第7話
「オリバーさまの子じゃないわ。ダニエルの子なの」
「ダニエルさまの……?」
「そうなんだよ。だけど結婚式はもうすぐだから、子供なんてどうとでも誤魔化せる。ダニエルさまはオリバーさまにそっくりだからね。問題は初夜のほうなんだよ」
「それって……婚礼の晩のこと? それがなにか?」
「舞踏会で他のご夫人方に聞いて初めて知ったんだが、リード家ってのは貞節に関してはひどく厳しいそうじゃないか。絶対に飲酒はせずに臨み、もしも花嫁が聖女で無ければ死刑も免れないそうだよ」
「死……! クロエ、どうするの!」
「だから、あんたが代わりにやるんだよ! これから!」
「これから? どういうこと? 結婚式はまだ数週間も先よ」
「エマ、あんたとわたしはそっくりよ。だけど、たとえ暗闇でも抱きつけば、すぐにあんたとわたしがちがうってわかるわ。だから、オリバーさまの意識がはっきりしない今がチャンスなのよ」
「チャンス……? まさか……」
「そのまさかだよ。ダニエルさまがオリバーさまにいまアルコールを飲ましている。エマはちゃんとエマとしてオリバーさまと初夜を迎えるんだよ」
「どういうことなの? わたしがクロエの代わりにオリバーさまと結婚するの? だったら挙式まで待って……」
「なにおかしなこと言ってるんだい! オリバーさまと結婚するのはクロエに決まってんだろ! あんたは初夜の身代わりなんだよ」
「身代わり?」
「エマったら! まだわからないの? オリバーさまをだますのよ。オリバーさまはとあんたは今夜、枕を共にするの。エマはオリバーさまが起きる前にベッドを抜け出しなさい。あとはお母さまとわたしがうまくやるから」
「なんですって! それは犯罪よ! オリバーさまをだますだなんて、そんなことわたしが許さない! 訴えるわ!」
「エマ、誰に訴えるって? お屋敷にはいま召使いしかいないんだよ。クロエはオリバーさまの正式な婚約者だ。ベッドを共にして何が悪い! それにエマ、わたしたちには帰る家がもうないんだよ」
「家がない? いったい……どういうことなの?」
「実は……ダニエルさまに島の権利を売ってしまったんだよ」
「なんですって!」
「ちょっとエマ、落ち着いてよ! あんな貧困の島、普通に売ったら二束三文よ。なのにダニエルがそれを高額で買い取ってくださったの」
「ちょっと待って! わたしもカーライル家の子孫よ。わたしにも権利があるわ! 勝手なことをしたら法律に訴えるわよ!」
「あんたの権利? それなら、残してあるよ。犬の墓と野草のはえた猫の額ほどの原っぱだろ? あの丘だけはあんたの土地だよ」
「まさか……遺言書を書きかえたのね? ひどいわ!」
「ひどいってなんだい? 長いことあんたを食わしてやってきたじゃないか! 丘を残してやっただけでも感謝おしよ!」
「島民の生活はどうなるの? 保証してくれるんでしょうね!」
「それはダニエルさま次第だよ」
「そんな……!」
「そうだな、おれ次第だな」
「ダニエル!」
「ダニエルさま!」
クロエの部屋の前にいつの間にかダニエルが立っていた。
あいかわらず退廃的な雰囲気をかもしだす男だ。
この男の手にわたしの島の運命がかかっている。
「ダニエルさま! 島は……島の人たちの暮らしを保証してください! 島民たちは貧しくとも勤勉でいつも一生懸命に生きています! 彼らの権利や幸せをどうか奪わないでください!」
「エマ嬢……それもこれも、あなたの決断にかかっています。島民のため、クロエと生まれてくる子供のために、あなたの身を犠牲になさいますか?」
「わたしの身を……島民と命のために捧げる……?」
「そうよ、エマ! 乙女はその身を誰かに捧げるために生まれてくるんだよ! わたしだってそうだ。あんたの父親に純潔を捧げて島に尽くした。あんたの母親だってそうだろ? クロエだってそうだ。これからはオリバーさまのために一生を捧げて生きる。だけどお腹にはオリバーさま以外の方のお子がいる。死なせるわけにはいかないんだ。母親のクロエだってもちろん死なせてはいけないよ。どうかエマ……わたしのかわいい孫の命を助けておくれ。かわいい赤子をこの手に抱かせておくれ。あんたの決断ひとつで何百人もの命が救われるんだよ! リード家は資産家だ。あんたの決断ひとつで、未来永劫、島との繋がりを持つことができるんだよ」
「そんな……」
「ねえ、エマ……わたしがリード家に処刑されてもいいの? そうなったらあんたは殺人者よ! 赤ちゃんとあわせて2人も殺すことになるのよ」
「クロエ……だったら、ダニエルさまと逃げたら? あとからなんとか取り繕うから」
「エマ! なんて子だい! クロエを追い出してオリバーさまと一緒になる気だね!」
「そんなことは考えていません! わたしはクロエとお腹の赤ちゃんのために……」
「子供の心配をするならエマ! 後生だからわたしの代わりに初夜を遂行してちょうだい! お姉さま、この通りだから。お願いします……それしか赤ちゃんを守る方法がないのよ。エマがオリバーさまと一夜を共にすれば、式の当日にわたしが聖女でなくても筋が通るわ。ね? お願いよ……」
「クロエ……」
「わたしからもお願いするよ。本当に困ってるんだ。エマ、あんただけが頼りなんだよ……」
クロエ母娘が頭を下げるほど困窮しているのは痛いほど伝わってくる。
わたしとしてもカーライル家の名誉を汚したくはない。
いちばんは生まれてくる赤ん坊のことだ。
子供に罪はない。
だが、やはりオリバーを罠に陥らせるようなことはしたくない。
人事不詳の男をだますなんてそんな犯罪めいたことは人間として絶対にしてはならない。
そのとき追加のハーブティがメイドによってもたらされた。
しばしお茶を飲みながらこれらの新たな事実に頭を巡らせた。
だが、いくら考えても的確なこたえは出なかった。
わたしはいったいどうしたらいいのだろう。
「エマ、オリバーさまは容姿も並外れて立派だ。立ち居振る舞いも優美で素晴らしいお方だよ。あんただって、まんざらでもないだろう?」
「そうよ。エマにとっても悪い話ではないでしょう? 元々の結婚相手はエマ、あんただったんだから」
「いまさらそんなこと言われても……」
「なんだって? 本当の結婚相手はエマ嬢だったのですか? どうりで……」
「ダニエル、どうりでって……どういう意味よ?」
「いや、小さい頃からオリバーによく許婚の話を聞いていたんだが、クロエとはあまりにも印象がちがったものだから。エマ嬢だったらイメージにピッタリだ。どうして入れ替わったんです?」
「それは……」
「ダニエル! そんなのどうだっていいじゃない!」
「ダニエルさま、このことはどうか内密に……エマが自分から辞退したのです! 自分ではオリバーさまにはふさわしくないと!」
「……お義母さま……なんてことを……」
「本当に? にわかには信じ難いな……。まあ、そういうことにしておきましょう。ところで、エマ嬢の承諾を得たということで、そろそろよろしいでしょうか?」
「はい! ダニエルさま! エマ! 花嫁の準備に取りかかるよ! クロエ、メイドをお呼び」
「はい、お母さま!」
「…………」
もはやわたしに正しい判断は不可能だった。
あとから気がついたのだが、ハーブティーにアルコールが入っていたのだと思う。
頭が段々とぼんやりしてきた。
継母やクロエの説得にいちいちもっともだと納得しはじめていた。
「エマにハーブティーが効いてきたようね。ねえダニエル、今夜も遊びに連れてってよ! お金はあるのでしょう?」
「そうだな、家にいてもたいくつなだけだ! 金もある……遊びに行こうぜ!」
「クロエ! ほどほどにね。絶対に朝までに帰るんだよ!」
「お母さま、わかってるわ! あとはよろしくね。朝までには帰るわ。あーよかった! これで安心して遊べるわ!」
――ウフフフ……アハハハ……
男女の笑い声が遠ざかっていく。
ボウッとした頭のまま、メイドたちによい香りの入浴剤で身体を隅々まで洗われた。
ネグリジェとガウンを着せられクロエの香水をふりかけられたわたしは、オリバーの部屋の前まで連れてこられた。
「中に入ったら奥の寝室にいらっしゃるオリバーさまのベッドにお入り。黙ってされるがままにしているんだよ。逃げようなんて考えるんじゃないよ。ドアの鍵は外からかけておくからね。朝になったら、必ずオリバーさまが起きられる前に部屋を出るんだよ」
「……わかりました」
「さあ、エマ! 今日はオリバーさまとあんたの婚礼の夜だ! カーライル家と島の未来と、生まれてくる赤ん坊のためにしっかりおやり!」
「カーライル家……赤ん坊……」
「そうだよ! あんたの肩にみんなの将来がかかってるんだ!」
「…………」
――キイッ。パタンッ。
部屋の中は真暗だった。
「誰だ? セバスチャンか?」
「……いいえ……わたしです……エマです」
「エマ……! こちらへ……」
「はい……」
オリバーの声がした寝室へとむかった。
――キイッ。
大きな天蓋付きの寝台にオリバーがひとりで寝ていた。
「エマ……どうしてここに? 女性がひとりで男性の部屋にくるなどとは……」
「オリバーさま……今日は婚礼の夜です」
「今日が……? だが、花嫁はクロエでは……?」
「いいえ、オリバーさま。本当の花嫁はわたくしエマ・カーライルです!」
「エマ・カーライルがぼくの本当の花嫁……? そうか、そうだった! ぼくのエマ、ぼくのデイジー……ぼくのエマ……」
「そうです……あなたの花嫁、あなたのデイジー……エマです……」
それは月夜がもたらした不思議なマジック。
わたしたちは会うべくして会い、結ばれるべくして結ばれる。
ぼんやりとした視界のなかで2人は同じまぼろしを見る。
夢のようなひととき。
オリバーが手を差し伸べる。
大きくて美しい手の平。
その手の平に手の平を重ねて握り合う。
見つめ合う目と目が互いのなかに未来を予想する。
永遠にも思える時間 。
ふたりの間に何かが流れはじめる。
それはたしかに愛という名のものだった。
手を引かれ寝台に乗り上げる。
腕を引き寄せられたくましい胸に頬をすり寄せる。
顎をすくわれ顔をあげた。
キラキラと輝く彼の碧い瞳。
一生忘れることができないぐらい美しかった。
重なる手と手、瞳と瞳、そして唇。
胸と胸が肌と肌が――一分の隙もないほどに密着を果たす。
ふたりの重なりは遥か悠久のときを越え――やがて朝を迎えた。
◇ ◇ ◇ ◇
――キイッ、パタン。
「……エマ? ぼくのデイジー……どこだい?」
朝の光にさらされながらオリバーは目覚めた。
となりにいるはずの愛しい人の姿はどこにも見えない。
ぬくもりだけがまだ残っていた。
すぐに起き出し窓から庭へ出た。
朝露に濡れた小道を抜け裏庭へ到達する。
盛りを終えたデイジーの花畑で花冠を編みはじめる。
――カサッ。
しばらくすると、うしろに人が立つ気配がした。
「エマ! ゆうべは……!」
予想に反しそこには、気だるそうに寝巻きでたたずむクロエの姿があった。
「オリバーさま……ゆうべは……とても情熱的な一夜でしたわね。わたくし、初めてでしたのよ……」
もじもじしながら下を向き、恥ずかしそうにしている。
「えっ……? なにがですか? まさか……!」
「はい……婚礼前なのに、恥ずかしいですわ……」
「そんなばかな! ぼくが一緒にいたのは……!」
「なにがですの? あなたが夜を共にしたのが、許婚であるわたくし以外の誰かだとおっしゃられますか?」
「そ、それは……!」
「とにかくわたくしは、オリバーさまの情熱を受けとめたことがうれしくてたまりませんの! このことはお母さまにも報告済みですわ!」
「カーライル未亡人にですか! そんな……あなたとは本当は……」
「婚約を解消しようだなどとは、しておりませんでしたよね? 責任は取っていただきますわよ。リード家の跡取りとして!」
クロエが打って変わってすごむような目つきで対峙してきた。
婚約破棄の準備をしていたことをどこかでかぎつけたらしい。
完全にだまされた。
クロエ母娘のわなにはまってしまったのだ。
よろよろとした足取りでオリバーはデイジーの花畑から去っていく。
クロエはそのうしろ姿をほくそ笑みながら見送ると、やがてダニエルの待つ自身の部屋へともどっていった。
――カサッ。
わたしはオリバーが落としていった花冠を拾い上げた。
それはまだ編みかけで、1輪のデイジーがあぶなっかしく引っかかっていた。
まるでわたしのようだ。
あふれる涙のむこうでそう感じていた。




