステンドグラスの光がまぶしい。

 わたしに神の前に立つ資格はない。

 だが、島民のためリード家のためにわたしには偽りの花嫁を演じる義務がある。


「オリバーさま、美しい花嫁です。どうぞ……」

「またセバスチャンに先を越されたな。エマと一緒にバージンロードを歩くのがぼくより先とは」


 うれしそうなオリバーの声。

 昨日とは打って変わって幸せそうな表情だ。

 真っ白な騎士の衣装は白馬の王子そのものだ。

 オリバーには素晴らしい人生を歩んでもらいたかった。

 本来なら彼は、誰よりも幸せになれる権利があるはずなのに。


 宣誓がなされ、オリバーによりベールが持ちあげられた。

 ステンドグラスの光よりも美しく、オリバーの碧い瞳がキラキラと輝きはじめる。

 もう逃げ場がない。

 神の御前で、わたしとオリバーは誓いのキスを交わした。


――リーンゴーン、リーンゴーン!


 たからかに教会の鐘の音が響き渡る。

 いまリード家とカーライル家の婚姻の儀が成されたのだ。

 あとは婚姻証明書にサインをして永遠の証をたてるのみだ。

 

 大勢の参列客の拍手と歓声のなか、扇の陰でほくそ笑む女たちの横目づかいを感じる。

 ダニエルとわたしの話を鵜呑みにした連中だろう。

 痛む心をウェディングドレスのレースに隠しながら、リード家の嫁として毅然とした態度で歩みを進めた。


 いずれダニエルとわたしの噂を聞きつけたオリバーから離縁を申し渡されることだろう。

 リード家に恥をかかせる前に島へ逃げ帰ったほうがよいのかもしれない。

 オリバーをこれ以上きずつけたり、皆の笑い者にさせることはあまりにも辛すぎる。

 偽りの花嫁はいつかその化けの皮をはがされ退散するしかないのだ。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 婚姻証明書にお互いのサインをした。

 クロエの名が横棒で消され、再びエマという文字に書き換えられていた。

 それがなぜか、ひどくうれしかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 結婚式のあとで舞踏会が開催された。

 わたしとオリバーは軽い食事をとってから、皆の前でファーストダンスを披露した。

 宴もたけなわのころ、自室で入浴をさせられオリバーの寝室へと連れていかれた。


「オリバーさま……」

「エマ……どんなにこのときが待ちどおしかったことか……。1日がこんなに長く感じられたのは生まれて初めてです」

「オリバーさま……わたくしは……」

「なにも案ずることはないよ、エマ……。男女の仲とは自然なものだ。わたしにすべてをゆだねておくれ……」

「おお……なんという……オリバーさま……」


 わたしはオリバーの胸に泣き崩れた。


「エマ……心配なのかい? 大丈夫だよ、やさしくするから……」

「…………」


 なんの言葉も出てこなかった。

 わたしはこの人をだましている!

 偽りの花嫁は見も心も偽りだ。

 この罪は消しようがない。

 いっそ、愛する人の手で殺して欲しい。


 過去も未来も忘れ、わたしはオリバーに身をまかせた。

 月だけがすべてを見ていた。

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